第7話 独身ズボラ女(25歳)は可愛い男子高校生をママにする

「大丈夫ですか?」


 叫び声をあげた私のことを、扉の向こうにいる笹内くんが心配してくれている。

 このまま彼をずっと待たせておく訳にもいかない。

 

「大丈夫よ! すぐに服を着てくるから待ってて」

「はい。待っていますから慌てないでください」

 

 笹内くんの冷静な声を聞いて、少し落ち着いた。

 どんな服を着ようか。

 今取れる選択肢は、部屋着かスーツの2つしかない。

 スーツはさすがに堅すぎるだろうから部屋着でいいだろう。

 新しい部屋着は簡単に見つかりそうになかった。笹内くんをあまり待たせる訳にはいかないから、とりあえずさっき脱いだ部屋着をもう一度着た。

 

「ごめんね、待たせて」

「大丈夫ですよ。それより、あの、これどうぞ」

「これは……?」


 彼から渡されたのは、弁当を入れるランチバッグのようなものだった。

 何が入っているのだろうか。


「しじみの味噌汁とおにぎりが入っています。迷惑かと思ったのですが、良かったらどうぞ」


 バッグを開けてみると、中には味噌汁が入った容器とおにぎり、そして割りばしも入っていた。

 なんと言えばいいのだろうか。

 すごく眩しい。


「キミのお母さんが作ってくれたの?」

「僕が作りました」


 今どきの中学生は味噌汁をつくれるのか。

 私が中学生の頃は親に任せっぱなしだった。

 そういえば、さっきは頭が働いていなくて気がつかなかったけれど、たぶん隣の1505号室も、私の部屋と同じ1LDKのはずだ。


「もしかして、一人暮らし?」

「そうですよ」

「中学生なのに?」

「……僕は高校生です」

「えっ?」

 

 笹内くんの全身を改めて見る。

 可愛らしい少年だ。小動物系の美少年である。

 肌はぷにぷにしていそうで若々しくて、髭も全く生えていない。

 まだ声変わりもしていないようだし、とても高校生には見えなかった。


「高校2年です」


 少しムッとして頬を膨らましている。

 リスが食べ物を頬にためているみたいだ。

 怒っているのだから彼の言うことは正しいのだろうが、とても信じられなくて再度確認した。


「本当に?」

「はい」


 ……。


「またやってしまったぁ!」


 私はその場に崩れ落ちた。

 思春期のこどもにはそのあたり、デリケートなところだろう。

 女なら高校生であっても若く見られたらうれしく思う子もいる。

 でも男は違うだろう。高校生を中学生と言ってしまうなんて、きっと彼を傷つけてしまったはずだ。

 やってしまった。

 これで何度目の失態だろうか。しかもどれもが大失態だ。

 崩れ落ちていた私は、そのまま土下座に移行した。


「昨日のことも含めて、何から何まで、本当に、申し訳ありません!」

「あ、あの! 気にしていませんから立ってください。年齢のことも、慣れてますし大丈夫ですよ」


 立つように言われて仕方なく立ち上がる。

 あれだけの失態をおかしたのに、彼は苦笑するだけで怒った様子を見せない。

 なんて人間ができているのだろう。素晴らしい人格者だ。職場の男どもには見習ってもらいたい。


「ここじゃなんですし、良かったら中で話しても大丈夫ですか?」

「えっと、あぁ~……」


 私は後ろを振り返り、部屋の惨状を見ながらためらってしまう。

 この部屋に住んでから、誰かを家に入れるのは笹内くんで2人目になる。

 1人目は親友の麻里だ。彼女は一度私の部屋に来たっきり、二度と来ようとしない。薄情なやつだ。

 私が言うのもおかしい話だけど、こんな部屋に誰かを招いても大丈夫なのだろうか。


「部屋が汚いことは昨日見たので分かっています。覚悟はできていますよ」


 身体の前でこぶしを握って、気合を入れている。

 覚悟って……いや、まぁその通りなのか。

 悪気が一切感じられないので、さすがに私も落ち込む。後で掃除しよう。


「汚いけど、どうぞ」

「お邪魔します」

 

 お邪魔します、か。

 久しく聞いていなかった言葉になんだか不思議な気分になる。

 本人が言うように、2度目だからなのか、部屋のゴミを気にしている様子はない。

 来客用の椅子なんて当然用意していないので、ソファーに隣合うように並んで座った。


「笹内くんには迷惑をかけて本当にごめんね。朝ごはんまで作ってもらって……」

「好きでやっているので大丈夫ですよ。それより、前からずっと気になっていたんですけど、神宮寺さんってどちらにお勤めされているんですか?」


 笹内くんが身を乗り出して聞いてくる。

 いつも朝にすれ違っているときは、おとなしい子なのかなと思っていたけど、意外と積極的なようだ。


「オリジナカンパニーよ」

「えっ、凄いですね」

「知っているの?」

「もちろんですよ。超一流企業じゃないですか!」


 確かに大きな会社ではあるけれど、高校生ぐらいの子どもは知らないことが多い。

 現に私も大学生になって初めて知った。

 笹内くんが知っていたことは素直に驚きだ。

 

「部屋がこんな状態だから信じてもらえないかもしれないけど、会社では私、結構優秀なのよ?」

「神宮寺さんの出勤姿を見れば、なんとなく分かりますよ」


 私は優秀だ。嘘じゃない。

 実績はあげているし、同期の中では一番に主任にあがった。

 笹内くんは信じてくれないだろうと思ったけれど、違ったようだ。

 本当に彼はいい子だと思う。


「仕事ができる人ってカッコいいですよねぇ」


 底まで落ちたであろう私に対する尊敬を、ほんの少し取り戻せたような気がする。


「仕事では切り替えられるけれど、私生活では気が抜けちゃって……」

「仕方ないですよ。それだけお仕事を頑張っている証じゃないですか」

「あ、ありがとう……」


 この部屋を見ても、私のことを頑張っていると言ってくれるだなんて。

 嬉しくなって目がうるんできた。


「この味噌汁って、しじみも入っているし、二日酔いの私のために作ってくれたのよね。本当にありがとう」

「大した手間じゃないので。冷めてしまう前に、良かったら召し上がってください」


 嘘だ。

 昨日の出来事の後に用意しようとすると、24時間営業のスーパーでしじみを買う必要がある。このマンションからは少し離れているのにわざわざ買いに行ってくれたのだろう。

 これは温かい内にいただかないと失礼にあたる。


「いただきます」

「はい。召し上がれ」


 笹内くんはニコニコと穏やかな笑みを浮かべている。

 少し気恥ずかしかったが、味噌汁を口にした。


「ほわぁ」


 思わず、そんな声が漏れた。

 美味い。

 熱すぎず、冷たすぎない味噌汁に身体がほっとする。

 しじみの出汁がしっかりと効いていた。インスタントの味噌汁では中々出せない味だろう。

 丁度いい塩梅で塩味もあって、寝ている間に汗をかいて失った塩分が全身に補給されていくようだ。

 五臓六腑にしみわたるという表現がどういうものなのか、今完全に理解した。

 まるで身体がとけていくようだ。


「お口にあいましたか?」

「とっても美味しい」


 私は味噌汁を飲みほして、そして決断した。


「ねぇ、笹内くん。キミににお願いがあるの」

「なんでしょうか」


 今から言うことは、とんでもないことだということは分かっている。

 でも、この偶然の出会いはきっと運命だったのだ。

 私には彼が必要だ。


「私のママになって」

「えっ?」


 笹内くんが驚いている。当然だろう。

 年上の女にママになってと言われても困惑するだけだ。


「もちろん、対価としてお金はたっぷり払う。割のいいアルバイトでもすると思って」


 我ながら最低のことを言っている自覚はある。

 きっとドン引きしているだろう。

 でも、ここで彼を逃す訳にはいかない。

 仕事で培った交渉術も全部駆使するし、羞恥心をかなぐり捨てて土下座するのもありかもしれない。

 何が何でも、私は笹内くんをママにするのだ!


「はい。よろしくお願いします」

「ん?……んん!?!?!?」


 まさかの即オッケー。本当にいいの!?

 理由ははっきり言って不明だけど、私にとっては好都合だった。


 しかし、なんてことだ。

 今の私の状況を小説にするなら、きっとこんなタイトルになるに違いない。


『独身ズボラ女(25歳)は可愛い男子高校生をママにする』


 頬を少し赤らめて、よろしくお願いしますという笹内くんを見て、私はたんまり報酬を弾もうと決意するのであった。


「あ、ですがお金はいりません」


 ――えっ!?

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