第二章その3

 その頃、女湯では舞は不満タラタラな表情を押し隠しても、向かいに入ってる愛美はチャンスと言わんばかりにニヤニヤしながら嫌味を言ってくる。

「あらぁ~中沢さんってこ~んなに小さかったんだ」

「ちゃんと好き嫌いなく食べてるし運動もしてるわ」

 舞は中途半端に膨らんで成長が止まった胸を隠すように腕を組んで肩まで浸かり、愛美はドヤ顔で玲子ほどはないが大きな胸をこれ見よがしに立ち上がる、愛美は舞より低い背丈と仔猫みたいな顔立ちだ。

「小坂さん……眼鏡外すと可愛いわね、コンタクトにすると完璧だと思うわ」

「あらどうも、帰ったら早速試してみるわ」

「きっと完璧に見えるし、男子も声をかけてくるわ」

 舞は建前上見た目だけを褒める、それで愛美は天狗になったかのようにドヤ顔で微笑むと、一番胸の大きい玲子もジーッと顔を覗きこみながらニヤける。

「中沢さん褒める時はちゃんと褒めるんだね」

「……男子は男子でも性欲旺盛で下半身に充実な男子よ。小坂さん性格を除いて完璧だからセフレの一人や二人くらいはすぐにできるわ」

 舞の上げて落とす言葉に愛美は顔に怒り皺を浮かべて狂暴な本性を露にし、指を差して見下ろす。

「なによ!! 私は高校に入ったら清純派フルート美少女になるつもりだから、もし悪い噂でも広めたらただじゃおかねぇからな!!!」

「安心して根も葉もない噂は流さないから」

「どこまで信用できるかしらね!」

 愛美はワナワナと震え、舞は涼しい顔で受け流すと玲子は呑気に笑いながら言う。

「あんたら仲いいわね」


「「良くない!!」」


 愛美とほぼ同時に言い放つと舞は睨み、愛美も負けじと睨むと玲子に言う。

「だいたい中沢さんは見た目いいのに、口は恐ろしく悪いし中学の頃は毒舌の女王と呼ばれていた女よ!」

「小坂さんこそ、猫を被ってるでしょ? まあ男子には筒抜けだったけどね」

 感情的に言う愛美とは対照的に舞は余裕の笑みで言うと玲子は「はいはい」と手を叩きながら落ち着くように促す。

「わかったわかったあんたたちが顔を合わせると喧嘩するのはわかったわ」

 そう言うとまるで気持ち悪いほどの同じタイミングで指を差し合った。


「「こいつが喧嘩売ってくるからよ!」」


 おまけに台詞まで一語一句被ってしまう有様で、玲子どころか周囲の女子生徒は遠慮なく笑う。

「あはははははっあんたらが喧嘩友達なのはわかったわ」

 それで何も言えなくなると、隣に同じ班の神代彩が浴槽に入ってきて思わずドキッとする。透き通るような白い肌は火照ってるせいか、唇や睫が妙に色っぽいし濡れた長い黒髪は妖艶さを感じさせる程で舞は見惚れる。

 すると舞の視線に気付いた彩が首を傾げながら言う。

「ん? 中沢さん、どうしたの?」

「あっ、いいえ……なんでもないわ……ただ綺麗だと思っただけよ」

「やぁだもう中沢さんったら、変なこと言うわね」

 何の濁りも感じない微笑み、少なくとも舞にはそう見えて恥かしくなり、体育座りのようになって言う。

「変なことじゃないわ本当の――やっぱり私より大きい!」

 横目で胸元を見るとやっぱりは大きい! 愛美や玲子には及ばないがその分形が豊穣の女神像のように整ってる、なんで私の周りの女の子はおっぱいの大きい子が寄ってくるのよ! 舞はガックリすると彩は慌てて励ます。

「ああ気落ちしないで、中沢さんは大人っぽい美人さんで言いたいことをハッキリ言えるから」

「口が悪いことの裏返しよ、もう上がるわ」

 もう部屋に帰ろうと上がった瞬間、意識がボーっとして体が思うように動かない。

「中沢さん大丈夫!? 中沢さん! 萌葱ちゃん先生を!」

 彩の声がかなり遠くから響いてるように感じた、それから舞は彩と玲子に介抱されながら浴室を出て適当な椅子に座らせられると彩に服を着せられる。まるで介護される老人だと思いながら高森先生に連れて行かれた。


 目が覚めると騒がしい自分の部屋ではない和室で顔を動かすと、枕元には自分の鞄があり、スポーツドリンクの入ったボトルとコップが載ったお盆が置かれ、起き上がると高森先生がいた。

「気分はどう? 中沢さん? もう大丈夫?」

「はい……なんとか」

「そう、ならよかった……友達と楽しくお喋りしながら入るのはいいけど、無理をしないようにね」

 いつもは厳格な表情の高森先生はこの時ばかりは優しく微笑みながら、スポーツドリンクをコップに注いで渡す。

「……ありがとうございます」

 舞はドリンクを飲んで喉を潤す、時計を見るともうすぐ消灯の時間だった。

「今夜はここで泊まっていきなさい、あの子たちのことだから消灯後も静かにしてるとは思えないからね」

「いいんですか?」

「いいのよ、綾瀬さんたちにはもう伝えてるし……ゆっくりお休みなさい」

「はい、すいません……歯磨いてきますね」

 舞はそう言って鞄から歯磨きセットを取り出し、洗面所に来ると他の先生とすれ違って声をかけられた。中にはいい子にしてないと先生に石にされるぞ、とからかう先生もいたが……。



 翌日、翔は夕べ中沢舞が湯あたりしたという話しを耳にしながら、眠い朝のつどいにラジオ体操、朝食を終えると今日はオリエンテーリングで昼食の弁当を貰ってと持ってきた水筒にお茶を入れる。

「そんじゃ行こうか、昨日はずっと狭い所に押し込まれていたからな」

「よっしゃあ、元気を出して頑張っていこうぜ」

 今日一日高畑や直人とならともかく、この一見少女マンガに出てきそうな真面目でニヒルなイケメンサッカー部員だが、実は嫉妬深い嫌味な上野と一緒に行動しなきゃいけないのが憂鬱だと思いながら外に出る。

 幸いだったのが外に出てすぐ第一班の西本たちと行こうと高畑が提案してくれた。

「なぁみんな、せっかくだから一緒に回ろうぜ」

「いいね俺も賛成だ!」

 西本もそう言って賛成してそのままみんな一緒に行くことになると、自然と気の合う者同士で組んで林の中を集団で歩く、一番後ろの少し離れた距離で太一もリラックスした表情だった。

「よかったよ翔、成り行きとはいえ君と一緒に行くことができて」

「僕もだ……そういえば聞いた? 中沢さんが昨日湯あたりしたって」

「ああ、朝声をかけたけど大して変わった様子もなかったさ」

「むしろ湯あたりで済んでよかったとか?」

「まぁそんなところだね、それと……帰ったら残りの三日間どうやって過ごそう?」

太一の言う通りこの宿泊研修が終わったらゴールデンウィーク三連休がある、まあ田舎の父方か母方の実家に帰って、そこでのんびりボーっと過ごしながら温泉に入ってゲームするのもいいだろう。

 それか晴れた日には県民総合運動公園まで自転車で走るのもいいだろう。そう思っていた時、太一は微笑んだままどこか陰りのある表情で口調も重かった。

「ねぇ翔……僕たちが無邪気なままでいられる時間って……いつまでだと思う?」

「何を言い出すんだいきなり」

「この前法事で親戚の集まりがあったんだ……そこで福岡の伯父さんと久し振りに会ったんだ、話しを聞いてみたら……従兄のお兄さん、まるで人が変わったかのように冷たい性格になったんだって」

「仕事が大変で余裕がなくなったんじゃないのか? 僕も受験勉強の時にピリピリしてたから」

「それがその比じゃないんだ……従兄のお兄さん、暴力とは無縁だったのに家で暴れるようになったんだ……今は家を出て東京の会社で仕事をしてるけど直接訊いてみたらすぐにわかった、僕だけに話してくれたよ」

「……どうだったんだ?」

 翔が恐る恐る訊くと太一は重い口調で話す。

「そのお兄さん……地元では有名な旧家で熊本県議会議員の長男、だから将来を有望視されていたんだ……期待されてたからかな? 小学校に入る前から英才教育を受けて、放課後は友達と遊ぶこともできず塾や習い事に、週末は家庭教師の先生と勉強漬けの日々だった。それは中学も高校も同じでおかげで成績は常にトップだった」

 すると太一は首を横に振って訂正する。

「いや、トップでなければ許されない状態だったとも言うべきかな? 周りからはガリ勉だとかで馬鹿にされたが開校以来の優等生としてもてはやされて、当然のように東大へ進学したんだけど、その辺りから綻びが見え始めたんだ」

 太一の「綻び」という言葉で翔は全身の関節が錆びつくような気がした。

 もし自分が小さい頃から勉強や大人たちに縛られる生活を強いられるとグレない方が異常だ、そして気付くのが遅ければ遅いほど取り返しのつかないことになる。

「綻び?」

「うん、親元を離れて東大で友達ができた時に初めて気付いたんだ。お兄さんには勉強以外何も知らずにそして何もなかったんだ……友達や恋人は勿論、好きな物も宝物と呼ぶにふさわしい思い出もなかった……勉強はできても中身が存在しない空っぽの器だったことをお兄さんは気付いたんだ」

「その後どうなったんだ?」

「自分の生まれを呪ったよ。もし自分が普通の家に生まれてたら? と何度もね……結局お兄さんが大企業の社員になって滅多に実家に帰らなくなった……五年前の夏だったかな? そこで溜まりに溜まったものを吐き出して、ぶつけて、暴れて家を滅茶苦茶にしたらしい……それ以来親戚一同――特に伯父さんと伯母さんは急に老け込んでどこをどう間違えたんだ? って呪文か念仏のように唱えてるって」

「悲惨だな……そのお兄さんは今どうしてる?」

「ああ、今は結婚して子供もいるけどその子は好きなようにさせてるって……親戚の集まりには必ず出て自分と同じような道を辿る子供がいないか目を光らせてる、おかげで大人や年寄りたちの間じゃ鼻つまみ者扱いだけど……親戚の子たちの間ではすっかりヒーローさ、口癖は『俺のようにはなるな』だとさ」

 それで翔はホッと胸を撫で下ろした、その人はとても強い心を持ってる。自分のような不幸な人間を出さないようにするために最善を尽くしている、世の中には自分と同じくらい不幸にならないと気が済まない人間だって多くいるのだ。

「そのお兄さん、強い人だな」

「ああ、大学時代は弾けて出世コースから外れてしまったけどね」

「大企業の社員だけでも勝ち組じゃないのか?」

「翔の言う通りだね、でもさ結局僕が言いたいのは……この時は誰のものでもない、自分だけのものだということかな? 翔はさ、後悔してることってある?」

「そりゃあ……数え切れないくらい」

 翔は振り返りながら後悔してることを思い出す。沢山あるが、強いてあげるなら洋彦お兄さんや園田先輩のことだろう。

「後悔してるくらいならさ、後悔しない生き方をしたいと思わない?」

「まあ誰だってそう思うよ」

 太一の言うことは極当たり前だが、そういう生き方をするのはとても難しい。選択肢を一つ間違えただけで破滅と地獄へ真っ逆さまだ、だけどそれ以前に今しかない今のために今を生きるという、後先考えないようなことをしていいのだろうか?

 翔の心情を見透かしたかのように太一は鋭い眼差しで射抜くかのように見つめる。

「他人事のように聞こえたかもしれないけど、僕は真剣だよ翔」

「それじゃあなんで細高を専願入試で受けたんだ? 部活や勉強に集中したい奴ならいいかもしれないが、先生や大人たちの厳しい目がある」

「翔、僕はね……大人たちが大っ嫌いなんだ、だから反抗したくて反抗したくてしょうがないと思っている。いつしか僕はこう思うようになったんだ……表向きでは優等生を演じながら出し抜いてやりたい、不意打ちを与えたいって思うんだ」

 太一の微笑みは冷たいが同時に精悍で頼もしさを感じる、それは同時に翔が太一に共感している意味だということにすぐ気付くほどだった。

「それじゃあ校則の厳しい細高を選んだのは……それだけ太一にとってはやりがいがあるということ?」

「そういうことさ翔、君はどう思う? この高校三年間を無難に過ごして無味乾燥なものにするか? それとも刺激と危険が満載のスリリングとは言い過ぎだけど……卒業する時に楽しい三年間だったと言えるようにするか? 僕は後者を選ぶよ」

 太一の問いに翔は漠然とした気持ちで答える。

「まあ僕はどっちかというと後者にしたいと思う……実を言うと少し考えさせて欲しいというのが本音かな?」

「ゆっくり考えるといい、僕はいつでも歓迎するよ。くれぐれも後悔しないようにね」

 太一は期待の篭った笑みだが腹の底では何を考えてるのかわからない、と翔は思わず身構えた。

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