第二章その2

 その頃、中沢舞のいる部屋でも似たようなことが起きて小坂愛美は不満を露にし、舞は二段ベッドの下でやかましいと思いながら話しを聞いていた。

「――もう携帯は取られる化粧品も持っていかれる! マジあり得ないんですけど」

「他の学校にいる友達とメールできないのが辛いわね」

 玲子も諦観した表情を浮かべると、舞は別にどうということなく遠慮なく口にする。

「たかが三日程度よ、人間携帯が無くても生きて行けるわ。メールと電話ができないのはむしろ運がいいほうよ」

「友達のいないあんたからすればどうってことないでしょうね!」

 愛美は嫌味たっぷりに言ってくるがそういう問題じゃない。

「そうじゃないわ小坂さん、吹奏楽部の友達が一緒に来てるからいいわ……私が言いたいのはメールと電話ができない程度で済んでよかったことよ」

「つまりどういうこと中沢さん」

 玲子が訊くと舞は話す。

「携帯電話はまだ進化の途上にあるということよ。一九八五年に発売された最初の物はショルダーバッグみたいな物で二年後の私たちが生まれた年にはレンガみたいな物だったわ。そこからどんどん小型化されて高性能化する……するとどうなると思う綾瀬さん?」

「生活に欠かせなくなる?」

「ええ、今はメールで写真が送れたけど今年は動画も送れるタイプが発売されたわ。インターネット料金も今は高いけど、いずれ安くなって携帯からAmazonで気軽に買い物ができるようになったり、クレジットカードのようになったり、テレビを見られたり、撮った写真や動画をより気軽にインターネットに投稿できたり、どんどん便利になるわ」

「へぇそれなら楽しいことが沢山増えそうね」

 愛美は呑気に言うと舞は微笑む。

「呑気なことを言ってる小坂さんは将来、首輪に繋がれてより進化した携帯電話スマートフォンの雌犬になるのは確定的明らかね」

「誰が雌犬よ! あたしは猫の方がいいわ!」

「あら、犬も猫も可愛いじゃない。もっとも私は犬派だけど」

「あたし犬は嫌いよ! ワンワン吠えて五月蝿いし……馴れ馴れしく纏わりついてきてうっとおしいだけよ!」

 愛美の言葉に舞は聞き捨てならないと、顔を顰めた。ぶっちゃけ家で買ってる二歳の柴犬(♂)ベルンハルトの方が大人しくて素直な子だ、人間以上に聞き分けがいい。

「あらそう? 家で飼ってる柴犬のベルンハルトは大人しくて滅多に吠えない素直な子よ?」

 そう言うと愛美はクスクスと苦しそうに嘲笑する。

「クスクスクスクス……ベルンハルトって……日本犬なのにドイツ人名……マジウケるんですけど、それあり得なくない?」

 この女、帰ったらベルンハルトに喉笛食い千切ってもらおうか? と言おうとした時、また館内放送を告げるチャイムが鳴る。


『お知らせします、生徒の皆さんは講堂に集合して下さい。繰り返します――』


 持ち物検査と携帯電話の回収が終わったんだろう。舞はベッドから降りて言う。

「ま、要するに便利な物を一度手にすると手放せなくなるということよ」

「なるほど、それは大変ね」

 玲子も苦笑しながら言うと、舞はさっさと体育館に向かう。外を見ると春の爽やかな陽気だが舞の心は曇り空だった。明日の午後はオリエンテーリング、堅苦しい集団行動の三日間が始まったと溜息吐きたくなった。

 体育館に到着して早々、整列させられて先生のつまらない話しとか聞かされて舞は正直憂鬱だった。誰も聞かない話しを延々と続けられる先生には逆に感心せざるを得ない、まあそれが仕事なのだろうけど。

 それが終わると野外調理でカレーを作ることになり、舞は食器を運んで外に出るが思わず溜息吐きたくなった。ベルンハルトと近所の公園で散歩したり遊びたいと思いながら準備する。

 舞は持ってきた薪に火を点けて焚く間、同じ班の神代彩がジャージの裾を捲り上げる。

「ええっとあたし、具材とかを切るわね」

「神代さん料理できるの?」

「うん、家でよく作ってるから」

 班長の玲子が訊くと彩は肯き、長谷川萌葱が洗ったジャガイモ、にんじん、たまねぎを慣れた手つきで次々と均等な大きさに捌いていく。

「萌葱ちゃん、水はこれくらいで。中沢さん、火はもっと強めにしていいわ」

「ええ、わかったわ」

 舞は薪を追加して更に強めに燃やすようにした。



 翔は火加減これくらいかな? と思ってると、隣の釜戸にいる西本は中々燃え上がらず煙ばかり出てイライラした表情で団扇を仰いでいる。

「燃えろよおいこのクソが……」

「燃料の薪は十分あるし空気も送り込めてる、とすると火種が消えたか?」

「真島、わかるのか?」

 西本が尋ねると翔は火の三角形である熱、酸素、燃料を思い浮かべながら言う。

「うーん、もしかすると火が消えかかってるのかも?」

「それなら強引に燃やしてやれ!」

 西本は立ち上がってサラダオイルを取ってそれを釜戸の上から少量垂らすと、案の条火柱が立って、隣にいる翔も熱いと感じるほどだった。

「ちょっ! 危なっ!」

「よし、持ち直したぜサンキュー真島!」

「お……おぅ」

 機嫌も持ち直した西本は何もしてない翔に礼を言って翔は肯くしかなかった。

 なんとかカレーはできて味はそこそこで天気はいいが、心は曇り空で正直うんざりしてると隣に座ってる上野がふと口にする。

「なんか女子の方盛り上がってない?」

「ああ、どうやら神代の奴大活躍だったらしいぜ。綾瀬によれば明らかに慣れた手つきだったってさ……なぁ真島」

 向かいに座ってる直人がニヤけながら翔の方を見ると、嫌な予感がした。

「なんだい佐久間君?」

「ふっふっふっ……真島、一昨日も楽しそうに帰ったようだね」

「また隣のクラスの友達とやらが見ていたのか?」

「いや、僕が見てたよ。随分仲が良さそうじゃないか」

 直人は冷やかすような口調で言うと、隣に座ってる上野がジロリと見つめる。

「いいご身分だよな真島、こっちは一昨日先輩たちに散々しごかれまくったのにお前は神代と楽しく下校か?」

 翔は上野にネチネチと言われながら、お前の苦労話なんか聞いてもためにならねぇ嫉妬か? と内心吐き捨てながら翔は眉を顰め、ウーロン茶を飲む。こんな刑務所みたいな所で集団生活してなんの意味があるんだ? ああ早く終わって欲しい。


 昼食を兼ねた野外調理が終わると後片付けで少しの休憩後、生徒指導部の先生や理事長先生の講演という名のありがたい教訓話に校歌練習、校訓の暗唱だった。

 それが終わると夕べのつどいを経てようやく夕食で食堂で食べると、夜の活動で神経が削られて後は自由時間だが一時間程度しかない。しかもそのうちに入浴も済ませておかないといけないから実質三〇分程度だった。


 翔は二段ベッドの上で没収されなかった『宇宙戦争』を読んでいてもう少ししたら風呂に行こうと、隣に陣取ってる直人がベッド上からみんなにある話しをする。

「なぁみんな、これは一成のいるIT技術部の先輩から聞いた話だけどよ……ここの風呂場の壁によ、女湯が見える穴があるらしいぜ」

「本当かよ佐久間? 穴が塞がれてるって可能性もあるぜ」

 下で高畑や西本と会話してた上野が見上げて言うと、高畑も加わる。

「そういや西本のお兄さんも話してたな、本当かどうかわからないが」

「俺も聞いたぜ! なんでも兄貴の奴、その穴から女子風呂の光景を目に焼き付けてその晩トイレでヌいたらしいぞ」

 西本はどこまでが本当の話しかわからないがこれにはみんなが笑う、高畑もヘラヘラしながらツッコミを入れる。

「おいおい西本、お前帰ったらこのこと話すぜ。もし嘘だったらお前がトイレでヌいたって話してやるから」

「おいおい勘弁しろよ、でも兄貴によればシャワーをかけるボロイ金具があって普段はそこに隠れてるらしい」

 西本が身振り手振りで話しながら説明するとすると、さっきまで漫研にいる姉の話しをしていた上野は唐突に言い出す。

「なるほどなおい真島、お前まだ入ってないだろ? 今から調べてこいよ」

「なんでいきなり? 上野君も入ってないだろ?」

 翔は本を閉じずに言うと、それが気に食わなかったのか尖った口調になる。

「お前は最近いいことが続いてるだろ? 本も没収されなかったし、少しは痛い目に遭えよ」

「それいいことだと言えないね。翔が行くんなら僕も行くよ」

 下のベッドにいた太一が着替えとタオルを用意して言うと、上野は戸惑う。

「おいおいこれは真島一人の仕事だぜ、柴谷が行かなくても」

「僕は翔に借りがある。それにちゃんと仕事するかどうか、見張りがいるだろ?」

「……ならちゃんと見といてくれよ」

 太一は穏やかな口調で微笑みながら正論をかざすと、上野は顔を顰めながら承諾した。太一は横目で翔を見ると微かに口角を上げて首を縦に振る。

 翔も着替えとタオルを持って太一と部屋を出ると、開口一番に太一は苦笑する。

「災難だったね、無茶な仕事を押し付けられて」

「僕が何をしたと言うんだ?」

「上野君は神代さんと同じ中学だからね、もしかすると思いを寄せてる身としては翔は邪魔な存在かもしれない。彼はサッカー部だからね」

 なるほどそれはあり得る、だが八つ当たりされる側は堪ったものじゃないと翔は尖った口調になる。

「それならサッカー部を辞めればいいのに」

「それがここのサッカー部かなり厳しくて、入ったら簡単には辞められないらしいよ。休みも二週間に一日、それも土曜日の午前か午後らしいんだ」

「自業自得だ」

 翔はそう言い捨てて階段を降りると、踊り場に案内図がある。もし僕が覗き魔だったらどうする? そう思いながら案内図を頭に入れて自分の現在地をシュミレーションしながら男湯に入って服を脱ぐ。

「翔、やっぱり鍛えた方がいいよ」

「あ、ああ」

 太一は線の細い優男だが無駄なく鍛えられていて、翔は腕も体も細かった。

 この脱衣所の構造からして今の位置はと思いながら浴室に入ると、シャワーを浴びるため洗面台に座って恐る恐るシャワーを取る。幸い例の覗き穴は無かったが、ここの構造を思い出しながら考えると女湯は壁の向こう側だった。

 洗髪と洗体を済ませて浴槽に入ると、偵察のことを忘れそうなくらい極楽だった。窓は開かないからこの分だと外から女湯を覗くのは無理だし、壁を覗き込んでたら怪しまれるのは必至で浴室の扉、脱衣所側には先生が見張っている。

 つまり覗けば怪しまれる上に退路もないと思ってると太一は横目で訊いてくる。

「それで翔、どう? できそう?」

「無理だな、まずここからでは目立ちすぎるし怪しまれる。それに退路も一つしかないから逃げても先生に捕まるのは目に見えてる。太一……あとどれくらい数えたら出る?」

「いつもはカラスの行水だけど、今日は長風呂を楽しもう」

 太一はリラックスした表情で肩まで浸かった。

 まあなかなかいい湯だと思いながら翔は太一と部屋に戻ると、上野はイライラした様子で待っていた。

「遅かったじゃねぇか真島、どうだったんだ?」

「ああ、風呂場には窓が高いし開きそうにない、この分だと女湯に開かないだろう。女湯にも繋がってそうな壁も人が多すぎるから怪しまれやすい、脱衣所の扉には先生が一人立っている。万が一に備えての退路も一つしかない……それに入ってないなら急いだ方がいい」

 翔はそれだけ言うと直人は訊く。

「それで覗けなかったってことか?」

「ああ、そもそも最初に言った奴がやればいい話しだ。僕ができる限りのことはした」

 翔は誰とは言わず入る前と変わらず消灯前までベッドに上がって本を読む、上野の睨みつける視線と舌打ちが気になったが無視することにした。

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