Shall we dance?

ある日の朝、沙月は担任の所に呼ばれた。きっとこの前話した指定校推薦関連の話だと沙月は思っていた。職員室に入り担任の机に向かう。

「おはよう小花、推薦のことなんだが」

はい、と言いつつも沙月は分かっていた。自分が指定校をもらえることに。成績は常に学年10位以内、部活では全国大会の常連、授業態度も優秀そのものだった。全てはこの推薦のために築き上げた土台だった。

「指定校推薦出せるぞ」

ほらね、小花は口角が緩んだ。

「だが…」

と担任が言葉を付け加えてきたことで小花の顔は少し曇った。

「推薦を出すには条件があるんだ」

「条件ですか?」

「再来月、文化祭があるだろ」

推薦の話の最中に突然出てきた文化祭という全く関連性の無い言葉に私は戸惑った。

「そこの有志者発表のステージで君は二人組でダンスを披露してほしい」

小花は次から次へと出てくる素っ頓狂な話についていくのがやっとだったが、一先ず誰かと文化祭のステージでダンスをすれば良いということは分かった。何故こんなことが必要なのか分からなかったがここで下手に口答えなんかをして担任の機嫌を損ね、指定校の話自体が無くなってしまうことを恐れて話を飲み込んだ。元々部活をやっていたことで運動神経もあり、文化祭という場で友達とダンスをするのも思い出作りとしては悪くないかと思うことにした小花は前向きに捉えることにした。

「そうそう、一緒に踊る相手も指定があってだな」

既にダンスが得意そうな友人を何人か頭の中でピックアップしていたところでまたもや不思議な条件が入った。

「その相手ってダンス部の人とかですか」

いいや、担任は沙月の目をしっかりと見てこう言った。

「和知井君だ」

「ぎぇぇぇぇぇぇ」

沙月の悲鳴が職員室に響いた。

こうして人生が賭かった少女と和知井君は再び出会うことになる。


いつもの朝、こんな早くから馬鹿騒ぎしているクラスの女どもにイライラしつつ僕は教室に入った。どうやら女たちは最近流行りのアイドルなんかをみてその一挙手一投足に一々歓声をあげているらしかった。

(くだらない、ダンサーなんて本当にくだらない)

そんなことを考えながら僕は自分の席に座りふと隣を見た。

(沙月さん、荷物があるってことは学校に来てるんだろうけど学習室かな)

僕が唯一このクラスで対等に感じている女子、沙月さんの机を見ながら僕は少し寂しさを感じた。まあホームルームが始まれば会えるか、と思い僕は寝たふりをしてこの朝を過ごすことにした。

「和知井君…和知井君起きてる…?」

どれくらい経っただろうか、ふと僕を呼ぶ声が聴こえた。顔を上げるとそこには沙月さんがいた。

「おおおお、お、おはよう。起きてる…よ」

良かったと笑顔になる沙月さんを見て学校に来て良かったと心の中でガッツポーズをした。

「僕に何か用があったの?」

少し困った顔から何かを察し、僕はそう聞いた。

「実はちょっと相談があるんだけどここじゃあみんなに聞かれちゃうからちょっと外行かない?」

んっっっっ、これは夢だろうか。沙月さんからの相談事、しかも人に聞かれたくないことという条件で。大丈夫だよ、と言い僕らは静かな所へ向かった。これはもう校内デートだろ、とドキドキしながら今は使われていない空き教室に僕らは向かった。

「あのね、相談ってのはね。再来月の文化祭で私と二人でダンスのパフォーマンスに出て欲しいの」

てっきり沙月さんからの愛の告白だと思ってカッコいい返し方を考えていた僕は予想外の相談事に意表をつかれた。

「和知井君、お願い!一緒に踊って!」

「で、で、で…でも僕は、ダ、ダンスなんかやったことないよ…」

そうなのだ、恥ずかしいことに僕は勉強しか出来ないのだ。ダンスなんて一生関わらないと思っていたのでいくら沙月さんからの頼みでも到底出来そうには思えなかった。

「そ、そもそも何で、ぼ、僕と踊りたいの…?」

そう聞くと沙月さんは少しの沈黙の後

「ほら!和知井君とも今年で卒業じゃん!最後の記念に、的な理由じゃダメかな…?」

彼女の潤んだ目を見て僕はやります、以外の返事が出来なかった。こうして僕らのダンス練習は始まった。

 それから数週間、僕らは曲を決め、練習に励んだ。何回か練習を口実に沙月さんの家に行こうとしたが毎回親がいるからと断られてしまった。代わりに遂に念願だった沙月さんの連絡先を手に入れることができた。彼女から送られてくるダンスの打ち合わせの文面を全てスクショしてプリントアウトするという生活を続けていくうちに、刻一刻と文化祭は近づいてきた。彼女との会話のスクショが溜まるのと比例して僕のダンスも少しずつだが形になってきた。もう、夏はすぐそこだった。

 久しぶりの登校日、教室に入ろうとしたら中から沙月さんとその友人の話し声が聞こえた。沙月さんの会話を録音しようとドアの前でスマホを操作していると会話の中に気になるワードが出てきた。

「沙月、そう言えば明治大学の指定校ってどうなったの?」

「ああ、あれね、実は面倒なことになっちゃって」

明治大学の指定校は僕も狙っていたので思わぬライバルに驚いてしまった。録音なんかやめて彼女たちの会話に釘付けになった。

「面倒なことって?もしかして誰かと被ったとか。あ!最近良く喋ってるしもしかして和知井とか??」

「いや、被ったとかじゃ無いんだけどね。実は担任から今年の文化祭和知井くんとダンスの有志発表をしたら明治大学の指定校推薦をあげるって言われたの」

「何それ、めちゃくちゃウケる。だから最近和知井くんと仲良い感じにしてたんだ」

もはや後半の会話は耳に入らなかった。僕は先ほどまで自分が聞いた内容が本当なのか信じられなかった。こんなことなら会話を録音しとおくべきだった。せっかくダンスを楽しいと思えたのに、沙月さんから好意を寄せられていると思ったのに。もう夏はすぐそこなのに。

 それからも僕はちゃんと彼女との練習はしたがどうしても彼女というものが分からなくなっていた。そんな風にモヤモヤを抱えて生活をしているうちに夏休みは開けて、遂に文化祭の日がやってきた。

 ステージ裏、僕らは出番を待っていた。緊張しているのか顔が強張る沙月さん、僕も同じように顔が強張っていた。でもそれはステージで踊るからではない。本当はこんな時にこんなこと聞いてはいけないのだろうがずっと胸につっかえていたこのことを聞かずにはいられなかった。

「沙月さん…」

僕が声をかけると彼女はどうしたの、というような目でこっちを見てきた。

「僕知っちゃったんだ。僕が文化祭で沙月さんとダンスを踊れば沙月さんは明治大学の指定校が貰えるんだよね。」

空気が冷たくなった。

「どこで…それを」

沙月さんは一瞬目を見開いた後すぐに泣きそうな顔になった。

僕の言葉は決壊したダムのように溢れる。

「沙月さんはそれ知ってたんだよね。知ってて僕に言わなかったんだよね」

沙月さん、そんな顔しないでよ。

「僕はどうしたらいいの?」

沙月さんは何も言わない。

「さあ続いては有志発表です!まずはダンスの部門です!」

司会の声が聞こえる。僕らの番が来た。外からは歓声、でも僕の耳にはただの雑音にしか聞こえない。

「和知井くん、このことは終わったら話すから。ステージ、いこ?」

ぎこちない笑顔で僕に微笑みかけると沙月さんは僕の腕を掴んで舞台に進んだ。

 音楽が流れ出した。この夏僕らが練習した、何度も何度も聴いた音楽が流れ出した。でも僕の身体は動かずにいた。踊らない僕を見て沙月さんは明らかに動揺していた。沙月さんだけじゃ無い、会場も動揺していた。僕だって彼女と過ごす最後の文化祭だ、踊りたい。でも僕が踊ったら沙月さんは明治大学の推薦を手に入れる。僕は彼女に利用されたことになる。僕はどうすれば良いんだ。音楽は進んでいく、もうすぐサビに入る。僕は、僕は…。爆音の音楽、会場からのざわつき、胸の鼓動、全てが僕に襲いかかった。

(うるさいなぁ。やめてくれよ。くだらない、ダンスなんて本当にくだらない…)

沙月さんの顔はどんどん苦しくなっていく。曲が終わりに近づいてるからだろう。僕は…僕はどうするべきなんだ。そんな思いで沙月さんの顔を見ると目があった。力強い目で僕に叫んだ。

「和知井くん、おどってぇぇぇえ!!」

僕はこれ以上沙月さんに迷惑をかけたく無い。僕は…僕は…

「僕は…」

「僕は…」

「沙月さん!大好きだ!!」

「あぁぁぁぁああ!!」

僕は踊った。ただ彼女のために僕はこの舞台で踊った。これで彼女は僕が狙っていた明治大学の指定校をゲットする。僕はこれで大学進学への楽な道は閉ざされた。文字通りこのダンスは人生を賭けた演舞だった。でも今はそれでいい。今の僕らは舞台という宇宙で2人っきりだった。学歴も、嘘も、騙し合いもない。2人ぼっちの宇宙には愛しかないんだ。そうして僕は泣きながらダンスを踊り切った。

 有志発表が終わり舞台袖に戻ると僕らの担任が拍手をして待っていた。

「お疲れさま。小花、ダンス良かったぞ。合格だ」

沙月さんは泣いていた。まあ幸せそうな彼女の顔を見られるならダンスも悪くは無かったかもな、と僕は達成感に包まれていた。

「あ、後和知井もお疲れさま。さっきお前のダンスを見た先生たちと職員室で話し合ったんだけどな」

ねぎらいの言葉に涙腺が緩む。そうか、指定校推薦を受けられる条件は沙月さんだけだと勝手に勘違いしていた。僕だって踊ったんだから条件に合致している。そうか、そういうことだったのか。

「先生…」

「和知井、お前のダンスなんかキモかったから1週間謹慎な」


 「くだらない…ダンスなんて本当に本当にくだらい…」

それから1週間、僕は自分の部屋で泣きながらそう呟くことしかできなかった。

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