いぶかしむ男と通りすがる少女

「お前らほんとに付き合ってんのか?」


 五月最終週の水曜日。このところすがすがしい快晴が続き、今日も今日とて頭上には心地良い青空が広がっている。涼風が昼休憩でにぎわう校舎の間を吹き抜けていった。


 体育館前のベンチで一人、ライトノベルを開いていた圭介は、木製の座面が揺れたのを感じ。

「片桐さん」

 そう言って視線を持ち上げた。


 隣を見ると――高校生にしてはゴツすぎる片桐雄吾が腕組み、足組みをしていて、しかし圭介とは目線も合わせようとしない。ただ唇を真一文字に結び、前を見ていた。


 ライトノベルを閉じた圭介。ベンチの背もたれに背中を預け、前を見て雄吾の言葉を待つ。


 やがて野太い声がもう一度言った。

「お前ら、ほんとに付き合ってんのか?」


 圭介は唇だけで笑い、「そりゃあもちろん。片桐さんと瑞姫さんのおかげです」と太い指で紙製カバーに覆われた文庫本をもてあそぶのだ。見もしないのにパラパラとページをめくる。


「学校でイチャつきもしねえのにか?」

「何のことです?」

「お前が藤ノ井舞魚に告ってからもう三週間近く。だってのにお前と藤ノ井が一緒にいるのをまったく見ねえ。藤ノ井に彼氏ができたって噂話も一向に出てきやしねえ。舐めてんのか?」

「舐めてませんよ。なんですか、いきなり喧嘩売ってきて」

「恥ずかしがってねえでもっとイチャつけって言ってんだよ」

「はあ?」

「恋愛なんてのは、最終的には示威行為だろうが。手ぇ繋いで下校したり、弁当作ってきてもらったり、二人で授業サボって遊んだりよ。俺ぁこんな良い女と付き合ってんだって、周りに見せびらかさなくてどうする?」

「いやいや。放っておいてください。僕たちには、僕たちなりのやり方があるんですから」

「楽しいか? こそこそ付き合ってるだけで」

「楽しいですよ。寝る前にメッセージ送ったり、藤ノ井さんの写真に嬉しくなったり、次の休みはどこに行こうか考えたり。二人とも格闘技好きで、話も合いますしね」


 まるで威圧してくるような雄吾の低い声色。

 対する圭介は、臆することもなく苦笑いでそれに応えた。


 体育館前――二人が座るベンチのそばを生徒たちが通り抜けていくが、誰も彼もがベンチの方をチラ見してはすぐさま視線を逸らすのだ。『かの有名な片桐雄吾』が名前も知らない地味男子と並んでベンチに座っていて、何事かと思ったのだろう。


 雄吾がぶっきらぼうに問う。

「で? どこまでいった?」


 圭介が首を傾げて聞き返した。

「どこまでって?」


 すると雄吾は大きなため息を一つ吐き出し、恥ずかしげもなく言いのけるのである。

「やることやったかって聞いてんだよ。手は繋いだか? キスは? いつ抱き合うつもりだ?」


 反射的に声を裏返した圭介。

「早い早い。気が早すぎる」

 手首を振って、「見りゃあわかるでしょう? 僕が、段階も踏まず、そんなことやる人間に見えます?」雄吾の質問をやんわり拒絶した。


「手ぇ繋ぐのだってどうやろうか考えてんのに」


 気弱そうな圭介の言葉に雄吾の口から漏れたのは、「ち――っ」大きな舌打ちの音。足組みをほどくと、「阿呆くさ。手も握ってねえのかよ」股を広げてベンチにもたれかかるのだ。


 雄吾の体重に、古びたベンチが嫌な音を立てた。


「悠長な野郎だ。イラつくぜ」

「あははっ。『オス度』マックスの片桐さんと比べられてもね」

「……あんまり奥手だと飽きられるぞ」

「……あんまり性急でも、『そういうの目当て』だと思われたら嫌われるでしょ」

「はっ! 結局は男と女。行き着く先はベッドの中だろ」

「人間は野獣じゃないんです。もし、いつかそういうことになるにしろ……なんていうか……情緒って大事じゃありません? 力技で持っていくのは、僕らしくない気もしますし」


 そこまで静かに言って、ふと圭介が力なく笑う。校舎に囲まれた空を見上げ――やがてしみじみと言葉を紡いだ。


「まあ……力技なんて使ったら、逆にノされそうですけどね」


 それを聞いて、「とても信じられん。女相手にお前が苦戦するなんてな」と眉をひそめる雄吾。圭介と舞魚の闘いを直接目撃してはいないが、事の次第を本人から聞いているのである。


 圭介が握力勝負でボロ負けしたこと。

 尋常ではない上段回し蹴りに吹っ飛ばされたこと。

 神速のタックルを喰らって、マウントポジションを取られたこと。

 マウントパンチで一瞬気を失って反射的に『目突き』を放ったこと。


「正直、化け物です。人間を相手にしてるプレッシャーじゃなかったですもん。戦ったことはありませんけど、小さめの熊とか、虎とか――あんな感じなんですかねぇ」


 苦笑いが止まらない圭介。


 雄吾は「ヘラヘラしてねえで稽古しろ。負けたら殺すぞ」と憮然そうな顔だった。


「片桐さんも闘ってもらえばいい。驚きますよ」

「絶対やらねえ」

「あれ? 絶対やりたがると思ったのに」

「女は殴らん主義だ。例え相手が刃物持ってようが、どんな馬鹿力の超人だろうが、な」

「意外。片桐さんなら、男女平等とか言って殴りそうなのに」

「本間てめぇ、今ここで殴って欲しいのか? 勝手に決めつけんな。女に手ぇなんか出すかよ」

「…………ですよね……」

「で? お前はどうなんだ本間。藤ノ井舞魚を殴るのか? いや――殴れるのか?」

「……そりゃあ、僕だって女の子は殴りたかないですし、殴ったこともないですけどねぇ……それでも藤ノ井さんはまたやりたがってるっぽいし……まだわかんないです」

「……………………」

「……………………」


 ふと会話が途切れ、長い沈黙の時が訪れた。


 どこからともなく生徒たちが笑い合う声が聞こえる。校舎に反響する若い声。男女の声。


 そして――圭介と雄吾は、たまたまベンチの前を通りがかった女子の一団へと目を向けるのである。


 二年四組の女子が九人。最近流行りの男性アイドルグループの話題で盛り上がっているところだった。一団の端っこでは、『現ミス芳凜高校』である黒髪美少女――藤ノ井舞魚が友人の話に笑顔でうなずいている。その隣を歩くのは小柄な斎藤萌奈だ。


 おしゃべりに夢中だったのか、それとも関わりたくないと思ったのか、圭介と雄吾を完全無視して通り過ぎていった女子グループ。


 しかし――後ろ姿の舞魚がチラリと振り向き、圭介に向かって小さく手を振ってくれるのである。しかもウィンクのオマケ付きで、だ。


 キョトンとした圭介。やがてその場でうなだれると「はあぁぁ――」重たいため息を吐いた。


 心底困り果てたかのように頭を掻いて雄吾に言う。

「今の見ました? めちゃくちゃ可愛くないです?」

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