勝手な二人
「悪ぃことは言わねえ。とりあえず藤ノ井舞魚はやめとけ」
校舎一階、職員室近くの階段裏に設置された自動販売機――その目立たなさゆえに滅多に生徒が利用することのない不人気自動販売機の前で、雄吾はいきなりそう切り出した。
壁に背中を預けながら腕を組んだ巨漢。
軽く顎を上げて、横柄に見下ろしてくるような視線だ。普通の高校生ならそれだけですっかり萎縮してしまうだろうが……片桐雄吾の人となりをよく知る圭介は苦笑いして首を振った。
「なに言ってんですか。やめろって言われて、やめられるわけがない。一目惚れってそういうもんでしょ」
次の瞬間、赤色の自動販売機がガタンと音を立てる。瑞姫が硬貨投入口に小銭を入れる度、続けてガタン、ガタンと鳴いた。
取り出し口からペットボトルを引き抜く瑞姫。向かい合って立つ圭介と雄吾の間に割り込むと、「ほい。君ら二人はコーラでよかったよね」優しく笑ってペットボトルを手渡した。そして彼女自身が手に持つのは缶入りのミルクティー。
パキッと音を立てて缶を開けた瑞姫は、雄吾を軽く睨み付けて言う。
「単刀直入に言いすぎ。順を追って説明してあげないと、わかるもんもわかんないでしょうよ」
雄吾は気にした素振りもなく、コーラをがぶ飲みし始めた。
「ねえ圭介。藤ノ井ちゃんの噂って知ってる?」
両手でペットボトルを握るだけでキャップを開けようともしない圭介、意味深な瑞姫の言葉に無言で首を振った。
「そっか。そうだよね。今んとこ一番被害受けてるの、三年の男どもだしね。……まあ、その……なんつーかさ……『壊し屋』って言われてるっぽいのよ、彼女」
「壊し屋?」
「ひっどいあだ名でしょ。いくら酷い目に遭ったからって、女子相手にそんなのつけんなよって思わない? 雄吾とか圭介、格闘家連中なら、そう呼ばれて喜ぶかもしんないけどさぁ」
「いったい何のことです? 瑞姫さんがなに言ってんのか、ちょっと意味が――」
「あのさ、サッカー部のキャプテンいるじゃん。佐上祐介。頭モジャモジャの雰囲気イケメン」
「は、はあ」
「あいつね、四月の頭ごろから学校来てないのよ」
「へえ。そう、なんですか」
「あと野球部の近藤、テニス部の玉理、それと生徒会の副会長さんもだったわね。この三人はもう学校に出てきてるけど、一週間だったり二週間だったり、不自然に休んでる時期があるわけ。特に近藤は、休む前と後じゃあ丸っきり性格変わった。前はクソうっざいオラオラ系だったけど、だいぶ口数も減ったし、妙にキョロキョロしてるわ」
「はあ」
「全部、藤ノ井ちゃんに告白したからなんだってさ」
「……え?」
その時、雄吾がぼそりと口を挟む。
「つまりよ、『藤ノ井舞魚に告白したらぶっ壊される』っつーことだ。心の方がな」
「みんな振られたってことですか?」
「そうだろうよ。じゃなきゃあ、藤ノ井舞魚と付き合えた誰か一人はこの世の春だ」
瑞姫はミルクティーを一口含み、やがて難しい顔で唇を舐めた。
「多分、犠牲者はもっといるのよ。近藤とか佐上みたいに盛大に休んでないから、目立たないだけで。……実を言うとあたしもね、うちのクラスの担任に相談されてんの。学校全体で男子の欠席が増えてるけど、何か知らないか? って」
すると、圭介が眉をひそめて首を傾げる。
「そりゃあ……恋が叶わなけりゃあ、誰だって学校休みたくなるんじゃあ?」
「はあ? 男の全部が圭介みたく純情なわけないじゃん。近藤と佐上の二人には泣かされた子も多いし。あいつらが藤ノ井ちゃんに告白した時だって、美人と一発ヤレればラッキーぐらいにしか思ってないわよ」
「……ラッキー……」
「それでね、今朝、雄吾が近藤の奴を問い詰めたら――藤ノ井ちゃん、告白の断り方にちょっと問題があるみたい。やり方はわかんないわよ。やり方はわかんないけど、男の尊厳? そういうのをひどく傷付けるような、こっぴどい振り方をしてるっぽい」
「近藤の奴は、ただ振られただけって強がってたけどな。話してる途中にいきなり震え出しちまって――あのイキリ坊主があんな風になるんだ。まあ、だいぶ異常だよ」
「は、はあ……」
先輩二人に交互にまくし立てられて何も言えなくなった圭介。
「はー」
不意に深いため息を吐いた瑞姫が、目を伏せながらアルミ缶の縁を爪でカリカリ掻いた。
「……圭介に黙って藤ノ井ちゃんのことを色々調べ回ったのは謝るわ。あたしも雄吾も、かわいい後輩に恋愛相談してもらったのが嬉しくて、ちょっと舞い上がってたみたい」
彼女は飲み残しのミルクティーを雄吾に押し付けると。
「でも後悔はしてない」
力強く言い放って思い切り圭介に詰め寄るのだ。後ずさりした彼を壁際に追い詰めて、至近距離からその顔を見上げる。正直、キスだってできる距離だ。
「藤ノ井ちゃんには裏がある。だから、あたしからも言っておくわ」
そして、圭介の胸板に人差し指を強く押し当て、ドスがきくほど強い口調で言った。
「あの子はやめておきなさい。圭介には荷が重すぎる」
コンクリの壁を背負った圭介は、「――っ」何か言い返そうと唇をパクパク動かすのだが、結局何の反論も出てきはしない。視線を左右に泳がせて、明らかに動揺していた。
「ま。どうやって精神ぶっ壊してんのか、興味はあるけどな」
ペットボトルに三分の一ほど残っていたコーラを一気に飲み干した雄吾。
「告ってきた奴をディスるにしたって、なんて言やぁ、ずうずうしい近藤を潰せる? どうして誰も彼もが何やられたか口をつぐむ?」
空のペットボトルを片手で握り潰すと、自動販売機横のゴミ箱に入れる。「ん」と、手にしていた缶入りミルクティーを瑞姫に返した。
瑞姫は甘い液体で喉を濡らし、しかしその間もずっと圭介の目を見つめている。しわの寄った眉間を指先で撫でる彼からの返答を待っているのだ。
人目に付かない奥まった空間で上級生二人に詰め寄られる冴えない男子。
もしも、教師がこの場を通りがかったならば、ほとんど反射的に怒鳴り声を上げただろう。まるで恫喝かカツアゲの現場、それぐらい空気が張り詰めていた。
圭介はたっぷり二分間思い悩み。
「ふ――」
やがて小さく息を吐き出すと、自嘲気味な微笑みを口元にたたえながら静かに答えた。
「無理です」
瞬間、鬼のような形相で前に出ようとした雄吾。瑞姫が真横に腕を上げてそれを制す。
「それが圭介の答え?」
「はい」
「あたしも、雄吾も、真剣に圭介のことを思って忠告しているのよ?」
「……すみません……それは、わかっています。ありがたく思ってます」
「理由、教えてもらえる?」
「……変わらないんです。藤ノ井さんの噂が例え本当だとして――本当に、彼女が色んな人を傷付けていたとして――それでも、好きって気持ちが変わらないんです。なんでかは、わかんないんですけど」
「……そう……」
そして沈黙した瑞姫。しばらくの間厳しい顔で圭介を見つめていたが、「ったく。こじらせちゃったわね」と苦笑いして、優しい顔付きへと。雄吾をなだめるかのごとく彼に笑いかけた。
「だってさ。ほんと、どうしようもない後輩ね」
雄吾はズボンのポケットに両手を突っ込み、「ふん」不服そうに鼻を鳴らしただけだ。
「ていうか圭介。そんなに藤ノ井ちゃんが好きなら。だったらもう答え出しちゃいなさいな」
「答え?」
「今すぐ告白しちゃえってことよ」
「い、いやぁ。それは――」
「待ってても奇跡なんて起きないわよ? 特に圭介みたいな、クラスの端っこにいる男にはね。貴重な青春が過ぎていくだけ。それはわかってんでしょう?」
「そりゃあ……」
その時、おもむろに雄吾が動いた。階段裏のスペースから廊下に歩み出ると、たった今通り過ぎていった誰かに向かって「悪い。ちょっといいか?」と声を掛ける。
「そんな警戒すんな。別に何もしやしねぇよ」
嫌な予感を覚えた圭介が見たもの――それは、小柄な少女を腕に抱き付かせた藤ノ井舞魚の姿だった。怪訝そうな顔で「落ち着いて萌奈。大丈夫ですから」と薄暗がりの中に入ってくる。
両耳の後ろでくくったツインテールに、ふっくらとした頬、くりくりの大きな眼。舞魚の右腕にぴたり引っ付いている小動物的可愛さの女子も、圭介のクラスメイトだ。
斎藤萌奈。
人懐っこい性格で、学校行事にも積極的――そして、『藤ノ井舞魚の親友』を標榜するクラスの人気者であった。圭介の視界に入る時、斎藤萌奈はいつも誰かとつるんでいるのだが、確かに舞魚と一緒の場面が殊更多い気がする。
圭介がぼそりと声を漏らした。
「藤ノ井さん、どうしてここに……」
舞魚は困ったように笑い、「萌奈がお家の鍵をなくしたみたいで。職員室に届いていないかと」個性溢れる二人の先輩とは目を合わせない。
一方、萌奈の方は、「ね。ね、舞魚。もう行こうよ。いいでしょ?」舞魚にぎゅうっとしがみつきながら、敵を威嚇するかのごとく三年生を凝視していた。
ふと顎先で圭介を指した雄吾が、重たい声を出す。
「藤ノ井。本間の奴が大事な話があるんだとよ」
瞬間、圭介の瞳孔が開き、その首がおそるべき速度で雄吾に向いた。
たまたま通りがかった藤ノ井舞魚への直談判。
とんでもない馬鹿をしでかしてくれた先輩の息の根を止めようと拳を握るのだが――すんでの所で瑞姫に襟首を掴まれて、飛び出すことができない。
振り返った圭介が抗議の視線を瑞姫に向けると同時。
「急で悪ぃが、時間つくってもらえないか?」
雄吾は言うべきことを言い終えたようだ。
ミスコンテストで優勝してしまうほどに男子人気の高い舞魚のことである。もしかしたら、『圭介の大事な話』がどういったものであるか、なんとなく気付いたのかもしれない。
最初のうちは眉根を寄せた渋い表情だったのに――不意に、ふっと微笑んで圭介を見た。
「いいですよ。でしたら今日の放課後、屋上で」
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