コミュニケーション

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コミュニケーション

 彼氏と別れて一ヶ月が経ち、おれは仕事終わりに電車を途中下車して発展場に向かっていた。丸っと四年付き合っていた。そのうち三年は同棲していた。朝目が覚めた時も出かける時もテレビを観ている時もご飯を食べている時も、どんな時でも一緒に行動していた存在が急にいなくなって、その事実に対して悲しいとか寂しいとか悔しいとか、そういった感情がほとんど自分の中に湧いて出てこないことが不思議だなと感じる一ヶ月だった。ちょうど仕事が繁忙期に入りに忙殺されていたからかもしれない。

 最後に発展場に行ったのなんてどれほど前のことだろう。冬の冷たい空気に押し潰されそうになりながらマフラーに顔を埋めた。彼と出会ってから他の男の人と交わることなんてなかったため、恐らく五年ぶりくらいになるであろう店の扉を開ける。受付で料金を支払いロッカーに荷物を詰める。ダウンを脱ぐと身体の芯が冷えているため館内でも寒く少し凍えた。ロッカーキーを右手首に括り付けて奥の暖簾を潜ると中は薄暗く、人の気配はあるがどこに誰がいるのかわからないどころかそこが壁なのか廊下なのかそれとも何か置いてあるのかすらわからない空間だった。おれは目が慣れるまで暖簾の側で待機し、薄明かりに照らされた館内をじっと見つめる。

 徐々に目が慣れてどこに何があるかわかる程度になった頃、そのまま廊下を進むとそこだけ照明に強く照らされている部屋に突き当たった。壁にはトイレ、シャワー、ドライヤーなどと書かれた紙が貼ってある。受付で渡されたバスタオルを手にした男の人たちがそこで身体を綺麗にしていた。どの人たちも無言で自分の手入れをしているが、目だけはまるでハンターの如く周囲を見渡している光景に懐かしさを覚えた。

 おれはそこをスルーしてさらに奥へ進み廊下に置いてあったソファに腰掛けた。電子タバコのスイッチを入れて深く煙を吸い込む。どこからか聞こえてくる男の喘ぎ声とペチャクチャと何かを舐めている音に耳を澄ます。男と男が出会ってセックスをする場所。その瞬間の快楽に身を委ねることができる場所があるなんてなんと素敵なことだろう。

 ソファに座っていると目の前を何人もの半裸の男たちが通り過ぎていく。若い子、筋肉隆々の人、デブ、ハゲ、ブス、毛むくじゃら、細い人、冬なのに競泳パンツの日焼け跡がくっきりついた人、おじさん。いろんな男がいる。おれは自分のタイプの人が目の前を通る瞬間を待った。誰でもいいからセックスしたいけれど誰でもいいわけじゃない。最低限自分の好みの顔、体型でないとそもそも身体が反応しない。ほとんど顔が判断できないくらいの暗闇なためそれほど容姿は重要視しないが、それでも体臭のキツそうなおじさんは嫌だ。

 二本目のタバコが吸い終わり、おれは館内を歩いて回ることにした。もしかしたら誰か好みの子がいるかもしれない。

 廊下を進んで行くと個室になっている部屋の前で立ち竦んでいる太ったおじさんと目があった。おれももうアラサーと呼ばれる歳になっているため人のことは言えないが、自分より遥かに年上であろう人と交わる気はない。おれはなるべくその人の顔を見ないようにしながら前を通り過ぎる。奥の方に進むとまた明るい空間があり雑誌やソファが置かれていた。そこでは四十代ほどのおじさんがタバコを吸いながら雑誌を手にとっていた。

 おれもソファに座り近くにあった一冊の中を覗いてみると、新宿二丁目で発見!イケメンの性事情!という見出しで特集が組まれていた。興味深い内容だと思いページをめくると、二十代半ばの男の子が笑顔でグラビアをしていて彼が答えたであろうアンケート結果が記されていた。初体験は?--15歳、中学三年生の時に高校生の人と。タチウケどっち?--ウケ。今までで一番興奮したシチュエーションは?--大学生の時に誰もいない教室で先輩とやったやつ。経験人数は?--多分100人くらい。性感帯は?--乳首。好きな体位は?--騎乗位で相手の気持ち良さそうな顔を見るのが大好きです。好きなタイプは?--身体の大きな人。ちんこサイズは?--16センチ(笑)。ズルムケ?包茎?--仮性包茎、口で剥いてください。笑顔の可愛い男の子はズボンをめくりその日履いていた下着を披露していた。こんな可愛い子とセックスしてみたいなと思いながらページをめくり続ける。連載漫画や小説が並んでいてそれらを読むでもなく眺めてから雑誌を元あった場所に戻した。

 顔を上げると何人かの男たちが部屋の中をちらっと覗いてはこちらに入ってくるわけでもなく去っていった。セックス以外のコミュニケーションを不要としている場所。気付くと部屋にはおれだけが取り残されていて他に誰もいなくなっていた。

 セックスレスが彼氏と別れた原因だった。どれだけ求められてもおれの身体は彼氏に興奮しなくなっていた。大好きだった。けれど気持ちを性で証明できなくなっていた。肌の温もりに触れていたいと思っていた。キスして抱き締めてそれで幸せだった。セックスはしたいと思わなかった。ベッドの中で抱き締めてキスして触れ合うのが気持ちよかった。そのままの流れでセックスしようとすると途端に萎んでいった。手を繋いでいたかった。もたれかかってくる頭を支えていたかった。一緒の方向に歩いていきたかった。悩んでいることは全て排除してあげたかった。お揃いのものが増えるだけ思い出が増えていった。

 おれは立ち上がって暗闇を徘徊する。気持ち良さそうな男たちの音がこだまする。扉の付いていない大部屋を覗くと中で複数の男たちが絡み合っていた。赤いランプで照らされ、床に布団が敷き詰められた部屋。男たちの群れに近づくと、一人の男が布団の上に寝転び掘られていた。身体が小さくまだ若そうな男の子だった。掘っているのは少し体型の緩んだ年上のお兄さん。男の子の身体には液体がかけられていたのですでに何人かを相手した後なのだろう。その様子を観察していると囲んでいたうちの一人が男の子に近づき口に自身のちんこを持っていった。男の子は嬉しそうにそれにしゃぶりつく。

「あ、あんっ、気持ちいい、あっ、当たってる」

 男の子を掘っていたお兄さんはどんどん腰のピストンを早め、やばい、イクッ、と小さく言い放ってちんこを男の子から抜き出し精子をぶちまけた。

「ああっ、あったかい、もっと欲しいです」

 他人のちんこをしゃぶりながら喜ぶ男の子は自分に放たれた精子を身体に塗りたくっていた。射精したお兄さんは満足したのか無言でその場を立ち去り、また別の、次は更に年上のおじさんが男の子の股の間に入り込んだ。

 その現場を見つめてたいおれの股間に誰かが触れた。隣にいる人を確認するとおれと同い年くらいの男性が控えめに手を伸ばしていた。おれより大きな身体をした彼の、体毛の濃さを表すかのような腕と下着を履いていてもすでに興奮しているとわかるほど膨張したちんこ、毛に覆われていてもそこだけピンク色をした乳首。このままおれが反応をせず放置していたらきっとこの交渉は決裂する。他人のセックスを見てムラついていたおれはムチッとした彼の二の腕に手を伸ばす。肉感を確かめてから続いて乳首を触ると鼻息が荒くなった。

「あの、個室行きませんか」

 彼がおれに耳打ちしてきた。黙って頷き、その場から移動することを提案してきた男の後をついて歩く。

 個室に入って鍵を掛けると彼がおれの乳首を触ってきた。それほど乳首を気持ちいいと感じないおれは無言のまま彼の乳首を触ってあげる。今度は遠慮なしに、ああっ、とため息のような吐息を漏らす。

 彼はおれの乳首を丹念に舐め、舌を這わせて首筋を舐めてきた。首筋を舐められるのは好きだ。舌の温もりが直接身体に響いてくる。

「めちゃくちゃかっこいいですね」

 首筋を舐めながら彼が言った。

「そんなことないですよ」

「すごいタイプです」

「ありがとうございます」

 お世辞でもそう言われると嬉しいなと考えながら彼の頭を撫でると、

「キスしてもいいですか」

 いいですよ、と伝えると最初は唇と唇を合わせる程度に軽く、次第に唾液が絡まるように音を立て、貪るようなキスをした。男とするキスは良い。熱い口腔からこちらに侵入してくる舌が荒ぶっていて自分が誰かに必要とされているのだと勘違いさせてくれる。男のにおいが直接口の中に入り込んでくる。

「はあはあ、めっちゃ気持ちいいです、掘ってください」

 彼が自分で下着を脱ごうとしたのでその手を止め、おれが代わりに手をやった。ゆっくりずらしていくと中から膨張したちんこが顔を出し先端が濡れていた。ヌルヌルした先っぽを指で擦るとビクッと体を反応させるのが可愛らしい。

「おれのも舐めてください」

 そう伝えると彼は跪きおれの股間に顔を埋めてにおいを嗅ぎだした。ゆっくり下着を脱がせてちんこをしゃぶる。温かい口腔に包まれて思わず声が出る。

「うわ、気持ちいい」

 音を立て、美味しそうにおれのちんこを口に頬張る姿を見下ろしているともっと目の前の彼をぐちゃぐちゃにしたい欲望が溢れ出す。頭を抱えて少しずつ腰を振り彼のリズムに合わせる。温もりが刺激に変わり脳が溶けそうになる。もっと気持ちよくなりたい、もっとめちゃくちゃに犯したい。おれはちんこを彼の喉奥まで押し込んだ。

 ゲホゲホとむせ返す彼を離すまいとそのままちんこを口の中に突っ込む。涎が口から溢れて床に敷いてあるマットに垂れていた。

「美味しいですか」

 美味しいです、と言う彼の瞳が濡れていたのでおれはマットに押し倒しキスをした。肌と肌が重なりこのまま一つになれればいいのにと思う。

「入れますね」

 おれは部屋に置いてあったコンドームを装着させてローションを手に取った。彼の肛門部分にそれを塗りたくりゆっくり自身を沈めていく。

「ああっ、やばい、うっ」

 苦痛なのか快楽なのかわからない表情をしているのを見下ろしながら根元まで挿入し、そのままの状態でキスをした。片手で彼の膨張したちんこを弄りながらキスを続ける。両腕がおれの背中に伸びてきてがっちり抱き締められたのを確認してから腰を振った。

「あっ、それめちゃくちゃいい、やばい、当たる」

 彼の中にぐっと押し込むと中に壁のようなものがあり、そこを思いっきり突いた。

「やばいやばい、いい、すごいです、あっ、やばい」

 セックスしていると語彙力がなくなるのだろうか、それとも快感以外に何も必要としなくなるのだろうか、同じ言葉を繰り返して喜ぶ姿が愛しくなる。

 彼の中に入れて、出して、入れて、出してを何度も続ける。激しくしてみたり、ゆっくりしてみたりする度に彼の中が硬くなりおれと同様に気持ち良さを感じているのがわかる。

「ほんとやばいです、こんな気持ちいいの初めて」

「そんなに気持ちいいですか」

「はい、最高です」

「おれも気持ちいいです」

 おれは入れては出してを繰り返して彼の反応を楽しんだ。身体が火照り汗が吹き出してくる。その汗が彼の身体にぽとぽと落ちて水溜りを作っていた。

「汗」

 とろんとした目でこちらを見ながら彼がおれの額に触れた。

「すみません、結構垂らしてしまって。拭きます」

「いいです、もっとやってください」

 汗にまみれた身体を揺らして初めて会った見知らぬ男とするセックス。ただただ自分の快楽と欲望を満たすためだけに繋がる身体。なんて生産性の無く清々しい性交なのだろう。

 おれは腰を振るスピードを上げた。それに従って彼の中もどんどん硬くなっていく。

「やばい、イキそう」

「おれもイキます」

 おれはそのまま果て、彼も同時に射精した。勢いよく飛び出した彼の性液は彼の身体を白く染めた。互いに息が荒くなっており、呼吸が整うまでそのままの体勢で脱力していた。

「めちゃくちゃ、最高でした」

 彼がおれの耳元で囁くように言った。

「おれも気持ちよかったです」

 顔を見せ合うと少し照れ臭くなって笑った。それからキスをした。

 元彼と最後にセックスしたのはいつだったか、それすらも思い出せないくらい過去のことになっていた。肌の触れ合いもキスもハグも日常的にしていたが、セックスだけはできなかった。何度も求められた。その度に、今日は疲れてるから、とあられもない言い訳で逃げていた自分を恥じたいと今なら思う。身体を求められなくなったのは自分に原因があるのではないかと思い悩んでいたと知ったとき、おれの中で大切なものが、一生大事にしていきたいと思っていたものが、共に歩み続けようとしていたものが、こんなにも必死な顔で訴えてきていたのに無視していた自分を呪った。そしてセックスというものがどれほど恋人同士で重要なコミュニケーションツールになっているのかを思い知った。ただ一緒にいるだけでは無理なのだ。これから歳を重ねてどんどん老いていってもセックスは必要なのだ。家族のように感じてしまったから、という言い逃れをしてしまったことがある。では家族になったらセックスしなくてもいいのだろうか。世の中の夫婦は家族になった途端、セックスしなくなるとでも言うのだろうか。セックスでしか確かめられない何かがある。

 発展場を出るとき、先ほどセックスをした彼とロッカーで顔を合わせた。

「あ、さっきはありがとうございます」

 彼はにこっと笑いながら挨拶してくれた。おれも、こちらこそありがとうございます、と笑顔を向けた。着替え終わると互いにスーツ姿で、仕事帰りですね、とまた笑い合った。

「よく来るんですか」

「いえ、すごく久しぶりです」

「そうなんですね」

「そちらはよく来るんですか」

「たまに、すごくやりたいときにだけ」

 照れたように鼻をかきながら答える姿は思っていたより幼く見えた。

 ただの他人だったのに、いきなりセックスで繋がった関係は、もう隠し事など無いような気がして少し楽に会話することができる。

「なんか、思ってたより若い、ですね」

 セックスしているときは暗闇だったためあまり詳細まで見えなかったが照明に照らされた場所で見る肌は綺麗でつるんとしていた。

「おいくつですか?」

 おれの問いかけに、今二十四です、と返ってきて驚いた。

「めちゃくちゃ若いですね」

「そんなに若くないですよ。あの、そちらは?」

「あ、今年で三十になります」

「そうなんですね、でもすごく若く見えます」

「お世辞でもありがとうございます」

「いや本当です」

 言われると、持っているブリーフケースやコートなんかが自分が若い時に使っていたようなものなことに気付いた。

「あの」

 そのまま受付に鍵を返して帰ろうとしていたおれの後ろから声が届いた。なんだろうと思い振り返ると、少し言いづらそうに彼が、

「よかったらご飯でも行きませんか」

 まさか年下の男の子から誘われるとは思ってもみなかった展開に驚きつつ、

「今からですか?」

 とスマートではない返しをしてしまった。

「はい、用事があるなら別に」

 慌てて言い返す彼がとても可愛く見えた。

「いいですよ」

 おれの返事にぱっと顔が明るくなったので、こんなおれに対してそんな反応を見せてくれることが嬉しかった。

「家はこの近くですか?」

「あ、自分ここから二駅離れたところが最寄りです」

 彼の最寄りはうちと一駅しか違わなかった。それを伝えた上で、

「どうせなら家の近くにしましょうか。ご飯食べてすぐ帰れるように」

 おれたちは並んで駅に向かい歩き出した。

 ぽつぽつと、自分のことを話したり彼のことを聞いたりするのがなんだかお見合いみたいな感じで懐かしさを覚える。こんなふうに誰かと知り合っていくのは随分と久しぶりのことだ。社会人になって二年目だという彼は地元が四国で、時期になると実家からたくさんみかんが送られてくるらしい。

「みかんいいですね、おれ好きなんですよ」

「そうなんですか、うちにまだめちゃくちゃ余ってるんでよかったら持ってってください」

「いいんですか、じゃあもらいに行こうかな」

 当たり障りのない会話、きっと口約束で終わってしまう内容、それらが心地良く響く。

 彼の最寄駅に降り立ち遅くまでやっている居酒屋のチェーン店に入った。

「お酒強そうですね」

 メニューを見ながら彼が言うので、

「よく言われるけどめちゃくちゃ弱いんだよね」

「え、意外ですね」

「だからソフトドリンク注文させてもらいます。飲みたかったらどうぞ」

「え、じゃあ、少しだけ」

 おしぼりを持ってきた店員におれは烏龍茶を頼み、彼はチューハイを注文していた。

「何食べようか、好き嫌いある?」

「いや、なんでも食べます」

「食べそうだね」

「毎日ご飯三合炊いてるんですよ」

「そんなに、一食で?」

「はい」

 思わず彼を見つめると、食べ過ぎですよね、と照れ笑いしていた。

「もともと運動か何かしてたの?」

「高校まではずっとサッカーしてたんですけど、大学ではフットサルしてました」

「身体つきいいもんね」

「でも最近太ってきて」

「いや、それくらいがちょうど良いよ」

「そうですか」

「うん、ちょっとムチっとしてる方が」

 おれは好きだな、と言いそうになって思いとどまった。考えすぎかもしれないけれど、彼に気を持たせるような発言は控えようと思った。

「あの、なんて呼べばいいですか」

 ひと通り注文してから彼が遠慮がちに聞いてきた。そういえばまだ自己紹介すらしていない間柄だったことに気付く。おれはそのまま本名を教え、好きに呼んでくれていいよと伝えた。彼も同じように名前を伝えてくれて、このやりとりがくすぐったかった。

「じゃあ直文さん、直文さんはどんな仕事してるんですか」

「おれは営業だよ。システムの営業してる」

「システムの営業、なんかかっこいいですね」

「いや、かっこよくないよ、ただの営業マンだから」

「でもシステムの営業っていう響きがいいです」

「そうかな。裕樹くんは何してるの」

「自分は不動産で働いてます。今宅建の勉強中なんです」

 今年受けたんですけど落ちちゃってやばいんです、と言いながら鞄から分厚いテキストを出してきた。

「宅建って難しいもんね」

「でも不動産やるなら絶対必要な資格なんで取らないと怒られます」

「来年頑張って」

「はい」

 注文した飲み物が運ばれてきておれたちは乾杯した。彼はよく飲んでよく食べた。その食欲を見ているだけで満足しそうになるのは自分が年をとった証拠だろう。

「お酒強いね」

「そうですかね、職場の先輩とかと行くと皆これ以上に飲むんで自分的には弱い方だと思ってました」

「いや、それだけ飲んでも平気なら十分強いよ」

 裕樹くんはすでにチューハイの五杯目を空けようとしていた。

「まだ食べれる?」

「はい、まだいけます」

 底の知れない食欲に感心しながらおれは追加の料理を注文した。

 会計時、裕樹くんが財布を出したのでどうしようか迷った。六つも年下の子からお金をもらってもいいのだろうか、それともこういった場合は割り勘の方がいいのだろうか。考えた末、

「いいよ、楽しかったし」

 と言って彼の財布を仕舞うよう促すと、いや自分が誘ったので払います、と執拗に拒んできてレジの人に迷惑をかけた。いいから先に表出といて、と彼を追いやりなんとか会計を済ませて自分も外に出ると少し怒った顔の裕樹くんがいた。

「ご馳走様です」

 やはり割り勘にした方が良かったのかと思いながらいると、

「あの、連絡先教えてください。次は自分が払うんで」

 一期一会で済ませようと思っていたのだがこれ以上彼の意見を阻むのは良くないのではないかと考え、おれは自分の連絡先を教えた。

「次は必ずおれが払うんで」

 繰り返し言い続ける彼に苦笑いしつつ、かなり酔っているのではないかと心配になった。

「大丈夫? 水買ってこようか」

「平気です。でも家まで送ってください」

 突然の申し出に驚き、だんだん笑いが込み上げてきた。

「自分で家まで送ってくれって言う人初めて見た」

「じゃあ直文さんの初めておれがもらいました」

「酔ってるね」

「酔ってません」

「送ってくから、家どっち?」

「こっちです」

 面白い子に出会ったなと少し気分が良くなった。人は十人十色、その人にしかないものがある。

 セックスから始まった関係でも、セックスによってコミュニケーションをとったため距離感が近くなったのかもしれない。おれは道中にあった自販機で水を買い裕樹くんに渡した。

「あ、みかんあげますよ」

 思い出したように彼は言いながらおれの渡した水を飲んだ。

 居酒屋から十分ほど歩いたところに裕樹くんの住むマンションがあった。彼の後に続いてエントランスを通っていく。

「どうぞ」

 送っていくだけのはずが彼に促されるまま部屋に通された。1Kになっている間取りで、床には脱いだままのスウェットや着替えが落ちていた。

「あの」

 声を掛けられて振り向くと裕樹くんが立ち竦んでいた。

「今日めちゃくちゃ楽しかったです」

「うん、楽しかったね」

「あの、キス、したいです」

「たくさんしたじゃん」

「もっとしたいです」

 真っ直ぐな彼の瞳がおれを捉えていた。近付くと少しお酒臭かった。そっと抱き締めて、初めてやるようなキスをした。

「また会ってくれますか」

 彼は身動きせず言った。おれは、うん、と答えてまたキスをした。

 セックスが原因で別れた人がいる。セックスがきっかけで出会った人がいる。けれどそんなこと、些細なことだ。

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