パン屋でのこと

 朝だ。空が明るい。ミネは目を覚ますと時計を確認する。きっかり六時。ミネはいつも同じ時間に起きる。

 リョウはまだ隣で寝ている。リョウの寝顔。リョウと出会ってからずっとずっと見つめてきたこの顔も、今は朝のこの時にしか見ることができない。リョウは起きたらすぐに性転換の魔法で女になってしまうからだ。

 ミネはリョウの顔にかかったその紫の髪を撫でるように左右に分け、もっと顔をよく見たいと思った。毛先が頬をくすぐったのか、リョウがうーんと声を発した。起こしてしまったか? じっとリョウを観察する。リョウは起きなかった。いつもリョウが起きる時間まではまだ一時間もあった。

 ミネにとって神聖な朝の時間はあっという間に終わってしまう。

 気持ちを切り替えたミネはリョウのために朝ご飯の仕度を始めた。時間ギリギリに起きるリョウのために朝はいつも軽くて簡単に食べられるものを作る。今日はパンに目玉焼きとハムを乗せたサンドウィッチ。それとミルク。パンはミネが働いている店で買った。ミネがいた西の国にはこのようなフワフワのパンは無かった。魔法で焼いているらしい。



 目玉焼きとハムが焼けてきて、美味しそうな匂いが台所からリビングの方まで漂い始める。そろそろリョウが起きる時間だ。


「おはよう、ミネ。」


 ほら、起きた。ミネは深呼吸してから振り返る。リョウはさっき見た寝顔とは違う少女の顔で、頭なんかを搔いている。寝ぼけ顔で、寝間着のズボンがズリ落ちそうになっているし、寝癖も爆発している。だらしない。でもそのおかげで姿が変わってもリョウのままだと思える。


「早く顔洗って、支度して、朝ご飯食べちゃって。寝癖も直してね。」

「はーい。」


 リョウが着替えて魔法女学校のローブを纏い髪を整えると、とたんにキリっと空気が一変する。黒いローブに紫の髪が栄える。ミネは毎朝このリョウの姿に見惚れる。リョウは女性でも、『可愛い』ではなくて『カッコいい』と言われるタイプだと思う。


「じゃあ、行ってくるよ。」

「いってらっしゃい。」


 リョウが出かけた後は、今度はミネが仕事に出かける支度をする番だ。

 ミネのパン屋での仕事はお昼の開店の少し前から始まる。魔法の使えないミネにはパンを焼くなどの手伝いはできない。基本的にはミネの仕事は接客と雑用係だ。来店が増えて忙しくなる一番人手の欲しい時間から閉店後の片付けまでがミネのシフトになっている。魔法を使えないミネがやっと見つけた仕事だ。それでもミネは憂鬱だった。



「おはようございます!」


 ミネは職場のパン屋に入るとまず元気よく挨拶をする。店のスタッフは誰もミネに挨拶を返さない。ミネはそんなことは気にしてないという態度でロッカールームに入り、店の制服に着替える。

 ミネの最初の仕事は店にパンを並べることだ。しばらくして工房から焼きたてのパンが運ばれてくる。ミネはそれを的確に配置する。数十種類あるパンと名前と価格は、大きさや形を頼りにすべて憶えた。中に何が入っているかも言える。今日も開店前にすべて並べ終えることができた。

 店が開く。次は接客だ。客がレジに持ってくるパンを即座に把握し価格を計算して、料金を告げる。渡された魔法金貨からお釣りを手計算して返す。お昼の一時間で百人ほどの来客を捌かなければならない。レジは店に二つあるが、ミネではない方のレジは魔法道具でチマチマと料金の計算をしているのでなかなか進まず、客はみんなミネの方に並ぶ。



 お昼の時間が終わってレジの在り高の確認が済み一息ついたところで、ミネは先輩のスタッフから呼ばれた。


「ちょっと店長から頼まれたんだけど、倉庫から取ってきてほしい物があるのよ。今、私たちは手が離せないから。」


 チラリと店の奥を見ると他のスタッフたちはわいわいと談笑していた。


「わかりました。」


 不平を言ってもしょうがない。彼女らは最初からずっと魔法を使えないミネに対して当たりがキツかった。だからこそミネは人一倍頑張らなくてはいけないと、パンの種類も全て憶えたし、レジもこなせるように努力した。



 ミネはスタッフに言われたとおりに倉庫に入り、頼まれた物を探そうとして愕然とした。倉庫は全く整理されておらず、棚に何が置かれているのかもわからない。同じ物がここにもあちらにも散見される。積まれた箱には何の目印も書かれていない。この中からどうやって探せというのか。

 手前の棚から順番に物を確認する。見つからない。これでは日が暮れてしまう……。


「いつまでかかってるのよ!」


 小一時間ほど経ったところで、倉庫にスタッフがやってきてミネを怒鳴りつけた。


「あの、すみません。でも、全然片付いてなくて、どこに何があるのかわからなくて……。」

「あんたほんとトロいね! こんなのは探索の魔法陣を使えばすぐ見つかるのよ!」


 スタッフは、倉庫の扉の横に貼り付けられた魔法陣に手を触れたかと思いきや、迷わず倉庫の奥まで歩いていき目的の物を持ってきた。


「あはははは、そうだった! あんた魔法使えないんだったね!」


 この人は倉庫のことも魔法のこともわかっていて自分にやらせたのだ。ミネは悔しくて何も言えなかった。



 その日ミネは終業後に一人、倉庫の片付けを始めていた。ちゃんと整理してどこに何があるかわかるように置いておけば、自分でも探すことができるようになるはずだ、と。


「ミネくん……? どうしたんだい、一人で。」


 白い帽子を被った中年の男性がミネに声をかける。


「店長……、勝手にすみません。でも、倉庫、片付けた方がいいと思って。」

「確かにそうだな。いや、僕の方こそごめん。倉庫のことはスタッフに任せきりだったから、こんなことになってるなんて。僕も手伝うよ。」

「ありがとうございます。」

「いや、いいんだ。他にも困ってることがあったら、何でも僕に言ってくれよ、ミネくん。」

「……はい。」


 それからミネは週に一度、店長と倉庫を整理する約束をした。店長にスタッフのことは言わなかった。それをしてしまったら自分が負けたような気がしたから。

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