憑依術

 北の草原は背丈ほどの草が生い茂っていて道もない広い平野だった。いや、道は遠い昔にはあったみたいだ。ところどころに人が歩きやすいように作られた舗装の後が残っている。この無くなった道の先には今は何も無いという。


「ここはもう何十年もずっとドラゴンの住処になっていて、ほとんど人が訪れることはなくなりました。特にドラゴンは男性が近づくことを嫌いますから。」

「大丈夫? ボクは今は男だけど?」

「リョウさんは男性というか、性別ドラゴンみたいなものなので大丈夫です。」

「そうなの? あ、それでシュンさんは連れてきてないのか。」


 その時、急に空が暗くなったと思ったら、それはボクらの頭上を飛ぶドラゴンの影だった。


「デカッ!」

「ドラゴンになったリョウの何倍も大きさがあるよ!」

「追いましょう!」

「ほんとうに大丈夫なの!?」


 ボクらはドラゴンの影を走って追いかけたが当然飛んでいるドラゴンの方が速いので、すぐに見失ってしまった。


「私、リタイア……。」


 体力のないルカが早々にその場に座り込んでしまう。

 ミネも首を伝う汗を拭う。

 ティアラさんはさすが騎士様、これだけ走っても全然汗をかいていない。

 ハァハァと切らした息を整えたマリンが言った。


「……作戦を考えましょうか。」

「作戦?」

「リョウさんとティアラがドラゴンを私のところまで連れてきます。そしたら私が眠りの魔法をかけてドラゴンを眠らせて憑依術をかけます。」

「ボクがドラゴンを追うの!?」

「リョウさんがドラゴンになれば、きっとあちらから姿を現すでしょう。」

「うーん……。」


 なんか危ない気がするけど……。

 だいたいドラゴンになったボクがティアラさんとどういう連携を取ればいいのか……? ティアラさんに触れられたらきっとボクはドラゴンの姿を維持できないし……。

 ティアラさんを見るともう意思は決まったという感じでドラゴンが消えた方向を見ている。


「……やるしかないか。」


 マリンもミネも無言でボクを見てくるのでボクも覚悟を決めた。ボクは少し離れたところで服を脱ぎドラゴンの姿になった。ドラゴンになって空に飛び立つ。

 空から草原の全体を見渡したがドラゴンの姿はどこにもなかった。あんなに大きなドラゴンだったのになんで見つからないのだろう?

 草原は周囲を大きな崖が囲んでいてクレーターのようになっていた。草原の向こうの崖の先には綺麗に形の整った三角形の山があるだけだ。

 ドラゴンが見つけられないので仕方なくボクがみんなのところに戻ろうと急降下すると、地面に見えていたボクの影に大きな影が重なって見えた。空の上にいたのか。ボクは一転急上昇してドラゴンと対峙する。

 草餅のような緑の肌に赤い瞳。そして大きな角。色と大きさは違うけど姿形はドラゴンのボクとよく似ていた。

 野生のドラゴンも魔法を使うのだろうか?

 とりあえず、マリンの魔法が届くところまで高度を下げさせないと。ボクは炎の魔法を軽くドラゴンに吹きかけてみる。炎はドラゴンの脇腹に当たったがボクの魔法はドラゴンの皮膚を焦がしもしなかった。逆に、ドラゴンがあくびをするように口を開けるとボアっと大きな炎が出てボクを襲った。ボクの炎の何倍もの炎だ。ボクは急旋回してその炎を回避する。


「どうすんのこれ。」


 ドラゴンがボクに注意を向けているその時、白く光る何かが下から飛んできたような気がした。ティアラさんだった。ティアラさんがこの高さまで空を駆け上がってきたのだ。

 ティアラさんはあっという間にドラゴンの背に乗るとピピッと剣を振るった。

 するとドラゴンの羽がその悲痛な鳴き声と共に切り落とされ、ドラゴンはそのまま地面に落下していった。


「ひぇぇぇ……。」


 ボクはそのドラゴンの姿を我が身と重ねてしまって恐怖した。



 地面に落下したドラゴンは痛々しく横たわり、首を上げようとするが痛みで動くことは困難なようだった。


「今、楽にしてあげますからね。」


 マリンが杖をドラゴンにかざして呪文をかけるとドラゴンはそっと目を閉じた。たぶん眠りの魔法を使ったのだと思う。


「さて、今から憑依術を使います。」


 マリンが杖で空に何か円を描くような動作をし始めた。

 人間に戻って服を着たボクはミネの隣でじっとその様子を見ていた。ボクはどうやってボクがこの世界に呼ばれたのか見ておきたかった。


「ミネもボクがこの世界に呼ばれた時に見てたの?」

「ううん。私はリョウの儀式は見せてもらえなかったの。」

「そうか。」


 マリンが呪文を唱えると、ドラゴンの周りに赤い光の魔法陣が現れた。ボクが教会で憑依術の解除の魔法をかけられた時と同じような感じだ。

 次の瞬間、空に黒い丸が現れて何か光の塊のようなものがそこを通ってドラゴンに向かってゆっくりと降りてきた。


「あれって……、もしかして魂?」


 その光の塊はドラゴンにくっつくとそのままドラゴンの体の全体に広がって吸い込まれるように消えた。空の黒い丸も消えていた。


「ふぅ。憑依術は成功です。」


 なるほど、憑依術か。確かにこの光景は転生っていうより憑依って感じかもしれない……。でもそれじゃ、ボクらは魂だけでこの世界に来たということなんだろうか? 元の世界のボクの体はどうなっているんだろう?

 マリンが眠っているドラゴンに回復魔法を使って傷を治している。


「ねえ、憑依術ってどういう仕組みなの? あの光は何?」


 ボクはマリンに聞いた。


「……実は私たちも憑依術の仕組みはよくわかっていません。精巧に作られた魔法陣だけが伝わっているのです。……いったい誰が作ったのか。世の中には憑依術のように大魔法使いが何年かけても理解することができなかった魔法がいくつも存在するのです。これから向かう王墓に眠る竜の王が使ったというドラゴンの使役魔法、戦士の王が作ったガーディアン、金貨の王が作り上げた魔法金貨も、彼らにしか使えなかった難解な魔法でした。子孫の私たちでさえ扱うことができなかった……。」


 ティアラさんがドラゴンの顔に触れると眠っていたドラゴンは人間の男性の姿に変わって倒れ込んだ。ティアラさんが慌てて男性を抱き起こす。大人……オジサンってほどの歳では無さそうだ。二十代後半くらい? 元のドラゴンはあんなに大きく強そうだったのに、人間の姿は少しひょろっとしているなと思った。


「ん……、ここは?」


 程なくして、新しくこの異世界にドラゴンとして転生した男性が目を覚ました。男性は自分を抱きかかえるティアラさんを見て言った。


「女神様? ひょっとしてここは天国ですか?」

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