決戦1
蟹江とトニーはそれぞれ配信卓のプレイヤー席に腰を据えると、係員の事前の指示通りマッチング画面を開いた。
アナウンスが決勝戦の始まりを告げる。
コイントスで一戦目の種目の選択権はトニーが取得し、トニーはNamesを選択した。
マッチング画面から、プレイ画面に切り換わる。
私語も慎まれるほどに、会場内の空気が静寂へ一変する。
十秒のカウントダウンの後、両者の画面に架空の人の顔写真と名前が三十人分現れた。
蟹江は脳内空間へ、意識を没入させた。
人の顔から特徴が抽出され、名前からイメージが生み出され、それらが凄まじいスピードで連結されていく。
スピードを落とすことなく、二十五人まで覚える。残りは五人。
二十六人目、魚の『えら』に『ガブリ』と食いつく――ガブリエラ。
二十七人目、海を泳ぐ『エイ』が『ブラ』ジャーを頭に被ったまま『ハム』を食べる――エイブラハム。
二十八人目、手足を得たアルファベットの『エス』が『コバ』というあだ名の小林に抱きつく――エスコバー。
残り二人、蟹江はスパートをかける。
ミランダ――ギャラード。
二十八人目までとは著しく速く、二人の顔と名前と頭に叩き込んだ。
一分の記憶時間を五秒程残して、タイマーを止める。最後の二人を早急にイメージに変換させた。
その直後に記憶時間が終了し、二十秒のカウントダウンを挟んで回答に入った。
覚えた時とは違う順番で、三十人分の顔写真が画面に敷き詰められる。
蟹江は最後の二人の名前を先に埋めてから、二十八人を覚えた順に回答していった。
回答時間が終わり、結果が画面に表示される。
トニー・ウィンター 55秒22 28/30。
蟹江 陽太 55秒34 30/30。
観客席はこの結果に呻いた。
公式戦のnamesでパーフェクトを達成した選手は、大会史上一人もいない。
蟹江は歴史を塗り替えたのだ。
それでも蟹江には、素直に喜んでいる余裕はない。
勝負は二戦目に入る。
特等席、と説明されて師匠の姿を気兼ねなく応援できると思い込みアブラヒムに着いていった小牧は、まさにその特等席に二人の顔見知りが先着していたことにたじろいだ。
足が竦んだようになって特等席に近寄れないでいる小牧には構わず、アブラヒムはモニタを真剣に眺めている先着の二人に声をかける。
「ヤトミ、エミリー。モウイタノカ」
モニタを真正面に見下ろす位置にある二階通路の手すり際、蟹江が小牧の対戦を見守っていたのと同じ場所だ。
モニタを見つめていたエミリーが振り向く。弥冨はモニタから目を離さずに、背中を向けたままだ。
「コマキを連れてきたノ?」
エミリーはアブラヒムに尋ねる。
アブラヒムはこくんと頷いた。
「ツレテキタ。デモ、フタリヲミテ、シリコメ」
「それを言うなら、尻込みヨ」
「ソウトモイウ」
訂正しても、アブラヒムは言葉の間違いをあまり気にしていない様子だ。
エミリーはアブラヒムの背後から数歩ほど後方で立ち竦んでいる小牧に、ニコニコと手招きする。
「コマキも一緒にカニエを応援しまショウ?」
「い、一緒ですか?」
「一緒はイヤ、カシラ?」
悪戯っぽく探るような目をして小牧に訊く。
小牧はふるふると首を横に振った。
「嫌じゃないですよ。ただちょっと、アブラヒムさんが特等席って言うから、誰もいないのかと思ってましたから」
自分の思い込みを恥じるように、小牧はエミリーに言葉を返した。
嫌じゃない、という小牧の返事を受けてエミリーはニッコリと口の端を上げた。
「ほら、一緒に応援ヨ」
不意に小牧の腕を取って自分と弥冨との間に引き寄せた。
小牧がエミリーに引っ張られていくのを見届けたアブラヒムは、ガールズトークの邪魔をしてはならないと三人には何も告げずにその場を去った。
エミリーに引っ張られて手すりの前に立った小牧は、手すり越しの正面に大きく望むモニタを視界のほとんどに入れた。
モニタには決勝戦の様子が中継されている。
丁度その時、Namesの対戦結果が出た。
「師匠が勝ちました」
表示された事実を、小牧は淡々と口にした。
心の底から喜びがゆっくりと湧いてくる。
「さすがカニエ。ワタシノ旦那さんネ」
平然と虚妄を言うエミリー。
「いつ陽太が、あんたの旦那さんになったのよ」
小牧が隣に来ても何も言葉を発さなかった弥冨が、目線はモニタに向けたまま、くだらなさそうに訂正する。
エミリーはあっけらかんとした笑みを弥冨に向ける。
「妄想に制限なんてないのヨ。だからカニエが旦那さんだったとしても、何もおかしいところはないワ」
弥冨は露骨に溜息を吐く。
「設定は妄想の中でだけにしてほしいんだけど。口にして言う必要ないじゃない」
「フフフ。妄想も口に出していいれば、いつからはリアルになるノヨ」
まるで格言のように、しかつめらしい顔でエミリーは言った。
モニタの中で蟹江がNumbersを選択した。二戦目が始まる。
「これで師匠が勝てば、大手です」
「勝てれば、だけどね」
小牧の高揚する気持ちに、弥冨が水を差した。
きょとんとして不安げに小牧が弥富に質問する。
「弥富さんは、師匠が勝てないと思うんですか?」
「勝てないとは言わないわよ。でも相手はトニー・マイケル、簡単に勝たせてくれるはずがない」
ふふっ、とエミリが零したように笑う。
「ヤトミはワタシの兄さんの味方カシラ?」
「そんなことないじゃない、陽太の味方よ。でもこの対決は、一つのミスが負けに繋がる。陽太が勝つなんて軽々しく口に出来るわけがないじゃない」
モニタに目を向けたまま、悔し気に弥冨は口からそう紡いだ。
対戦経過はこの後、弥冨の言葉を裏付ける形となる。
初戦に一勝をもぎ取った蟹江だったが、続く二戦目、三戦目に回答でパーフェクトを出すも、タイムでトニーに上回られて王手をかけられた。
残る種目はCardsとWordsの二種目となり、四戦目の種目決定権を持つ蟹江はWordsを選択した。
世界チャンピオンの力量をひしひしと思い知らされ、後がなくなり、取りこぼしの出来ない四戦目。
マッチングが完了し、カウントダウンが始まる。
カウントダウンが刻々と数字を減らしていく間に、焦りを少しでも軽減できるならと蟹江は大きく太い息を吐き出した。
数字がゼロになり、カウントダウンの数字が消える。
画面の右に五十個の単語が縦三列に並び、そのうち左列の先頭の四個が左側に大きく表示される。
蟹江の脳内の場所で、あり得もしないストーリーが展開され、場所を移動し記憶が置かれていく。
ルートの十三カ所目のストーリーが完成すると、六秒ほど余して記憶を終えた。
ほぼ同タイミングでトニーも記憶を終える。
蟹江は今すぐに答えたい衝動を抑えながら、回答までの時間をもどかしくも待った。
回答時間に入ると、両者は互いの記録を追いかけるように、単語の一つ目から順々に答えを打ち込んでいった。
観客達が息を呑む中、回答時間が尽きる。
結果が表示されると、モニタ内の両者の熱量が伝播したように、観客席は激しく燃えるように歓声が湧いた。
トニー・ウィンター 50/50 54秒03。
蟹江 陽太 50/50 53秒98。
辛くも蟹江は四戦目をものにした。
トニーの眼球が飛び出そうなほどに目を見開いた顔が、観客席のモニタに映し出される。
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