弟子にできること
準決勝の組み合わせは、蟹江×弥冨、トニー×アブラヒム、となり、アブラヒムのトニー打倒が観客たちから期待されたが、小牧との一戦での疲労が抜け切れていなかったアブラヒムはトニー打倒を果たせなかった。
日本人対決となった蟹江と弥冨は、互いに手加減なくぶつかった結果、蟹江が弥富を下して決勝に駒を進めた。
準決勝が済むとアナウンスで決勝戦開始は三十分後だと告げられ、蟹江は短いインターバルに入った。
「あの、師匠」
控室の隅で壁沿いの椅子に座って、項垂れ気味で集中状態を作っている蟹江に、小牧が恐る恐る声をかけた。
顔を上げずに目だけで自分を見据える蟹江に、小牧は言いにくそうに話し出す。
「さっきはお父さんとお母さんを説得してくれてありがとうございました」
「お礼を言われるようなことしてないぞ」
あの行動は当然だった、と言いたげに蟹江は真顔で返した。
自分の両親に頭を下げて懇願している彼の姿を目の前にして、当たり前と思うほど小牧は薄情ではない。
何かお礼をしたい気持ちに駆られて、小牧は切り出す。
「あたしに何か出来ることありますか。なんでもやりますよ」
そう申し出る小牧の真剣な目を見て、蟹江は優しく微笑む。
「気持ちは嬉しいけど、何もしてくれなくていい」
「でも両親に続けてもいいって許可をもらえたのは、師匠のおかげです」
感謝の気持ちで一杯の小牧は食い下がる。
蟹江は小牧の目を真っ直ぐ見返した。
「気持ちはありがたいよ。でも今は、トニーとの対戦以外に気が回らないんだ。大会の後なら何でも話聞くから、今はそっとして置いてくれないか?」
「……わかりました」
微笑して言い聞かせる蟹江に、小牧も頷くしかない。
小牧が頷くのを見て、蟹江は再び頭を俯け集中状態に入る。
「それじゃ、師匠。頑張ってください」
お礼できないのは心残りだったが、小牧は励ましの言葉を送って控室室を後にした。
師匠の邪魔をしないために小牧は両親がいる観客席の方へ通路を下っていると、左方に交わる通路から俄かにズレたイントネーションで小牧を呼ぶ声が響いた。
「コマキ!」
左方の通路に目を移すと、アブラヒムがいつもの柔和な笑みを浮かべていた。
アブラヒムは立ち止まった小牧に駆け寄るなり訊く。
「カニエハドウダッタ?」
「今、すごい集中してるみたいです。締め出されちゃいました」
「ナルホド」
やっぱりか、という顔で大きく首を縦に振った。
「トコロデ、コマキ」
「なんでしょう?」
訊き返す小牧に、アブラヒムは目元をすまなさそうに緩める。
「コマキノジジョウヲシラナイバカリニ、カッテシマッタ。スマナイ」
「何を言ってるんですか」
心外そうに小牧は言葉を返す。
「八百長みたいに勝っても嬉しくありません」
「ソレモソウカ。ツクヅクジブンノ、カンガエナシナブブンハイヤダネ」
落ち込んだ口調でアブラヒムはげんなりする。
そんなアブラヒムに、小牧は話題を変えるように最大の心配事を問うことにした。
「アブラヒムさん。師匠は勝てますか?」
「オー、ムズカシイ」
「難しいことを聞いているのは自覚してますけど、師匠には勝って欲しいから。アブラヒムさんならあたしよりも師匠について詳しいと思って、訊いてるんです」
「ソンナコトナイ」
アブラヒムは否定する。
「コマキノホウガ、カニエニクワシイ」
「でもアブラヒムさん、世界四位で師匠と仲が良いから……」
「ランキングカンケイナイ。コマキハカニエノ、デシ、ダロウ?」
「はい」
「カニエガカツコトヲシンジナイト。トニーハツヨイケド、カニエヲシンジナイト」
「そうですよね。信じるしかありませんよね」
何か自分が出来ることがあれば、と思っていたのだが、余計な事はしない方が良いとわかった。ただ信じて応援することが今自分に出来ることだ。
「色々、気付かせてくれてありがとうございます。それでは、あたしは師匠を応援するために観客席に行きたいと思います」
アブラヒムにお辞儀をして、再び小牧は通路を歩き出した。
「マッテ」
アブラヒムが小牧を呼び留める。
話が終わったつもりでいた小牧は、少し驚いてアブラヒムを振り返った。
「トクトウセキガアルヨ」
「特等席、ですか?」
「モニタガイッパイニミレテ、サエギルモノモナイ」
「それ、どこですか?」
そんな席があるならそこで師匠を応援したい、と思いながら小牧は尋ねた。
アブラヒムは柔和な笑みを顔に戻す。
「ツイテキテ。スグチカクダヨ」
そう言って踵を返し、左方の通路を進んでいった。
どこにあるか知らない特等席へ案内してくれるというアブラヒムの後を小牧は着いていった。
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