第4話 君と僕




 チュンチュンと雀が鳴く。窓から差す陽の光がやけに眩しい。夏の朝は涼しげで、爽やかな空気が家の中を満たしていた。


 和室の隅の棚の上。

 

 僕はそこにある写真を眺めた。


 僕と父さんが公園のベンチに座り笑顔を浮かべてピースをしている。


 じっと取り憑かれたように見つめる。

 さまざまな思いが頭の中を駆け巡る。



 やがて全てを吐き出すかのように深いため息をついて家を後にした。


 外に出ても空気は穏やかだった。盆だと言うのに気温も湿度も高くなく、快適に過ごせそうだ。


 雲ひとつない空。きれいな水色を一面に塗った空のキャンパスは僕を異物扱いするように見えて、孤独を感じさせた。


 神社への階段のもとに立つ。見上げると果てしない数の段がそびえていた。

 足取りが重い。君と会えるのは今日が最後だから、なんて理由なのだろうか。自分でもよくわからない。


 階段を昇るにつれ木々が頭上を覆っていき、木漏れ日が小さくなっていく。涼しいそよ風が体の横を通りすぎた。


 階段を昇りきった。

 黒い花瓶に白い牡丹を差した画を想像させるような景色が目に入る。


 黒い神社の祠の前。健康的に焼けた肌と、さらりとした黒髪。それらを優しく包み込むふわりとした白いワンピースとハットを身につけた君が、かすかな木漏れ日のスポットライトを浴びて立っていた。


「おはよ」

 

 君は軽く手を振ると、


「どう?」

 

 と尋ね、その場でくるりと一回転した。

 黒髪とワンピースが揺れる。


「すごく……似合ってる」


『似合ってる』なんて言葉で片付けられないような美しさだった。顔が赤くなっていそうで、恥ずかしくて目をそらした。


 君はふふっ、と笑うと「行こっか」と言って歩き出した。



 どこへ行くのだろうか、と君の背中にぼーっと見惚れながら歩く。


 祠を回って森の中を進んでいく。


 ふと木陰から日向に出た。眩しさに目を細める。

 明るさに慣れた目をゆっくりと開けるとそこには絶景が広がっていた。


 太陽の光をキラキラと跳ね返しながら揺らめく海。白い砂浜。その上で走り回る夏休み中の小学生たちが豆のように見える。


 朝の太陽は僕らを焦がすのでなく、照らすような暖かな光を降らせていた。

 

 普段の見ている夜の海の景色とは真反対の明るい景色。賑やかとまではいかない活気が新鮮だった。



「ここの景色、いいよね」


 いつか僕が言ったように君が言う。


「すごくいい」

 

 僕が短く返すと、君はシートを拡げて座り込む。僕も続いて座り込んだ。

 

 飽きない景色をしばらく眺めていると、君が声をかける。


「ねえ」

「うん?」



「やり残しちゃったこと、ってある?」



 君は唐突に聞いた。


「とくにない、かな」

 

 素直に答えた。


 君はそっか、と声を漏らして遠くを見つめた。その時だ。


「あたしは……あるんだ」


 僕は君に釘付けになった。

 あの笑顔からは想像もつかない悲しみに満ちた表情。


「なんで生きている内にできなかったんだろ」


 君はぼそりと呟く。




 息が詰まった。しばらくの沈黙。

 なんだこの表情かおは……。

 じっと見つめる。虚ろな視線。もしかして君は……。




「ごめんね、なんか雰囲気重くなっちゃったよね」


「いや全然」


 君の表情はいつもの笑顔に戻っていたように見えたが、目がまだ悲しみを嘆いていた。そんな君を見て、ふと思う。


 君なら聞いてくれる気がした。君になら話せる気がした。今の君を見て、僕と君は同じ悲しみを背負った人間なのではないか。


 僕は話したかった。

 君と感情を共有したかった。


「なあ」

「なあに?」

「父さんってずっといるものだと思ってたんだ」


 そう言って僕は父さんについて話し始めた。


 父さんは死んだ。ついこの間、数ヶ月前のことだ。自分の車で通勤中に交通事故が起きた。右折したときに向かいから来る直進の車に突っ込まれた。信号は右折の矢印が出ていた。相手側が悪い事故。ただ俺は、運転していた人に強い怒りを感じるわけでも、悲壮感に襲われるわけでもなく、ただただ現実と認識できなかった。


 もう戻ってこない日々に愁えることもなく過ごした。


 君はずっと黙って聞いていた。僕が喋り終わるとなにかに納得するようにうなずいて言葉を噛み締めるようにゆっくりと口を開いた。


「実は……あたしも半年前に交通事故でお父さんを亡くしたんだ」


 僕は驚いた。普通の少女ではないことは先ほど感じたが、まさか自分と同じ境遇だとは。


 さらに彼女は驚くべきことを口にした。


「あたしもその時お父さんの隣に座ってて、事故に遭ってるんだ」


「でも事故に遭ったこと以外は覚えていなくて、気がついたらこの島の、あの神社のおばあさんに看病されてたの」



 なんということだ。自身も事故に遭っていてさらに記憶がないとは。


 どれだけ戸惑ったことだろうか。

 そんな過去を持ちながらあんなに美しく笑えるだなんて、君はとても強いのだと気づいた。


 言葉が出なかった。なにもかけられる言葉はない。ただ深く、深く、僕は君の悲しみを感じた。


 それにしても、『気づくとこの島にいた』、『事故前後は覚えていない』など不思議なことが起きている。


 これまでの君を見ていてひとつの疑念がある。いやまさか、そんなことはあるのだろうか、と思ってしまうが。




 もしかしたら君も、亡くなっているのではないか。






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