『今夜の相手は君にしようと思うんだ』
タモンはふと、日本で高校生だった時の記憶を思い出していた。
ショートカットで眼鏡をかけた女性が本を読んでいる。部室に僕が入ってきたことに少し遅れて気がつくと、本から目を離して僕の方に視線を移して微笑んでくれた。
歴史研究会という部活の先輩だった
正直、それほど歴史に興味があったわけでもない。この先輩がいたから通っていると言ってもよかった。入部して半年も経つ頃には毎日、部室に顔を出すのは、もう自分と先輩だけだった。
日が傾いて赤くなってきた部室で一応、歴史に関連した本を二人だけで静かに読んむ。
たまに本から顔を上げて会話をする。放課後で数回だけあるその時間が好きでそれだけのために毎日、この部室に通っていた。
寒い冬の日。雪が降りはじめた帰り道で先輩の手を握った。
精一杯の勇気で、それは成功した。雪が当たる中なので、どう考えても手袋をした方が温かいのだけれど、その手はしばらく振りほどかれることはなく手を繫いだまま歩いた。
それが先輩との学校での最後の記憶だった
「お館さま? どうなさいました?」
「うん。ごめん。悲しい記憶の前に唯一あった女性との付き合いを思い出していた」
「何の話ですか?」
本気で首を傾げて、エリシアは悩んでいた。
「全然もてたことがないし、この城の魔法使いに無理やりされた記憶しかないから、初めて自分からリードする夜がうまくいくのかなって心配です」
ふてくされたような態度でタモンはそう言った。別の何かを思い出したような気がしたけれど、いったんは忘れることにして今夜の難局をどう切り抜けるかを考えることに集中した。
「なるほど。それならば、尚の事、最初は気心のしれた部下がいいのではないですか?」
楽しそうにエリシアは提案してきた。
「ミハト将軍とか、遊びに行かないように呼んでおきますか? ちょっと綺麗な服とかも用意しておいた方がいいですよね。マルサさんに頼んでみましょうか?」
ミハトに着飾らせて、照れている姿を見たいのだ。出会った時から、そんな感じでミハトをからかうのが好きだったと思い出す。
「でも、ミハトねえ。自分の仲間で部下を。うーん」
タモンは考え込んでいた。
エリシアの狙いは分かる。両家に対して特別扱いはしないという姿勢を見せるとともに今後、両家を張り合わせて更に協力を引き出すための軽い布石だ。
それ以上に、エリシアの裏の狙いもよく分かる。
「まあ、僕もミハトに綺麗な格好させて照れた姿を見てみたいとは思う」
「同意です。とても見たいです」
エリシアはミハトの姿を見てからかいたいのだと思うのだけれど、それ以上にミハトのことを単純に好きだよなとタモンはちょっと微笑ましい気持ちで見ていた。
「でも、家族同然の付き合いだからこそ、意思も確かめずにいきなり今夜呼びつけるのもどうかと思う」
「なるほど……。ですが、以前にも申しましたが、『主命だ』と言えば、何としても従うのが臣下のしかも軍人の努めです」
エリシアはもう、ミハトを呼びつけるつもりで構えているように見えた。
(そんなブラックな城主も嫌だな)
そう思いながら、タモンはしばらく考え込んでいた。
「あとは……今、一番頼れる部隊に、両家の妬みが集まってしまうのは良くないとも思ってる」
軽い調子で言ったタモンの言葉に、エリシアは理解できなさそうに少し考え込んでいたけれど、すぐに納得したようだった。
「両家の家来とミハト将軍の部下たちとで万が一にも衝突が起きると大問題になりかねない……ということですね。まあ、カンナ将軍もいませんし、それは確かに……」
とはいえ、エリシアからすればそれくらいの危険は想定している範囲だった。血の気の多そうな軍人が絡むことによる危険は少しあがるかもしれないが、これ以上の方針はないという結論は変わらなかった。
「だからね」
それでも、ミハトを勧めようとするエリシアの機先を制するかのように、タモンはにこりと笑いながら顔をエリシアに近づけていた。
「エリシアにしようと思うんだ」
いつも察しがいいエリシアが、主君のその言葉には頭が処理できずに固まっていた。
「増築した僕の部屋に今夜初めて来てもらって、僕が自分から始めて抱く相手をしてもらうのは、エリシアにしようと思うんだ」
「こ、言葉の意味が分からなかったわけではありません」
そう言いながら、手を伸ばして主君の顔を見ないように防ぎながら、エリシアは後ずさった。
「わ、私ですか?」
「うん。エリシアがいいなって」
いつも冷静沈着なエリシアが、真っ赤に頬を染めてうろたえている姿を見るのがタモンにとっても新鮮で楽しかった。
「わ、私なんか。いえ、忙しいですし……」
「『主命』です」
「はっ。ああ」
慌てて何とか逃れようと思ったエリシアだったけれど、自分で掘った穴に埋まってしまうかのように何も言い逃れができなくなってしまった。
「苦楽をともにした部下を大事にしているアピールをしたいと思っている。そうなんだけれど、今は、軍人は目立たないほうがいいかなとも思う」
「両家から、憎まれ役になるなら私ということですか……」
さっきの話のように、ミハトの血の気の多い部下たちと両家の家来が険悪になって事件を起こしたりするのは可能性はあまりないかもしれないが、もしそうなった時は意外と長く因縁となるかもしれない。『それが私なら、せいぜい新しいお嫁さん二人に妬まれて嫌味な言葉を浴びせられるくらいだろう』とエリシアは計算した。
「確かに……憎まれ役になるなら私が適任かもしれません」
少し冷静になると確かにいい方針かもしれないとエリシアが思う。そして、あえて自分は選択肢から外してきたことに自分で気がついた。
「そうだね。そこに関しては、すまないけれどよろしく頼むよ」
「じゃ、じゃあ、お部屋には行きますけれど夜の相手は噓ってことですね」
「え、もちろん、エリシアに僕が初めてリードする夜の相手もお願いしたいんだけど」
その言葉に頬だけでなく、顔から首まで真っ赤になるエリシアだった。
「わ、私で練習ってことですね。そ、それなら……いや、でも私の体なんてもうとても貧相ですよ」
「そんなことないよ」
女性ばかりの世界でもそんな発想になるんだなとタモンからすれば、驚きだった。
(いや、女性ばかりの世界だからよりそういう考え方になるのかな)
この世界の不思議を考えつつ、まだ、何かぶつぶつ言っているエリシアが落ち着くのを待っていた。
「もちろん、エリシアが僕の相手をするのが嫌ってことなら無理強いはもちろんしないよ」
「えっ。い、いえ、嫌などということは決して……」
何とかこの提案から逃げようと思っていたエリシアも、そう言われてしまうとごまかすこともしたくないので赤い顔のまま真っ直ぐ向かい合った。
「奴隷のように扱われていた私を助けてくださって感謝しています。この半年ほど一緒に過ごさせていただいて、お館さまのことも立派……といいますかなんといいますか、その……尊敬しております」
「じゃあ、OKってことだよね」
タモンは、にっこりと笑ってそう言った。
「は、はい」
嬉しそうな笑顔でそう言われるとエリシアとしても、嫌な気分はしない。
「で、ですが、私の体なんて本当に貧相ですよ。気持ちよくなんてありませんよ。あ、あれ、お館さま?」
エリシアの最後の弁明を聞かずに、タモンは仕事部屋から廊下に顔を出して、左右を見回していた。
「マルサさん。マルサさん」
「はいはい。何でしょう。お館さま?」
背が低く、少しふくよかな体型の中年女性が、少し慌てながらもあまり大きな音を立てないように気をつかいながらタモンの元へと駆けつけていた。メイド服に身を包んだ彼女の名前はマルサ。この城の生活面での一切を取り仕切っている女性だった。
「ちょっと綺麗な服があったりしないかな」
「はあ、服は色々ありますが、何用でしょうか?」
マルサのいつもにこやかで細い目が、更に細くなっているのは少し困惑しているときの表情だった。
「エリシアに着てもらおうと思って」
マルサはちらりと部屋の中にいるエリシアの方を見たけれど、普段はあまり着飾ることもないこの主従と綺麗な服が結びつかないようでちょっと理解できないようだった。
「今夜、僕の部屋に来てもらうんだ。今夜の花嫁」
「あらあら。なるほど、今夜のお相手ということですね」
マルサが察した言葉に、エリシアは大声で叫ぶのは何とか制止したけれど、恥ずかしそうに顔を覆いながら身悶えていた。
「それじゃあ、綺麗にしていきませんとね。この城の、この地方の代表として」
マルサは、エリシアのお尻を軽く叩いて気合いを入れた。政治のことなどは全く分かってはいない彼女だったけれど、金と権力を持った両家からは下に見られがちなこの地方の人間として、ちょっと鼻を明かしてやりたい気持ちはエリシアと同様に持っているようだった。
「分かりました。綺麗な格好で送り届けさせていただきます。お館さまは、楽しみにお部屋でお待ちください」
エリシアの体に触れてサイズを測りながら、マルサは力強くそう言い切った。
「ああ、あと両家には『今日は長旅でお疲れでしょうからゆっくりお休みください』と伝えてくれる?」
「かしこまりました」
タモンの方を見ながら、にやりと笑ったように見えた。
そのままエリシアの体を脇に抱えるようにして引きずるように部屋を出ていってしまったので、一人残されたタモンはにこりと笑いながら手を振って見送るだけだった。
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