③ 達磨




***




 シカバネ町へ帰って来て一週間後。


 恭介は紙袋を持ってシカバネ町東部にある人恵会じんけいかい病院を訪れていた。


 人恵会病院はシカバネ町で最も大きく設備が充実している大病院である。


 世界でもトップクラスの医療技術を持ったこの病院の最上階、603号室に彼は用があった。


 人恵会病院で一般開放されているのは地上一階から五階。地下は研究施設だ。


 最上階である六階にはとある患者達が割り当てられている。


「悪いけど、部屋の前で待ってて」


「さっさと行きなさい。帰って来なくても良いわ」


「……」


 部屋の前にホムラとココミを待たせ、恭介は603号室へ入室した。


「……優花ゆうか、兄ちゃんが来たよ」


 お決まりの言葉。この部屋に入る時、恭介はいつも大体同じ様な言葉を口に出す。


 603号室は六畳ほどのスペースがあり、その中央に真っ白なベッドがあった。


 中央のベッドには少女が寝かされていた。瞳を開け、天井を見つめるだけの少女だ。


 この少女を少女だと、一部の人間は一見して認識できないかもしれない。それだけ少女の姿は異様だった。


 まず、少女にはが無かった。四肢があるべき場所には何のシーツの膨らみも無く、腕と足の付け根付近から消失している事は明白だった。


 次にその少女には頭にが空いていた。大きな穴だ。額を中心とした場所に空いた大穴からはいくつものチューブや端子が伸びて、ベッドの奥、部屋の半分を埋める機械に繋がっていた。


 奥の機械はそれぞれピ、ピ、ピ、ピと規則正しい音を立てていて、時折、少女の頭に空いた穴からブジュブジュと何かを注入する音が響く。


 彼女の名前は木下 優花。恭介のたった一人の妹である。


 人恵会病院の六階に割り当てられる患者は全て達だ。


「よっこらせっと」


 恭介は優花が寝るベッド近くに椅子を置き、そこに座った。


 実の兄が枕元に腰掛けたというのに、優花は何の反応を見せること無く、虚無の瞳で天井を見つめていた。


 当たり前だ。木下 優花という少女にはが《・》のだから。


「久しぶり。兄ちゃんさ、先週までフランスに行ってたんだ。これ、お土産のフラワーロックンロール。優花はこういうの好きだったろ?」


 それを誰よりも分かっていたけれど、恭介はそんな事何でも無いかのように妹へ話しかける。


 少女が異様な姿でさえなければ、海外旅行帰りの兄が土産話を妹へしている様な光景だった。







 木下 恭介の家族は七年前に崩壊した。


 当時、シカバネ町に住む高校一年生だった恭介にとってそれは突然だった。


 その頃、恭介は機嫌が悪かった。何ということはない。思春期特有のフラストレーションだ。


 それなりに品行方正な生き方をしていた当時の恭介は、これから先自分がどう生きていくのかを考える日々を送っていた。そんな中で、何か正しくない行動をしてみたいというある種の反抗精神がふつふつと上がっていたのである。


 だが、それは罪を犯したいとか、非行に走りたいとかではない。社会通念上、取るべき選択肢以外の何かをしてみたいと思ったのだ。


 たとえば、一度だけ授業をサボって見たり、テスト勉強をせずにカラオケに行ってみたり、友人達と隠れてアダルトビデオを見てみたり、そういったある種当たり前な欲求が当時の彼にはあったのである。


 彼はの両親は息子のそういう欲求を良く理解していて、正しい意味で放任していた。


 それを分かっていた恭介は、その日、学校からの帰り道、遠回りをしていた。


 普段ならば午後四時半頃には帰宅する予定だったが、この日はギリギリまで遅く、午後九時頃に帰る事にしたのだ。


 夜一人で出歩くのはシカバネ町においてとても危険であり、午後九時というのは未成年が外に一人で出る事を許可されたギリギリの時間である。その時間まで何かをする訳でもなく、ファストフード店で恭介は時間を潰すことにした。


 ポテトを摘みながら、スマートフォンを弄り、何かをする訳でもないその時間。


 受験を控えた高校生としては正しくない在り方。ちょっとした罪悪感。


 自分にはこういうのは向かないなと苦笑しながら理解して、恭介は何処か晴れやかな気持ちでファストフード店を出た。


 西区の住宅街。二階建ての一軒家。鍵を開け、軽く小言的な怒られ方をするかもなと何処かワクワクして恭介は「ただいまー」と予定通り午後九時頃に帰宅した。


 そして、彼が見たのは素体狩りにあった家族の姿だった。


 リビングで父と母がコンパクトに分解されていた。臓器は粗方抜き取られ、そこに残ったのは内臓以外のパーツだけ。


 おかしかった。西区の住宅街には重点的な警護が貼られている。それら全てを潜り抜け、こんな事に成っているなんて。


 これは夢ではないか? いや、夢ではない。微かに糞尿の匂いが混ざった猛烈な血の匂いは確かに現実だった。


 それを理解した時、恭介は吐いた。


 さっき食べたばかりのハンバーガーを全て吐き出して、口の中が胃液の味で満たされた時、はたと気付いた。


 リビングのパーツの数が合わない。あと一人、恭介の妹、優花の体がどこにも無かった。


 当時、優花は十二歳だった。活発だが大人びた子供で、来年には中学生の普通の子供だった。


 いや、一つ普通じゃない点があった。木下家の素体ランクは大体がE-。世界基準で見たらともかく、シカバネ町の素体としては下から数えた方が早い。


 にもかかわらず、恭介達が集合住宅では無く一軒家に住めているのは、優花に理由である。


 木下 優花の素体ランクはB-。世界で見ればトップクラスもトップクラスの素体でだった。


 恭介は妹の姿を探した。部屋を蹴破り、「優花ー!」と叫びながら。


 だが、結局何処にも妹の姿は見つからなかった。


 すぐに頭の中で理解した。


 妹は体ごとその全てが素体狩りにあったのだ。




 三年後、恭介はシカバネ町を出た。シカバネ町から遠く離れた大学を受験し、合格したのだ。


 結局、妹は見つからなかった。ハカモリはもう生きていないだろうという見解を出し、恭介もそうだろうと思っていた。


 大学生活は楽しかった。そう振舞う様にしていた。立ち止まっては家族の無残な姿が頭に過る。妹がどうなってしまったのかを考えてしまう。そうなっては動けなくなってしまうからだ。


 そして恭介が大学二年生となった時、すなわち、三年前、突如として、もう捨て去ったはずのシカバネ町から連絡が来た。


 曰く、妹の体が救出された。


 恭介はシカバネ町へ飛び、妹が収容されたという人恵会病院へと走った。


 妹の病室の前には説明役らしき褐色の女性が立っていた。


 その説明を無視して、恭介は半ば無理やり病室へと入った。


 そこには、四肢が捥がれ、頭に大穴が空き、機械に繋がれた妹の姿があった。


 恭介は頭が真っ白に成った。


 何だこれは? これを生きていると言うのか? あの活発だが大人びた妹は何処に行った?

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