④ 土産話を君へ

 曰く、四肢は外科的措置で切り取られたらしい。


 曰く、救出した時には、木下 優花の大脳は八割以上が消失していた。


 曰く、今繋がっている機械は、研究が始まったばかりの脳再生用補肉材を注入する装置で、木下 優花の脳を再生できないかを試している。


 恭介は呆然と渡された資料を読んだ。


 そんな恭介にアリシア・ヒルベスタと名乗った褐色の女が要求した。


『あなたの妹さんを私たちに売りませんか?』


『……は?』


 恭介はこの女が何を言っているのか分からなかった。


 アリシアはウフフと笑いながら言葉を続ける。


『まあ、ぶっちゃけてしまいますと、あなたの妹さんを研究材料にしたいわけです。Bランク相当の素体でこういう実験ができるのは貴重ですから』


『何を、言っているんですか? 優花を何だと思っている?』


 バサッ! 恭介は手に持っていた資料を床に叩き付けて憤慨した。


 だが、アリシアの態度は変わらなかった。


『お金は弾みましょう。一般的なサラリーマンの生涯賃金の五倍でも十倍でもこちらには用意があります。どうですか?』


『この上、優花を実験動物にするだと? 兄として許せるわけ無いでしょう!』


『でも、そこのそれはもう只の肉塊ですよ? 脳を取られ、四肢を失い、内臓だって壊され、あ、そうそう、そこの資料にも書いてあった通り、子供だって作らされた形跡が――』


『黙れ!』


 恭介はアリシアの首へと手を伸ばした。怒りに身を任せた行動で、殺そうとしていたのかもしれない。


 だが、伸ばした手はアリシアに軽くあしらわれ、バランスを崩し、地面へと叩き付けられた。


『うーん。強情ですね。シカバネ町に暮らしていたのにあなたは珍しい価値観の人のようです。分かりました。言い方を変えましょう。キョウスケさん、私達に任せてくれれば、妹のユウカさんは直せるかもしれませんよ?』


 床に背中を打ち、痛みの中で恭介はその言葉を聞いた。


『……どういう意味?』


『確かに私達は妹さんを実験に使いたい。けれど、その実験は全て新しい脳再生技術のための物です。あなたの妹さんはシカバネ町に集まった最高の研究者達が考案したばかりの世界最先端の脳再生技術を受けられます。その治療法が有効な物であるならば、妹さんの脳は再生され、また、眼を覚まし、言葉を話せるかもしれない。いかがでしょう?』


『それは不認可の物ですよね? 優花の体に害があるかもしれない』


『面白いことを言いますね。これ以上あなたの妹さんが壊れる余地があると思います? この生命維持装置を切ったら三十分もしない内にこの子は死んでしまうんですよ?』


 立ち上がり、恭介はアリシアを睨んだ。この女の言い分を頭の中で整理する。


 今、自分が持つ手札は何で、どの様な選択肢を取れるだろうか?


『あなた達に任せれば、優花は目を覚ますかもしれない』


『ええ、保証はできませんが』


『仮に、僕が優花をあなた達に任せないと言ったらどうなる?』


『残念ですが、我々は撤収し、この機材を停止させるでしょう。そうなったら、ユウカさんは安らかに死へと向かいます』


 恭介の頭の中に大学での楽しく過ごした日々が駆け巡った。


 今ここで、妹を見捨てれば、恭介は平々凡々な等身大で素晴らしい幸せを手にいれられるだろう。


 何だかんだでヒイヒイ言いながら日々を過ごし、それなりの満足を経て死ぬ。


 そんな日々は素晴らしかった。


――ああ、それは


 恭介は『ふー』っと大きく息を吐き、アリシアに行った。


『一つ聞きたい事があります』


『何でしょう? 私に答えられることなら答えてあげますよ』


『この優花に繋がってる機械。維持費はどのくらいですか?』


 意外な質問だったのか、アリシアは目を丸くして、少し考えた後、手元のスマートフォンに何か数字を打ち込み、恭介に見せた。


『正確なお金は分かりませんが、ざっと見積もってこれくらいですね』


『……なるほど。結構なお金だ』


 毎月掛かる維持費はかなりの高額だった。ただのサラリーマンの月収では到底賄えない程の値段。


『一つ、僕の要求を呑んでくれるのなら、アリシアさん、あなたの要求を呑みましょう』


『言ってみてください』


『優花をあなた達へは渡さない。代わりに僕がこの設備の維持費を賄います。それでどうでしょう?』


『……本当にあなたは面白い人ですね。お金はあるんですか?』


『ええ、ありますとも、父と母が残した遺産が。三年くらいならばそれで持たせます。後は僕が精々給料の高い会社に就職すれば全部解決です』


 恭介と目が合い、ウフフとアリシアは笑った。


『高給取りが良いならば、ハカモリはどうですか? 私が推薦してあげましょう』


『その時は頼むかもしれませんね』







「兄ちゃん、今回はマジで死んだと思ったわ。知ってる? 高さって地上から二百メートル以上いったらほとんど区別付かないんだよ」


 フランスでの土産話をしながら恭介はアリシアとの契約を思い出す。


 恭介の預金通帳からは毎月、木下 優花の入院費と言う名目で設備の維持費が引き落とされている。


 今まで累計で払ってきた金額を彼は意識しない。意識したらきっとこの妹を見捨ててしまいそうになるからだ。


 あの日、木下家が崩壊した日、恭介は正しくない行動を取ったから家族を守れなかった。


 いつも通り家に帰っていたからと言って家族を守れたとは思わない。死体が一つ増えるだけだとも分かっている。


 けれど、もしかしたら、何かが起きて妹を守れたかもしれないのだ。


 今度は間違えたくなかった。


 兄が妹を守るのは間違いなく正しいことだ。


 優花への治療と称された人体実験は少しずつだが成果を上げている。


 去年、とうとう優花が瞬きをしたのだ。生体反射の一つが復活したのである。


 このまま再生治療が続けば、いつの日か、優花は眼を覚まし、喋れるようになるかもしれない。


「――と、もう時間か」


 気づいたら面会時間を過ぎていた。恭介は最後に優花の穴が空いてない部分の頭を撫で、603号室から出ていく。


「それじゃあ、優花、また来るよ」




 バタンとドアを閉じると、ホムラが話しかけてきた。


「今のは妹?」


「うん。僕のね」


「そう」


 短い会話で、それ以上は続かなかった。ホムラはココミを抱き締め、ココミはそれに身を任せたまま、恭介達一人と二体はエレベーターに乗り、受付でチェックを済まし、人恵会病院を出て行く。


 時刻は午後四時。来た時と日の高さは変わっていた。


 そろそろ黄昏が押し寄せる時間だ。


「良し。帰るよ」


 そう言って恭介は背後のキョンシー達に振り向いた。


「……」


「……」


 二体のキョンシーに答える様子は無く、空を見上げていた。


 それにつられて恭介も視線を上げる。


 赤みがかった青い空。堕ちていけたらどれ程気持ちが良いのか。


「綺麗な空だね」


 本日は晴天なり。この空を愛しむべき妹が認識できる日は来るのだろうか。


 冷たい空へと恭介はゆっくりと息を吐いた。

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