⑥ 燕尾服は血で濡れて







――けられていますね。


 自分達を追う影にヤマダが気づいたのはアネモイを連れて歩き出した五分後だった。


 日が差して人々の往来が増えたモルグ島の石畳。活気付いた島民達。どこの地域でも〝死体〟の名を冠する町や島では、住民の顔が気力に満ちている。制度の差はあれど、身心の健康を最上位に作られた町なのだ。幸せに生きて、健康に住民達は死んでいく。


 そんな幸せな足音の中で、おかしな物が幾つかあった。


――数は五体。足音の重さからしてキョンシーは三体。ほぼ間違いなく改造されたPSI持ち。目的はアネモイでしょうか。


「セバス、少々足が疲れましタ。ワタシを抱えてくだサい」


「ええ、お望みのままに」


 掴んでいたアネモイのレインコートの裾を放し、セバスが先程の様にヤマダを抱き上げた。


 セバスの手が離れ、風船の様にフワフワと浮かぶアネモイのレインコートの裾を今度はヤマダの左手が掴んだ。


――ヘリウム風船みたい。


 資源が尽き、超高級品となったヘリウム。そのガスが入れられた風船をヤマダは何度か持ったことがあった。


 ヤマダ達の不審な動作に、背後の尾行者達に動きがあった。


――来ますね、これは。


「セバス、命令デス。気象塔まで走っテ。全速力」


「お嬢様のご随意に」


 ダンッ! セバスが石畳を蹴り飛ばし、加速した。それと同時に背後から島民達の悲鳴が上がる。


 ヤマダはミニバックから彼女専用のガジェット、大小さまざまなダイヤルが左右に付けられた武骨なゴーグル〝ラプラスの瞳〟を取り出し、装着した。


 刹那、ヤマダの視界が変化する。スカラーとベクトル、それら全てが表示された0と1の世界だ。


 セバスの肩からヤマダは背後を見る。三体のキョンシー、いずれも先日の襲撃者と同じ黒スーツを着て大型のハンマーを持っていた。


 キョンシー達は二体が左右に立ち並ぶ店の屋根に飛び乗り、一体が地上からハンマーを振り上げてヤマダ達を追っている。


 ダン! ダダン! 敵のキョンシー達の地面を蹴り出すスカラー量からヤマダはその体の改造度合いを推測する。


――身体改造はセバスよりも遥かに上。まあ、それは当たり前ですけど。音と重さからして体中が機械化されていますね、これは。


 幸い、ヤマダ達の進路を邪魔する者は居なかった。誰もが速やかに家屋内に逃げ込み、進路を開けたのだ。


――このまま全速力でセバスを走らせたとして気象塔に着くのに百五十秒から百六十秒。駄目です。三十九秒から四十一秒で追いつかれますね。


 ヤマダは脳内で計算する。最も生存率の高い選択肢は何だ?


『ワー! 早い早い!』


 アネモイは何が起きているのか分かっていない様で、ニコニコと笑うばかりだ。


『アネモイ、あなたは戦えますか?』


『遊ぶ? ぼくはいつでも大歓迎さ!』


『なるほど。これは計算に入れられませんね』


 不確定要素をヤマダは計算に入れない主義だ。それらはエラーパラメータとして入力に考慮するだけである。


 ヤマダが持つのはラプラスの瞳。流動的な未来計算を確定させる力を持っているのだ。


「セバス、PSI発動を許可しマス。ワタシ達を気象塔まで連れて行きなサイ」


「よろしいので?」


「えエ」


 ヤマダは右手でコート中のメイド服のボタンを外し、左首元をはだけさせた。


 白く美しい肌が陽光に晒され、首元から鎖骨をヤマダは一撫でする。


「さあ、


「ご頂戴いたします」


 セバスの唇が首元に触れ、ヤマダの肌が快感で泡立った。


 まるで情事の前の様。首元から脇腹、そして背筋にまでゾクリとした痺れが駆け巡る。


「あ」


 そう、ヤマダが声を漏らした瞬間だった。


 ズブリ。セバスの牙が柔らかく美しい肌を突き破る音がした。


 痛みと快感が同時にその体を駆け巡る。


 ゴクッ。ゴクッ。ゴクッ。牙か開けた穴から溢れる血液をセバスは喉を鳴らして飲み込み、そして嚥下した。


 そして飲み終わり、口づけをして主の首元からその顔を上げる。


 ヤマダの首元には今しがた牙によって開けられた穴が二つ空いていて、どういう理屈かそこからはもう血がほとんど溢れていなかった。


 すぐ背後には地上を走っていた敵のキョンシーが差し迫り、その大きなハンマーを振り上げていた。


「セバス、やっておシマイ」


 血の気が少し引いて、キョンシー程ではないが青白くなった顔でヤマダは号令する。


「仰せのままに、お嬢様」


 そして、セバスチャンの背中が




 その様を音で表現するならブシャアアアアアアアアという物だっただろう。


 セバスが来ていた真っ黒な燕尾服は弾け去り、真っ赤な液体がその老紳士の体から溢れ出す。


 液体は〝血〟だった。キョンシー用にあるまじき、真っ赤な鮮血がセバスの体から噴き出していた。


 だが、不可解なことに、背中、いや、全身から噴き出していた鮮血は地面に一滴たりとも落ちず、セバスの体にまとわりついて流動する。


 それはあたかも血で出来た燕尾服の様だ。


 直後、背後のキョンシーからハンマーが振り下ろされた!


 勢いは激烈で、セバスでは受け止め切れる重さではない。


Entangle絡め捕れ


 ヤマダの言葉と共に、鮮血の燕尾服の裾が分裂し、触手と成って背後のキョンシーの体に絡み付いた。


 血の触手は関節部を的確に捉え、ハンマーの軌道がズレる。


 ズッガアアアアアアアアアアアアアン! 石畳が割れる音がした。


 絡め捕られたキョンシーはバランスを崩し、転倒する。


 直後、家屋の上を走っていた二体のキョンシーが左右からヤマダ達の少し先に飛び降りた。


 既に二体はハンマーを振りかぶり、その周囲で強烈なPSI力場が生まれていた。


――テレキネシス。


 PSI力場のパターンからヤマダは判断する。放たれるのはテレキネシスの力球だ。


 前方のキョンシー達の周囲に合計六つの力球が生まれた。一見、無色だが、PSI力場の勢いは猛烈であり、重さを持たず仮想の質量を持った矛盾の塊がハンマーによってヤマダ達へ射出される。


 ダダダ! 赤い燕尾服の老紳士の動きに止まりは無い。ただ、主に命令通りに全速力で駆けて行く。


 オオオオおおおオオオおおおおおおオオオ!


 オオオオおオオオおおおおおおおおオオオ!


 オオおおオオおおおオオオおおおおオオオ!


 オオオオおオおおオオおおおおおおオオオ!


 オオオオオオオおおおおおおおおおオオオ!


 オオオオおおおオオオオオオおおおおおお!


 力球達の狙いは正確でヤマダ達の胴体、すなわち重心位置へと向かってくる。


 九体は大きい。セバスのジャンプ力では避け切れない。


Arch跳べ


 再びのヤマダの命令にセバスの赤い燕尾服がまた変化した。バシャリと前方へ伸び、高いアーチ状の形を瞬時に形成する。


 瞬間的にできたその足場を駆け上がり、セバスは空高くジャンプした。


 足先がギリギリで力球を通過し、直後、血で出来たアーチが形を崩してセバスの燕尾服に吸収される。


 前方の二体のキョンシーは淡々とハンマーを振り上げ、向かってくるヤマダ達へ突撃してきた。


Splash弾けろ


 三度の命令。直後、セバスの方から拳大の血の砲弾が射出され、二体のキョンシーとの距離二メートルの場所で爆発した。


 バッシャアアアアアアアアアアアアアア! どこにその質量を隠していたのか、一帯は血で染まり、摩擦係数が減った地面に敵のキョンシーがスリップする。


 ダダダダダダダダ!


 老紳士はそのまま倒れている二体のキョンシーをハードル走の様に跳び越えた。


『わ、すごいすごい! 大道芸だ!』


 ヤマダの左手に掴まれ、フワフワニコニコと浮いているアネモイが場違いな拍手をする。


――まだ、追ってきますか。


 敵のキョンシー達はすぐさま体勢を立て直し、ヤマダ達を追う。


 気象塔まで後九十秒弱。まだ、逃げ切れていない


 けれど、ヤマダは微笑みを忘れない。今、彼女は恍惚の中に居た。


「いエ、これはハイドロキネシスですヨ」


 血の気が引いたままヤマダはアネモイの言葉を訂正する。興奮してしまい、フランス語で話すことも忘れていた。


 血液、それもヤマダの物が混ざった液体を対象としたハイドロキネシス。それがセバスチャンのPSIだ。


 セバスが自分の血を嚥下して、自分の一部を取り込み、そしてこのPSIを使う。その様にヤマダは体が締め付けられる様な快感と恍惚と興奮を覚えるのだ。


 さあ、追手よ。もっと激しく来い。もっとワタシ達を溶け合わせてくれ。


 ヤマダは尚向かって来る追手達へ感謝した。


「さ、セバス、見せてごらんなサイ。あなたとワタシの血の力ヲ」


「ご覧くださいませ、お嬢様」

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