④ たった一つ




***




 ズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキ!


 ネジを抉り込んだ様な痛みがココミの頭を包んでいた。少しずつ、少しずつ、頭の中に抉り込んでくる不可視の無数のネジがココミの頭に刺さっている。


 【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


 白いムービングチェアに座ったココミの眼前で、ホムラが薄紫色の修復液に満たされたカプセルの中で眠っていた。蘇生符以外の衣服は脱がされ、頭に何本ものチューブが刺さったヘルメットが被せられている。


 ココミ達がマイケルに会った次の日にはホムラの治療が本格的に開始した。


――おねえちゃん。


 ココミ達が居るのはマイケルの研究室の奥にあるキョンシーの修理部屋の一角。


 ホムラが入れられているのはリペアカプセル。エリクサーver3(命名マイケル)こと有機物修復用分子機械の修復液に満たされた容器で、キョンシーの体を修理する設備だ。


 ホムラの頭にもエリクサーがマイクロリットル単位で少しずつ入れられている。


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


「うーむ。悪化はしてないけど、少ししか回復してないな」


 リペアカプセルから送られてくるホムラの脳の情報をパソコンでモニタリングしながらマイケルはマウスをカチカチとクリックしてエリクサーの配合比率を変化させる。


 脳以外の破損であれば、キョンシーの修理は簡単だ。最悪、補肉材で隙間を埋めカーボンナノチューブで筋を繋げれば良い。


 だが、脳の破損の修理はそう簡単ではない。刻一刻と変化する修理段階に合わせた成分調整をされたエリクサーの配合が必要である。


 マイケルがやっているのは正にそれだった。


 マイクロリットル単位でのエリクサーの成分調整をほぼリアルタイムでやる必要がある。


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


 返ってくるパラメータから修復の度合いを推定し、多過ぎても少な過ぎてもいけない絶妙な量のエリクサーを配合する。


 キョンシー技師の中でも限られた職人しかできないのが脳の修理なのだ。


「はっは、こりゃ、やっぱ時間かかるぞ~?」


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


 芳しくない回復結果にマイケルは楽しくなり、パソコンへとかじりついた。


 顔は喜色に満ちていて、面白いパズルを見た少年のようだ。


「治せるん、でしょ?」


 ズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキ!


 声を出すだけで杭が打ち込まれる様な痛みがココミの脳に響いた。


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


 ココミは頭を抑えて体を丸くし、目線だけはホムラへ向けた。


「直せるぜ~。俺はシカバネ町ナンバーワンのキョンシー技師だからな~」


 マイケルの言葉は本心だ。わざわざ聞く必要が無いことだとココミは分かっていたけれど、言葉にして確信が欲しかったのだ。


「ま、直せる時間に大差は無い。早くて三ヶ月だ」


「そう」


 それだけ答えてココミは口を閉じた。


 ズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキ!


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


 少し話しただけで、喉の振動が頭に響いただけで、痛みが増した。


「……」


 頭を抑えようと、何をしようと、頭蓋の内側をミキサーに掛けられたごとき痛みや、酩酊感にも似た目眩がココミを襲い続ける。


「……」







 二日の時が経った。


 ズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキ!


 ズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキ!


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


「……」


 ココミはあれから身動ぎもせず、ジッとリペアカプセルの前で座っていた。


「おいおいー、お前も修理しとうこうぜ? どう見ても修理が必要だ。俺の言葉だから間違いない。専門家の意見はちゃんと聞いとけよ。大丈夫だって、ちゃんとお前の姉ちゃんは直してやるからさ」


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


「……」


 心配するマイケルの尤もな提案を、ココミは首を小さく横に振ることで頑なに拒否する。


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


「ん。まあ、分かった。お前の言うとおりにしようじゃないか」


 マイケルは彼らしくない謙虚さで、それ以上の提案を続けること無く、ホムラの脳内データをモニタリングしているパソコンデスクへと戻る。


 ズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキ!


 ズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキ!


 ズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキ!


 首を小さく二、三センチ振っただけで痛みが増し、ココミはジッと眼を閉じる。


 ノイズの嵐が弱まるのをただ待つのみだ。


 ココミが眼を開けられるほどに嵐が弱まるのに二十七分の時間を要した。




 ズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキ!


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


 ズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキ!


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


 痛みとノイズと吐き気の嵐に飲み込まれながらもココミは何とか眼を開き続ける。


 視界の中央には愛しい愛しい姉の姿。


 それは錯覚なのだろうが、ホムラを認識している間、ホムラのことだけを考えようとしている間だけ、ココミは乱雑な嵐の中で立つことができるような気がした。


 ホムラという光が差す時だけ、ココミは世界の中に居ることができる気がするのだ。


――おねえちゃん。


 起きて、とは思わなかった。


 喋って、とは願わなかった。


 自分がそれを持ってしまったら、それがこの愛しき相手に伝わってしまったら、この姉は起き上がり、自分諸共世界を焼いてしまう。


 それは駄目だ。それだけは駄目だ。ホムラはココミの〝たった一つ〟なのだ。


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】


 ズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキ!


 ズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキ!


 ズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキ!


 痛い、ネジが、何本ものネジが脳の中へ抉り込んで行く。


 だが、耐えられる。これならばまだ耐えられる。


 ココミの脳の試算では、後一週間もすれば自分が壊れると予測していた。


 けれど、大丈夫だ。きっと耐えられる筈だ、とココミは姉の姿を脳裏に浮べながら、そう信じた。




【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――】




――あ、まずい。


 ココミは突如立ち上がった。とある来訪者を察知したからだ。


 来訪者は真っ直ぐにキョンシー犯罪対策局の研究棟六階へと向かって来ている。マイケルに会う為だ。


 ズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキ!


 ズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキズキ!


 ココミは急いでマイケルへと目線を向け、脳で走り回る激痛を無視して、PSIを発動した。


 イトの力場が真っ直ぐにマイケルの頭へと繋がる。


「ん? 来たか?」


 マイケルはパソコンに表示された通知から来訪者の存在に気付いて立ち上がり、ココミ達が居たリペアルームから出て行く。


――間に、合った?


 ココミには判断が付かない。自分のPSIが上手く作動したのかどうか精査する時間が無い。


 祈るしかなかった。


 ココミはホムラを見つめ、両手を握り締めて額の蘇生符へと当てた。

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