③ 燃え盛る夢




***




 時刻は少し遡り、霊幻が野良キョンシーを取り逃がした直後へと場面は変わる。


 炎上する廃工場に眼も向けず、とあるキョンシーがもう一体のキョンシーを抱えてシカバネ町南部を走り抜けていた。


 二体のキョンシーは少女の風貌をしていて、その容姿は恐ろしいほど似ていた。


 彼女達こそが先程霊幻が相対した野良キョンシーである。


「はぁ、はぁ、はぁ!」


 走る走る走る。速度は人間の限界を遥かに超え、そのキョンシーが身体に金属を入れた改造キョンシーであることは明白だった。


 夜のシカバネ町を出歩く者は居ない。それはこのキョンシーがシカバネ町に来て一週間目に知ったことだった。


「大丈夫、大丈夫よ! わたし達はきっと大丈夫なのよ!」


 キョンシーの声は少女の物だった。


 果たしてその声は誰に向けての物だったのか。答えを出すモノは誰も無い。


「……」


 抱えられたキョンシーは沈黙し、ただボウッとした眼を夜空へ向ける。


 この日は日夜問わずの晴天で、月がとても綺麗だった。


 彼女達は逃げていた。


 何から? と聞かれたら全てから。


 何処へ? と聞かれたら理想郷へ。


 目的地はとっくに決まっている逃避行。


 大それた物を望んでいない。ささやかな、誰にも何にも迷惑をかけない願いごと。


 ただ、目的地への行き方だけが、どう計算してもそのキョンシーの頭には出て来なかった。


「ああ、もう、どうすれば良いの!? どうすればわたし達は!? どうすれば!?」


 思考はループ。


 試算は無限。


 行き止まりの逃避行。


 されど、求める世界は煌いて。


 故に目指す歩みは止められず。


「どうすれば、どうすれば、どうすれば!?」


 そのキョンシーは燃え盛る夢を見るのだ。







 二体のキョンシーは工業地帯一帯のゴミを集める埋立地にぽっかりと空いた小スペースにて座り込んでいた。


 周囲にはもう使われなくなった重機やパソコン等が無造作に置かれ、打ち捨てられた錆びた小トラックもあった。


「はぁ、はぁ」


「……」


 片方のキョンシーは息を切らしてバクバクと生前反射で酸素を求めて口を開き、もう片方はただただ無言だった。 


「……ココミ、平気?」


「……」


 相方からココミと呼ばれたキョンシーはコクリと頷き、呼んだ方のキョンシー、ホムラは「はぁー」っと息を整えた。


「ああ、良かった良かった良かったわ。あなたが無事で。何なのかしらあのマント。わたし達の愛の巣へ押し入るなんて何の了見が有ってそんな蛮行をするのかしら。むかつくむかつくむかつく。折角ココミと寝ていたのに。良い気持ちだったのに」


「……」


「ええ、ありがとうココミ。わたしは大丈夫よ。全然問題ないわ。だってオネエチャンだもの。あなたのこの世で何よりも美しいココミのオネエチャンだもの。オネエチャンは無敵よ。絶対に負けないの。あなたは安心してわたしの後ろで隠れていて。さっきは助かったけれど、もうあんな風に力は使っちゃ駄目よ。あなたの綺麗な耳が可愛い瞳が汚物に塗れた世界を見るなんて勿体無いわ。ええ、大丈夫大丈夫大丈夫よ。次は確実に燃やし尽くすから」


 ホムラは一方的にココミへと喋り倒した。口調は澱みなく、言葉はメラメラメラメラと炎の様に逆巻いてホムラの言葉は世界を燃やしていく。


「ごめんなさいごめんなさい。あなたに力を使わせてしまって。わたしの所為だわ。わたしの愛が足りなかった所為だわ。いえ、ココミ、勘違いしないであなたを愛していないって訳じゃないの。あなたならそれは分かっている筈だけど。わたしの炎の使い方が下手だったから。もっとわたしが強くてあんな肉袋一瞬で灰にできれば良かったの。ああ、もう、何であいつらはもっとわたしに出力を与えなかったのかしら。電極の一本や二本追加で頭にぶッ刺せば良かったのに!」


 ホムラはユラユラと頭を振った。


「ええ、そうよ! そうよそうよそうよ! あいつらがそもそも悪いのよ! わたしからココミを! ココミからわたしを! 引き剥がそうとしたあいつらが! あいつらは黙ってわたし達を放っておけば良かったのよ! あの部屋でわたしとココミを二人きりにすれば良かったのに! あの汚物達は! あのおぞましい汚物達の所為で! ココミをこんなゴミ捨て場に連れてきてしまった!」


 ホムラは立ち上がり頭を振り乱した。表面が焦げた彼女の蘇生符が揺れ、月光を反射する。


「……」


 ココミは無言のままであり、ジッとホムラを見上げ、ホムラの右手を握った。


「ああ、ああ、ああ! ココミ! わたしの太陽! わたしの炎! あなたはこんな駄目なわたしを許してくれるというの!? ここに、このシカバネ町に来れば幸せに成れるってわたしの戯言を信じて付いて来てくれて! それでもこんなみずぼらしい逃亡生活を強いられているあなたが! あなたは女神よ駄目よあなたは自分の事だけを考えて! あなたの幸せだけを考えて! この世界で価値があるのはあなただけなのだから!」 


 ホムラの語気は逆巻く炎の様に苛烈さを増し、その額の蘇生符が淡く発光した。


 ゴォ! ホムラの背後の空間に一瞬炎が生まれ、そして何にも着火せずに地面へと落ちた。


「……ああ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。少し熱くなってしまったわ。そうね。ココミの言うとおりよね、ここで力を使ったらすぐに汚物共が寄ってくるわよね。あなたを奪いに、あなたを壊しに」


 ホムラは片膝を付いてココミを抱き締めた。


「ねえ、ココミ、安心して」


 その抱き締め方は苛烈な言葉とは裏腹に、硝子細工を触るかのように弱々しかった。


 ホムラの体にはガタが来始めていた。山奥の研究施設から逃亡し、キョンシーの保護をしているというこの町に辿り着くまで凡そ百キロの道のりをココミを連れて徒歩で踏破した。


 挙句の果てに先ほどのマントのキョンシーとの戦闘である。


 体と脳の両方の限界が近い。通常ならばすぐにメンテナンスをしなければ成らない程のダメージが溜まっていた。


 それでも、ホムラの頭には愛しい妹しか無かった。


「あなたを受け入れない世界なんてわたしが全部燃やしてあげるから」

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