④ この世で一番美しい関係







 数日後、深夜一時。


 ホムラとココミはシカバネ町西区を歩いていた。


 手を繋いで仲睦まじく歩く姿は、頭に蘇生符さえ貼られて居なければ写真に収めたいほどに微笑ましい絵面だ。


「~~♪」


 ホムラは夜のデートに機嫌良く鼻歌を歌っている。


「……」


 対してココミは口を閉じたまま人形の様に黙っていた。


 ホムラ達は強盗に来たのだ。


 人間の様な食事は要らないとしてもキョンシーの体を動かす為にはエネルギーが必要である。


 それは別にジュースなどの飲料でも良く、ホムラ達は脅し取った金で自販機からカロリーの高い飲料を購入していた。


 本当ならばキョンシー用のエネルギー飲料水『神水』を飲みたかったのだが、それらは直営店でしか購入できない。


「ココミ、どの家に行きましょうか、できれば幸せそうで家族仲が良さそうな家が良いわ。姉妹仲が良ければ尚良し。どこにしようかしら~」


 軽快な言葉と裏腹にホムラの足取りはふらふらだ。


 圧倒的なエネルギー不足に加えて整備不良。眼球の光感知機能が下がり、右手が上手く動かなくなっている。このままでは遠からずホムラの稼働は停止する運命にあった。


 西区の住宅街。生体置き場と称された家々の窓からは光が溢れ、子供達の声をホムラの聴覚は察知した。


「あ、あそこが良さそうね。ココミ、見てみてあの家、子供達の声が聞こえるわ。数は二つ。両方とも女の子。仲が良さそうね」


 ホムラが指差した先をココミが緩慢な視線で追う。確かにそこには一軒の家があった。三階建てで、一階二階から光が漏れている。


 テクテク、ホムラ達は玄関ドア前で立ち止まる。確かに中からは家族団欒の声が聞こえた。


「さて、それじゃあ、お金をいただきましょう」


「……」


 コクリとココミが頷いたのを見届けて一呼吸。


「せいやっ!」


 ホムラは気合を入れて玄関ドアを蹴破った。







 幸いにして住民は従順だった。玄関から押し入って来たホムラとココミに『何だ何だ?』と言ってきたが、掌から火を生み出すホムラの要求を速やかに受け入れた。


『お金と綺麗な毛布を渡しなさい』


『ええ、ええ、分かりました』


 父親に母親、それに二人姉妹の四人家族だった。彼らはホムラの要求通りテキパキと要求の品物を渡した。


「こんな事なら玄関ドアを壊さなくて良かったかもしれないわね」


「……」


 西区の外れ、そろそろ南区へ移るという辺り、ホムラは右手にジュース缶を包んだ毛布、左手でココミの右手を握り、ランランランと歩く。


 後三十分も歩けばホムラ達は愛の巣へと帰れる。


「ねえ、ココミ、見たかしら? あなたはちゃんと見たかしら? あの家の姉妹達。仲が良かったわねぇ。とてもとてもとても良かったわ。お姉さんが前に立ってわたしから妹を守ろうとしていたわ。妹はそんなお姉さんを支えていたわ。綺麗な光景だったわ。美しい光景だったわ。何て美しい姉妹愛。わたし達には負けるでしょうけど。やっぱり姉妹なのよ、この世で一番美しい関係は」


 ホムラの機嫌は良かった。見たかった物を見られた。上機嫌に成らない方がおかしい。


 フンフンフーン。鼻歌は軽快であり、聞いている方が楽しくなってくる音色を奏でていた。


「……」


 ピタッとココミが歩みを止めた。


「……あら? どうしたのココミ? ……なるほど?」


 何か納得したホムラの瞳がスゥッと細まった。


 一歩。ホムラはジュース缶を包んだ毛布をココミへ手渡しながら前に踏み出し、愛しい妹をその背に隠す。


 視線は前方三十メートル先の曲がり角。十字路の交差点。


「ココミ、ちょっと我慢してね」


「……」


 コクリと妹が頷いたのを見届けて、ホムラはココミの腰へ左手を当てて抱え上げた。


「スー、ハー」


 大きく深呼吸。最悪無酸素でも動けるキョンシーとしてこの行為に大きな意味は無い。


 体が覚えていた行為だった。


「行くわよ、ココミ」


「……」


 ココミの両腕が首に回され、ギュウと抱き締められる感触を合図にホムラの蘇生符が赤く輝いた。


 ゴウ! ホムラは前方十メートルの場所に幅七メートル高さ八メートルの炎壁を生やした!


 炎壁は道路を分断する!


 即座にホムラは背後へと振り返り、元来た道を走り戻った。


「イルカくん! 押し流して!」


「おっけー」


 背後から女性と声変わり前の少年の声が聞こえる。


 ザッパアアアアアアアン!


 走りながらチラリと振り向くとそこには小規模な津波に掻き消されるホムラの炎壁があった。


 今は晴れており、冠水する様な豪雨は降っていない。


 ハイドロキネシス!


「ちっ」


 相性の悪さにホムラは歯を噛み締めた。水使い。それも出力は十二分。


 水流を辿ると、パンツスーツ姿のヘアバンドを着けた女と水色のパーカーを着けた十歳程度の少年のキョンシーが居た。


 水流はパーカーのキョンシーの両手から噴き出している。


 ぼやけたピントを無理矢理合わせてそれだけを判断する。


 勝ち目はある。ココミを抱いているのだ。負ける筈が無い。身を犠牲にすればあんなキョンシー程度消し炭にするのは容易い。自分の愛が負ける筈が無いのだ。


「……」


「ええ、そうね。大丈夫よココミ。分かっているわ」


 妹にホムラは「安心して」と声を掛ける。


 逃げるべきだ。妹と少しでも長く一緒に居たいのならば戦闘をしてはならない。


 自分の体はもう限界なのだとホムラも分かっていた。PSIも使うべきではない。脳細胞がぐずぐずに溶けていくのが分かる。


 ザアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア! 津波はみるみるホムラ達を飲み込まんと近付いて来る。


 さあ、何処に逃げる? ホムラは逃げ道を探す。視界は暗く、裏道などが良く見えなかった。


 だが、ホムラの腕の中には愛しい妹が居る。


「……」


 スッとココミが指を指した。咄嗟には分からないが、そこには薄暗い裏道があった。


 裏道の先がどうなっているのかは分からない。


 迷わずホムラはその裏道へと体を飛び込ませた。


 妹が選んだ道である。疑う余地が有るだろうか。




 裏道は住宅と住宅の間で入り組んでいた。月明かりが屋根に遮られ所々でホムラの視界は零となる。


「あっちね! そしてこっちね!」


 そんな斑でモノクロな世界の中、ホムラは疾駆する。


 裏道はランダムに入り組み、行き止まりが多数。如何なる技か、ホムラは右に左、正解の道だけを選択し続けていた。


「待て!」


「まてー」


 サーフボードに乗った先程の二人組みが水流に乗って追い掛けて来る。


 水流はホムラ達が通ったルートを全て洗い流しながら迫って来た。


 あの水塊に捕まったら終わりだ。一度としてホムラは経路選択を間違えては成らない。


 ホムラと追手の移動はほぼ同等の速さか、ホムラの方が少し遅い。


 最初にあった距離のアドバンテージは徐々に無くなっていく。


――どうする? どうすれば?


 今は姉妹の愛の力で何とか逃げられている。


 だが、このままでは駄目だ。何か明確な足止めが必要だ。


 チラッとホムラは脇に流れていく家々を見た。


「……」


「そうね! これしかないわね!」


 瞬間、ホムラの蘇生符が再び強く発光する。


 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオウ!


 前方の右と左の家が同時に爆炎に包まれた!


 ホムラの視界が更に一段階暗くなる。いよいよ視覚としての体を成さなくなってきた。


 耐火設備が為されている筈の二つの家は脆くも崩れ去り、ホムラ達が通り去った直後にガラガラと崩れ落ちた。


「消火!」


「りょうかいー」


 果たして、追手は追跡ではなく救出を選択した。


 突如として燃え落ちた家屋に取り残されたであろう住民を救うために、パーカーのキョンシーは両手より今までで一番大きな水塊を放つ。


 と言うのに。


「良し! 流石ねココミ!」


「……」


 思わずホムラは右手を握った。


 火はすぐに消されるだろう。


 だが、足止めには十分だった。


 必要だったのは一度でも追手の視界から逃れる事。それさえ出来れば逃げ切れる。


 なぜなら、愛しの妹を抱えているのだから。


 今一度、ホムラは両足に力を込めて、裏道をジグザグに走り抜ける。


 端から見れば無作為。いつか必ず行き止まり。


 けれども、たったの一度もホムラ達は立ち止まらず、とうとう裏道を抜けた。


 ギシィ!


 ホムラは膝の関節が軋む音が響く。


「……」


「大丈夫。大丈夫よ。わたしは絶対にあなたの前から居なくならないから」


 月明かりがホムラ達を照らした。


 妹の白い瞳がホムラを見つめている。


 ホムラはニッコリと笑ってシカバネ町を駆け抜けた。







「つい、たぁ」


 埃臭い仮宿たるゴミ捨て場の一角。比較的綺麗なブルーシートが轢かれた場所。綺麗な花が添えられたホムラとココミの愛の巣。


 どさぁ。そこへホムラは倒れ込んだ。直前にココミを優しくブルーシートの上に降ろして。


「はぁ……、はぁ……、はぁ」


 無理をした。パイロキネシスは最低限で済ませられたが、それでも視界は更に悪くなっている。


 ホムラは色が分からなくなっていた。虹彩の光感度も更に下がった。もう三メートル先もまともに見えない。


 身体も深刻だった。膝関節が壊れかかっている。右腕はもう駄目だった。僅かに残っていた感覚すら無い。


「……」


「心配しないで。全然問題ないわ。こんなのどうって事無いから」


 ココミの眼にホムラは笑って答える。ホムラはどうでも良かった。自分の体がどうなってもそんな事は些事だった。


 なぜなら、ホムラの心には未だ燃え盛る愛がある。


 月明かりがブルーシートを照らす。そこは天使の座るサファイアのベッドだった。


 ホムラは左手で天使を抱き締めた。


「ああ、ああ、ああ! ココミ、ココミ、ココミぃ! 愛しているわ! 愛しているのよ!」


 ホムラが恐れる事は唯一つだけ。


「怖いわ。本当に怖いのよ。わたしは後どれだけあなたを覚えていられるの? わたしは後何度、炎を放てるの?」


 ホムラの愛は未だ燃えている。熱く激しく逆巻いて。苛烈な熱が胸を焦がしていた。


 だが、ホムラには実感があった。PSIを使う度、頭の中から色々な物が焼け落ちていく。


 ホムラはココミと逃げてきた。そう、逃げてきたのだ。


 一体、それは何処から逃げてきたのか?


「……」


「ええ、そうね、そうよ、そうだったわ。あのゴミみたいな研究所から逃げてきた、のよね。そうね。そんな気がしてきたわ」


 記録からの記憶の復元ができなくなった。


 ココミとの忘れてはいけない、忘れる筈が無い想い出が、所々焼け焦げている。


「忘れたくないわ。失いたくないわ。ああ、でも、ええ、大丈夫よ。あなたを護れるのだから、あなたと一緒に居られるのなら、怖いけれど惜しくないわ」


 そうホムラの思考回路は結論付けた。


 掛け替えの無いホムラの大切な宝石。


 それを消し炭にすることでこの陽だまりを守れるのであれば、迷う余地は無かった。


 グラッ。視界が揺れた。ホムラの焦げかけた脳は計算する。


「ごめんなさい、ココミ。少し眠るわ」


 十秒後にホムラの意識は強制スリープに入った。

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