② 雷VS炎







 ピチョン。ピチョン。ピチョン。


 午後十時。三つ目の廃工場内を霊幻は歩く。


 送電線は切れており、割れた窓からの月明かりだけが光源だった。


 嗅覚が埃とカビを察知する。


 霊幻は左目の視覚へと意識を向け、そのチャンネルを切り替えた。


 途端、霊幻の視界が変化する。可視光から赤外光へ虹彩の感度領域を入れ換えたのだ。


 ナノメートルからマイクロメートルまでの電波を色付けしてマッピングしていく。


 世界は暗くなり、熱が色を持つ。遠近感は消失し、可視と不可視の二つの世界が重なった。


「さて、野良キョンシーは居るか?」


 廃工場を練り歩き、霊幻は蘇生符が出すマイクロメートルの電波を探す。


「もしも、居るのであれば投降を勧める」


 虚空へと呼び掛けるが返事は無い。


 この廃工場は半導体メモリを作っていた場所だったようだ。量子メモリが加速的な発展を見せる世の中。半導体工場が潰れるのは珍しくない。


 幾つかのフロアを通り過ぎ、おそらく製品を梱包するフロアに入った時、霊幻は足を止めた。


 左目が蘇生符のスペクトルを感知する。キョンシーがこのフロアには居た。


「出てくるのだ」


 言葉が通じる保証は低い。


 だが、無言で紫電を放つのは暴力である。それはいけないことだった。


 一歩、霊幻は足を進める。蘇生符の反応はフロアの奥からだ。距離にして三十メートル先。


「三秒以内に返事をするのだ。さもなくば撲滅対象と定める」


 一歩。


「一」


 二歩。


「二」


 三歩。


「三」


 ゴウ! 霊幻が左足で踏んだ正にその場所から火柱が上がった!


 微かなPSI反応! パイロキネシス!


 火は舐めるように霊幻の体を這い、皮膚に食い込まんとする。


「ハッ!」


 霊幻は後方へ跳ねながらマントを振るい、炎を掻き消した。


「なるほど。撲滅を希望か!」


 着地し、即座に霊幻は前方へ突撃する。


 撲滅の相手である。霊幻が倒すべき相手である。


「ハハハハハハハハハ!」


 相手は即座に反応した。


 ゴウ! 炎の壁が霊幻の前方三メートルに生える!


 高さ四メートル、幅六メートルの炎壁だ。


 視界の左にはベルトコンベア。右には壁。


 霊幻に取れる選択肢は四つ。


① このまま壁へと突撃する。


② 壁を飛び越える。


③ 左に跳び、ベルトコンベアを渡って突撃。


④ 右の壁と紫電のクーロン力を利用した壁走り。


 どれを選ぶかが重要だ。


 パイロキネシスト相手に長期戦は不毛。


 一瞬の思考。


 ダァン! 霊幻は右にジャンプした。霊幻の紫電をこのパイロキネシストは未だ見ていない。


 壁へと紫電を放ちスポットを作る。それと同時に霊幻の両足が帯電し、クーロン引力を用いて壁へと着地した。


 しかし、


 ゴォウ! 着地と同時に、再び壁から火柱が上がった!


「むっ!」


 霊幻が着地したのと火柱が上がったタイミングは全くの同時。


 ジュッ! と霊幻の合成皮膚の蛋白質が変性する。


 このままでは機能に障害が出るのは確実だった。


 バチバチバチバチバチ! 霊幻は体を包み込む様に紫電を纏った。


 紫電は霊幻の皮膚を這い、炎がバリアに弾かれた様に体からスルリと外れ、霊幻が壁から離れて元の床に着地した。


 霊幻の顔面にも紫電が伸びた影響で左目のセンサーが稼動しなくなった。


――動きを読み切られた?


 霊幻は眉根をひそめる。火柱のタイミングがあまりにも完璧過ぎたのだ。


「ちっ!」


 部屋の奥から女の舌打ちの音がした。苛立たし気だ。今の炎で決められなかったからだろうか。


 その直後である。


 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!


 千平方メートルはあろうかというフロア全体が巨大な炎で包まれた!


「何と!?」


 霊幻は感嘆する。比較的広範囲である傾向が高いとしてもこの出力はパイロキネシスとして一級だった。


 これほどの出力長くは続かない。意図は何だ?  


 全身に紫電を纏い、霊幻は前方へと走り寄る。


 だが、相手の方が一手早かった。


 霊幻が部屋の奥に到達した時、そこには何も無かった。


 周りを見ても炎壁に阻まれ、三メートル先も見通せない。更には炎のPSI反応は弱まっている。パイロキネシストのキョンシーがこの場から離れた証左だった。


 バチバチバチバチ、バチ。


 霊幻の出力もそろそろ限界である。火の海の中で霊幻が活動する為には全身に紫電を纏わなければならない。この出力は百八十秒しか続かないのだ。


「取り逃がしたか」




***




「あんたから逃げ切ったの?」


「そうだ。吾輩のスペックではあの状況からの追跡は不可能だった」


 次の日の早朝。京香は告げられた情報に眼を丸くした。


 第六課のオフィスにはいつもは居ない水瀬と充、そしてイルカが来ていた。


 三人、いや、二人と一体は霊幻の情報を共有しに来たのだ。


「霊幻、お前からの情報をもう一度まとめて言え」


 水瀬が白髪頭を叩きながら眼光を鋭くする。


「良いだろう。

 あのキョンシーはパイロキネシストだ。

 舌打ちをしたことから自律型。

 パイロキネシスはおそらく設置型。任意の地点に火柱を生む能力だと思われる。

 そして、これが問題だ。吾輩の動きが完全に読み切られた。

 以上。詳しくは第二課に渡した左目の映像データを見てくれ」


「やっぱり噂の野良キョンシーでしょうね。南区に隠れてるって読みは当たってたかー」


 充がイルカの柔髪を撫でながら、「うんうん」と頷く。


「問題は霊幻から逃げ切れたって事ね。霊幻、仮にタイマンで戦った場合勝てる? どちらかの逃亡は無いものとして」


 京香の言葉に霊幻は「ふむ」と少し考える素振りを見せた。


「今の時点では分からん。あのキョンシーは吾輩の動きを読み切った。あの火柱のタイミングは完璧だった。演算の性能で負けているかもしれん」


「それが問題だ。霊幻、お前は俺達が保有するキョンシーの中で最も戦闘技能が高い。そのお前に戦闘IQで勝てるとは考えづらい。何かカラクリがある筈だ」


 霊幻の戦闘偏差値は世界で見ても有数である。高々野良キョンシーが逃げおおせたという事実が京香には今でも信じられなかった。


「どちらにせよ、警戒レベルを引き上げる必要が有るわね」


 京香の言葉に反論する者は居なかった。

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