第12話 ビルの影

「「「ありがとうございました!!!」」」


 途中で休憩を挟みつつ、どうにか無事に今日の部活が終わった。

 蒸し暑い体育館の中でも面を外しただけで涼しく感じる。

 その清涼感はほんの一瞬で終わり、今度は早く着替えてエアコンの効いた場所に避難したくなる。

 人間って欲張りな生き物だ。

 

 ちょっと哲学しながら更衣室に向かう途中でお兄ちゃんに声を掛けられた。


「さっきハルと休憩してたけど具合はいいのか?」

「うん。百井ももい先輩……っていうかお兄ちゃんか。お兄ちゃんのおごりでお茶もご馳走になったしね」

「僕のおごり?」

「そうそう。妹さんの分はお兄ちゃんが払わないとね」


 兄妹の団らんに首を突っ込んできたのは元・恋のライバルである百井先輩。

 稽古のあとで火照ほてった顔や汗に濡れた鎖骨がセクシーだ。


「ああ、ハル。ありがとな、妹のこと」

「当然よ。将来はウチの義妹になるかもしれないんだから」

「「んなっ!?」」


 百井先輩の遠回しな結婚発言にわたしとお兄ちゃんは声を揃える。

 そりゃあ百井先輩はお兄ちゃんの良いところをちゃんと分かった上で付き合ってるけどさ、そういうのはまだまだ早いんじゃないかな。

 ここにちゃぶ台があったら『兄はお前にやらん!』ってひっくり返してるところだよ。


「照れてる照れてる。きみたち兄妹きょうだいはかわいいなあ」

「いきなりそんな爆弾発言されたらそりゃ動揺するわ! なあ」

「え? う、うん」


 お兄ちゃんは口では悪態を付きつつも頬はゆるんでいてまんざらでもなさそう。

 わたしは二人のやり取りを愛想笑いを浮かべながらやり過ごすことしかできない。

 最早もはやわたしの立ち入る隙はないという雰囲気だ。


「お兄ちゃん達、これから二人でご飯食べに行くんでしょ?」

「そのつもりだったんだけど夜夏よるかの体調も心配だしなあ」


 ちらりと百井先輩の方を見るお兄ちゃん。

 その視線で全てを察したようにこくりと頷き返す。

 なんて言うか、完全に相思相愛って感じ。なんなら新婚みすらある。


「ダメだよお兄ちゃん。部活帰りデートができるのは今だけなんだから。わたしはもう平気だから。ね?」

「そうか? でも万が一ということも」

「お兄ちゃんはわたしを心配し過ぎだよ。わたしだってもう高二だし、今までわたしのために頑張ってくれた分、残りの高校生活はお兄ちゃんのために使って」


 本音と嘘が半分ずつぐちゃぐちゃに混ざり合っている。

 体調はもう平気なのは本当だし、お兄ちゃんの高校生活も満喫してほしい。

 でもその裏に、昔みたいに付きっきりで看病してほしう感情を隠している。


 わたしは作り笑いを浮かべて二人を見つめる。

 もしここまで言ってお兄ちゃんがわたしと帰るのなら、それはお兄ちゃんの選択であってわたしが無理強いしたわけではない。

 だから平等だ。わたしの勝ちだ。


「夜夏がそこまで言ってくれるなら……ハル、いいかな?」

「うん。夜夏ちゃんしっかりしてるし、遅くならないようにウチが付いてるから安心して」

「あはは。この三人で一番心配なのはやっぱりお兄ちゃんですね」

「なに!? そんなことはないだろ」

「一理あるわね。夜夏ちゃん、ウチがしっかり家まで送り届けるから」

「さすがにそれは逆だろ。僕がハルを送っていくから、その分だけ遅くなるからな」

「はいはい。どうぞご自由に」


 二人は完全に舞い上がっている。わたしがもう大丈夫と分かれば心配事はなにもない。

 あとは二人の時間を堪能するのだろう。

 

 最近は気分の浮き沈みが激しい。

 ちょっと前向きになれたかと思えば、やっぱりお兄ちゃんのことで悩んだり。

 まだお兄ちゃんへの想いを全然断ち切れていないことを実感する。 

 

「あの、すみません」

「どうした釜瀬かませ


 三人の話に加わったのは釜瀬くんだった。

 汗で髪がぺたんとしているけどそれでもカッコイイのがズルい。


「高月先輩と百井先輩が食事に行くって聞こえたもので」

「な~に釜瀬くん。一緒に行きたいの?」


 ラブラブ空間に割って入られたにも関わず百井先輩は眩しい笑顔を崩さない。

 やっぱりこの人は余裕の塊だ。


「いや、違くてですね。妹さん、夜夏さんと一緒に食事に行ってもいいかなと思いまして」

「んん?」

 

 お兄ちゃんがにらみつける。けど、あんまり迫力がなくて釜瀬くんのイケメンは変わらない。

 むしろ反撃されたらお兄ちゃん負けそうだし。


「その、夜に家に一人なら誰かと一緒にご飯を食べて、先輩が帰ってくる頃に帰宅した方が安全かなーなんて、はは」


 なんだかそれっぽい理論を説明する釜瀬くん。

 でも別に家は安全だから釜瀬くんの言ってることはめちゃくちゃと言えばめちゃくちゃだ。

 

「うーむ。一理あるな」

「あるの!?」


 お兄ちゃんは謎理論を受け入れてしまった。

 ありがたいのは釜瀬くんがわたしを彼女扱いしなかったこと。

 約束はしっかり守った上で、このチャンスをしっかりつかもうとしている。


 いつもが悪くて失敗するお兄ちゃんとは違う。

 これも百井先輩と同じく余裕が生み出す技なのだろか。


「よし。妹を頼むぞ釜瀬」

「はいっ!」


 気合の入った返事が体育館の中に響く。

 わたしもなんだけど、どうも稽古のあとは喉の調節がバグって大きな声を出しがちになる。

 釜瀬くんの場合はそれ以外の理由もあるんだろうけど。


「もしかして釜瀬くんは夜夏ちゃんに気があるのかな?」

「けほっ! けほっ!」


 百井先輩があまりにもストレートに聞くので唾が変なところに入ってむせてしまった。

 釜瀬くんはどう答えるんだろう。


「それは……まあ」


 照れながら歯切れの悪い返事をする釜瀬くん。

 こんな反応じゃもう答えを言っているようなものだ。実際はすでにわたしと付き合っているんだけど。


「だって、どうする、お兄ちゃん?」

「僕は別に……自分に彼女がいるのに妹の恋愛を邪魔するなんて無粋なまねはしない。妹を泣かせたら全力で潰すけどね」

「うふふ。頼もしいお兄ちゃんだね」

「あはは。まあ、そうですね」


 こんな時はもう本当に笑うしかない。とにかく笑え。笑うしかないんだ。

 

「さ、早く着替えて出発だ。帰宅が遅くならないように」

「釜瀬くんは急いだ方がいいかもね。夜夏ちゃんがゆうくんより遅かったら……ああ、考えただけで恐ろしい」

「その点はご心配なく。食べたらすぐに送っていきますんで!」

「家に一人にしたら心配だから釜瀬が付いてくれるんだろう? まあ、そうだな。十時までに帰ってくればいいよ」

「はい! ありがとうございます」


 一体なに感謝しているのか分からないけど釜瀬くんはお兄ちゃんにお礼を言った。

 十時か……結構あるな。お兄ちゃん、自分がゆっくりしたいからって絶対門限を甘くしたよ。

 逆に早過ぎたらわたしの方から異議を申し立てるところだったけど。


「それじゃあ高月たかつきさん、着替え終わったら体育館の前で待ってて」

「うん。わかった」

「女の子を待たせちゃダメよ~?」

「はい! 急いで着替えてきます」


 汗をかいたあとはいろいろと処理があるのでどうしたって時間が掛かる。

 そんなに急ぐとかえって待ちぼうけになるんじゃないかと思うけど、本人があんなに燃えていると止められない。


「よかったわね。素敵な男の子に出会えて」

「そう、ですかね」

「イケメンで勉強も運動もできて人気もあって、素敵な彼氏になりそうじゃない」

「だったらお兄ちゃんと交換します?」

「ダメよ。ゆうくんはウチのだから」


 お兄ちゃんは断じて百井先輩のものではないんだけどなぁ……。もちろんわたしのものでもないけど。

 だから抗議することもできない。

 わたしはただただ惚気のろける百井先輩に適当に相槌を打つことしかできなかった。




「それじゃあお疲れ様。気を付けてね」

「はい。お疲れ様です」


 わたしと釜瀬くんは先輩に頭を下げる。


「釜瀬、くれぐれも妹を頼んだぞ」

「はい! お任せください!」


 爽やかな笑顔でそう返し、わたし達は二人が先に駅に向かうのを見送った。


「なに食べようか。さすがに夕飯がパフェは勘弁ね」

「さすがにそれはしないよ。あんまり遠くだと遅くなるからさ、ラーメンなんてどう?」

「いいね。汗をかいたから体が塩分を欲してる」


 軽い冗談を挟みながら和やかな雰囲気で会話が進む。

 うん。この調子ならきっと大丈夫。お兄ちゃんが迫力のない睨みを利かせてくれたし。


 学校から少し歩くとちょっとしたビジネス街みたいなところに辿り着く。

 小さいビルがいくつも並び、サラリーマン向けの居酒屋やラーメン店がぽつぽつと並ぶ。

 夜に高校生が立ち寄るようなエリアではないものの、歌舞伎町なんかに比べたら治安は良い方だと思う。


「実はこの路地裏に隠れた名店があるんだ」

「へえ、知らなかった」


 見るからに人気ひとけのなさそうな路地に案内される。

 本当にこんなところにラーメン屋があるのかと疑い始めたその時、釜瀬くんの足が止まった。

 それと同時にわたしはビルの壁に押し付けられる。


 突然のことで声が出ない。

 両足の間にしっかりと釜瀬くんの足が入り、上半身はいわゆる壁ドンの状態で塞がれている。

 もはやこの状態から逃げだすのは不可能に近い。


「高月さん、本当に俺のこと好き?」


 釜瀬くんの目は血走っている。

 犯罪じみたことをしている自覚があるからなのか興奮していて息も荒い。

 好きかどうかの問いに答える以前に、まず恐怖が先行して言葉が詰まってしまう。

 

 でも、無言でやり過ごせるような状況でもない。

 わたしは勇気を振り絞り、今この場をやり過ごすための言葉を口にする。


「好き……だよ」


 釜瀬くんの左足が目に入る。剣道の癖なのか、かかとが浮いていた。


「じゃあ、キス……してもいいよね。部員は誰もいない。約束は守ってる」


 釜瀬くんの顔が少しずつ近づいてくる。

 わたしのファーストキスがこんな形になってしまうの?

 嫌なのはこの状況? それとも釜瀬くん? わからない。とにかく怖い。

 

 最後の抵抗で首を思い切り横に振る。

 こんなことをしても男子の力で顔を抑え付けられれば完全に逃げ場はない。

 ほんの少しファーストキスの瞬間が先延ばしになるだけ……だった。


「高月さん、絶対俺のこと好きじゃないでしょ。むしろ、今ので嫌いになった」

「そんなこと……」


 『ないよ』の言葉が喉に詰まる。

 人生の中で嘘をくことなんて何度もあった。だけどこれは本当にきたくない嘘なんだ。

 心が体にストップを掛けてしまっている。


「俺達、別れよう。いや、そもそも付き合ってもなかったんだ」

「え?」

 

 最悪なファーストキスを覚悟した時、釜瀬くんが唐突に別れ話を切り出してきた。

 大切な話だと思い、逸らしていた視線を彼の方に戻す。

 不意を突いてキスしてくる様子もなく、その表情は真剣そのもの。

 彼は本当に、付き合っていた事実すらも消そうとしている。


「何もなかった。ごめん。怖い想いをさせて。前みたいにって言われても難しいかもしれないけど、できるだけ関わらないようにするから」

「…………」

「だから、お願いだから今あったことは誰にも言わないでほしい。本当に悪いと思ってるから。それじゃ」


 釜瀬くんは自分のカバンを拾い走っていった。

 その背中を追いかける気にはとてもなれず、わたしは全身の力が抜けてぺたんと尻もちを着いた。

 

 今の出来事を誰にも言わないと約束を交わしたわけじゃない。 

 あの時の告白みたいに釜瀬くんが一方的に押し付けただけ。

 だから一人だけ、一人だけその約束を破らせてもらう。


 悪いのは釜瀬くんなんだ。元カノのわがままを一つくらいは許してほしい。

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