第10話 ころがる
問題の放課後が訪れてしまった。期末テストまであと二週間。
そろそろ勉強を意識しないといけないけど一週間前にならないと休みにならない。
三年生は受験と大会の両立で気合が入っている。
彼女ができたばかりのお兄ちゃんは他の三年生の先輩に絡まれてるし、
本当にこの部活内で交際が発覚していなくてよかったと思う。
「
「あ、うん。お疲れ様」
自分から声を掛ける勇気はなくて、そうなると
挨拶をしないのも不自然だし、必要以上に仲良くするのも今はおかしいんじゃないかと思ってしまう。
自分のメンタルの弱さや優柔不断なところが心の底から嫌になる。
改めてしっかり観察する釜瀬くんは人気者だ。
体育館に来るなり人が自然と集まってくる。特に二年生は釜瀬くんを中心に回っていて、次期部長は彼で決まりという風潮だ。
お兄ちゃんはどちらかと言えば周りに集まるタイプの人間だったはずなのに、今や話題の中心だ。
どんどんわたしが知ってるお兄ちゃんでなくなっていくみたいで、心臓をギュッと掴まれたように感覚に襲われる。
「どしたの
「ううん。なんでもない」
「ははーん。視線の先には釜瀬くん。ふむふむ。なるほどなるほど」
「何がなるほどなの」
「うん? なんでもない。さ、早く着替えて部活部活」
妙な勘繰りを入れてきたは昨年から引き続いて同じクラスになった
いい子なんだけどすぐに恋愛に結び付けたがるのが悪いところだ。
まあ、その恋愛に対する嗅覚の鋭さは折り紙付きなんだけど。
たぶん真波ちゃんは、わたしが釜瀬くんに片想いしている。それかもう付き合ってるくらいまで考えが至っているかもしれない。
今週さえ乗り切れれば部活はテスト休みになるんだから、どうにか隠し通さないと。
テストが終わって夏休みに入ったらもう諦めよう。
さすがにいつまでも言い逃れはできない。釜瀬くんの彼女としての人生を歩みだすんだ。
「あ、そうそう。ブラコンは卒業できそう?」
「ふぇ?」
「お兄さん、高月先輩に彼女ができたんだし、もう夜夏ちゃんがお世話しなくてもいいんじゃないかって」
「そんなことないよ。料理も洗濯もわたしがやらないとダメ人間になっちゃう」
「いや、夜夏ちゃんが全部やってる時点でダメ人間だから」
むぅっと思わずむくれてしまう。
家でのお兄ちゃんを知らないくせに勝手なことを言わないでほしい。
お兄ちゃんは自分の勉強と、わたしの家庭教師をしてくれてるんだから。
役割分担はちゃんとできている。
「悪かったって。でも高月先輩だって卒業でしょ。お兄さんが一人暮らしを始めて逆ホームシックにならないようにな」
「ならないよ!」
そうならないために釜瀬くんと付き合って少しずつ自分を変えていくんだから。
それに今は翡翠ちゃんだっている。
……翡翠ちゃん? なんでわたし、翡翠ちゃんを思い浮かべたんだろ。
真波ちゃんとか他の友達じゃなくて、一番付き合いが短い翡翠ちゃんを。
「ま、ブラコンを卒業した夜夏ちゃんならすぐ彼氏できるか。ウチ調べでは結構モテてますぜ」
「知らないよそんなこと」
「やっぱりポニーテール×道着の組み合わせがポイント高いみたいですぞ」
「さっきからその喋り方なんなの?」
「拙者、恋する乙女大好き侍で候」
「そっか。真波ちゃんは侍だったんだ。じゃあ腹切りもできるよね?」
「え? 待って。話し合おう。今は令和だ。腹切りの時代じゃない」
じとっと冷たい目で真波ちゃんを睨みつけると態度は一変。
侍魂の欠片もないザコキャラに成り下がった。
恋愛に関してウザ絡みしてくるのが玉に瑕だけど、こうやってコロコロ表情を変えるのは可愛いなって思う。
翡翠ちゃんとはちょっと違くて、自分からいろいろな面を見せてくれる。
「でさ、夜夏ちゃん」
「ん?」
「高月先輩と百井先輩ってどこまでいったのかな」
「知らないよ!」
真波ちゃんはわたしをただのブラコンだと思っている。不正解ではないけど百点ではない。
ブラコンで本気でお兄ちゃんに恋をしていた。
お兄ちゃんはお兄ちゃんでシスコン扱いされてたみたいだけど、家庭の事情もあって周りはそれを許容してくれていた。
それが今は裏目に出ている。わたしは本気で失恋したのに、大好きなお兄ちゃんを他の女に取られた可哀想な女の子という扱いだ。
本当のわたしを知っているのは翡翠ちゃんだけ。
翡翠ちゃんと居る時だけが本当のわたしになれる。
どうしよう。頭の中で翡翠ちゃんの存在がどんどん大きくなっていく。
これじゃあまるでわたしが翡翠ちゃんに……。
ううん。違う。ただ同じ境遇で、出会い方が衝撃的だったから。それだけだ。
私は顔をぶんぶんと横に振り雑念を振り払う。
「どったの夜夏ちゃん」
「ちょっと気合を入れようと思って」
「闘魂注入してあげよっか?」
真波ちゃんはプロレスラーみたいに膝を屈めて、小さく前ならみたいに腕を構える。
ちょっとアゴをしゃくれさせてるのもおもしろポイントだ。
「JKがそこまで体を張ったからお願いしようかな」
「マジで!? どうしよ。力加減とか全然わからん」
「待って。軽くぺちんってするんじゃなくて、わりと本気めでビンタするつもりだったの?」
「だってそうしないと闘魂注入できないじゃん」
「そもそも真波ちゃんに分け与えるほどの闘魂があるの?」
真波ちゃんはすぐ休憩を取ろうとするし、先に一本取られると弱気になってそのまま負けてしまうことが多い。
逆に一本先取できれば勢いに乗れるんだけど……。
名前に波の字が入っている通り、剣道のスタイルにも波がある。
「失敬な! ウチになって闘魂あるし」
「ふ~ん。ならその闘魂は今日の稽古で見せてもらおうかな」
「なんで目がマジになってるの!? こんな暑い日の部活なんてゆる~くやりましょうよ」
「暑いからこそ良い稽古になるんじゃないの」
「ああああああ変な地雷を踏んでしまったあああああ」
真波ちゃんは叫びながら膝を付いた。
わたしだって本当なら暑い中で動くのは嫌だけど、それくらい極限状態に追い込まないといろいろ考えてしまいそうだった。
蒸し暑くて臭くて痛い。
夏の剣道は女の子にとって最悪の要素しかないけど、その最悪を今は心の底から求めている。
う~ん。やっぱりわたしってMなのかな。
「ほら、いつまでもうなだれてないで着替えよう」
「うぅ……ウチはただ夜夏ちゃんの恋する顔が見たいだけなのに」
「はいはい。いつか見せてあげるから」
「マジ!? え!? 好きな人いるの!?」
さっきまでの落ち込みがウソみたいに目をキラキラと輝かせながらグイっと顔が近付いた。
こうして間近で見ると真波ちゃんの肌はとてもキメ細かくて、もう少しおとなしければ絶対モテるのにもったい。
真波ちゃんのハイテンションに体育館中の注目が集まる。
その中にはもちろん釜瀬くんもいて、わたしの好きな人というキーワードがものすごく気になっていそうな顔をしている。
「だから『いつか』って言ったじゃん。今の話じゃないよ」
「……むむぅ、あやしいな~」
真波ちゃんの追及の目に脈が早くなる。嘘を付いてる時の人間の視線って右下を見がちなんだっけ?
うろ覚えの豆知識を思い出したわたしは意識して真波ちゃんを真っすぐに見つめる。
「真波ちゃんから見て、今までのわたしって恋をしてる顔じゃなかったの?」
「う~ん。高月先輩を見る目は近かったけど、でも兄妹だから違うかなって」
そっか。真波ちゃんから見たらわたしのお兄ちゃんへの想いは恋じゃなかったんだ。
もちろん真波ちゃんの判定が全てではないけれど、周りからしたらその程度に見えていたこそがショックだった。
「でも夜夏ちゃん、恋する乙女の顔はしてないけど、そろそろ恋に落ちそうな顔をしてる」
「なにその妙に具体的な顔」
「その人のことが本当に好きか迷ってる、ごく限られ間にだけ見られる少女の顔ね」
「説明を求めてるわけじゃなくて……」
真波ちゃんはとても楽しそうで、反対にわたしは全てを見透かされた上でからかわれているんじゃないかとドキドキしっ放しだ。
額にじんわりとかいた嫌な汗は暑さのせいではない。
だって釜瀬くんが明らかに聞き耳を立ててるんだもん。視線はまた男子部員の方に戻ってるけど耳の意識がこちらに向いているのがひしひしと伝わってくる。
「して、ウチの説明を聞いて誰の顔を思い浮かべた?」
「え?」
「その人がそろそろ恋に落ちる相手よ。本当に好きか迷ってるといっても最終的にみんな好きってなるから。迷ってる時間がもったいないからさっさと好きと認めちゃいなさい」
まるで取り調べをする刑事さんのように真波ちゃんがまくし立ててくる。
釜瀬くん的にはここで自分の顔を思い浮かべていてほしいんだろうな。
でも、釜瀬くんの顔は全く浮かんでこなかった。お兄ちゃんでもない。
「ひ……」
「ひ?」
なんでか口が勝手に動いてしまった。
こんなところで名前を出したら絶対に変に思われちゃう。それに向こうにも迷惑が掛かる。
「日が暮れちゃうから早く着替えよう! ほら、急いで!」
「え? ちょ、待って」
真波ちゃんの手を振り払ってずかずかと更衣室に向かう。
更衣室では男子の居ない環境でさらに追及が始まるかもしれないけど、そんなのお構いなしだ。
マイペースに着替えを済ませて、防具を着けちゃえばこっちのもの。
防具は体だけじゃなくて心も守ってくれる。
重くて臭いけど今はそんな風に思える頼もしい存在だ。
だって言えるわけないよ。
好きかどうか迷ってるって言われて真っ先に思い浮かんだのが翡翠ちゃんだなんて。
翡翠ちゃんは女の子なんだよ?
女の子同士の恋愛は否定しないけど、わたし達は二人とも同じ男の人を好きになったんだ。
わたしも翡翠ちゃんも男の人を好きになる。だからわたし達の間に愛情は芽生えない。
それに
今のわたしにはまだ秘密にしてるけど彼氏がいる。
誰もが羨む素敵な彼氏。
テストが終わったらみんなにも発表して、お兄ちゃんと百井先輩みたいに堂々とイチャイチャしてやるんだから!
「よしっ!」
さっさと着替えを済ませて体育館に戻ると、そこにはわたしと同じく一足先に着替えを済ませた釜瀬くんがいた。
まるで奇跡のように、この広い体育館に二人きり。
だけどわたしの心は妙に落ち着いていた。
声を掛けてきたのはもちろん釜瀬くんの方からだ。
「なんか大変だったね」
「うん」
「テストが終わるまでの辛抱だから」
「うん」
テストが終わるまでわたしは一体何を我慢するというのだろう。
二人きりになったこの一瞬の隙で彼に触れたいとも思わない。
ただ真波ちゃんの言葉を否定するためだけに、無理にデートの妄想を膨らませようと試みた彼氏の存在。
わたしにとって釜瀬くんは何なんだ。
「そろそろ他の人が来そう。またあとでね」
「うん」
そんな短い会話を終えると、
お兄ちゃんは当然のように百井先輩に話し掛けている。
きっと付き合うってこういうことなんだ。わずかでも時間があれば一緒に居たいと考える。
そんな感情をわたしは釜瀬くんに抱いていない。
考えれば考えるほど、わたしの心は翡翠ちゃんを求めてしまう。
ころころと坂道を転がっていくボールのように誰にも止められない。
あとはただ、落ちるその瞬間を待つだけ。
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