第8話 クール

 釜瀬かませくんと付き合うことになって初めて迎える月曜日の朝。

 わたしはこれから彼氏持ちの女として学校に通うことになる。


 今まで通りに髪をポニーテールにしている時にふと、断髪式をしてもらってないことを思い出した。

 わたしの中では実行することが決まっているのであとは日取りだけ。

 元々は失恋したから切る話だったのに彼氏ができてしまった。


「いってきます。夜夏よるか、迷子になるなよ。あ、弁当ありがとう」

「ならないよ!」

 

 お弁当のお礼はしっかり言って、お兄ちゃんは一足先に家を出た。

 こういう所は彼女ができても変わらないあたりはお兄ちゃんだけど、今まで一緒に登校してたのに彼女ができた途端にこうだ。。

 たぶん百井先輩と待ち合わせして一緒に登校するんだと思う。

 剣道部の中ではお兄ちゃんと百井先輩が付き合っていることは周知の事実。

 わたしのお兄ちゃんへの想いは重度のブラコンであって恋愛感情ではないという認識らしく、周りからはそこまで同情されななかった。


 同じ部活内で付き合うと周りにもバレるし、わたし達もそういう風になるのかな。

 今は楽しみな気持ちよりも面倒な気持ちが勝っている。

 釜瀬くんのことが嫌いになったわけじゃなくて、彼氏に時間を拘束される感じがなんかイヤ。

 それってやっぱり好きじゃないってことなのかな。

 お兄ちゃんに時間を合わせるのは全然苦じゃない、それどころか楽しみで仕方なかったのに。


「うげっ」


 LINEの通知を見てついそんな声が出てしまった。

 やっぱりそうなるよね。付き合ってるんだもんね。普通なら一緒に学校行きたいよね。


 付き合いたてのカップルなら本来喜んでしかるべきな待ち合わせのお誘い。

 告白してきたのは釜瀬くんだけど、自分から付き合おうことを提案した手前、お誘いを断ることはできない。


「よしっ! 頑張れわたし。新しい一歩を踏み出すんだ」


 初々しい彼女らしく返事はもちろんOKと返した。

 文字のテンションと実際のテンションの乖離かいりが酷くてきっと朝から疲れた顔になってしまっている。

 まだ少し時間があるし、ちょっと鏡の前で笑顔の練習をしよう。


 相手に好かれるためではなく、相手に嫌われないためにする努力は例え同じ内容であってもすごく辛い。

 そんな事実を十七歳の誕生日を迎える前に知ってしまった。 


「っていうか電車の中で待ち合わせってちょっと難しくない?」


 釜瀬くんからの提案にそんな独り言が漏れる。

 十五分に一本くらいの少なさだから何分発の電車に乗るって言われたらうちの最寄り駅にいつ到着するかは予想できる。

 でもそこからそれなりに人の多い車内で会うのはちょっと大変だと思う。


「そこまでして一緒に行かなくてもな~」


 釜瀬くんに会いた過ぎて一本早い電車に乗っちゃった。と言うのはもう無理。

 今からではもう間に合わない。

 反対に、釜瀬くんのためにオシャレしてたら遅れちゃった。もアウト。次の電車では遅刻してしまう。


 遅刻はしない電車の別の車両に乗るのも露骨に避けてるみたいであやしい。

 わたしにできることは、指定された時刻の電車の指定された車両に乗って、その場の状況がわたしと釜瀬くんを引き合わせないことを願うだけだ。


「これじゃあ本当に会いたくないみたいじゃん」


 新しい一歩を踏み出したい気持ちと、その相手が本当に釜瀬くんでいいのかという気持ちの間で揺れている。

 今このタイミングで別れるのも変な話だし、それこそ女子達の反感を買ってしまう。

 わたしはそういう恋愛の沼みたいのと無関係な人生だったけど、無関係なりにそのドス黒さは理解しているつもりだ。


 お兄ちゃんさえいれば良かったのに、そのお兄ちゃんの気持ちは遠くに離れていってしまった。

 これからわたしは自分で考え、行動しなければならない。

 

「さて、行きますか」


 自分に言い聞かせるようにつぶやく。言葉にしないとプレッシャーに押し潰されそうだった。

 彼氏と一緒に登校するのがプレッシャーなんて我ながら本当におかしい。

 もしこれが翡翠ちゃんだったら……。

 

 その『もし』の相手として浮かんだのはお兄ちゃんではなく翡翠ちゃんだった。

 昨日は夜遅くまで通話してたから?

 なんで翡翠ひすいちゃんの顔を思い出したのか自分でも分からないまま、ローファーを履いて玄関を開けた。


 もう梅雨明けしたと言われても不思議じゃないくらいの強い日差しが肌をじりじりと焼きつける。

 まだ釜瀬くんとは手を繋いだり腕を組むような仲じゃなくて本当に良かった。

 この暑さの中で密着できるなんて、よほど相手のことが好きじゃないとできない。


「これだけは確認しておこうかな」


 日光に照らされかなり見辛いスマホ画面に四苦八苦しくはっくしながら文字を入力する。

 答えは別にどちらでも構わない。ただ、学校内での振舞い方が少し変わる。

 

「釜瀬くんは誰かにわたし達が付き合うことを言いましたか? よし、これで送信っと」


 変に誤字って妙な誤解を与えていないか、自分が入力した文を小声で音読して間違いがないか確認した。

 電車で合流して一緒に登校したらそういう噂は立つだろうけど、正式な情報として出ているか否かの違いが大きい。

 その覚悟を釜瀬くん本人に会う前に固めておきたい。


「あれ? 翡翠ちゃんだ」


 釜瀬くんへのLINEを送り終えたと同時に翡翠ちゃんからLINEが届いた。

 予期せぬ通知に胸の鼓動が少しだけ早くなる。


「あぁ……お兄ちゃんは早めに登校したから」


 翡翠ちゃんはお兄ちゃんと遭遇しないように一本早い電車に乗ったらしい。

 そしたらよりにもよって百井ももい先輩と仲良く登校するお兄ちゃんに遭遇してしまった。


「なんていうかご愁傷様です」


 わたしは部活と家でお兄ちゃんと一緒になるけど、部活中は剣道に集中して、家ではちょっと彼女がいる雰囲気を漂わせるくらいで今までのお兄ちゃんだ。

 構ってくれる時間はずいぶんと減ったけどね!

 反対に翡翠ちゃんは基本的にはお兄ちゃんと接点がないから避けようと思えば避けられる。

 それが今日は裏目に出てしまったというわけだ。


「って、あんまりのんびりはできない」


 こんなに外が明るいとスマホの文字入力は困難を極める。

 日陰を探してそこで……なんて悠長にしていられるほどの余裕はない。

 さすがにLINEしてて遅刻しましたでは恥ずかしいし、お兄ちゃんの言葉がフラグみたいになってしまう。

 わたしは足早に駅へと向かい、ホームでその時が来るのを待ち構えた。


***


「あー、やっぱりすごい人」


 一本前の電車だと少し早い、このあとだと遅刻する。

 となれば当然、みんな考えることは同じだ。

 剣道部はまだだけど、早いところではもう三年生が部活を引退している。

 その引退した三年生は朝練がなくなって、少し遅めの登校になるわけだ。


「うん。こんな中で釜瀬くんと合流するのは無理……じゃないね」


 満員電車を見てホッとする稀有な女子高生が一瞬で他のみなさんと同じ顔になった。

 正確には顔には出していないけど、心は同じだ。


「おはよう」

「おはよう。よかった。合流できて」


 周りの迷惑にならないようにお互い小声で挨拶を交わす。

 電車がガタンと揺れる度、体が釜瀬くんの方に傾きそうになる。

 わたしの貧相な胸でも胸は胸。やっぱり男子に触れるのは恥ずかしくて、カバンを二人の間に挟みガードする。


「LIENは見てくれた?」

「ああ、うん。まだ誰にも言ってない」

「そっか」

 

 どんな表情をしていいか分からず、視線を窓の外に移す。

 喜ぶのも変だし、悲しむのも嘘になる。

 本当にわたしは釜瀬くんとどうなりたんだ。


「やっぱり言わない方がいい? でも、二人で一緒にいる時間が増えたらすぐにバレそうだけど」

「バレるまでは黙ってない? クラスは別々だし、学校の中で会うとしたら部活の時でしょ。今は剣道部ってお兄ちゃんと百井先輩で持ち切りだし、変にネタを増やさなくてもいいかなって」

「わかった。高月たかつきさんがそう言うならそうする」

「ありがと」


 釜瀬くんはほんの少ししょんぼりしているように見える。

 男子からすると彼女ができたことをみんなに広めたいものなのかな。

 もし、わたしがお兄ちゃんと恋人になってたら……嬉しくてみんなに言っちゃうか。

 

 うん。先生と生徒みたいな秘密の恋じゃなければみんなに言いたい。

 だからわたしは釜瀬くんをちょっとだけフォローする。


「気付いてないかもだけど釜瀬くんって結構人気あるんだよ?」

「そ、そうなの?」


 顔がまんざらでもないという感じで頬が緩でいる。

 彼女がいてもそういうのは喜んじゃうんだ。


「だから、彼女ができたなんて知れたらわたしが何かされるかも」

「そんなことになったら俺が守るし」


 彼氏としてはそう言うしかないだろう。

 でも、女子のコミュニティは男子が考えるよりずっと怖いんだよ?


「でも、平和に越したことはないでしょう?」

「まあ……たしかに」

「だからわたし達のことは基本的に秘密。学校ではあまり付き合ってる感じも出さないようにしましょ」

「うーん。別に恋愛禁止の学校でもないんだし、それはちょっと寂しいような」


 釜瀬くんの表情がどんどん曇っていく。さすがにこれはマズい。

 無意識に釜瀬くんとの距離を取ろうとしている。

 昨日だって家に帰ってから特にLINEもしてないし。これでは本当に誰と付き合ってるかわからない。


「ほら、もうすぐ期末テストだしさ。それが終わるまではあんまり恋人っぽいこともしない方がいいかなって」

「なるほど。うん。たしかに高月さんの言う通りだ。さすが」

「えへへ。それほどでも」


 なんとかこの場を切り抜けることに成功した。

 期末テストがあるのは本当だし、恋愛に現を抜かして悪い点を取るわけにはいかない。

 お兄ちゃんは大丈夫だと思うけど念のため釘を刺しておかないと。

 って、油断するとついお兄ちゃんのこと考えちゃう。


「それじゃあさ、テストが終わったら夏休みの計画立てよう!」

「う、うん。そうだね」


 テストを口実にできるのはテストが終わるまで。

 元からテストなんて来なくていいけど、今回はさらにテストが来てほしくない理由ができてしまった。

 でも、時間の流れは常に一定で必ずその日はやってくる。

 

 テストそのものが悩みの種なのに、それが終わった後のことでも悩まされるなんて。

 今回の期末テストは人生で一番過酷なテストかもしれない。


「よかったら一緒にテスト勉強しない? 俺、こう見えて結構成績良いんだ」

「あ、えーっと……」


 一年生の時に同じクラスだったから成績が良いのは知ってる。

 それに友達に勉強を教えるのがうまいこともなんとなく。

 だからここは彼氏彼女であることを抜きにしても誘いに乗るのがお得というものだ。


「実は最近友達になった子がめちゃくちゃ勉強できて、同じクラスだからその子と勉強する約束してるんだ」

「へー。俺も一緒じゃダメかな?」

「その子、結構人見知りだから」

「そっかあ、先に約束がしてたなら仕方ないか」

「うん。ごめんね」


 わたし、どんだけ釜瀬くんと一緒に居たくないんだよ。

 自分でも言動の一貫性がなくて訳がわからない。それに付き合って早々嘘を吐いてしまった。

 この罪悪感を消すために、わたしは電車を降りてすぐにLINEを送った。


 一緒にテスト勉強しない?


 彼女はきっと初めは悪態を付く。それでなんだかんだ言って一緒に勉強することになるんだ。

 翡翠ちゃんはそういう子だ。

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