第7話 なんで
「と言う訳で
「そう」
LINE通話で
「せっかく初めての彼氏ができた夜に通話しているのが私でいいのかしら?」
「別に彼氏だからってずっと一緒にいるわけじゃないでしょ。 兄と妹ですら離れる時があるのに」
「その口ぶりだとやっぱりまだお兄さんのことを引きずっているじゃない」
「そう言ったじゃん。釜瀬くんはお兄ちゃんの延長線……とはちょっと違うか。でもすごく近い存在だなって思って」
「好きになってしまった」
翡翠ちゃんは今どんな表情を浮かべているんだろう。
声色からして笑顔ではなさそう。怒ってもいないし、やっぱり呆れているのかな。
一応こうして付き合ってくれているから嫌われてはいないと思う。
好きの反対は無関心だっけ? 無関心にさえならなければいくらでもやり直せる。
わたしはベッドの上で足をバタバタさせながら通話を続ける。
「それでこれからどうしよう。釜瀬くんとうまくいく姿を想像できない」
「私に聞かれても困るわよ。彼氏なんていたことがないんだから」
「えぇ、わたしをあんな風に扱っておいて」
「それと同じこと釜瀬くんにしてあげたら喜ぶんじゃないかしら」
「ぶほっ!」
自分で話を掘り返しておいてカウンターをくらってしまい、枕に思い切り顔を埋めた。
この枕だって十分にふかふかで気持ちいい。
でもあの時に味わった翡翠ちゃんのおっぱいはもっと柔らかくて、それでいて熱と冷たさが混ざった不思議な質感で。
「そんなのできるわけないじゃん!」
「物理的に?」
「心情的にだよっ!」
いや、物理的にも難しいけども。
翡翠ちゃんが大きいだけでわたしにだって多少なりともおっぱいはある。
だけどそういう問題ではない。
男子に裸を見せるという行為は想像しただけでも恥ずかしい。
わたしだってそういうことに興味がないわけじゃない。お兄ちゃんとで想像したこともある。
でもそれは想像の中だけだから耐えられた。自分の中に秘めておけば誰にも迷惑を掛けないし、何も起こらないから。
このままだといつか釜瀬くんと……。
うまく想像ができない。ちゃんと彼氏になったはずなのに。
「もしもし。起きてる?」
「あー! ごめん。翡翠ちゃんが酷いことを言うからショックで固まってた」
「酷いもなにも事実でしょうに」
「それが酷いっていうの!」
この前はわたしの胸を羨ましいとか言ってたくせに。
将来は肩凝りに悩まされるといいわ。
その時は絶対にわたしがマウントを取ってやるんだから! ……なんか悲しくなってきた。
「さすがに付き合って早々に胸を触らせるのは冗談だけど、でも男子って少なからずそういう目的で女子と付き合うとは思うわ」
「うぅ……」
それはつまりお兄ちゃんも
お兄ちゃんが百井先輩を連れてきたら聞き耳を立ててしまいそうだ。
ああ、もう! 全然お兄ちゃんを諦めきれてない!
「
「そうだよねぇ……」
高校生の間はすごく性に厳しいのに、大学生になった途端許されるみたいな空気はすごく不思議だ。
そんな空気があるからわたしはこうして何事もなく帰宅できたわけだけども。
「反対に百井先輩の方から押し倒されてしまうかもね」
「ええ!?」
「むしろすでに経験があって、
「そそそそそそれはないよ。うん。家にはお父さんが居たし、お兄ちゃんもお出掛けしてたし」
「今はもう帰宅しているの?」
「ううん。まだ」
「…………」
「え? 翡翠ちゃん。なんで黙るの? ねえ!」
お兄ちゃんは百井先輩に真正面から告白して、お互いに好きで、ちゃんと付き合っている。
だから別にそういう関係になっても悪いことをしているわけじゃない。
高校生だと不純異性交遊とか言われちゃうかもだけど。一回で捨てるとか、体だけの関係ではない。
二人は本気で好きなんだ。
「ごめんなさい。自分で言ってて辛くなってしまって」
「そうだよね。うん。わたしも同じ気持ち」
いつかこんな風にお兄ちゃんの恋愛を想像して辛くなっていたことを笑える日が来ればいい。
机に飾ってあるお兄ちゃんとのツーショット写真を眺めながらそんなことを考える。
随分と前にお父さんに撮ってもらった写真だ。
まだ二人とも小学生で、この頃はまだずっとお兄ちゃんと一緒にいられると信じて疑っていなかった。
「どうしよう。お兄ちゃんのこと全然忘れられない」
「そんな簡単に忘れられれば苦労しないということね」
翡翠ちゃんの言う通りだ。それこそ小山内先輩みたいに海外にでも行って、絶対にお兄ちゃんに会わない環境を作らないと。
再び枕に顔を埋めると頭の中に翡翠ちゃんの声が響く。
「失恋って、なにか大きなきっかけがあれば終われるものだと思っていたわ。例えば、好きな人の妹の胸を触ってみたり」
スマホから聞こえる声がこもって聞こえて、まるでお風呂場の中で喋っているみたいだ。
「もごご、むぐうう。ごもも」
「え? なんて?」
試しに枕に顔を埋めた状態で喋ったら自分でも何を言ってるかわからない声が発せられた。
「翡翠ちゃんにとってもあれは大きな出来事だったんだなって」
「自分でも驚いてる。なんであんなことをしてしまったのでしょうね」
「わたしが聞きたいくらいなんですけど」
「ヤケになっていた。というのは一つでしょうね。自分なりにいろいろな考えはあったのだけど、それがぐちゃぐちゃになっていて」
「うん。そんな感じはした。詳しくは知らなかったけど、いつも落ち着いた印象の翡翠ちゃんがあんなことをするなんてすごく意外だった」
わたしが男だったら絶対に好きになっちゃう。というか、男子ならあんな大きいおっぱいを触らせてもらっただけで誰でも好きになっちゃうでしょ。
例えそれが意図しない事故でたまたま触ってしまったとしても。
それなのにお兄ちゃんときたら……って、証拠はないけど女の勘ってやつ。
翡翠ちゃんは絶対に一度はお兄ちゃんにおっぱい触られてる。
だけど告白されたのは百井先輩だ。
お兄ちゃんがおっぱいだけで彼女を作ったんじゃないのは褒めてあげたいけど、百井先輩だってそれなりに……。
ああ、もう! お兄ちゃんへの恋愛感情を捨てるために彼氏を作ったのに、結局は振り出しに戻ってきてしまう。
「どうしよう。全然釜瀬くんの話題にならない」
「それは夜夏が悪いんじゃないかしら。私は釜瀬くんのことを全く知らないのだし、話題の振りようがないわ」
「知らないなら知らないなりにあるでしょ。どんな人なの? とか」
「どんな人なの?」
「オウム返しはやめてよ」
どんな人かと聞かれたら、翡翠ちゃんの家にお泊りした時に話したのがわたしの知る全てだ。
「あ、意外と甘党っていうのは今日知ったかも」
「パフェを食べに行くために夜夏に告白したんだものね」
「それは結果的にそうなっただけだから。無言だったけどちゃんと聞いてくれてたんだ」
「他人の惚気話にどう反応していいか手をこまねいていたのよ」
「惚気てはないと思うけど」
釜瀬くんから『俺とのデート、イヤだった?』とか言われちゃう始末だし。
まあデートには変わりないから惚気話に聞こえる人にはそう聞こえるのかも。
……ってことは、翡翠ちゃん以外の子には絶対に話せないじゃん。
絶対恨まれるやつだ。
「どうしよう翡翠ちゃん。学校での居場所がなくなるかも」
「急にどうしたの」
「だって釜瀬くんと付き合ってるんだよ! 他の子の反感買うって」
「その理論でいくと私と夜夏は百井先輩を恨んでいるはずだけど」
「あ」
翡翠ちゃんの言葉でハッとした。
別にわたしは百井先輩を恨んではいない。
翡翠ちゃんや
「その釜瀬くんがアイドル的な好意のもたれ方をしていたら多少の反感は買うかもしれないけれど、そんなことをしたら当の釜瀬くんはどう思うかしらね」
「……うん。そうだね。ちょっと安心した」
もしわたしに嫌がらせをすれば釜瀬くんの耳に入って、結果的に自分の評価を落とすことになる。
だから恨まれてもいいという話ではないけど、かなり心強い理論を教えてもらった。
「それにもし万が一イジめられても……わ、私がいるじゃない」
「あらやだ、翡翠ちゃんったらイケメン」
「……何かあっても助けないわよ」
「ごめんなさい。調子に乗りました」
「そのイケメンっていう褒め言葉は彼氏にでも使ってあげなさい。実際顔の評価は高いのでしょう?」
「うん。それはもう。お兄ちゃん一筋のわたしがカッコイイと思うレベル」
「素敵な彼氏ができてよかったわね」
「……うん」
翡翠ちゃんの言葉に素直に『うん』と言えなかったのは、やっぱり釜瀬くんとの関係に引っ掛かるものがあるから。
お兄ちゃんへの恋心を忘れるために、お兄ちゃんの代わりとして彼氏にするなんて本当に最低だ。
それならいっそのこと……。
「翡翠ちゃん、わたし達が付き合わない?」
「なんでそうなるのよ」
「うそうそ。冗談だって。でも翡翠ちゃんイケメンでおっぱい大きいから男女問わずモテそうじゃない?」
「男子はともかく女子からモテた試しはないわ」
「まあ翡翠ちゃん素直じゃないしね」
「…………」
「だから黙るのやめて! 顔が見えないから不安になる」
口ではそう言ったけど内心では大丈夫という確信がある。
まだ友達になって日は浅いけど、ものすごく濃密な時間を過ごしたから。
お互いに裸を見せ合って、秘密の部分に触れ合っているという意味においては彼氏よりも深い関係かもしれない。
もちろん同性だからできたことなのだけど。
「私は釜瀬くんとの恋愛、応援しているわ」
「うん。ありがとう」
「高月先輩以外に恋をしたことがなくて、それも失恋した経験しかないからここから先のアドバイスは何もできないけれどね」
「それでも話を聞いてくれるだけでも助かる。わたしだって似たようなものだし」
「ふふ、そう考えるとたしかに私達が付き合うのが一番良いのかもね」
翡翠ちゃんがふいにそんなことを口にするので顔がカッと熱くなる。
先にそんな冗談を言ったのはわたしからだけど、翡翠ちゃんがそれを言うのはなんかズルい。
それじゃあまるで、ちゃんと両想いになってるみたいじゃん。
「わたしだって翡翠ちゃんに好きな人ができたら応援する。必要ないって言われても応援する」
「それは期待しているわ。だって私より先に彼氏がいる恋愛の先輩ですもの」
「むぅ……なんか先輩に対する敬いの心を感じない」
「だって夜夏ですもの」
「その一言にわたしへの評価が全て詰まってる気がする!」
この日は結局、これから釜瀬くんとどう付き合っていくべきかの答えは出なかった。
というより、釜瀬くんの話題が全然出なくて、この前のお泊りの続きみたいな他愛のない会話を続けた。
なんでわたしは翡翠ちゃんとこんな出会い方をしてしまったんだろう。
他の友達と同じように知り合っていればこんなモヤモヤした気持ちは生まれなかったはずなのに。
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