第6話 ヤじゃないよ

 待ちに待ってはいないけど時間は平等に流れてその日は必ずやってくる。

 釜瀬かませくんと映画を見に行く約束をした日曜日の午前十時半。

 相手を待たせては悪いという心理と人生初デートの緊張で待ち合わせよりもだいぶ早く到着してしまった。


 お兄ちゃんとお出掛けの時は待ち合わせしなくていいから楽だったなって思う。

 これからお兄ちゃんは百井ももい先輩とこういう時間を過ごしていくのかと考えると胸が苦しくなった。


 今日の服装はパンツスタイルにした。

 翡翠ひすいちゃんにデートに来ていく服を相談したら、


「男なんて肌が出ていれば何でも喜ぶわよ」


 と冷たくあしらわれた。

 それは翡翠ちゃんの素材がいいからであって、わたしみたいな幼児体型が肌を出しても悲しい現実をさらすだけなんだよ……。

 お兄ちゃんとなら絶対にミニスカートを選んでいたけど今日はちょっとガードを固くしてみた。


 正確な待ち合わせ場所は駅前の噴水なのだけど、さすがに日差しが強すぎてそこで待つのははばかられる。

 遠目に確認した限りでは釜瀬くんはまだ来ていなかったのでひとまず近くのコンビニに立ち寄って一時いっときりょうを得ることにした。


 最近は雑誌の立ち読みができなくなっているので長時間の滞在はできない。

 いつまでも店内をウロウロするのも怪しいし、ゆっくりと商品を一つ一つ観察しながら時が経つのを待つ。

 こうしてじっくり観察すると定番のお菓子の新しい味や、同じ商品でも季節にパッケージに変わっていたり発見があっておもしろい。

 

 時間潰しというきっかけがなければ知らずに夏が終わっていたかもしれない。

 なんだか翡翠ちゃんと仲良くなったことを思い出してちょっと楽しくなった。


「あ」


 ふいにガラスの向こうに視線を向けると釜瀬くんが待ち合わせ場所に立っているのを見つけた。

 まだ待ち合わせのニ十分前。

 わたしがあまりに早過ぎただけで釜瀬くんも十分に早い到着だ。

 

 それだけわたしとのデートを楽しみにしてくれているのかと考えると申し訳ない感情が湧いてくる。

 嫌ではないけど積極的に楽しみでもない。

 ただお兄ちゃんへの想いをちゃんと断ち切るために利用しているだけ。


 もしわたしがこんなに性格の悪い女じゃなかったら、わたしにもチャンスがあったのかなって考えてしまう。

 ううん。性格じゃなくて兄妹だったから。

 自分にそう言い聞かせて奮い立たせる。新しい一歩を踏み出していくために。


 釜瀬くんはお兄ちゃんよりずっとオシャレで、チノパンにワイシャツっていうシンプルな格好なのにまるで王子様みたいにキラキラしてる。

 素直にカッコイイと思うし、このデートのために気合を入れてくれたのは嬉しい。

 でも、不思議なことに胸が高鳴ることはなかった。


「おはよう。ごめん。待たせちゃった?」

「ううん。今来たとこだから。それよりマジでありがとう」

「え?」

「あー、いや、今日のこと。告白断られるのかと思ってたから嬉しくて」

「こっちこそ返事遅くなってごめんね」


 告白される前はもっと自然に会話できていた気がするのに、今はどうにもぎこちなくて一秒でも早く映画を見たい気持ちでいっぱいになっている。

 釜瀬くんは私に好かれたい。わたしは釜瀬くんを好きになりたい……のかな。

 そんな意識の違いが会話に表れているみたいでものすごく気まずい。


「映画まで少し時間があるから先にお昼にしない? 今なら開店したばっかりで空いてるかもしれないから」

「うん! いいね。そうしよう」

「俺、実はパフェとか好きでさ。でも男だけで食べに行くのは気が引けて……高月さんが来てくれてよかったよ」

「もしかしてわたし、パフェを食べに行くために告白されたの?」

「違うって! その、高月たかつきさんいつもお兄さんのために頑張ってて。そんな姿が素敵だなって思って、それで」


 釜瀬くんの顔が耳まで赤くなっている。

 翡翠ちゃんがお兄ちゃんを好きになった理由を語る時もそうだった。

 人が人を好きになる理由を話すのって、やっぱり照れくさいものなんだよね。


 わたしはお兄ちゃんへの大好きをアピールしていたし、実際に行動に移していた。

 家庭の事情ということもあり包み隠さずお兄ちゃんへの愛を叫んでいた。

 だから翡翠ちゃんや釜瀬くんの反応を見ると、わたしのお兄ちゃんへの想いは恋とは違ったのかなって思ってしまう。


「ま、まあうちの場合は家の事情もあるからわたしが家事をしないといけなかったし」

「あー、うん。ごめんね。変な話になっちゃって」

「全然! みんな知ってることだし、むしろ一足早い花嫁修業ができたみたいな? あははは」


 お母さんが早くに亡くなっているのは周知の事実だ。

 なんなら入学時の自己紹介で自分から言っている。

 毎日お弁当を二人分用意するのはお母さんがいないから。そしてお兄ちゃんが好きだから。

 最初の頃は大変だねって憐れむ子もいたけど、だんだんお兄ちゃんへの愛がすごいことに関心が移っていった。


「高月さんって本当にお兄さん、高月先輩のことが好きだよね」

「うん。ずっとわたしを守ってくれたから」

「でも……あ、これ触れてもいいのかな。高月先輩は別に隠してないみたいだけど」

「百井先輩と付き合ってる話? そりゃもう、最近は家でも百井先輩の話ばっかりだよ」


 大袈裟にあきれたような演技をして自分の心を騙そうと試みる。

 何が悲しくて好きな人の惚気話を聞かなくてはならないんだ。

 お兄ちゃんはわたしを妹として見てないから平気で話せるんだ。


 悲しいやら寂しいやらムカつくやら、いろいろな感情がこみ上げてくるのをグッと押し殺す。

 

「高月さんはそんな話を聞いて彼氏がほしいとか思わないの?」

「その彼氏って例えば釜瀬くんとか?」

「まあ、そういうこと」


 なんだか間接的に告白したみたいになってしまった。

 これじゃあまるで釜瀬くんの好意をもてあそ魔性ましょうの女じゃん!

 釜瀬くんがお兄ちゃんのことを思い出させるから変なことを口走ってしまったんだ。

 これは釜瀬くんが悪い。うん。そうだ。


「この前もLINEしたけどさ、少しずつ俺のことを好きになってくれればいいから」

「いつかわたしが釜瀬くんを好きになるって自信があるんだ?」

「うん。好きにしてみせる」

「まあ、それはおいおい考えることにするよ。今はパフェに集中しよ? どんなパフェなの?」


 わたしのことをこんなにも好きでいてくれて、さらに自分のこと好きにしてみせるなんてセリフ、相当自信がないと言えないよ。

 普通の女の子だったら今ので好きになったりすのかな。

 ちょっと恥ずかしいなってドキドキはしたけど、このドキドキはお兄ちゃんに抱いていたものとは全然違う。

 翡翠ちゃんに触られたり、おっぱいを触った時とも違う。


 そう、やっぱり今の感情はただただ恥ずかしいだけなんだ。

 まるで少女漫画のようなセリフを生で聞かされて恥ずかしい。ただそれだけ。


「スプラッシュパッションっていう名前なんだけど、そもそも豪華なトロピカルパフェに上からソーダを掛けるんだ。そうすると下からゼリーが押し上げられてまるで火山みたいに溢れ出てくるんだって!」

「なんかすごそうだね。上手に食べられるかな」

「当然パフェは皿にこぼれるんだけど、そうなることで生クリームとアイス、フルーツが炭酸と混ざるらしい」

「釜瀬くんがものすごくパフェを楽しみにしてるのは伝わったよ」


 こぼれることが前提のパフェなんて聞いたことがない。そういう意味ではわたしも楽しみではある。

 ただ、興奮気味に語る釜瀬くんの姿を見るとわたしの楽しみなんてちっぽけなものだなって思ってしまう。

 学校生活をスマートにこなす印象を持っていたから、こんな姿を見られたのはギャップがあっておもしろいかな。


「ほら、このお店」

「おおお!」

 

 なんだかオシャレっぽいたたずまいの木造の小屋。

 テラス席にはすでにパラソルの下でスプラなんとかパフェと思われるものを楽しむカップルがいた。

 器からパフェが溢れる感動はせっかくなら目の前で堪能したいのでスッと視線を逸らす。

 それは釜瀬くんも同じみたいで、気になるのを必死に堪える姿はちょっと可愛いと思ってしまった。


「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」

「二名です」

「ご案内いたします」


 翡翠ちゃんの胸を小さくして雰囲気を明るくしような綺麗なお姉さんが出迎えてくれた。

 胸が小さくて明るかったらそれはもう翡翠ちゃんではない気もするけど、ちょっと髪を切って物腰を柔らかくすればいいのになって思う。

 

「さっきチラッと見ちゃったけど、すごかった」

「うん。一目でスプラなんとかってわかった」

「スプラッシュパッションね」

「そう、それ!」


 パフェが来るまでも、来てからも、食べ終えてからも、お兄ちゃんや百井先輩の話題には触れない範囲で学校の話題で盛り上がった。

 そこにされ触れなければ友達として会話ができる。

 

 おいしいものを食べればおいしいと言い合うし、おもしろい映画を見ればおもしろいと言い合う。

 ウインドウショッピングでお互いに似合いそうな服を見つけて、お金がないだのバイトしなきゃだの愚痴ったりする。

 

 楽しいのラインは超えてるけど好きのラインは超えてない。

 わたしの感情をグラフにしたらきっとそんな感じだ。

 そして好きの上には、好きな人と一緒で楽しいが存在している。


 そんな風に自分の感情を分析できるようになって、ふと翡翠ちゃんのことを思い出す。

 あの時の感情はどこまで振れていたんだろう。

 手に残ったおっぱいの感触と共に思い起こそうとした時、釜瀬くんが少し低めトーンで話し掛けてきた。 


「ねえ高月さん」

「ん?」


 夕陽に照らされる釜瀬くんの顔はまるであの日の百井先輩みたいで表情がよく見えない。

 百井先輩はどんな顔でお兄ちゃんの告白を受けたのだろう。

 勝利を確信していたのかな。それとも迷っていたのかな。

 今となってはその答えを知る方法はない。


「俺とのデート、イヤだった?」

「え!? 全然ヤじゃないよ。どうして?」


 そして釜瀬くんの口から出た言葉は愛の告白ではなかった。

 彼の指摘に心臓がキュッと握られる。


「全然楽しそうじゃなかったっていうか。高月先輩と一緒の時はもっと笑顔が眩しかったっていうか。俺が好きになった高月さんがいなかった……って、それは俺のせいだよな。ごめん。忘れて」


 全て見透かされていた。

 そう見えないように一生懸命取りつくろって、少しでも前向きに釜瀬くんとのデートを楽しもうとしていたのに。

 裏を返せば釜瀬くんはわたしをよく見てくれていた。

 表面だけでなく中身までしっかり。まるでお兄ちゃんみたいに。


 恋に落ちる瞬間なんて他人から見れば他愛のない理由だったりする。

 わたしはちゃんと落ちたのかな。

 まだお兄ちゃんにしがみついているような気もする。


 だって理由が『お兄ちゃんみたい』なんだから。

 きっとわたしはまだお兄ちゃんに恋をしていて、その代わりとして一番近い存在が釜瀬くんだったというだけ。


 翡翠ちゃんのことをいい性格してるなんて言ったけど、わたしも大概だ。


「釜瀬くん」


 だからわたしは決めた。

 翡翠ちゃんがわたしをお兄ちゃんの代わりにしようとして失敗したみたいに、わたしもお兄ちゃんの代わりを見つけて失敗しよう。

 失敗しなきゃダメなんだ。

 兄妹きょうだいであることを理由に告白しなかったわたしがお兄ちゃんを諦めるには、別の失敗が必要だから。


「わたし達、付き合おっか」


 高月たかつき夜夏よるか。もうすぐ十七歳。人生で初めての彼氏ができました。

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