第4話 ちがう

 一年生の時に同じクラスになって今年は別のクラスになった釜瀬かませ隆哉たかやくんに告白されたのは二週間ほど前の話だ。

 その日は雨が降っていて体育館裏に呼び出されても絶対に行かなかったと思う。

 天気のことまで考えていたのか釜瀬くんはわたしを視聴覚室に呼び出した。

 

 クラスの男子の中ではわりと仲が良かった方だと思う。

 わたしやお兄ちゃんと同じ剣道部に所属していてあまり存在を意識していなかったけど、初めての席替えで出席番号順が崩れた時に隣になってよく話すようになった。


 背はお兄ちゃんより高いし、顔も整っている。おまけに成績もよくて男女共に人気があってクラスの中心にいるようなタイプ。

 お兄ちゃんとは真逆どころか全てにおいてまさっていると思う。

 それでもわたしにとってはお兄ちゃんが一番だった。

 うまく言えないけど、身長や顔や成績や人気でお兄ちゃんを好きになったわけではないから、どんな要素で勝負してもわたしの中ではお兄ちゃんが不正な判定勝利を収めてしまうのだ。


 釜瀬くんにLINEで呼び出された時は告白なんだろうなって思った。

 自意識過剰かもしれないけど、部活で会うのにわざわざ二人きりなんてそれしかない。

 この時はまだお兄ちゃんが百井先輩に告白するなんて思ってもみなかったからすぐに断るつもりでいた。


 相手の告白を聞きもせず最初から断るなんて悪いと思いつつ、わたしにはお兄ちゃんがいればそれで良いと思っていたから。

 

 そしてたぶん釜瀬くんもそれを理解していた。

 わたしのお兄ちゃんがお兄ちゃんであることを武器にして腕に抱き付いたり、肩を寄せ合ったり、まるで恋人のようなスキンシップを取っていた。

 雛田さんにそれを見られていたのかと思うとちょっと恥ずかしい。

 

 ついさっきまでもっと恥ずかしいことをお互いにし合っていたわけだけど、それとこれとは話は別。

 恋人みたいなスキンシップを取っていても恋人にはなれなかったんだから実に滑稽だ。


高月たかつきさん好きだ! 俺と付き合ってください!」


 視聴覚室に入るなり躊躇ためらいもなく告白されてしまった。

 もう少し間というか世間話みたいなものがあるのかと想像していたので驚きのあまり声を失ってしまう。

 その動揺がよくなかった。


「返事はあとで大丈夫だから! それじゃ!」


 言いたいことだけ言って釜瀬くんは視聴覚室をあとにした。

 雨音だけが響く部屋の中でわたしは一人呆然ぼうぜんと立ち尽くす。

 断るタイミングを逃してしまった。


 LINEで断ってもいいのかな。部活で気まずいな。同じクラスじゃなくてよかった。

 

 わたしの中ではすっかり断る前提で、あとはその後の学校生活をどう過ごすで頭がいっぱいになっていた。

 部活にはお兄ちゃんもいるから変なことはされないはず。

 うん。きっと平気。釜瀬くんだってそんな悪い人ではないんだから。

 自分に言い聞かせて心を落ち着かせる。


 このドキドキはたぶん恋愛のドキドキじゃない。これからの不安を考えたことによる心労だ。

 わたしはお兄ちゃんのことで手一杯なのに本当に余計なことをしてくれた。

 一応考えた雰囲気を出すためにしばらく答えは保留にしておこうかな。

 

***


「なるほど。キープしていたというわけね」


 お風呂であんなことがあったので気まずくなるのかと思いきや雛田ひなたさんは変わらぬテンションでわたしの恋バナに毒吐いた。

 そんな湯上がりの雛田さんはキャミソールに短パンという意外にもラフな格好だ。

 ブラから解放されたたわわなおっぱいの存在が布の上からはっきりと分かる。


「嫌な言い方しないでよ。お兄ちゃと百井ももい先輩の雰囲気が怪しくなって釜瀬くんどころじゃなくなったの」


 わたしも家では雛田さんと同じような恰好だけど、さすがに他人様の家であまりだらしのない格好にはなれない。

 ちょっと暑いと思いつつ、子供っぽいと小バカにされるのを覚悟でひよこ柄のパジャマを持参した。

 お兄ちゃんに選んでもらったお気に入りというエピソードは今は封印しておこう。


「キープはキープじゃない。失恋したから告白を受けるなんて」

「それは結果的にそうなっただけで……って、さっき口を出すようなことじゃないって言ってなかったっけ?」

「口出しはしていないわ。感想を述べてるだけ」

「むむぅ……」


 あたかも自分の意見が正しいですみたいな涼しい顔で言われると説得力が出てくるから不思議だ。

 わたしが雛田さんに口喧嘩で勝つのはきっと無理なんだろうな。

 そうと分かれば変に対抗するのは無駄というものだ。


「それでね。翡翠ひすい…ちゃんに、証人になってもらいたい」

「何よ急に名前呼びなんて」

「おっぱいを吸い合った仲なんだし名前で呼んでもいいじゃん」


 本当に不思議な仲だ。いくら仲が良くてもおっぱいは吸い合わないと思う。

 それに出会ったのは去年だけどこんなにお話したのは今日が初めてに近い。

 同じ人を好きになって、その人に恋人ができたからフラれたような状態になり、今こうしてお泊りしている。

 距離の詰め方が本当におかしい。


「はぁ……呼び方なんて何でもいいのだけれど、いつまでも高月さんじゃ高月先輩のことを思い出してしまいそうだものね。わかったわ夜夏よるか

「おわっ! 翡翠ちゃんだっていきなり呼び捨てじゃん」

「ちゃん付けはなんだかむずがゆいのよ」

「あー、わかる。翡翠ちゃんに『夜夏ちゃん』って呼ばれたら鳥肌立つかも」

「鳥肌立たせてあげましょうか?」

「遠慮しておきます」


 別に翡翠ちゃんから『夜夏ちゃん』って呼ばれるだけならたぶん平気。

 きっと翡翠ちゃんはあえて耳元でささやくように『夜夏ちゃん』って言ってきそうだったから。

 そんな風にドキドキさせられたらお風呂場での出来事を思い出してしまう。

 人の弱点を的確に突いてくる翡翠ちゃんに変な武器を与えてしまったことを後悔した。


「それで証人というのは? 婚姻届けでもあるまいし」

「今からLINEで返事をしようと思ってて、その行く末を見守ってほしいというか」

「夜夏がよくてもその釜瀬くんが嫌がるんじゃないかしら? 知らないところでネタにされてるみたいで」

「って言うか翡翠ちゃんのLINE教えてよ!」


 告白の返事をすることよりも今日新しく友達になった女の子のLINEを知らないことの方がわたしにとっては重大だった。

 ハッと気付いてわたしは翡翠ちゃんに抱き付いた。


「教える。教えるから。なんで抱き付いてきたの」

「拒否されたらこのまま締め付けてやろうかなって」

「……教えて即ブロックしようかしら」

「ウソウソ! 冗談だって。なんかくっつきたい気分だったの」

「この暑いさなかに……だから女子のコミュニティって苦手なのよ」


 クラスで見る翡翠ちゃん、まだ雛田さんと呼んでいた頃の翡翠ちゃんは別にぼっちというわけではない。

 ちゃんと友達と談笑しているし、行事にもちゃんと参加している。

 だけどどこか薄いアクリル板みたいな見えない壁を張っているようにも見えて、その壁を上手に取り除いていたのがお兄ちゃんなのかなって思った。


「うーん、この弾力。くせになる~」

「学校でそれやったら本気で怒るから」

「ここでなら?」

「……まあ、許してあげる」


 大きなおっぱいを自由に揉める喜びというより、自分だけが翡翠ちゃんのこんな姿を知っている優越感に襲われる。

 きっとお兄ちゃんだって……いや、待って。いきなりラブコメ主人公みたいにモテはじめてたからもしかして……。


「翡翠ちゃん念のために確認するけどわたし以外の人に揉まれた経験は?」

「あるわけないでしょ!」

「ほうほう」


 真っ白な肌が羞恥しゅうちあかに染まる。この反応はきっと事故的に誰かに揉まれたな。

 お兄ちゃんも知らない世界に飛び込んでマウントを取ってやろうと思ったのに残念でならない。

 

「LINEは? いいの?」


 呆れ半分に翡翠ちゃんはしっかりスマホを持ちQRコードを表示してくれていた。

 口は悪くて素直じゃないくせに行動は素直なんだよな。そんなところが可愛いって思ったけど口に出すとまた怒られるから黙っておく。 

 ちゃんと学習するわたし偉い!


「わあ! このアイコン綺麗」

「素直に受け止めておくわ」

「本当に綺麗だって。宝石の翡翠でしょ?」

「その通り……と言いたいところだけど不正解。これはエメラルドよ」

「え? 翡翠って名前なのに?」

「五月の誕生石なのよ。みんなこのアイコンに映る宝石を翡翠だと思っているけれど本当は違うの」


 翡翠ちゃんはなぜか得意気に語る。アイコンで人を騙して楽しいのだろうか。

 わたしも自撮りを加工したのをアイコンにしてるから騙してるみたいなものだけど。


「中には気付いてる子もいるかもしれないけれど今まで誰からも指摘されたことはないわ。このアイコンが翡翠でもエメラルドでもどっちでもいい。それがみんなから私に対する評価なのでしょうね」

「どっちでもよくないよ。大切なことだって。このアイコンはエメラルドで翡翠ちゃんの誕生日が五月。覚えた!」


 翡翠ちゃんの大きな瞳を真っ直ぐに見つめてわたしは宣言した。

 LINEを交換しただけなのに翡翠ちゃんの情報がどんどん出てくる。

 今まで恋のライバルだと思っていた相手なのに、わたしは翡翠ちゃんのことを何も知らなかった。

 

「それは……ありがと」


 スッと視線を逸らし、頬を赤く染めたままぼそりとお礼の言葉をつぶやいた。

 ふむふむ。翡翠ちゃんはこういう風に攻められると弱いのか。また一つとても重要な情報を手に入れてしまった。


「夜夏の誕生は七月二日かしら?」

「すごっ! なんでわかったの!?」

「IDに72って入っていれば予想は付くわよ。まさかバストサイズをIDにしないでしょうし」

「失礼な! 74はあるしまだ成長中ですぅ!」


 思わず反論してしまったけど具体的な数字は言う必要があっただろうか。

 揉まれて吸われているとは言え正確な情報を包み隠さず伝える必要もない。

 ああ、やってしまった。せっかく翡翠ちゃんにマウントを取れてたのに。


「胸の話はもうおしまい! 本題は釜瀬くんへの返事!」

「先に話を逸らしたのは夜夏じゃない」


 翡翠ちゃんはハァっとため息を吐いて冷たい視線をわたしに向ける。

 その呆れ顔が溜まらないと思ってしまうのはちょっとずつわたしが毒されているのだろうか。


「どんな風に返事したらいいかな」

「知らないわよ。その釜瀬くんとやらにも面識がないし」

「そうなの? 結構モテるみたいだよ?」

「そんなモテる男子に告白されたわたしもモテますっていう自慢?」

「だから違うってば」


 本当にそういう意図はない。翡翠ちゃんは本気ではそう思っていないだろうけど、たぶん他の女子は違う。

 ブラコンのくせに告白されてウザいとか、モテる自慢して調子に乗ってるとか、そんな風に陰で言われてしまう。

 万が一、釜瀬くんから告白の情報が漏れていたらすでに陰口を叩かれているかも。

 そう考えると、ああ……本当に余計なことをしてくれたなって思う。


「これから素敵な彼氏を作って新たな一歩を踏み出すというのに浮かない顔ね」

「だって、別に好きじゃないんだもん」

「それならやっぱり断る?」

「でも、いつかはこんな日が来る。お兄ちゃん離れしないといけない」


 そしてすでにお兄ちゃんはわたしから離れてつつある。

 恋人ができて結婚して家庭を持ったとしてもわたしのお兄ちゃんであることに変わりはないけど、お兄ちゃんの中に占めるわたしの割合はどんどん減っていく。

 それがお兄ちゃんの幸せだし、どんなに仲の良い兄妹きょうだいでもいつかはそうなる。それが兄妹の関係というものだ。


「嘘はきたくない?」

「うん。嘘はやっぱり苦しい」

「すでにこの状況が嘘であることには目をつむってあげるわ。……そうね。『まずは一度、二人で遊びに行きませんか?』なんてどうかしら。好きとも嫌いとも言っていない。一回のデートで相手の気が変わるかもしれないし、夜夏が釜瀬くんを気に入るかもしれない」

「おお! あなたは恋愛の神ですか!?」

「私が恋愛の神なら今頃は夜夏の義姉あねになっていると思うのだけれど」


 翡翠ちゃんが義理のお姉ちゃんかあ。そんな『もしも』を想像したら視線が自然と胸元に行ってしまう。


「どちらにしろ夜夏と高月先輩は兄妹であって恋人にはなれない世界なのだけどね」

「できたての傷に塩を塗るのはやめなされ」

「私だって自分で言ってて辛いのだから許しなさいよ」


 自ら失恋をネタにするなんてメンタルが強いのか案外おバカなのか。

 だけど、一人でうじうじしてるより遥かに早く回復できている……気がする。

 ラブコメに登場する恋のライバルもこうして友情を育んているのかも。 


「まあとにかく翡翠ちゃんが考えてくれたLINE送ってみる」

「どうなっても私は責任を取らないわよ」

「うん。あとはちゃんと自分でどうにかする。ありがとう」


 一字一句、翡翠ちゃんが考えてくれた言葉を告白の返事として釜瀬くんに送信した。

 わたしが納得した上で採用した案だけど、これは本当にわたしの答えなの?

 新しい恋が始まるかもしれない大切な夜なのにこれっぽっちもドキドキしない。

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