第3話 妥協

「本当に一緒に入るの?」

「もう服は脱いでしまったし、汗まみれの下着を付け直すのは気持ちが悪いわ」


 長い黒髪を後ろでまとめながら雛田ひなたさんは言った。

 ここは雛田さんの家のお風呂だしその気持ちもよく分かる。

 仲の良い友達とのお風呂だって恥ずかしかったのに、中途半端に知っている相手と一緒だなんて一番恥ずかしいやつだ。

 

「早くしないと夕飯ができちゃうわ」

「わかったわかった。雛田さんに従います」


 いつまでも脱衣所で言い争っていても仕方がない。

 すでにお互い裸になり、隠す気のない雛田さんの体をしっかり見てしまっている。

 あとはわたしが自分の体を隠しながらササッと入浴を済ませるだけだ。


「なんだか修学旅行みたいよね」

「お風呂の広さがより一層修学旅行感を引き立ててるわ」

「右からシャンプー、リンス、トリートメントになってるから好きに使ってくれて構わないわ。ただ、順番はちゃんと戻しておいて。父は近視だから勘で使ってるみたいだから」

「あー、それなんとなくわかる。自分ではいつもの並びになってると思って使ったのに違うのがにゅるって出てくるとへこむ」


 何気ないお風呂あるあるエピソードを披露したのと同時に、その原因がお兄ちゃんであることも思い出してさらにへこんだ。

 お兄ちゃんはシャンプーの順番とかあんまり気にしてないけど女の子とってはとても大切な問題。

 そう言えば去年くらいから順番が入れ替わってることがなくなったっけ。

 やっぱり好きな人ができて少し考えが変わったのかな。


「まずは汗を流しましょう。誰かさんに走らされたから気持ち悪いわ」

「そんなに根に持つことないじゃない」

「あなたには分からないかもしれないけれど胸の下側って汗がたまりやすいのよ」


 隣に座った雛田さんをチラ見すると、たぷんと胸に脂肪の塊がぶら下がっている。

 その塊の下部分と体はハンバーガーみたいに密着していて汗がたまりそうな構造だった。

 同じ女でも知らないことがあるものだ。


「そんなに珍しいかしら?」

「ふぇ!? あ、いや、まあ……ははは」


 ハンバーガーみたいになった部分に泡まみれの手を入れて洗う様子を見て、ほんのちょっとだけ自分のあの空間に手を入れてみたいと思った。

 いやらしい感情ではなく知的好奇心として。もう高校二年生。成長期はすでに終わったか残りわずか。

 今からあそこまで成長するのはきっと無理だと自分を客観視している。


「私からすれば高月たかつきさんが羨ましいわ。サイズでマウントを取ろうとかじゃなく、常に形が崩れないから」

「崩れるほどのものじゃねーですから」

「だから卑屈にならないでよ。走ったりすれば動いて目立つし、なんかこう、人の視線が恐いのよ」

「なんかごめん」


 大きいゆえの悩みというやつか。わたしも自分にはないものだから興味本位で見つめてしまって反省。

 小さい人は大きい人が、大きい人は小さい人が羨ましい。うまくバランスが取れているようで、そもそもサイズの違いを生み出してしまっているのがバランス崩壊の原因なんだから一律にすればよかったんだ。

 そのアンバランスさが個性であり、誰かが選ばれて誰かが選ばれない結果を生み出しているのだから。


「だけどまあ、こうしてる間はお兄ちゃんのことを思い出さずに済むわ。ありがとう」

「……私は今の発言で高月先輩が脳裏をよぎってしまったのだけど、どう責任を取ってくれるのかしら?」

「ええ!? それわたしのせい?」

「罰としてあなたの背中を流させて」

「はいはい。喜んで……って、ん? わたしが雛田さんの背中を流すんじゃなくて、雛田さんがわたしの背中を流すの?」

「そう言ったつもりなのだけど聞こえなかったかしら」

「しっかり聞こえてたけど、それわたしに対する罰になってなくない?」


 どうにも話が噛み合わなくて混乱する。ただでさえ初めての場所で緊張気味だというのに雛田さんの発言がそれに拍車を掛ける。

 雛田さんはシャワーで泡を洗い流すとスッと椅子から立ち上がった。

 わたしは雛田さんを見上げるような体勢になり、その大きさを別の角度から堪能する。


「あなたと高月先輩が兄妹なら、その肌は半分くらい高月先輩と同じということでしょ?」

「え……」


 雛田さんの指摘に心臓がキュッと締め付けられる。そんなことは考えてもみなかった。

 兄妹きょうだいだから似ているところがあって、でも別の人間で、自分の体がお兄ちゃんと同じものだなんて。

 

「もちろん男女の違いはあるし、高月先輩はスキンケアとか気にしなさそうだからあなたの方が触り心地は良いのでしょうけど」

「そりゃそうだよ。だってわたしとお兄ちゃんは別の……」


 人間と言いかけたところで雛田さんの暖かい手が背中に触れた。

 お兄ちゃんの告白現場から逃げだした時に感じた時よりもさらに熱く、そしてなまめかしい感触が全身に広がっていく。


「あの、素手で洗ってくれるのでしょうか?」

「当然よ。お客様の肌に傷を付けるわけにはいかないもの」

「お気遣いどうもっす」

「それに、この背中を高月先輩だと思うと直接触れないともったいない気がして」

「…………」


 浴室内は蒸し暑いはずなのに体温がスッと引いていく感覚を覚える。

 今、雛田さんはわたしをお兄ちゃんの代わりにしている。

 わたし達の関係は友達ではない。なんて説明していいのか整理が付かなかったけどようやく理解できた。


「わたしをお兄ちゃんの代わりにして満足? 吹っ切れられた?」

「全然。むしろ虚しさだけがこみ上げてきたわ」


 強がるわけでもなく、皮肉を言うでもなく、雛田さんは素直にそう言った。

 彼女自身も分かっていたと思う。わたしではお兄ちゃんの代わりにならないことぐらい。

 だって、寒気を感じて自分の体をギュッと抱きしめてもお兄ちゃんの温もりは感じられないから。


「それにしても綺麗な髪ね」

「雛田さんだってサラサラロングで素直に羨ましい」

「手入れは面倒なのだけど長いのに慣れるとなかなか切れなくて」

「あー、わかる。わたしも伸ばしたいんだけど家事のことを考えるとある所で切っちゃうのよ」

「それは家庭的アピールかしら?」

「なんでそうなるのよ」


 まったくいちいち突っかかってくる。ちょっと鬱陶しいけどツッコミの才能があると思えば可愛いものだ。

 それに家事の話をするとたいてい「偉いね」と褒められる。

 こうして家庭的アピールだなんて嫌味を言われたのは初めてでちょっと新鮮だったり。


「失恋すると髪を切るって言うけれど、高月さんはどうなの?」

「んー? 切ってもいいような、切らなくてもいいような。わたしの場合、髪を切って気分転換しても家でお兄ちゃんには会っちゃうし。そういう雛田さんは?」

「私はこのままよ。髪が長いと隠れられる気がするし。この顔も、胸も」


 雛田さんは不特定多数の人にモテるより、一人の人に愛されたいタイプなんだろうなと思った。

 もちろんわたしもそのタイプ。

 いろんな人に好意を持たれても結局はこじれて全部失っちゃいそうで。

 そういう意味ではちゃんと一人の女の子を選んだお兄ちゃんは偉いと思うと同時に、わたしを選んでくれなくて最悪だ。


「断髪式をやるなら手伝うわよ」

「うーん……それもいいわね」

「え?」

「だから、雛田さんに切ってもらうの」

「本気で言っているの?」

「先に言い出したのは雛田さんじゃん」

「それはそうだけど……。お兄さんへの復讐を兼ねてあなたをとんでもない髪型にするかもしれないわよ?」

「絶対にしないくせに」

「……まあ、それは」


 雛田さんは嫌味を言うし毒もあるけど他人を蹴落とすことはしない。

 ちょっと不器用だから素直になれないだけって、なんとなくだけどそんな気がする。裸を晒し合った仲だしね。


「どんな風にカットしてもらおうかな~」

「待って。それは本当に美容室に行った方がいいわ」

「ん~。きっとそれがオシャレ的には正解なんだろうけど、友情の証的な?」

「友情の証?」

「一緒にお風呂入ってご飯食べて寝たらもう友達でしょ。うん。そう決めた。友達じゃないと謎過ぎる」

「ふふ。あなたって本当におもしろいわね」


 それはこっちのセリフだよ。失恋相手の妹を家に招くとか普通じゃ考えられない。

 わたしはお兄ちゃんのことを思い出しちゃうし、雛田さんだってお兄ちゃんのことを思い出しちゃう。

 傷が癒えるどころか塩を塗るような行為だと思う。

 その誘いに乗っちゃったわたしもわたしだけどね。


「髪のことはひとまず置いていて湯船に行きましょうか。あまりのんびりしていると夕食が冷めてしまうわ」

「そうだね。夏に食べる七面鳥は貴重だもん」


 わたしと雛田さんは泡を洗い流し、お互いに何も隠さずに大きな湯船へと向かった。

 内心では結構恥ずかしいけど、あそこまで体が触れ合った仲なのに今さら隠すのはおかしな気がしてできなかった。


「うわ~本当に広いね。足を伸ばしても全然平気」

「これが普通だと思っていたから新しい文化に触れた気分だわ」

「あんた、あんまりそういうこと言わない方がいいわよ」


 わたしの指摘に雛田さんはあまりピンと来てない様子だ。 

 顔や胸を隠す奥ゆかしさはあるのに裕福さを隠す感覚は持ち合わせていないらしい。

 自分を特別だと思っていないゆえの発想なのかもしれないけど。


「それにしても、浮くのね」


 わたしは雛田さんの脂肪の塊……いや、もうこれはおっぱいと呼ぶべきだ。

 同い年とは思えないほどに育ったおっぱいはお湯の中で浮力を得ていた。


「本当に迷惑な話よ。普段は体に張り付いて蒸し暑いのにお風呂では浮いて主張するなんて」

「あ、あの……触ってみてもいいでしょうか。その、友情の証として」

「はぁ……別に構わないわ」

「お邪魔します」


 なんでお邪魔しますと言ったのかは自分では分からない。でも、友達が普段隠そうとしている部位に立ち入るのだからこの表現で合っているはずだ。

 湯船に浮かんだおっぱいを恐る恐る掴むと、むにっという感触が指から脳に伝わる。

 お湯の中から出て来ない自分のものと揉み比べても弾力が違い過ぎてまるで別物だ。


「ねえ、友情の証と言うのなら」


 雛田さんは湯船に潜るとそのままわたしの体に抱き付いた。そして……。


「あんっ」


 自分でも驚くくらい甘くいやらしい吐息が漏れた。

 浴室の壁に反響した声が耳に戻ってくるとより羞恥の炎が燃え上がる。


「ちょっ! 雛田さんなにして」

「友達なのだからこれくらいはいいんじゃないかしら?」

「おかしいよ。そんなの」


 きっとこういうことは恋人同士がすることだ。

 そんな考えが脳裏をよぎった時、真っ先に浮かんだのはお兄ちゃんと百井先輩だった。

 わたしがお兄ちゃんとは絶対にできない行為。してはいけない禁忌。

 いつかお兄ちゃんは百井先輩とするのかと想像しただけで体が冷たくなる。


「高月さんもほら、いいわよ」


 雛田さんはそっとわたしの頭を抱いて、そのまま豊満な胸へと押し当てた。

 彼女は何を思ってわたしにこんなことをしているのだろう。お兄ちゃんの代わりにすることを諦めきれていないのかな。

 心地の良い弾力に包まれているとだんだんと考えることが面倒臭くなり、わたしはただ雛田さんに身を任せた。 


「実はわたし、告白されてるんだ」

「あら、こんな状況でモテる自慢かしら?」


 うりうりとおっぱいの中で頭を動かして反論する。

 よく知らない男子にモテても何も嬉しくない。

 むしろあの告白はわたしに余計な悩みを与えただけだと、その時は思っていた。


「すぐに断らないなんて、本当はお兄さんのことが好きじゃなかったの?」


 雛田さんの言葉で我に返ったわたしは楽園から現実へと戻った。

 おっぱいの圧力から逃れたわたしはハッキリと断言する。


「違うって。一方的に告白されて相手が勝手に去っていったの」

「それで、なんで急にそんな話を?」

「妥協……とは違うかな。新たな一歩を踏み出すために」

「そう。私が口を出すことじゃないわね」


 恋バナを聞いてテンションを上げるわけでもなく、雛田さんは淡々と言い放つ。

 お互いにおっぱいを吸ったり触ったりした仲なのに冷たいなと思った。

 そもそもわたし達の友情関係が少しいびつなんだ。

 なんかお風呂の熱気に当てられて変なことしたり言ったりしたけど、このあと冷静に夕飯を頂けるだろうか。

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