第2話 もどらない

 お兄ちゃんからあっさり許可が下りて雛田ひなたさんの家にお泊りすることになった。

 くれぐれも彼女を家に連れ込まないように釘を刺そうと思ったけど、なんでそのことを知っているのか問い詰められたら言い逃れできないからやめた。

 真面目なお兄ちゃんのことだし付き合った初日から百井ももいさんとお泊りなんてことはないよね?

 これはそう、妹として兄の貞操ていそうを心配してるだけ。

 自分に言い聞かせた理由がわたしを妹だと改めて定義付けたことに胸がキュッとしま付けられた。


「うちの親もOKだって。文字からでもテンションの高さが伺えるわ」


 そう言って雛田さんはスマホの画面をわたしに見せた。

 各所に絵文字が散りばめられていて親世代のセンスという感じだ。


「本当に平気なの? たいして仲良くもない。それどころかわたしからしたら元恋のライバルなんですけどね」

「もう終わった話じゃない。フラれた者同士仲良くしましょう」

「フラれてないですぅ! たまたま今は百井先輩に気持ちが傾いてるだけですぅ!」

「それは私にまだチャンスがあるって慰めてくれているのかしら?」


 ふふっと自嘲じちょう気味に笑う雛田さん。

 いちいち皮肉で返してくるところが本当に憎たらしい。でも、そんなところが彼女の魅力だとも感じる。

 世の中を見下すようなクールな笑みは心にグサッと突き刺さるけど、弱いところをちゃんと心得えて刺してくるというか、もういっそのこと全てを曝け出してしまいたくなる。

 

「そうだ。さすがに着替えは用意できないから一度帰ってもらっていいかしら。高月先輩はまだあそこにいるし、急いで帰れば会わずに済むでしょう?」

「う、うん。電車の本数も少ないから一本でも違う電車に乗れれば準備してお兄ちゃんに会わずに出て来られると思う」

「待ち合わせはどうしましょうか。また学校というのも少し面倒だし……」

「一緒にうちまで来ればいいじゃん。どうせ目的地は同じなんだし」


 有無を言わさず雛田さんの手を取り校門へと駆け抜けた。

 汗でブラウスが肌に張り付いて気持ち悪い。蒸し暑さのせいだけじゃない。片思いしていたお兄ちゃんに間接的にフラれてしまったストレスが汗となって表れている。

 きっと手も脂汗でびちゃびちゃになっていて、雛田さんに気持ち悪がられてないかほんのちょっと心配になった。  


 便宜上べんぎじょう友達ということになっているけど本当は友達と呼べる関係ではない女の子の手を握るのは初めてだ。

 意外にも彼女の手はすごく温かくて、手が温かいと心が冷たいという噂は本当なのかなんて思った。


「ちょっと……まって」

「え? 急いだ方がいい的なことを言ったの雛田さんじゃん」

「そんなに走られると、む、むねが」


 後ろを振り返ると雛田さんが苦悶くもんの表情を浮かべていた。

 それは蒸し暑い中で走っているからだけではなく、胸に付いた脂肪の塊が大きく揺れ動いているからだとすぐに察した。

 普段はそこまで大きく感じなかったけど、こうして動くと存在感が増すのか。今のわたしには縁のない話である。

 

「わかった。少しペース落とす」

「ハァ……ハァ……なんでこんなことに」

「雛田さんがわたしのことを想って家に招待してくれたから」

「余計なこと……ハァ……しなければよかった」

「今からでもキャンセルする?」

「いいえ。母がはりきって料理するって言ってたからそれを無駄にはできない」

「ふーん。主婦の大変さをわかってるじゃん」


 息を切らしながらもわたしに対してちょっとした敵意のような向けてくる。

 もっとクールな性格だと決めつけていただけに、意外と意地っ張りな一面もあって可愛いなんて思ってしまった。

 それに夕飯を準備する大変さを理解しているのも偉い。

 お兄ちゃんは一度もなかったけど、お父さんは仕事の都合で急に帰ってこない日もあって、冷凍しにくいものは二人で一緒に食べて動けなくなったっけ。


 ああ、もう! 何をするにもお兄ちゃんとの思い出が蘇ってくる。

 今までずっとお兄ちゃん中心の生活だったから仕方ない。

 

高月たかつき先輩と百井ももい先輩、どうせすぐには帰らないわよ。あなたの家に誰もいなくても百井先輩は帰らなくてはいけない家がある。それならせめてギリギリまで二人の時間を過ごすんじゃないかしら」

「雛田さん目から汗がこぼれてるよ」


 体は正直とはよく言ったもので、淡々と予測を語る雛田さんは思い切り泣いていた。

 一体どこまで想像して、どこからまだありえないと割り切ったのだろう。

 自分の好きな人が他の人と愛を深め合う。もしかしたらその相手が自分だったかもしれない。

 期待と後悔が脳の中でぐちゃぐちゃに混ざり合って最終的に出来上がるのは絶望だった。


***


 雛田さんの家はうちの最寄り駅から三駅の所だった。

 三駅離れたところで町並みはあまり変わらず地元の延長戦という印象を受ける。

 そうは言っても土地勘はないので、さっきみたいに先導切って走るわけにもいかず雛田さんの案内に従った。


「おじゃまします」

「いらっしゃい。可愛い子ねぇ。さ、あがってあがって」


 雛田家の玄関を開けると出迎えてくれたのは長い黒髪が印象的な若々しいお姉さんだった。

 お姉さんというのは雛田さんの姉という意味ではなく、お姉さんと称するのが適切な若々しいお母さんという意味だ。

 前にお兄ちゃんが雛田さんは一人っ子だと話していたから間違いない。


「ちょっと雛田さん。あんたのお母さん何歳の時に出産したのよ」


 お母さんに聞こえないように小声で娘に確認する。


「二十八の時だけど……うん。今、四十四歳だからそれで合ってる」

「よ……四十四? 本当に?」


 もしいろいろあって十五歳の時に出産してても娘が十六歳なら母親は三十一歳。

 どう見ても二十代前半にしか見えないキメ細かな肌と髪の艶、何より胸の形が良すぎる。

 あれだけ大きければどんなに努力して良いブラもしてても多少は重力に負けるもんじゃないの?


 この遺伝子を受け継いで生まれた雛田さんが羨ましい。

 わたしには自分のお母さんの記憶があまりないだけに尚更だ。

 写真で姿を見たことはあるけど、自分がお母さんのどんな部分を受け継いでいるのかイマイチ実感がない。


「ママのことはどうだっていいでしょう。早く荷物を置きにいくわよ」

「ママ?」


 雛田さんの口から出た意外な言葉に思わず頬がゆるむ。

 お堅くクールなイメージの雛田さんが母親をママ呼びだなんて意外すぎる。

 さっきまで母と言っていたのはキャラ作りで無理してたのかと思うと余計に可愛い。


「別にいいでしょう。ちゃんと外では母と呼んでるんだから」

「ふーん? わたしの前でもママでいいんだぁ?」

「ちょっと油断しただけよ。クラスで言いふらしたければ言えばいいわ。ママはママであることに変わりはないのだし」

「言わないってば。ふふ、ママかぁ」

「追い出すわよ?」

「申し訳ございませんでした」


 ギロリと鋭い眼光で睨みつけられたわたしは頭と体が直角になるように深々と謝罪した。

 ここは雛田さんの家なのだから雛田さんがルール。

 逆らえば夕飯にありつけないどころかお兄ちゃんと気まずい夜を過ごすことになる。

 

「そうそう、七面鳥が焼き上がるまでまだ時間が掛かるから先にお風呂に入っちゃって」

「はーい」

「いや、七面鳥!?」

「そんなに驚くこと?」

「七面鳥ってクリスマスメニューでしょ!? なんで急にあるの?」

「我が家ではよくある夕食なのだけれど」


 やっぱり雛田さんの家ってお金持ちなんだな。

 門構えからしてそんな雰囲気は漂っていたし、四十四歳にしてあの若々しさは天性のものとお金の力で得たものなんだ。

 

「それじゃあ一緒に入りましょうか。さすがに二人分の入浴時間よりも長くは掛からないでしょうし」

「いやいやいや、ここは家主やぬし雛田ひなたさんから」

「それを言うならお客様である高月たかつきさんからじゃないかしら」

「ならわたしが遠慮なく」

「荷物を置いたら案内するわ」


 雛田さんの距離の詰め方がお菓子の詰め放題なみの強引さで思わず大きな声で反論してしまった。

 このやりとりを聞いて雛田さんのお母さんはどう思ってるのかな。本当に友達なのかって疑っていないか少し心配になる。

 まあ本当に友達と呼べるような関係ではないからその疑惑は正しいけど。


 雛田さんの部屋は予想していたよりも広く、ベッドの横にはすでにふかふかの布団が用意されていた。

 

「すごい。まるでホテルだ」

「布団で平気かしら? さすがにこのベッドに二人で眠るのはちょっと狭いし」

「全然平気! むしろうちの布団より快適そう!」


 ベッドにしたってちょっと狭いのを我慢すれば女の子二人なら全然寝れそうな大きさだ。

 こうして雛田さんの家のスケールの大きさを体感した瞬間だけは失恋のショックを忘れられる。

 少し冷静さを取り戻すと、あの後お兄ちゃんと百井先輩はどうしてるのかなって考えてしまうけど、それでも自分の部屋で一人でいるよりはだいぶマシだと思えた。


「浴室はこっちよ」

「よろしくお願いします」

「狭かったらごめんなさいね」

「お構いなく」


 口ではそう言ったけど内心では絶対うちより広いんだろうなって思った。

 ここにきてお風呂だけ異様に狭かったら建築士のセンスを疑うよ。


「さ、お先にどうぞ」

「う、うん?」


 そう言い残して雛田さんは脱衣所の扉を閉めた。

 こういう場合って「ごゆっくり」じゃないかな。先に入るのはわたしだから別に間違いではないけどちょっと引っ掛かった。

 汗で張り付いたブラウスを脱ぎ落し、スカートのベルトを外すと大きな鏡に下着姿の自分が映る。

 

 左の鎖骨の下あたりにあるホクロはお兄ちゃんとお揃いで、お母さんも同じ位置にホクロがあったと聞いたことがある。

 わたしが間違いなくお母さんの血を引いていて、そしてお兄ちゃんと血が繋がっている証拠。

 ここにホクロがなければわたしはお兄ちゃんの恋人になれたのかな。

 

「そんな訳ないか。わたしはお兄ちゃんがお兄ちゃんだから好きになったようなものだし」


 はっきり言ってお兄ちゃんは一目惚れされるようなタイプではない。

 だからわたしは油断というか、いつまでも兄妹仲良く一緒に過ごせると信じていた。

 ああ、ダメだ。一人になった途端ネガティブがどんどん溢れてくる。

 早くお風呂に入って気分を変えよう。


「あら。まだこんなところにいたのね」

「あひゃっ!?」

「変な声を出さないでよ」

「ど、どうしたの? 忘れ物?」

「先にあなたが一人で入って私が合流しようと思っていたのよ」


 まだ下着は脱いでいないので大切な部分は隠れているけれど反射的に胸を腕で、股を手で隠している。

 あまりスタイルにも自信がないし修学力でもタオルを巻いて隠すタイプなのに、一人だと思って完全に油断していた。


「それってつまり一緒に入るってことだよね?」

「違うわ。あなた一人のところに私がたまたま居合わせてしまうのよ」

「なにそのシステム!」


 頭が良さそうな顔をして結構バカなこと言っている。

 うーむ。こんなおもしろいギャップを知ったらお兄ちゃんが気に入ってしまうのも頷ける。

 まあお兄ちゃんが選んだのは百井先輩なんだけど……って、また目から何かが溢れそう。


「いくら蒸し暑いとは言え、そんな恰好のままだと風邪を引くわよ」

「誰のせいだと思ってんのよ!」

「ほら、早くしないと七面鳥が焼き上がってどんどん冷めてしまうわ」

「うぅ……わかったわ。ほら、さっさと済ませるわよ」


 浴室の扉を開けるとそこは大理石の洞窟だった。

 まるで旅館の温泉のように作り込まれた壁に木でできた桶。

 浴槽は二人どころか四人家族でも余裕で入れそうな広さだ。


「雛田さんって何人家族?」

「両親と私の三人だけど」

「お風呂大きすぎない?」

「これくらいないとゆっくりくつろげないでしょ?」


 こんなやりとりをしながら雛田さんは何のためらいもなく服を脱いでいく。

 隠す気はまったくなく、布から解放されたその大きな脂肪の塊がより一層の存在感を放つ。

 もしかして広いお風呂でのびのび過ごすと胸が大きくなる?


「そんなにジロジロ見られると恥ずかしいのだけれど」

「だったら隠しなさいよ」

「……その、隠そうと思ってもうまく隠せなくて……」

「…………」


 今日は災難だ。失恋した上に、まだ友達と呼べるか分からない女の子に胸でマウントを取られてしまったのだから。

 でもまさか、その胸がさらなる波乱を生み出すなんてわたしは思ってもみなかった。 

 

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