ラブコメ主人公の妹が新しい恋を見つける話
くにすらのに
第1話 トワイライト
時刻は十六時半を少し回った夕暮れ時。
梅雨の時期には珍しい晴天になったけれど、湿度と日差しで不快指数はぐんぐん上がっていく。
だけどそれ以上にわたしを不快な気持ちにさせているのは目の前に広がる光景だ。
体育館の裏側というベタな告白スポットに、壁際からこっそり二人を観察するベタな展開。
夕陽が後光のように差して相手の顔はよく見えない。だけどわたしは彼女のことをよく知っている。
「ハル、僕はずっとお前のことが好きなんだ!」
顔は普通。最近はちょっとおしゃれに気を遣うようになったから偏差値で言ったら五十五くらいには上がったかも。
だけどそれ以外は本当に普通で、勉強も運動も特別すごいわけじゃない。
それでもこうして自分の気持ちを伝えられる勇気は賞賛に値する。
わたしはそんな勇気を持っていることを知っていた。
生まれてから十五年間。もうすぐ十六年間になる関係。わたしとお兄ちゃんはずっと一緒に暮らしてきたんだから。
「うん。ウチもだよ。ウチもゆうくんのことが好き」
お兄ちゃんの勇気の告白に応じたのは同じ剣道部の
たださえ小顔のモデル体型なのに最近ボブにしてより顔が小さく見える。
美人で成績が良くて部の中心になるような先輩が、どうしてお兄ちゃんを好きになったのかは分からない。
お兄ちゃんが高一の時は本当にモテなくて心配半分、安心半分という感じだったのに、わたしが二年生になってから妙にモテはじめた。
それこそお兄ちゃんがよく見ているラブコメの主人公みたいに。
わたしはそれがすごくもどかしかった。
ずっと側に居るのはわたしなのに、妹だから恋愛対象から最初からハズレてしまっている。
百井先輩と同じ土俵に立つことすらできず、ただただお兄ちゃんが恋愛に思い悩む姿を見守ることしかできなかった。
お兄ちゃんがこの告白に至るまでに何があったのか、その全ては分からない。
だけどお兄ちゃんと百井先輩は去年から同じクラスで、体育祭も文化祭も修学旅行も一緒に楽しんでいる。
わたしは一つ屋根の下で毎日過ごしているのに、たった数日の学校行事に勝てる気がしない。
そして実際、私は百井先輩に勝つことができなかった。
何かの気の迷いでお兄ちゃんがわたしを恋愛対象として見てくれることを夢見ながら、何の行動も起こせなかった。
だって告白に失敗したら兄妹の関係ですらいられなくなる。
それでも、少なくともお兄ちゃんが高校を卒業するまでは一緒に暮らさなくてはならないし、このまま実家暮らしのまま進学するかもしれない。
少し先の未来を想像しただけでわたしはお兄ちゃんみたいな勇気を出すことができなかった。
「完敗……ね」
わたしに対してなのか、自分に言い聞かせているのか、独り言のようにつぶやいたのは同じクラスの
一年生の時に同じ図書委員のお兄ちゃんと知り合ったらしい。
長い黒髪とその雰囲気は年上のように見えて、お兄ちゃんに紹介された時は先輩だと思った。
お兄ちゃんは優しいからこういう根暗そうな女にも気を遣って話し掛けたりしちゃう。
なにやら趣味が合ったらしくて仲良くなったみたいだけど残念でしたね。
「やっぱり同じクラスの女子には勝てないよ。雛田さんスタイルは良いんだからきっとまた良い出会いがあるって」
「高月さんは同じ家の女子なのに負けてしまったけれどね」
「人がせっかく励ましてやってるのに……っ!」
雛田さんは常に毒を振りまいているというか、トゲで自分を守っているというか、すごく不器用な人だなと思う。
お兄ちゃんはその毒やトゲにあまり気付いていないかったみたいで、それが雛田さんを
こいつクラスに友達とかいるのかなって気にはなってはいた。
二年生で同じクラスになったら普通に友達と談笑してて、別に根暗でもないことを知った。
もうちょっと前髪を切って明るい雰囲気にすれば絶対にモテるのに。
「私の顔に何か付いてるかしら?」
「別に。雛田さんの泣き顔なんて貴重だなって思っただけ」
「そういう
「え? どこで?」
「去年のクリスマスだったかしら。塾の帰りに公園で……」
「ストップ! ストーップ!」
大きな声を出すとお兄ちゃんと百井先輩に気付かれてしまう。
あくまで小声で、だけど必死の形相で雛田さんの口を塞いだ。
自分で回想する分には許せるけど他人の口から語られるのはメンタルがゴリゴリ削られてしまう。
あれはそう、もう卒業してしまった
お兄ちゃんより一つ上の当時の三年生。
高三とは思えない幼児体型と可愛い声で、お兄ちゃんと二人でいるのを目撃した時は事案かと思っちゃったっけ。
でも可愛らしい外見とは全然違って中身はすごくしっかりしていて、進路のことでものすごく悩んでいた。
小山内先輩はクリスマスの夜にお兄ちゃんを公園に呼び出して、わたしはそのあとをこっそり付けた。
予想通り小山内先輩は告白をして、お兄ちゃんはそれを断った。
今にして思えばお兄ちゃんの中では百井先輩に決めていたのかもしれない。
だけどあの時のお兄ちゃんはこう答えたんだ。
「妹を守ってやれるのは僕だけだから。だから小山内先輩とは一緒に行けません」
小山内先輩はアメリカの大学に進学が決まっていたらしい。
それでお兄ちゃんも来年アメリカに来ないかって誘われてたみたいなんだけど、わたしのことを考えた上で断った。
あの時のわたしは、小山内先輩じゃなくてわたしを選んでくれたことが嬉しくて泣いてしまったんだ。
だけどそれは一人の女の子としてではなく、妹を守る兄の責任としての選択。
その事実が少しずつ押し寄せてきて、うれし涙は悲しみへと変わっていった。
まさかあの日のわたしを雛田さんに見られてたなんて。一生の不覚。
「本当に妹想いの素敵なお兄さんよね」
「でしょ。自慢のお兄ちゃんなの」
「それってつまり、あなたも高月先輩を兄として見てるということじゃないからしら?」
「…………」
雛田さんの指摘に言葉が詰まる。
でも仕方がない。お兄ちゃんはわたしにとってお兄ちゃんなんだから。
お兄ちゃんがどんなにモテても、百井先輩を付き合うことになってもそれは変わらない。
どこまでいってもわたしは
ザアアアアっと一筋の風が葉を揺らした。
まるでわたし達の悲しみをぬぐいさるように、その風は瞳からこぼれた雫を乾かしていった。
「実は雛田さんもお兄ちゃんに告白してたなんてことはないでしょうね?」
「ええ、残念ながら。わたしは想いを告げられずに間接的に失恋してしまったわ」
ダメ元で当たって砕ければ何事もなかったかのようにスッキリするわけではないと思う。
わたしは告白すらしていない臆病者だから本当のところは分からないけど。
「ねえ、高月さんにとって高月先輩、お兄さんってどんな人なの?」
「うーん。お兄ちゃんでありお父さんみたいな?」
「疑問に疑問で返さないでよ。兄であり父のような人を恋愛対象として見ていたの?」
「恋愛対象……なのかな。他の男子を好きになったことがないからよく分からないけど、身近にいる男子の中では一番お兄ちゃんが好き。これは間違いない」
「あなたモテそうなのに、それでいいの?」
「よくない……って頭では分かってるつもり。だって兄妹だし。お兄ちゃん好き好きって言ってるより、告白してきた男子と付き合う方が普通だと思う」
幼い頃に母を亡くしたわたし達兄妹は二人で支え合って生きてきた。
最初の頃はお兄ちゃんが一人で頑張ってわたしを支えてくれていたけど、大きくなって家事を少しずつ覚えてからは支え合うという表現がピッタリだと思う。
お父さんは育児放棄をしてるとかじゃなくて単純に仕事を頑張っている。
早朝に出掛けて深夜に帰ってくるから平日に会うことはほどんとないけど、授業参観や体育祭には必ず来てくれるし、進路相談にもきちんと応じてくれた。
それでも普段の父親役はお兄ちゃんで、妙なセールスが来たら追い返してくれたり、勉強を見てくれた。
普通の
そんなお兄ちゃんを好きにならない方が無理だって思うんだけど世間一般の感覚は違うらしい。
お兄ちゃんが中学生になる頃にはわたしも恋愛事情に詳しい年頃になっていて、お兄ちゃんと結婚できないことはすでに知っていた。
それでも法律が変わる可能性だってあるし、モテないお兄ちゃんの面倒を見るのはわたしの役目だと信じて疑わなかった。
「それでもお兄さんのことが好きだったのね」
「…………」
雛田さんの問い掛けにわたしは無言で頷いた。
それは口に出してはいけない感情のような気がして、だけど否定はできなくて。
頭ではなく感情がわたしの体を動かした。
「ところで、雛田さんはどうしてこんな所にいるのよ」
「それはこっちのセリフなんだけど?」
「わたしはお兄ちゃんの覚悟の行方を見届けようと」
「私も似たようなものよ。すごく思い詰めていたし、神妙な面持ちで百井先輩に声を掛けていたから」
「それで告白の覗きっていい趣味してるわね」
「ええ、お互いにね」
同じ人を好きになると似た思考をするものなのだろうか。
ちょっとタイプが違うというか、なんとなく大人びた雰囲気で近寄りがたいと思っていた雛田さんにほんの少し親近感を覚えた。
覗きがきっかけで親近感を覚えるのはちょっと嫌だけど。
「これからどうするの? 私は一人で泣けるけど、あなたは高月先輩と同じ家に帰るんでしょ?」
「うぅ……」
一番の問題はそれだ。
失恋した相手と同じ家に暮らす。もちろん今日をきっかけにブラコンを卒業して適切な距離感の兄妹になればいいだけの話だ。
だけど気持ちの整理なんてそう簡単に付かなくて、夕飯の準備もしたくないけど普段通りに振舞わないとお兄ちゃんに心配されてしまう。
これが妹の宿命だと分かっていても辛いものは辛い。
「よかったらうちに来ない? 友達を招待するなんて言ったらうちの親がビックリして喜ぶから」
「へ?」
さっきよりも日が傾いて雛田さんの顔をオレンジ色に照らす。
失恋したばかりの彼女の顔は
「もちろんお兄さんの許可は必要だと思うけれど、今連絡をするのは野暮というものね」
「……ううん。変に気を遣ったら覗いてるってバレちゃう。空気を読まずにLINE攻撃」
悲しみなのか興奮なのか指が震えてうまく入力できない。
今日友達の家に泊まっていい?
たった数文字なのにわたしの人生が大きく変わってしまうかもしれない。
そんな期待と不安を込めて、距離にして十数メートル、だけど心の距離はすっかり離れてしまったお兄ちゃんに向けて送信ボタンを押した。
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