第5話 その瞳、オニキス色でいて

 僕たちは二人で、薄曇りの日を選んで、蔓薔薇つるばらレースの日傘を持って、短い距離を出掛けてみた。空からはあの卑劣な音は聞こえない。どうやら僕の作戦は概ね成功したようだった。何度かそれを繰り返したが、砲台に気付かれた様子はなかった。そうして、晴れの日に外に出ることに、彼女も前向きになっていった。


 晴れた日曜日。ついにその日が来た。僕はあまりに空が青いものだから、なんとも情けないことに「やっぱりやめよう」とLINEで切り出したのだが、彼女の気持ちは変わらなかった。


 僕のデートプランは都会での遊びだった。自転車やウォーキングなどの健康的なデートは出来ない。日傘が使えないから。そして観光でも田舎の方より都会の方が遮蔽物しゃへいぶつが多い分、レーザーを気にしなくて済む。空が鳴りだしたら、すぐさま隠れればいいのだから。


 駅で待ち合わせて、向かってくる空科そらしなさんを一目見て僕の体中の細胞は例外なく沸騰ふっとうした。彼女の髪は辺りの光を吸収してより黒く。反して肌はより白く映えた。日傘を差しているから影にはなっているけれど、やはり雨や曇りの日に見る彼女とは、一段違って見えたのだ。月並みだが、輝いていると言う形容が一番似合う女性だと思えた。


「お待たせ」


 ほうけてしまって返せなかった。


「どうしたの?」

「きれいだ」

「え?」


 僕は彼女のオニキス色の瞳をじっと見つめていた。自分がなにを言っているのかもわからずに。そうして彼女の頬がほんのり染まり、視線が逸らされてから、ようやく自分の言った言葉を理解する。


「あ、え、い、……行こうか」


 取りつくろうことも出来ず、改札へ向かった。


 地元の駅から電車に乗って目的の駅に着くまでは問題なかった。問題はそこからだ。

 人、人、人、人の群れ。アスファルトの濁流に流されてしまいそうになる。そんな中の日傘は、相当邪魔だ。

 行き交う人々が彼女の傘を邪魔くさそうに避けて、舌打ちをする。睨まれたり、「危ねえだろ!」と怒号を吐かれたりした。僕はただ「すみません」と謝るしか出来なかった。


 わかるよ。邪魔で危ないのは。でもさ、日傘を差してないとレーザーに焼き殺されてしまうんだよ。一人ずつ言って回って、彼女が日傘を差す了承を得たいけれど、実際そんなことは出来ない。


 僕は彼女と手を繋いで肩を寄せて、小さな声で謝った。すると彼女は清らかな髪を左右に振って、丁寧に光を反射させた。


「わたしは良いの。でも、本当に邪魔になっているから、出来ればもう少し人のいないところに行きたい」


 繁華街から遠ざかる道を選んで歩いた。

 目的のお店は近かったけれど、人込みを突っ切ることになるのでそれはやめた。


「ごめんね。こんなところに誘っちゃって」

「ううん。空多くうた君は色々考えてくれてここを選んだんだってわかっているから」


 目的の店に、反対側から回っていけないかと思いながら歩みを進める。


「そう言えば、僕が傘を忘れた日にさ、凄く身を寄せてくれたよね」

「うん」

「そうしないと空科さんがレーザーに狙われてしまうからって言うのはわかったんだけれど、逆に君がしっかりと傘に収まるようにして、僕が肩を濡らすのではいけなかったの? 要は、空科さんさえ見えなければいいんだよね?」

「中途半端に見えたりすると捕捉されるかも知れないと思ったし、それに」


 彼女の唇がしなる。それはまさに赤い下弦の月。


「あなたが勝手に濡れるのはいいけれど、わたしのせいで濡れるのは嫌だから」

「そういうもんかな」

「そういうものよ。どうして残念そうなの?」

「君が僕のことを好きならいいのにと思って」


 するすると出て来るこの言葉は、本当に僕のものだろうか。駅前で出会ったときからおかしい。晴れとは、そう言う天気なのだろうか。


 彼女は頬を染めて眉を困らせる。


「空多君って、変な人よね」

「そうかな」


 横断歩道。信号機の青を待つ。手前、白線のスタートラインの上に立つ。


「そうよ。だってわたしに声掛けてくれたのも、わたしのために色々考えてくれたのも、プレゼントを買ってくれたのもあなたが初めてだもの。晴れの日に出掛けてくれたのも。どうしてそこまでしてくれるの?」


 ポッポー、ポッポー。青になった。彼女は先に一歩踏み出す。


「そりゃ——」


 そこへ信号無視の自転車が


「きゃっ!」


 ぶつかって来た。


 彼女は転んでしまう。


「空科さん!」


 走り寄る刹那。


 ——ゴゴゴォ。


 あの音だ。太陽の奥に下卑た笑いをひた隠しにした卑劣な青空が、空科さんを狙う音。

 僕は彼女の手を取り走り出す。一番近い遮蔽物。銀行のひさし。


「あっ」


 蔓薔薇の日傘が彼女の手を滑ってポーンと投げ出される。彼女がそれを追うために踏ん張ったことで、今度は僕の手の中を彼女の手が滑っていく。


 ——ピピピピピピピピピ……


 まずい。間に合え。今。ここだ。僕の脚は。手は。目は。耳は。すべてこのときのために用意されて来た。そうだろう八多又はたまた空多。僕は彼女を守るために使わされた。レーザーに狙われる系女子を助ける系男子だ。間に合え間に合え間に合え間に合え!


 ——ドンッ。


 ——ピィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!


 彼女の肩を押した感触はあった。が、すぐにまばゆい光と甲高い音に包まれて、なにもかもわからなくなった。



 *****



 暴力的な光に、僕は無意識的に目を瞑っていたようだ。へばりついたように重たい瞼を無理矢理こじ開ける。

 チカチカして見辛かったが、それよりなにより彼女の無事を……その前になんで僕は生きているんだ?

 しかしその疑問はすぐに吹き飛んだ。目の前で空科さんが倒れている。


 嘘だろ!? 間に合わなかった!?


「空科さん!」


 僕の呼びかけに応えるそぶりはなく、ぐったりとしたままだ。彼女の服は破れて、肩がただれていた。


「なんでぇえええ! なんでだよおおおお!」


 役目を終えた空はバカみたいに無音で、無機質で。それは声を潜めた嘲笑のようで。それはみんなで決めた無視のようで。ともあれ空は、あおあおあおく、澄ました顔をしていた。

 まるでなにごともなかったかのようにして。

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