「セイバーの責務」

 ――あばらが数本折れた気がする。

 ガードに使った右腕にはヒビが入ったかも。

 建物の土で固めた壁を、その内側の木骨ごと突き破ったせいで背中が痛い。まぁ、痛いだけなら別にどうでもいいか。むしろ店の修繕費を自分が持つことになるかどうか、ということの方がよほど心配である。


「やっ……やどりっ!?」

「げほっ……。あぁ、ご主人……ちょっと、しくったですにゃ」


 頭から血を流しながら、崩れた瓦礫に手をかけて立ち上がる。

 ふらついたのは、足元の不安定さだけが原因というわけでは、ない。


「……店の人は、避難、できてるですにゃ?」

「うん、今、お店のスタッフの人が総出で……いや、そんなことより……!」

「外に、ヤバイのがいるですにゃ……。ご主人は、絶対、出て来ちゃダメですにゃ……」

「……っ、…………や、やどり……!」



 ――セラにとって、やどりは絶対的な存在だった。

 やどりが誰かに負けるなんて想像も、覚悟もしていなかった。やどりがいればシマモノなんて怖くなかったし、だから、こんなわけの分からないシマに閉じ込められても、平静を保っていられたのだ。

 セラの中で、その絶対が揺らぐ。揺らいでしまう。やどりにとっては、体中のどんな傷よりも、それが一番痛かった。


(あぁ、本当にしくった……。ご主人にだけは心配をかけたくなかったのに……なんてザマにゃ)


 深く、深く反省し、やどりは少しのダメージも感じさせない口調で言う。


「ご主人……どうか、安心してやどりの帰りを待っていて欲しいですにゃ」

「…………」

「それが一番、やどりの力になるですにゃ」


 何も返せず、セラはただこくりと頷く。

 やどりもまた頷いて。



「ご主人。“わたしたちは”」


「……“二人でひとつ”」



 そんな言葉を交わし合うと、傷だらけの体で、飛び出していく。

 セラは黙って、それを見送ることしか出来ないのだった。



 *



 セラに、シマモノと戦うような力はない。

 彼女はあくまでも普通の人間で、普通の人間がやることを、普通にこなす、ただそれだけの非力な存在に過ぎない。

 そして、そんな自分の弱さに納得はしていないからこそ。

 戦うのは、やどりの役割なのだ。


 ――『わたしたちは二人で一つ。』


 セラが出来ないことなら、やどりがやる。その逆も然り。

 一人では出来ないことでも、二人ならやれるのだ。足りないところは補い合って、描いた理想には、二人で力を合わせて近づいていけばいい。

 今までずっとそうしてきたのだから。

 これからだってその生き方を捻じ曲げるつもりはない。

 このシマの中で、誰がどんな悪夢を描こうとも――!


(……だから。よくも、やってくれたなぁ……! あのシマモノ……ッ!!)


 セラに、あんな不安そうな顔をさせた報いは、必ず受けさせる。

 骨が折れてるとか、関係ない。

 この屈辱は。

 この失態は。

 絶対に、熨斗のしをつけて叩き返す……!


 やどりは半ば憎悪にも似た感情を燃やしながら外へ飛び出す。

 そこで目にしたのは、例のヒト型のシマモノと交戦するゴールド級セイバー、ケンゴの姿だった。





「うおおおおおおッ!! どらららららッ!! だっりゃあッ!」

「……ッ、……ぐるるッ、ぐがぁぁぁああああああッ!!」


 目まぐるしく変化するケンゴの攻勢は、一切の反撃を許さない。

 絶え間なくその首元にチェックをかけ続けるから、シマモノもそれを外していくので全ての手数を使い切り、反撃の糸口が見出だせないでいるのだ。

 時折垣間見える僅かな隙も、全ては獲物を待つ釣り針に過ぎない。そこに愚かにも差し込まれる無理筋な反撃は鮮やかに往なされ、次々と苛烈な攻め手に書き換わっていく。

 これは、武道の試合ではない。

 まして敵は人間ですらない。

 生きるか死ぬか、ただそれだけの生存競争。

 だからケンゴは、人間相手には使わない禁じ手すら躊躇いなく多用する。

 どんなに卑怯で、どんなに反則染みていても、持てる全ての技術を投入して立ち向かうことこそが最大の礼節であるとでも言うかのように。磨き上げた武術の粋を、矢継ぎ早に仕掛け続ける。


「どうした大将! 二匹がくっついてそんなもんか!? 全然足りてねぇなぁ! 最初から七匹全部くっついときゃあ、こんなことにもならなかったろうになぁッ!」


 元々、彼はただの武道家だった。

 体を鍛え、技を鍛え、心を鍛えた究極の心技体。それを理念とし追求する、愚直で実直な格闘家の一人だった。

 そんな彼は今。

 魔法を理解し、魔法戦士の境地に立っている。

 そこにあるのは相反する二つの力を御する、高次元の思考展開。

 頭が二つに割れる程の負荷を耐え切る、脳の力。

 ……いや、もはや実際に二つに割れている必要すらあるのかも。それはさながら、一つの身体を二人で操作するかのような、神業めいた曲芸。

 この世界における武術と魔術の両立とは、その不可能命題を成立させることに他ならないのだ。

 だからこそ、それが可能な者を指して。

 それが不可能な者たちは、口を揃える。

 ――、と。


「あいつ、ゴールド級……っ、マジに化け物ですにゃ……!」


 今の一瞬の衝突の中に、いったいどれだけの駆け引きが存在していたのだろうか。素人目にはきっと分からない。ただ派手に拳や脚がぶつかり合っただけに見えたはずだ。当事者たちの頭の中だけで取り交わされた数多の受け攻めを、どうして外野の常人に目視できようか――!?


 しかしケンゴと同じく魔法と力を両立するやどりにだけは、その刹那に広がる無限の攻防が理解できる。

 ただのナンパ男ではなかった。

 先刻の名乗りは、決して大言壮語などではなかった。

 あれこそがこの閉ざされた地獄を、最前線で生き残っていける実力者。

 セイバーズの階級の、事実上の最上位……ゴールド級セイバーの力なのだ。


「……ッ、……ぎゅる、がぁぁあッ!!」


 ヒト型シマモノの両腕が変形し、二本一対の刃物と化す。

 あれは、あのシマモノがまだ二匹のカニだった時のもの。

 ――そう、あの時。追い詰められた二匹のカニは、やどりの目の前で合体して一つの強力な個体に変化した。まさかそんな能力があるなんて夢にも思わず、そこで生じたコンマ数秒の隙が、ヒト型シマモノの先制攻撃を許してしまった。

 元々、カニの時点でも相当に強かった。あれはやどりとケンゴだからこそあっさり倒すことができただけだ。森から来る個体とは一線を画す力を持っていたのは、間違いない。

 とはいえそれを加味しても、二匹が合体した際のパワーは単なる足し算とは到底思えないものだった。果たして仮に隙を突かれていなくとも、無傷で倒せただろうか。その疑問は今も消えない。


 あのシマモノをそれ程の強敵と認めていながら、それでもやどりが加勢に入らなかったのは、両腕を変形し、より攻撃的なスタイルに変貌したそれを、ケンゴが完璧に押さえ込んでいたからだった。

 己は傷を負わず、隙が見えても迂闊に踏み込むことはせず、丁寧に、冷静に、ただ淡々と相手のダメージを蓄積させていく姿は、まるで戦いのお手本だ。

 キメ技であり、自身の二つ名でもある、『ライトニング・サンダー』の使いどころを探りながら――これこそがシマモノとの戦いであるということを、全身で物語っている。さながらやどりに、シマモノとの戦い方を、このシマでの生き残り方を、教えてくれているかのようだった。



 *



(――さて、撃てる大技はあと一発……コイツの残り体力はどんなもんかな)


 魔道具に込められた魔法は大抵、少量の魔素を注げば起動するように作られている。

 威力も基本的には注いだ魔素量と関係なく、まるで電源を入れられた機械が予め決められたパフォーマンスを発揮するように、安定した水準の魔法を発現するのだ。


 ――が。

 実は、純粋な戦士であるケンゴの場合、そうはいかない。

 いくら起動コストが少量で済むとはいえど、武を選び魔を捨ててしまった彼の場合、それは四回も起動すれば底を突いてしまう。


 今日は、午前中に防衛任務があった。

 その際、後輩セイバーを守るのに既に一回使用した。

 さらに先ほどの、使は、実はだったりする。

 背中を預けて戦っていたやどりが十分頼りになる実力者だと分かったからこそ、短期決戦のつもりで贅沢に使ったことが裏目に出た――のは否定しない。


 要するに、敵戦力の底を見誤った自分の責任だ。決してやどりのせいではない。彼女は決して素人ではなかったし、足も引っ張りはしなかった。シマモノが合体してパワーアップするなどという離れ業をちゃんと予測しなかった、このゴールド級セイバーの至らなさが悪いのだ。……いや流石にそんなもん予測できるか、という気持ちではあるが――



『いいかー雑魚ども。よく聞け。てめーら雑魚がすぐ死ぬのは、初めて出会った敵の実力を雑魚カスなアタマん中にこびりついた過去の経験で推し量ろうとするからだ。敵は目の前にいるんだぞ。過去をうしろ向いてちゃ勝てるわきゃねぇだろ雑魚。一個の予測に囚われんな。柔軟に思考しろ。斬ったら増える、腐敗が伝染する、濡れると爆発する、視界に入っただけで真っ二つ――このシマはそういうバケモノがひしめく、バケモノたちの楽園なんだからな』



 ……入隊式の折、ウロノスが言っていた言葉が脳裏を過る。

 いや、流石に滅茶苦茶なことを言っていたので、慌てた様子で飛び込んできたアイネ本部長に耳(?)を引っ張られて強制退場させられていたけれど。

 それでも後にゴールド級まで上り詰める素養のあったケンゴには、妙に記憶に残る言葉であった。

 嗚呼。つまるところ、大失態である。

 こんなミスが村長ウロノスに知れたらお説教モノだ……。


(……ちくしょう無傷で勝たなきゃいけねぇ理由が、今回に限っては多過ぎンな……!)


 眼前のシマモノは、かつてない強敵。

 何か一つのミスが致命傷になることもある。

 村長からのお説教は別にしても、この村を守っていく己の使命を将来まで見据えて考えた場合、敗北や相打ちは論外。勝つにしても、深手を負うようなことさえあってはならない。

 ゴールド級から欠員が出るのは防衛任務のシフト的な意味で大問題だし、それ以上に、ゴールド級の苦戦は、他のセイバーの士気に係わるのだ。それだけは絶対に避けなければならない。


(増援は……まだ来なさそうだな……? できりゃあシルバー級以上……あー、イルフェちゃんとか今日は村にいるよなー、ちょっとササーッと来てくれねぇかなぁ……!!)


 脳内で援軍を渇望していた時。

 あと一歩で勝ち切れずにいたケンゴの動きが、僅かに鈍った。

 それは、傍からでは分からない程の小さな揺らぎ。

 けれど間近で死線を潜り合っているシマモノにとっては決して見逃せない、釣り針などではない本物の――ケンゴ自身、口にこそ出さなかったものの思わず「やべっ」と思った程の明確な隙……!



「ぐるァッッ!!」


(――マジかよ反応すんのかよダリぃなコイツ……!! これくらい見逃せよてめぇこの野郎ッ……!!)



 必勝のチャンスを完璧に射抜かんとするシマモノの蹴り脚に、ケンゴはその一瞬前までの動作を全てキャンセルし、カウンターの一撃を重ね合わせる。

 あの僅かな綻びを見逃さなかったシマモノも大概だが、ケンゴの思考は、それをさらに追い越して上回った。

 何故なら、そろそろ自分が小さな隙を見せるであろうことも、それにシマモノが反応してくる可能性も、その場合に取るべき策も、彼にとっては全て、脳内に描かれた数多の景色の中の一つに過ぎなかったから。

 敵が想定を超えた動きをしてこないならば、焦ることなく、然るべき対処を行えばいい。ただそれだけのことなのだ。


 ――それは通常、一人の人間では容易には成し得ない完全なる並列思考。そしてそれこそが、魔法と武術を両立するということ。それを成せない者に、選ばれし者の世界の扉は、決して開かれはしない。

 ケンゴの力は、本物の化け物たちからすればまだまだ雛鳥のようなものだろう。扉の向こうでじたばたと藻掻くだけの、ちっぽけな存在に過ぎないのかも知れない。

 しかし彼は、弛まぬ研鑽を積み重ねた末にその扉を抉じ開け、さらに先へと続く道へ、体半分をねじ込むところまでは到達している。

 その先にいる真の化け物たちの背中に追いつくために……彼は進み続けることを、決して諦めなかった。研鑽の日々は今も終わってはいない。


 重ねたカウンターと同時に起動される、ライトニング・サンダーの魔法。

 再びの落雷が、今度はシマモノの身体を貫きながら、ケンゴの拳に着弾する。

 この魔法の発動時の攻撃判定は二回。

 一度目は落雷そのもの。

 二度目は、着弾後に放たれる雷の矢だ。

 間髪入れない二連撃が、ヒト型シマモノの心臓部分を貫き、その体ごと吹き飛ばした。

 破壊力は、本物の雷に勝るとも劣らない。そんなものが瞬間的に二発も叩き込まれたヒト型シマモノは大の字に倒れ、口や関節の節々から黒い煙を立ち上らせたまま、動かなくなった。


「……はぁ、ふぅ……」


 ――決着、である。

 遠巻きに見守っていた村人たちがにわかに歓声を上げ、ケンゴもそれに応えるように右手を振り上げた。


「うおおおおおっ、さすがゴールド級だぜ! 半端ねぇなおい!!」

「いえーい、どうもどうも〜。村の皆様の平和を守るセイバーズの応援、今後ともよろしく頼むぜ~!」


 やがてすぐに応援のセイバーが集まってきて、ケンゴを中心に情報(ケンゴの「遅ぇんだよおまえら!」という文句が大部分を占める)の共有が行われた。

 ずっと見守っていたやどりは、獲物を横取りされた気持ち半分、無事にケンゴが勝利を収めたことに対する安堵が半分、といった様子で、その場にぺたりと座り込む。

 セラには少し不甲斐ないところを見せてしまった。しかしこのシマにはあれほどの強さを持つ者たちが複数いて、協力して村を守っているのだということが分かったのは大きな収穫だ。

 あれならば、この怪我が治るまでの間、セラを不安がらせたりせずに済むだろう。

 このシマに住む者たちは頼りになる。もっと信じて、頼っていいのだ。それが分かっただけで、背負ってきた重荷をようやく下ろすことができた――そんな気持ちになったのだった。


「……そんで、それは。やどりも同じこと、ですにゃ。きっと」


 セラだけではない。

 自分も安心できる。

 この村にいる限り、常に気を張っている必要は、もうない。

 そう思えたから――やどりは暫くそこから、立ち上がることはしないのだった。


 ……やどりの開けた壁の穴越しに、同じくケンゴの戦いを見守っていたユハビィもまた、彼女なりに自身の心境が変化していくのを感じていた。

 それは、ケンゴのたった一人での戦いを見ていることしかできなかった、弱い自分を変えたいという明確な決意だった。

 決して自分一人が強くなりたいという意味ではなく。

 村を守るために命を懸ける彼らと、戦える力が欲しいという、強い意思。

 フェルエルは焦らなくてもいいと言ったけれど。


「ワタシ……やっぱり、セイバーになりたい。いえ、違いますね。……セイバーに、なります」


 動き出さなければ、何も変わらない。

 その事実に対する、単純明快な実感があった。




 *



 ヒト型シマモノの討伐後、速やかに厳戒態勢が取られていた。

 村人たちもある程度こういう事態には慣れているようで、セイバーズの用意している避難活動計画に則り、手際よく安全地帯へ移動してくれている。

 集合場所は、村の最終防衛ライン。

 ヒトツメ病院前の大広場だ。

 そこにはセイバーズ本部へつながる一本道もあり、向こうからも続々と戦闘員が集結し、賑わいを見せ始めている。


 数名、ケンゴと並ぶゴールド級セイバーの姿もあった。

 彼らの存在が村人たちを安心させ、よりスムーズに計画が進んでいるわけだが――それも全ては、ケンゴがあのヒト型シマモノをからこそだろう。

 ゴールド級はシマモノになど負けたりしない。その事実を村人の前で示したわけだ。その肩書きが孕む責務は、しっかり果たしたと言える。


 ……ちなみに当の本人は、これでお説教は無いだろうと、やり切った顔をしてヒトツメ病院内の休憩室にてくつろいでいた。

 何せ今日はもう使のだ。

 がっつり八時間は眠らないと魔力が回復しない。魔力切れが近いせいで嫌な倦怠感もあるし、いいとこシルバー級の中の下くらいの働きしか出来ない状態だ。それを悟られないように堂々とは振舞っているけれど、内心は他のゴールド級に完全に甘える形なのだった。


 一方、病院内の会議室では非戦闘員の本部職員も交えての情報整理さくせんかいぎが行われていた。

 誰が村にいて、誰が動けて、誰が森林区の防衛管理を行えるか。

 ただでさえ足りない人員のやりくりを、シマに流れ着く前はその筋のプロだった者たちが全力で計算してくれているのだ。優秀なる彼らの手に掛かれば、どんな無茶な土台の上に設計された組織であろうと限界ギリギリまで延命され、労働者たちも命尽きるまで働くことができるだろう、たぶん。

 そんなブラック企業感あふれるセイバーズだが、むしろ本当にブラックなのは戦闘員よりも、こういった事務作業を行う非戦闘員たちだったりする。

 人材不足は戦闘員だけではないからだ。戦闘員と違ってまともな休みなど皆無だし、勤務中もずっと書類とにらめっこしているだけならまだしも、様々な連絡事項の伝達のために本部と村を何往復もするなんてことも珍しくない。しかも地味に距離があり、体力的にこれが一番きついと全員が口を揃える。

 なので事務員一同からは『電話を作ってくれ』という嘆願書が毎月のように提出されている……のだが、なぜか村長の指示によって尽く却下されている現状だ。

 曰く、「電波などというワケの分からんモノを飛ばしたら電波お化けが出るぞ」とのこと。何を言っているのか全くわからないが、この村においてウロノスの言うことは絶対である。誰も逆らうことは許されない。




「――メロウを呼び出すべきでは?」


 そんな会議室にて。

 長年ゴールド級セイバーを務めてきた壮年の男、ミカゲはそう提案した。

 ようやく人員再配置の目処がつき、事務員たちが一息つき始めた頃だった。


「メロウを……正気か、ミカゲ?」


 実際、そうするしかない状況ではある。

 セイバーズ内部では、という暗黙の了解、及びそのルールに呪神メロウが関与していることは、周知の事実となっている。

 なので今回のような異例の事態に対しては、やはり呪神せんもんかから話を聞くのが一番早いのだ。


 しかしそれが分かっていながら、他の職員は揃って渋い顔を浮かべるばかりだった。

 「いや、あいつは……」「アレを……」「ううむ……」「背に腹は……」「しかし……」「いやでも……」「待ってくれ……」などと口々に気乗りしない言葉を並べては、結論を先延ばしにしようとするばかりで、話がなかなか前に進まない。

 今はそんなことを言っている場合でもなかろうに……と思わなくもないが、しかしメロウを呼び出すというのはでもある。

 それを理解しているからこそ、ミカゲもまた強くは出られない。

 確かに、用が無ければ呼び出したくないのだ。本気で。正気だからこそ。


「いやー、みんなほんと嫌そうな顔しますねぇ」


 そんな中、一人だけ呑気な女性がいた。


「実際、呪神からの事情聴取は必須な状況ではありますよー。だってこんなこと今までなかったじゃないですか」


 セイバーズ技術開発部長、アンノ。本部職員としてはそこそこ古株で、見た目の若々しさとは裏腹に、魔道具の開発に関してシマの中で右に出る者はいないと評される一流の魔女である。

 余談だが魔石の鉱脈が見つかれば魔道具を作ってもらおうというケンゴの計画も、彼女の存在あってのこと。非戦闘員のため戦線には出ていないが、彼女の作り出した魔導具はこのシマの中で何人もの戦闘員の命を救っているのだ。


「そんなに嫌なんです? メロウの――魅了の呪いって」


「おまえは掛かったことがないからそんな楽観的なことが言えるのだよアンノ氏――あれに関してはこの私としても二度目は御免被りたいところであるな」


「うひゃぁ……ミカゲさんがそこまで言うなら、うぅんでも本当に今回ばかりはそうも言ってられないと思うんですけどねぇ」


 ――メロウのばら撒く魅了の呪いは異性、即ち男にしか効果が無い。

 表面的にはその魅了の呪いに罹ると、まるでメロウに心を奪われたかのように上の空になってしまうわけなのだが、内面的には、罹った者にしか分からない強烈な悪夢が伴われるという。


 悪夢の経験者たちからの話を総合すると、頭から強引に脳だけを抜き取られるかのような感覚と共に、強制的に意識を肉体から引き剥がされ、そのまま遥か上空へと運ばれ、そこで何か巨大な意思のようなものと接続され、まるで自分が自分でなくなるような、狂気の幻想を見させられ続ける――のだとか。

 幻想の中身は人それぞれだが、概ねその前後にある巨大な存在との接触については、不思議と同じモノが視えているようだった。

 メロウが神の側の存在であるため、その影響により神の力に触れているのではないかと考えられているが、その答えは今も出ていないし、今後も恐らく出ることはない。彼女の瞳に囚われたら最後、精神が人間の領域を超えた場所に連れ去られてしまうということだけが間違いなくて――それは多分、人間には一生、理解の及ぶことのない世界なのだ。


 魅了自体は早ければ一日で解ける。

 しかし悪夢の長さは本人の体感時間で数年、場合によって数百年にも及ぶ。そのの終わる頃には大半が廃人化し、相当な精神力があっても、復活には数日を要する。

 ゴールド級のバケモノであるミカゲは僅か二日で戻って来たが、ここにいる職員の中には、復帰に一ヶ月以上を費やした者もいる。ひょっとしたら永遠に還ってこられないこともあったかも知れないと思うと、冗談では済まされないのだ。

 故に、たとえメロウがどれほど可愛らしく、男性目線で魅力的な容姿をしていようとも、二度と会いたくないし近寄りたくもないと、みんな心の底から思っていた。

 メロウもそれが分かっているからコソコソ隠れるように遊んでいるのだがそんな変態行為はさておくとして、実際問題、アンノの言う通り確かにメロウの話を聞かないことには、今後の判断が難しい局面でもある。


「……こんなことを言うのも心苦しいが、女性隊員に何とか、まずはウグメに会いに行ってもらうというのは」

「うーわ……」

「うーわって言うな! 君は魅了の呪いを知らんからそんなことが言えるのだ! あ、あれは……あれはもう、この世のものではない……ッ、あ、あれは……ひぃっ、ひぃぃぃいぃいいいッ!! やめろ見るなッ、違う、私は、私は何も……!!」

「タクさん! 落ち着いて! 大丈夫です、奴はません!! 深呼吸、深呼吸です!! そう、ないんだ、るわけが……っ!!」

「はぁっ、はぁっ……す、すまない……い、今でも、少しでも思い出そうとすると、このザマだ……………………とにかく、アンノ君。メロウを呼び出すのなら、相応の準備をしてからだ……。これ以上、魅了の呪いの被害者を増やしてはならない。絶対に、だッ……」


「はいはーい、分かってますよーそれくらい。やれやれ、そんなリアクションされると逆に罹ってみたくなっちゃいますねぇ魅了の呪い。研究者の血が騒ぐわー」


「「…………」」


 ならば罹ってみろ、そして後悔しろこの魔女め――と思う男性陣なのであった……。



 結局、時間も惜しいということで、かの職員の提案がほぼそのまま通り、女性隊員が船を出すこととなった。

 沖へ出ようとすればウグメは必ず警告に現れる。後は事情を説明し、メロウを呼び出せればそれで良し。案外、ウグメが事態を説明してくれるかも知れない。一見雑だが、堅実なプランだ。アンノからは「そうやって女の子を便利に使うの良くないと思いまーす」などという声もあったが、「そういうのは人権意識の高い世界でやってて下さい」で満場(※アンノ以外)一致となった。



「――ルエお姉様! 本部の男どもにいいように使われる哀れなわたくしめの無事を、どうか祈っていて下さいまし……!」


「そういうのいいから。行ってらっしゃい、イルフェ」


「はーい! 頑張りまーす! えっさ、ほいさ!」



 などと言いながらボロ船で川を下っていく、とんがった耳の金髪少女――イルフェ。今回の任務に抜擢されたシルバー級のセイバーである。

 次かその次くらいの昇格試験でゴールド級になるだろう、とフェルエルが予想しているくらいには確かな実力を持っているので、海まで見送る必要はない。

 仮に勝てない相手と遭遇しても、誰を犠牲にしようと、ちゃんと逃げ帰ってくる頭のいい子なのだ。

 ……。

 それはそれでどうだろう。

 腕は立つが、人格に問題がある気がする。

 確かにセイバーは負けてはいけないのだが、逃げたら駄目な時もある。

 どう諭すのが正解なのだろう。

 そういうのは、フェルエルにはよく分からない。誰かがいい感じに何とかしてくれないかなぁと、思うばかりである。


「さて、私は私の仕事をしないとな」



 *



  ――イルフェの性格がであるのには、相応の理由がある。

 というのも彼女は妖精族で、別の世界だといわゆるエルフなどと呼ばれたりするかも知れない見た目の亜人なのだが、そのせいでシマに流れ着くまでの凡そ全ての時間、人間からの迫害を受け続けて来た過去があるのだ。


 ニンゲンは敵。

 それが彼女の根底に宿る思想だった。


 そんなわけで、シマに流れ着いた彼女が起こそうとした一番最初のイベントが、村の襲撃だった。こともあろうに平和に暮らしている島民を皆殺しにして、自分だけの楽園を作ろうとしたのである。

 呪神もドン引きするようなその滅茶苦茶な行動は、村長であるウロノスの手によって奇跡的に、未然に防がれることとなった。ウロノスのお陰で、彼女の脳内に描かれた凄惨な計画は誰にも露見することなく、無事、未遂に終わったのだ。

 そしてその時、圧倒的な強さを見せつけた村長は、人間を信用しようとしない彼女に対し力強くこう言ってやったわけである。


『安心しろ。この村はおまえを受け入れる。誰も迫害なんざしない。もしそんなことをする奴がいたら、シマで最強のこの俺が、直々にぶっ飛ばしてやるからな!!』


 そんなことを力説されたら、イルフェも荒んだ心が浄化されてなんかいい感じになるのではないか――と誰もが(※主にウロノスが)思ったりしたのだが、それに対する彼女の返答がこちら。


『うっさい馬鹿ッ! 死ねこの変態クソマスクッ! あたしに近寄るな汚らわしいッッ!!』


 まぁその覆面姿じゃあ、そうもなるだろうな……という期待を裏切らない返しには流石の(?)村長もブチ切れ、結局イルフェが泣いて謝って二度と人間を襲いませんと約束するまでくすぐり続けるという奇行セクハラに及んだのだった……。

 ただ、そんなこともあってか、彼女が抱く人類への敵意はほぼほぼ村長一人に向けられるようになった。

 相対的に村長よりマシという理由で、今のところ他の村人たちとは何とか平穏にやっていけている。結果オーライといえばその通りなのだが、あの村長がどこまで考えていたのかは謎である。


 人間嫌いのイルフェだが、セイバーズ加入後は、自分より強い人間だけは素直に認める態度を取っている。

 特に同じ女性として、何となく名前の響きも似ているフェルエルのことは「お姉様」と呼び、慕うどころかもはや崇拝している。男であってもゴールド級のミカゲには礼儀正しく振る舞っているし、たまにケンゴを兄のように慕っている姿が見られたりもする。

 まだまだ時間は掛かりそうだが、人間に対して少しずつ心を開きつつあるのは、間違いなさそうだった。


 これで後輩指導にも真面目に取り組んでくれれば文句はないんだけどな、とフェルエルは思う。

 彼女は未だ、弱者を認めていない。

 まるで水と油のように、混じり合おうとしない。

 上位セイバーの大事な仕事の一つでもある後進の育成について、彼女は全く成果を出してくれないのだ。

 何か切欠になるようなことでも、あればいいのだけれど。



 *



 セイバーズ本部や防衛拠点に匹敵する強度で作られた村唯一の建築物、それがヒトツメ病院である。

 大きな一つ目のシンボルマークが村をじろりと見降ろしていて、異世界出身のセラからすると若干ホラーみが高く、できれば近寄りたくはない場所だった。


「なんでみんな気にしないのあの目玉」

「異文化ですにゃ。そもそも逆に聞くけどなんでご主人は目玉が怖いですにゃ? カラスか何かですにゃ?」

「いや怖いでしょ目玉。なんか覗き込まれてる感じがする……」

「覗き返してやればいいですにゃ。こっちは二つの目玉で」

「わたしは深淵か何かなの?」


 覗かれたら、覗き返せ。ハンムラビ法典かな。セラは拙い歴史知識を思い出しながら脳内で一人、ツッコミを入れた。

 今はやどりにツッコミなどさせられないからだ。ベッドで安静にしていてもらう必要がある。骨が数本折れているらしい。かなりの重症のはずなのに、当のやどりは平然としているし、診察を担当したリシャーダという少女(院長らしい)もほぼ無表情だった。何なんだこいつら。感情が死んでるのか。


「治療するから暫くそこで寝てなさいって言われてもうだいぶ経つけど、いつ治療が始まるんだろうね?」

「注射も薬もイヤですにゃ。始まらないならそれで結構ですにゃ」

「そうもいかないでしょ……やっぱり忙しいのかな? 他のお医者さんとか全然見当たらないし」

「病気じゃないんだから医者なんて要らないですにゃ」

「病気より酷いことになってるんだよその身体が。バッキバキに折れてるんだよ」

「やどりは長男だから我慢できるですにゃ」

「長でも男でもないでしょやどりちゃん」

「噛んだだけですにゃ。やどりは超猫ちょうにゃんだから我慢できるって言おうとしたんですにゃ」

「知らないよそんな概念」


 スーパーキャットなのは間違いないけれど、骨が折れてる時くらいは安静にはしていて欲しい。そもそもあんなバトル漫画みたいな勢いで壁を貫通してきたくせに、なんでピンピンしてるのかが分からない。バトル漫画出身なのかこの猫。そんな記憶は毛頭ないのだが。

 とはいえそんなことよりも、やはり治療が遅いのは気がかりであった。

 シマは慢性的な人不足で、この病院も建物の規模に対し中身は閑散としている。夜ともなれば完全にホラー映画の世界だ。あんな自分と同い年くらいに見える女の子が院長を務めているというのも、考えようによってはホラーである。本当に生きた人間なのだろうか。病院の敷居を跨いだ瞬間、実は全然知らない場所に迷い込んでいたりしないだろうか。


「うー、不安だよー……心細いよー……」

「よしよしご主人。心配せずとも明日までには完璧に治してみせるですにゃ」

「治るわけないでしょー……うーうー……」


 やどりが眠るベッドの掛布団に頭を突っ込みながら悶えるセラ。

 するとその時、病室の扉が勢いよく開かれた。


「――なんだ。使用中か」

「っ!? いっ、いえいえ全然使用中なんかじゃないですどうぞお構いなく!?」

「そうか。なら隣のベッドを借りるぞ」

「えっ、あ、はいどうぞ……!?」


 突然入って来たのは背の高いイケメンだった。

 イケメンといえば今朝会ったアディスという冒険者を思い出すが、快活で話し易い印象だった彼とは違い、こちらは寡黙で話しかけ難そうな印象が強い。白衣を着ているから医者なのだろうと思うのだが、それ以上に血塗れの男を雑に担いでいるのが気になり過ぎる。


「せ、先生……俺ェ……し、死ぬのかい……?」

「死なん。黙って寝ていろ」

「し、死にたく、ねぇよぉ………………」


 見た目だけはやどりよりも悲惨だった。彼の身にいったい何があったのかが非常に気になるが、とても聞ける雰囲気ではない。ここが病院であることを改めて思い知る。しかしそんな有様の人でさえ、いったんこのベッドで休ませておくつもりなのだろうか。向かうべき場所が違うのではないだろうか。そんなにも医療従事者が足りていないのだろうか。


「あの……その人は……?」

「何だ。知り合いなのか?」

「いえ、そうじゃないんですけど……とても、あの、ベッドで寝かせておくような状態ではないような……?」

「的を得んな。何が言いたい」

「端的に言えば集中治療室的なところに担ぎ込む場面じゃないのかってご主人は言いたいんですにゃ」

「ちょっ、やどり! 余計なことは……」


 不愛想で寡黙なイケメンは、やどりの言葉にぴたりと手を止め、こちらをじっと見つめて来る。ほら、やっぱり怒られる! とセラは焦ったが、返ってきた言葉は少し予想とは違うものだった。


「……? 何を言っている。





 *



「――あれぇ……?」


 ゲッツ団の畑の片隅。

 午前中に、体験会の人へ貸し出したスペースにて、水と肥料を撒きに来たスリスは、不可思議な光景を目の当たりにし、首を傾げていた。


「おかしいですね。植える場所、間違っちゃったのでしょうか」


 種を植えたのは、ほんの一時間前のはず。

 だからそれは、絶対に有り得ない。

 植えた種の三つのうち、一つが既に双葉を覗かせているなんて――


 何かの間違いに、決まっているのだ…………







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