Chapter 14 絶望の中で希望を唱える者

 聖バリス教会によって滅びた村アーロニー。

 今そこでは聖バリス教会の兵士達と、異形の化け物との戦いが起こっていた。


「弓だ! 矢を放て!」

「長槍兵前進! 化け物を近づけるな!」


 一見、聖バリス教会は統率がとれて、化け物相手に、有利に戦っているように見える。


「お前たち! 司祭様の仇を討つんだ!」


 しかし、後方で叫ぶ指揮官を尻目に、前線の兵士達は明らかに怯えて逃げ腰になっている。


「ガアアアアア!!」


 相対する化け物――.ラギルスが咆吼して、両腕の刃を振るう。

 それが一振りされる毎に、数人の兵士達がバラバラの肉塊になって吹き飛んだ。兵士達は、その血を頭から被り、その度に表情が恐怖に染まっていく。そして、ついに、化け物に背を向けて逃げ出す者が出始めた。


「あ! こら逃げるな! 敵前逃亡は死刑……」


 聖バリス教会の指揮官は、それ以上口に出す事が出来なかった。何故なら、化け物が疾風の如く駆けて目前に迫って来たからである。

 化け物は、駆けながら両腕の刃を振るい、逃げる兵士達を皆殺しにしていく。その光景に肝を潰された聖バリス教会の指揮官は、慌てて我先にと逃げ出す。

 しかし――、


「ガアアアアア!」


 咆吼と共に刃がその指揮官を頭から真っ二つにする。さらに、別の刃で逃げ惑う兵士達を切り刻んで、その場を血の海へと変えていった。

 それは、悪辣非道な聖バリス教会の兵士達とはいえ、あまりに悲惨な光景であった。



◆◇◆



 その光景をアスト達は呆然と眺めている。

 その中にあって、ただ一人バルディは、ラギルスに向かって手をかざし、邪神迎撃弾の魔法陣を維持しつつ、アストに向かって叫んだ。


「アスト! 決断しろ! 神格の闘争心に支配されたあの男は、もはや昔のお前の仲間ではない!」

「でも……」


 黙っているアストに代わってリディアが口を開く。


「ラギルスさんを助ける方法はないんですか?!」


 リディアが、バルディに涙ながらに訴える。それに対してバルディは怒りのこもった目で答えた。


「そんな、都合のいい事があると思うか? 元々、あの男……ラギルスは死んでいたんだ。そして、その死体を利用された」

「でも、さっき私達に話しかけてきて……」

「それは、彼の肉体……脳に残された自我の片鱗に過ぎない。よほど、意志の強い人物だったんだろう。本来なら、付与された神格に自我が塗り替えられるところを、あそこまで残っていた」


 リディアは悲痛な表情で叫ぶ。


「そんな! それじゃラギルスさんは?!」

「残念だが、そこの娘を逃がした後に、すでに死んでいたんだ」


 その言葉を聞いたジェラがビクリと身体を震わせる。そのまま、涙を流しながら突っ伏した。


「ジェラさん…….」


 リディアはジェラの肩を抱いて泣き崩れる。

 ――と、その時、アスト達の耳にラギルスの咆吼が聞こえてきた。

 バルディは、苦虫を噛み潰したような顔で、咆吼の主を見る。


「どうやら、虐殺は終わったようだな……」


 その通り、もはやこの場には、生きた聖バリス教会兵士は一人も居なかった。

 それまで黙って俯いていたアストがバルディに問いかける。


「希望は……ないんですか……」

「……」


 バルディは黙ってアストを見つめる。


「結局、俺達はラギルスさんを殺すしかないんですか?」

「お兄ちゃん……」


 リディアがアストを見つめて呟く。


「希望を消して捨てるな! それを叫ぶべき俺達が! 結局、仲間ひとり救えないんですか!」


 アストはバルディに向かって叫ぶ。

 バルディは、一瞬目を瞑った後、その慟哭に答えを返した。


「現実はこんなもんだ、世の中ってのは非情なもんさ……」

「でも!」

「でも? お前は何もかも上手くいく、作り話の主人公か? 現実を見ろ。お前は非情な世界に生きているんだ」

「なら……、希望なんて無いって言うんですか?」


 アストは消え入りそうな口調で言う。

 バルディはそんなアストに無表情で答える。


「希望……いい言葉だな……。でも、それが砕かれた瞬間、希望は絶望へと代わってしまう」

「……」

「現実の前では、どんなに希望を唱えても、絶望のうちに死ぬ者はいなくはならない」

「だから……無意味だと?」


 バルディは、アストのその言葉に、少し笑って答えた。


「無意味なら俺達は生きてはいないさ……」

「え?」

「希望ってのはな……、非情な現実を自由に塗り替えれるチートじゃない。絶望を前に、それでも足掻く者が、その心を奮い立たせ、絶望に立ち向かう力を与える魔法の言葉なのさ」


 アストはバルディの顔を見つめる。バルディは頷く。


「アスト……、呪文を唱えろ……。絶望に立ち向かうんだ」


 バルディは咆吼するラギルスを見つめる。


「ラギルスを人喰いの化け物のまま放置していいのか? ラギルスと言う男は、それを望む男だったのか?」

「!!」


 バルディの言葉に、やっとアストの目に力が戻った。

 アストは刀を手に立ち上がる。


 不意に、アストの後方から狼の遠吠えが響く。アストのもとにゲイルが駆けつけてきた。アストはその鬣を掴むと、決意の表情でゲイルにまたがる。そして、


「俺にはやらなければいけない事がありました」


 そう言って刀をラギルスに向けた。


「ラギルスさん……貴方を救う……」


 そしてアストはラギルスに向けてゲイルを走らせたのである。

 ラギルスに向かって駆けるアストをフィリスが見つめる。そして、


【ヴァタールヴォウ……ソーディアン……】


 フィリスは心の中で祈る。


(この非情な現実……絶望に立ち向かわんとする勇者に、神の加護を与えたまえ……)


 呪文の効果はすぐに発揮されて、アストとゲイルの周囲に防御の皮膜が展開された。


 ラギルスは、自身に向かい駆けてくるアストを確認すると、咆吼上げて刃を振るう。

 次の瞬間、両者の刃がガチ合った。


 カキキキキキ!!


 アストの刀から魔力の火花か散る。

 アストはラギルスの刃を後方に流しつつ、ラギルスの脇を駆け抜ける。


「ガアア?!」


 ラギルスから、初めて悲鳴らしき声が上がる。ラギルスの脇腹がざっくりと切り裂かれていた。


(こちらの攻撃が通用する!)


 それをはっきり確認したアストは、ラギルスの後方からさらに追撃をかける。


「ガアアアアア!」


 次の瞬間、ラギルスが振り向きつつ、両腕の刃を横凪に振り抜いた。


「くお!」


 アスト達はそれを何とかジャンプして躱す。そして、


「この!」


 アストの叫びと共に、ラギルスの脇腹が切り裂かれて鮮血が飛ぶ。ふたたびラギルスは悲鳴のような咆吼を上げた。


(あの刃は危険だ。このままゲイルのスピードで翻弄して……)


 アストがそう心の中で考えていた時、アストの後方にいたはずのラギルスがかき消える。


「?!」


 ラギルスは、一瞬にしてアストの横に現れた。そして、その刃を疾風の如く一線したのである。


(やられる!!)


 アストの反応が一瞬遅れる。

 それは、まさに絶望的な一瞬であり、アスト達はその刃の斬撃をまともに受けてしまった。


「うわあああ!」


 アスト達はまとめて横に吹っ飛ぶ。

 しかし、アスト達が受けた傷は比較的浅いものだった。


(フィリスさんの魔法の加護がなかったら、今の一撃で死んでた)


 アストは、そう心の中で呟きつつ、体勢を立て直す。そこにラギルスがかっ飛んできた。


「クソ!」


 ガキン! ガキン! ガキン!


 ラギルスの両腕の刃と、アストの刀が激しく何度も交錯する。

 ラギルスの刃の猛攻を、何とか刀で逸らしていくアスト。しかし、アストは明らかにラギルスに押され、全身に無数の傷がついていく。


(なんて、斬撃だ! 以前の、あの司祭に操られていた時とは明らかに違う! 両腕の刃の動きが、ラギルスさんの双剣の動きと同じだ!)


 その巨体とパワー、ラギルスの剣技を合わせた斬撃の猛攻は、一瞬にしてアストの周囲の魔力の皮膜を削りきる。

 その瞬間、フィリスが悲鳴をあげた。


「アスト! 防御障壁が壊れる! 一旦下がって!」

「……!」


 そのフィリスの叫びにアストは答えられなかった。余りに猛攻が激しく、後に引くことすら叶わなかったのである。

 そして、とうとう、防御障壁の輝きが完全に失われてしまう。

 そのアストに向けて、ラギルスの刃が一閃された。


「アスト!!」


 フィリス達は絶望のこもった悲鳴をあけた。



◆◇◆



 アストが絶望的な一撃を受けるしばらく前、リディアはジェラと共に項垂れていた。


「ああ、ラギルス……」


 ただ、涙を流し突っ伏すジェラ。リディアはそのジェラにかける言葉が見つからなかった。


「ジェラさん……」


 現実は非情……。そんなことは、家族を失った子供の頃から理解していた。

 アストと出会ってから、久しく忘れていた、絶望がリディアの心に広がっていく。


「うわあああ!」


 ――と、その時、アストの叫びがリディアの耳に届いた。

 リディアは顔を上げて、ラギルスに立ち向かうアストを見つめる。


(そうだ……、今は呆けてる時じゃない。お兄ちゃんが立ち向かっているのに)


 リディアは足に力を込めて立ち上がる。

 そして、ジェラに向かって言った。


「ジェラさん、なんでラギルスさんが、私達をここに導いたか、やっと分かったよ」

「え?」


 リディアの言葉にジェラが顔を上げる。


「アレを見て」


 リディアがラギルスの獣の様に変化した

 頭部を指差した。


「あ……」


 それは、変形した頭部にあって、唯一昔と同じラギルスの瞳。その瞳から涙がこぼれていた。


「ラギルスさん泣いてるよ……。俺を止めてくれって……、ジェラさんに助けを求めているんだ」

「ラギルス……」

「ラギルスさんは、自分を、そして自分をこんなにした実験を止めて欲しいんだよ。だから、ここまで私達を導いた」


 それは、リディアの憶測でしかない。しかし、ジェラにはラギルスのその想いが痛いほど理解できた。


「止めなきゃ……」

「うん」


 ジェラのその言葉にリディアが頷く。リディアは真言を詠唱し始めた。


【ヴァタールヴォウ……ヘルネイア……、神槍を持つ者よ……、悪しき者を引き裂く黒き女神よ……、凶星に抗う戦士に雷の加護を与えたまえ……、ヴァズダー】


雷神戦身グレートヘイスト


 その効果は、絶望的な一撃を受けようとしたアストに発揮された。



◆◇◆



 その瞬間、アスト達は閃光の如きスピードで、ラギルスの刃を回避した。それは、もはや人智を超える、まさしく電光石火の動きであった。

 アストの刀が無数の閃光と共に閃く。


「ガアアアアア!!」

「とった!」


 次の瞬間、ラギルスの右腕が斬り飛ばされ、宙を舞った。


「ラギルスさん! 今助けます!」


 さらに、無数の閃光か閃く。今度はラギルスの足が宙を舞う。

 ラギルスは片足を失い、その場に突っ伏した。


「ガアアアアア……」


 地面に刃を突き立て、何とか立ち上がろうとするラギルス。そこにジェラが歩いてきた。


「ラギルス」

「ガアア……」

「もう、おやすみ……」


 そのまま、手にした短剣をラギルスの胸に突き立てたのである。


 その時、ジェラの頬に冷たいものが落ちてくる。それは、ラギルスの目からこぼれた涙であった。


「ラギルス」


 ジェラはそのラギルスの頬を優しく撫でる。


「ジェラ……」


 ラギルスは口から大量の血を吐きながら、ジェラの名を呼ぶ。


「なんだいラギルス」

「あ……りがとう……」

「いいよ、別に、あんたとあたしの仲だろ?」


 ジェラの涙とラギルスの涙が混ざって落ちる。


「オレの……子供……たのむ……」

「ああ、大丈夫さ、あんたとの子供だから、元気に育つさ」


 最後にラギルスは片手でジェラを抱きしめた。


「愛してる……ジェラ」

「ああ、分かってる、いつも言ってくれるだろ?」


 そして、ラギルスは――。


「ラギルスさん」


 アスト達はただただ目の前の恋人達を見つめる。

 こうして、獅子の牙ラギルスは、この世を去ったのである。



◆◇◆



 それを目前に見ていたフィリスは、心の中である決断を下していた。

 たとえ、その決断がソーディアン大陸に新たな争いを呼ぶ事になろうと――。


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