Chapter 2 旅立ち
【ヴァダールヴォウ……ベルネイア……。嵐の中を吹く風よ、かの物を通りて、行くべき道を指し示したまえ、ヴァズダー】
アストの背後でリディアの真言詠唱が響く。その言葉に従い一陣の風がアスト達を包み込む。
アストはすぐに懐から一枚のスカーフを取り出した。そのまま天に掲げて渦巻く風の中を泳がせる。その瞬間、周囲を渦巻くだけの風が一つの方向性をもって吹き始める。
その風を感じながらリディアは言った。
「見つけたよ! お兄ちゃん!」
「よし!!」
アストとリディアは手を打ち合って喜ぶ。
アストはすぐさま気合の声をあげた。一気にゲイルが加速する。二人を乗せた大銀狼は、一陣の風となって大草原を駆けていった。
しばらく行くと目前に森林が見えてくる。妖魔族が身を隠すのにとても適しているように思えた。
「警戒しながら行こう……」
ゲイルの頭をなでながらそう呟くアスト。ゲイルはその言葉の意味を感じとったのか小さく唸った。
ザザザザザ……
ゲイルは森の中を、木と木の間を縫うように高速で駆け抜けていく。そうしてしばらく行くと、自然にゲイルが歩みを止めた。
「ゲイル? 匂うのか?」
「くうん……」
ゲイルが小さくうなる。アスト達はゲイルの背から降りると、周囲をよく観察し始めた。
「あれ……」
リディアがそういて森の一点を指さす。そこにソレはあった。
「神殿跡か?」
そう、それはかなりの年代を経ているであろう、石造りの神殿跡であった。その壁には蔦などが沢山絡みついて、ほとんど森にとけ込んだ状態で立っていた。
「結構デカいな」
それは、敷地面積2000平方メートルはあるかもしれない大きな神殿であった。これだけ古そうなのを見ると、古き神々を祀っていた神殿なのだろう。それも、結構霊威の高い神を。
「お兄ちゃん、あれって」
リディアの指さす方向に、神殿の入り口らしきものが見えた。それには扉らしきものはなく、その前に一体のゴブリンが見張りとして立っている。
「ふあああ……」
ゴブリンは眠そうに目をこすりながら指先をいじっている。周囲を全く警戒しておらず、見張りとしての役割はほとんどこなせていないようだった。
「どうする?」
そう言ってリディアがアストに目を向ける。
「騒ぎを起こすと仲間を呼ぶかもしれん。音を立てずに仕留める」
そう言ってゲイルの頭をなでる。ゲイルはすぐに森の影に消えていった。すぐにアストは懐から狼笛を取り出す。それを口にくわて待つ。そして――、
しばらく時間が過ぎたのち、アストは狼笛に息を数回吹き込んだ。
ザザ……
小さな草の音が森に響く。それは風にかき消されてゴブリンの耳には届かなかった。
グシャ!
それは一瞬の出来事であった。
音をほとんど響かせず超高速で駆けてきたゲイルが、ゴブリンの真横から襲い掛かって、その頭部を噛砕いたのである。そのままゲイルはゴブリンを咥えて反対の森へと消えていく。
「……いくぞ」
そう言ってアストが促す。リディアはそれに頷いて立ち上がる。
二人は神殿の入り口へゆっくりと慎重に歩いていった。神殿の入り口近くへと到着すると、ゲイルもまたアストの傍へと静かに走ってきた。
「よくやった」
アストはゲイルの頭をなでる。ゲイルは声を出さずされるがままになっていた。
「さて……これだけ大きな神殿だ。妖魔族が団体でお出迎えになるかもしれん。
慎重にいかないとこっちがやられるぞ?」
「うん」
リディアは頷いた。アストは満足げに笑うと神殿の中へと足を踏み入れる。
神殿内は薄暗かったが、壁の隙間や窓から光が差し込み、特に視界が悪くなるようなことはなかった。神殿内を慎重に進んでいくと、目前に人工的な明かりが漏れる部屋が見えてきた。さらに言うとそこから喧騒が聞こえてくる。
(妖魔族か……)
無言でアストは考えて、手を上げる。それを見たリディアは息をのんで立ち止まる。
アストは自分の装備を見た。
騎狼猟兵は特殊な加工を施した、獣革と金属片を組み合わせた『
アストは刀に手を添えて、音を立てないよう慎重に歩いていく。そして、明かりの漏れる扉の横の壁に張り付いて中を慎重に覗く。
「ぎゃはははははは!!」
そこには五体のゴブリンが酒盛りをしていた。
そのうち一人は綺麗な装飾の入った衣装を身に着けて、歪んだ木製の杖を持っている。
(あれはおそらくゴブリンシャーマン……)
アストは頭を引っ込めると、少し考えた。
(これなら……)
アストは次の行動を決めた。
「リディア……ここで待ってろ」
そう言ってリディアの方に顔を向ける。しかし、
「大丈夫だよお兄ちゃん」
そう言って手にした短槍を見せる。アストは少しため息を付いてから、リディアに言った。
「慎重にな?」
「うん」
アストはすぐに狼笛を口にくわえる、そしてそれに数回息を吹き込んだ。
後方に伏せて控えていたゲイルがすぐに立ち上がる。そして、通路を一気駆けて行って、酒盛りの喧騒が支配する部屋の中へと駆けこん行った。
「が?!!」
それはまさに一瞬の出来事であった。
ゲイルは的確に、ゴブリンシャーマンの首を狙って突撃していき、それをひと噛みで砕き散らかす。アスト達はそれの後を追うように部屋に突入。酒盛りの喧騒は、戦いの喧騒にとってかわった。
「げが!!」
二体のゴブリンの首を落としたアストはリディアの方を見る。
そこには、短槍を縦横無尽に操って、ゴブリンを圧倒するリディアがいた。アストはそれを見て安心し、戦いに集中する。そして、三体目のゴブリンの首を飛ばした。
戦いは一瞬で終わった。五体のゴブリンはすべて殺され、ゴミのように転がった。喧騒が消えて周囲が静かになる。
「よし……」
アストは満足げに周囲の様子を観察する。この戦いが神殿の他の妖魔に気づかれた気配はない。
「さて……」
アストはこれからのことを考える。
このまま慎重にいけば、神殿内の妖魔は全滅させることが可能だろう。しかし、それだとあまりに時間がかかりすぎる。その間に、救うべき女性がどうにかなったら目も当てられない。
「う~ん」
アストが一人考えていると、リディアが笑顔で話しかけてくる。
「お兄ちゃん。いい考えがあるんだけど……」
そう言ってリディアは悪戯っぽく笑う。
「なんだ? いい考えって……」
アストがそう言っていぶかしげな顔をすると、リディアはアストにくっついて耳打ちする。
「……!!」
リディアの香りがアストの鼻をくすぐる。少しアストの頬は赤く染まった。
「……って作戦だけど?」
「……う~ん。なるほど、それなら……」
「良いでしょ?」
リディアは得意げに頷く。
アストはその作戦を実行することに決めた。
◆◇◆
アスト達が神殿を訪れる少し前――
「いやああ!!」
神殿の最奥の部屋。その部屋中に女性の悲鳴が響く。
「がああ!!」
それを威嚇して脅し付けるのは、腹のでっぷりと突き出た巨大なゴブリンである。
これほど巨大なゴブリンというのはめったに見ることはできない。ゴブリン族の支配階級である『ゴブリンロード』である。
ゴブリンロードは、女の衣服を切り裂き引きちぎって裸に剥いていく。その口からはよだれが滴り、女性の肌に降りかかる。
「げげげげげ!!」
女性はついに素裸に剥かれて、その巨体に抑え込まれる。
その巨体の腰にある女性の腕ほどもある男根が、女性の柔肌を見てそそり立つ。
「あああ!!」
その光景に女性は怯えていやいやをする。そうするうちにもボタボタと女性の肌によだれが落ちる。この時代に合って多少汚れてはいるが、それでもきれいな肌が汚される。
「げげ!!」
でっぷりと太ったゴブリンロードは、片手で女性の頭を押さえ込み、うつぶせにして抑え込むとその尻へと手を伸ばす。そして前戯すらせず、乱暴に女性の女陰に指を突っ込んだ。
「あああ!!」
女性はその気持ち悪さに悲鳴を上げる。
「げへへへ」
ゴブリンロードは女陰の中をじっくり確かめてから、その指を引き抜き舌で舐めた。
「助けて!! 誰か!!」
ひたすら女性は声をあげる。しかし、その声に答える者はいない。
そして――、この女性にとって最悪の瞬間が訪れる。
「げへ……」
そのまま背後から女性に覆いかぶさったゴブリンロードは、女性の女陰に男根をあてがい一気に埋没させたのである。
「ぎゃああ!!」
その部屋に女性の悲痛な叫びが響いた。
◆◇◆
「じゃあ行くぞ?」
アストはそう言ってリディアに声をかける。
リディアは頷いてから印を結ぶ。
「ヴァダールヴォウ……ベルネイア……」
そうして真言詠唱が始まる。
――と、その時アストがゲイルの頭を撫でた。それに反応してゲイルは――
オウウウウウウウウ!!
大きく遠吠えを行ったのである。
その瞬間、神殿内の各所で喧騒が巻き起こる。ガチャガチャという金属音が、今アスト達のいる部屋――ゴブリンたちが酒盛りをしていた部屋へと集まってくる。
そして――、
【……雷の娘よ……。その槍を持て我が元へと降臨し……、槍光よりいでて戦塵へと至れ!! ヴァズダー!!】
リディアの真言詠唱とが完成するのと妖魔族どもが部屋の扉に差し掛かるのはほぼ同時であった。
<
凄まじい轟音と共に、雷の帯が入り口に向かって飛ぶ。それは、確実に部屋の入り口にいた妖魔族たちを消しズミへと変えていく。
「がああ!!」
入り口付近にいた妖魔族は全員雷に巻き込まれて吹き飛ぶ。
それを見てアストとゲイルは一気に駆けた。消しズミになった妖魔を踏み越えて外へと躍り出る。部屋の入り口付近には六体のゴブリンが生きた状態で地面に転がっていた。
「がああ!!」
ゲイルはその一体に噛みついて砕き散らす。アストもまた、ゴブリンたちが立ち上がる前に、その首をはねていく。
そうしてしばらくすると、神殿に静寂が訪れた。
「これで、神殿のほとんどの妖魔は掃討できたはずだ。後は……」
「さらわれた女性を探すだけだね」
アストとリディアは頷きあって、神殿の奥へと歩みを進めた。
「?」
しばらく歩くと、目前に光の漏れる部屋が見えてきた。そこはちょうど神殿の最奥の部屋であり――、
アストは慎重に歩みを進めて、部屋をのぞき込む。すると――、
ドカン!!
いきなり金属の戦槌が襲い掛かってきた。戦槌は扉付近の壁とともにアストを吹っ飛ばす。
「お兄ちゃん!!」
リディアがそう叫んでアストの元へと駆け寄ろうとする。
「大丈夫だ!!」
アストは戦槌の攻撃を寸でのところで避けていた。体勢を整えて腰の刀に手を伸ばす。
「ぐるるる……」
唸り声とともに現れたのは巨大なゴブリン『ゴブリンロード』。
「こいつは!!」
その巨体と怪力に警戒を強くするアスト。そのアストに向かってリディアが叫んだ。
「あれ見て!!」
「?」
そのリディアの指さす視線の先に、首輪をはめられ裸でぐったりとしている女性の姿があった。アストは事態を一瞬で察する。
「リディア!!」
アストはリディアに向かって叫ぶ。リディアは黙って頷いた。
「行くぞゲイル」
傍に控える大銀狼ゲイルの頭をなでるアスト。ゲイルはそれだけで悟って、アストから離れゴブリンロードを牽制するように間合いを取って低く唸った。
「ぐがあああ!!」
その巨大な戦槌を振りかぶりながらゴブリンロードが叫ぶ。そして、
ブン!!
風切り音とともに恐ろしいスピードで戦槌が一閃された。周囲の壁が破壊されてその破片が飛んでくる。
「ち……」
アストは舌打ちしつつ壁の破片を避けた。
すると――それを待っていたかのように、ゴブリンロードがその巨体に似合わないスピードで駆けた。
「があああ!!」
アストの傍まで一瞬で迫ったゴブリンロードが頭上に戦槌を振りかぶる。そして、その怪力に任せて振り下ろしたのである。
アストの脳天に戦槌の超重量が落ちてきた。
「ふん!!」
だが、アストはそれを読んでいた。姿勢を低くするとゴブリンロードの腋の下、向かって左側を駆け抜ける。
ザン!
すれ違いざまに刀を一閃する。
ゴブリンロードの腋腹から血が吹き出て、アストと地面を染める。
「がああ!!」
その痛みを感じていないのか、ゴブリンロードは地面に埋没した戦槌を力任せに引き抜いて、それをアストに向かって横凪に一閃する。
アストは地面に手をついて姿勢を低くしてその疾風を避ける。アストの頭上を戦槌が高速で走った。――と、そのゴブリンロードにゲイルが襲い掛かる。アストに気を取られていたゴブリンロードは、咄嗟に右腕でその牙を受け止める。
血しぶきとともにその手首が宙を舞った。
「げあああ!!」
ついにゴブリンロードは悲鳴を上げる。
残った片手で戦槌を振り回し暴れ狂った。それとの間合いを取りつつ牽制するアストは、一瞬リディアの方を見る。リディアはぐったりしている女性に近づいて、その安否を確かめている最中であった。
「うん……生きてる。いろいろケガとかはしてるけど」
そう言ってリディアは、腰に差したナイフを引き抜いて女性の首輪を切り外す。
「もう大丈夫だよ……。あなたの子供が待ってる……」
そうリディアが声をかけると、やっと女性の瞳に生気が戻った。
リディアが手を上げて合図をする。アストは女性が生きていることを知って安堵した。
「ぐあああ!!」
ゴブリンロードはひとしきり暴れまわると。よだれを垂らしながらアストを睨み付ける。そして、その片手に持った戦槌で地面を削りながら、アストに向かって駆けたのである。
「があああああ!!」
巨大な咆哮とともに、戦槌が振りあげられる。それによって地面の石畳が砕けて、その石片が無数の礫となってアストを襲った。
「く!!」
アストの複合装甲を無数の石片が打つ。それを牽制にしてゴブリンロードは手にした戦槌をアストの脳天に向かって振り下ろす。
それが命中すれば、アストの頭は一撃で砕けるであろう。
その時アストは――。
「このおおおおおおお!!」
気合の声をあげながら、ゴブリンロードに向かって突っ込んだのである。
アストの全身から血しぶきが飛ぶ。無数の石片はアストの全身を痛めつけ傷つける。しかし、アストは止まらなかった。そのままゴブリンロードの戦槌の死角へと踊りこんで、その身体をつかんで一気に頭上へと駆けあがった。
「が?!!」
ゴブリンロードがそう叫ぶのと、アストが刀を振るうのは同時であった。
刀をゴブリンロードの首に食い込ませたアストは、それを一気に引き抜いたのである。すさまじい鮮血が神殿内の壁を染める。それは同時にアストの全身をも赤く染めた。
「が……は……」
もはや声も出せずゴブリンロードは後退る。そして――
ズン!
大きな音を立ててその場に突っ伏したのである。
そのまま動かなくなるゴブリンロード。こうして、戦いは決着を迎えた。
「お兄ちゃん!!」
リディアがアストの傍へと駆けてくる。
アストは血を拭いながら、リディアに向かって笑いかけた。
◆◇◆
【ヴァダールヴォウ……フラウ……。女の性を司る母よ、
ゲルダの移動集落――、リディアの師である御ババ様のゲルの中から真言詠唱が幾度も響き渡る。その外にはゲルダやアスト、そして今回攫われた女性の夫とその子供が心配そうに待っている。
十数回目の真言を詠唱し終えた御ババ様は、目前に寝る女性に話しかける。
「これでもう大丈夫じゃよ。おぬしはかの妖魔の子を孕むことはない」
「……ありがとう……ございます」
女性は辛そうな顔でそれだけを口にした。御ババ様は優し気に微笑んで語り掛ける。
「この混乱の時代、命があっただけでも儲けものと考えるしか仕方がない。先の妖魔族の事はきれいさっぱり忘れて、夫と子供を大切にするとよい」
そう言って女性の頭をなでる。女性は我慢できずに涙を流す。
「よいよい……泣きたければ泣くがよい。つらかったのう? 苦しかったのう?」
「ううう……」
ただ女性は泣きじゃくる。
今の時代、暴力を振るう略奪者にとっては、力の弱い女性は性の玩具でしかない。命を奪われず助かったのなら、過去を忘れて生きていくしかないのである。
御ババ様はしばらく女性の頭を撫でた後、助手を務めていたリディアに女性をまかせてゲルの外に出る。
「おぬしがあの娘の夫か?」
「は……はい……」
「事態は……わかっておるとは思うが。あの娘の心、これ以上壊さぬように大事にしてやれ? 最後までおぬしへの貞操を守ろうとしたのじゃからのう?」
「はい……心得ています」
そう言って夫は頭を下げる。
事情は理解していた、母神フラウの加護によって女陰を浄化して、妖魔族の子を孕む危険がなくなっただけでも儲けものである。
『母神フラウ』
それは魔女が信仰する古き神々の中の大地の女神である。
古き神々の主神である、神王ソーディアンの母親であり、大地の豊穣とその象徴である子宮を司る性の女神でもある。その魔女は女性の性を守護する多くの魔法を操ることが出来る。
御ババ様は、その夫の言葉を聞いて満足げに頷くと、小さくため息を付いた。
幾度このようなことを繰り返すのか? 弱者たちの嘆きは神々へは届かないのか? そう考えて天を仰ぐのだった。
◆◇◆
「……」
その日の夜、アストは一人ゲルの外で月を眺めていた。
「姉ちゃん……」
今日の事件を経て、アストは長く忘れていた――いや忘れているようで本当は心にひっかかっていた、幼き日の想いを取り戻していた。
こんな世界で姉の様な女性が生きるのは過酷というほかはない。どんなつらい目に合っているのか、考えただけでも胸を掻き毟りたくなる。
「姉ちゃん……」
姉は聡明でしっかりした性格であった。だから、いきなり首をとられない限り、生きのびているであろうことは、アストも信じることが出来た。
でも、いくら待っても手掛かりがない。見つけることが出来ない。ただ月を眺めてため息を付く。
姉も、今こんなふうに月を眺めているのだろうか?
――そんな事を考えていた時、アストに近づいてくる影があった。
「? 父さん?」
それは、アストの義理の父であるゲルダであった。
「眠れないか?」
「うん……」
ゲルダの問いに短く答える。
「アスト……、すまない」
いきなりゲルダはアストに頭を下げる。
「え? どうしたの父さん?」
突然のことに戸惑うアスト。
「私は約束した……。お前の姉を必ず探し出すと……」
「……」
「でもその約束は果たせていない」
「それは……」
仕方がない――そうアストは口に出せなかった。
それを言ったところで、ゲルダに対して何の慰めになるのか?
本当ならアスト自身が行わなければならないことを、ゲルダは肩代わりしているにすぎないのだから。
「アスト……。お前に言わねばならんことがある」
「なに? 父さん」
「実は最近、私独自の情報網にひっかかってきたことがある」
アストはゲルダの方を振り返る。ゲルダは続ける。
「黒髪で黒い瞳の女性の旅人が、カディルナの地東部の都市国家ガノンで目撃されたという情報だ」
「え?!!」
「黒髪で黒い瞳というのは、ソーディアン大陸ではかなり珍しい。だから、お前の姉である可能性はかなり高い」
「それじゃあ!!」
アストは立ち上がってゲルダを見る。ゲルダは頷く。
「無論、人違いである可能性もゼロとは言えないが……。調べてみる価値はある」
「父さん!!」
アストは笑顔でゲルダの手を握る。
「アストよ……旅に出るか?」
不意にゲルダがそう呟く。
「え?」
そのゲルダの問いにアストは笑顔を消す。
「お前が、私に遠慮しているのは知っている。お前が私に騎狼術や武器術を習いたいと言い出したのだって、自分の力で姉を探し出すための旅の準備だったんだろう?」
「父さん……」
「でもお前は旅に出たいとは言わない……。今のお前なら十分に大陸中を回れるだろうに……」
「父さん……俺は。まだ父さんへの恩を返せていない……」
アストはうつむいてゲルダに答える。
「父さんは……得体の知れない異邦人の俺を受け入れて、子供として育ててくれた。
ここまで生きてこれたのは父さんのおかげなんだ。だから俺は……それを返すまでは」
「もういいんだよ……アスト」
アストの言葉にゲルダは優しげな表情で答える。
「お前は私の子だ、それを育てるのに辛いことなどあろうか。恩など、お前が元気に育ってくれたことで十分なのだ……」
「父さん……」
「だから……いや。私の息子だからこそ自由に生きろ。お前の望むように、旅に出るんだ……」
ゲルダは懐から一振りの短剣を取り出す。
「!!」
その短剣には見覚えがあった。それは確か、自分の家の裏、禁則地内にあった――
「
「うん? 見たことがあるのか?」
「あ……ああ」
「ならば話は早い……。これは、『
アストはゲルダに聞き返す。
「希少なる……魔龍討伐士?」
「そうだ……。魔龍が現れて後、世界は暴力と混乱に包まれた……。しかし、それを誰もが手をこまねいて見ていたわけではない。一部の力ある人々が集まって
「それが?
「そうだ……。かつては私もその一人として、世界を回っていたんだ」
「え? 父さんが?」
それは思ってもみない事実であった。ゲルダは言う。
「これをもって、まずはカディルナの地第二の都市・フォーレーンへと向かえ。そこにお前の手助けをしてくれる者達がいる。
「……」
アストはその短剣を受け取る。ずっしりと重さを感じた。
アストはその短剣の重さを感じながら真剣な表情でゲルダを見る。
「父さん……僕は旅に出る。姉ちゃんを探し出すために……」
「アスト……」
「旅立ちを許してくれますか?」
そのアストの問いにゲルダは笑顔で答えた。
「ああ! 行ってこい我が息子よ!! お前の旅は必ず成功する!!」
「うん!!」
「でも忘れるな!! ここはお前の故郷だ。いつでも帰ってきて手助けをこうといい。我々はお前の剣となってお前の障害に立ち向かおう!!」
「父さん……」
アストはゲルダの手を握る。自然にアストの目から涙がこぼれた。
◆◇◆
そして――、ゲルダとの夜から三日後
「おい!! マジで旅に出るのかよ!!」
カイシルがそう言ってアストに声をかけてくる。すでに旅支度を整えたアストは笑顔で答える。
「本当だって。姉さんを探しに行くんだ」
「ち……、マジかよ、寂しくなるだろ」
「ははは……用事があったら帰ってくるって」
そう言ってアストは笑う。カイシルはアストの肩に手を置いて言った。
「俺たちは部族の兄弟だぜ! いつでも頼ってきな!!」
「ああ!!」
アストは笑顔でカイシルに手を振った。
アストがゲイルの傍へと歩いてくると、その近くにリディアの師匠である御ババ様が居た。
「旅に出るのか?」
「はい!」
アストは元気よく答える。
「ならば心得るがよい……。今大陸は暴力と混乱に満ちておる。このボーファスの大地は比較的平和ではあるが、だからこそそれ以外の土地の惨状は目を覆うばかりじゃ。
それを見て絶望することのないようにな? 希望を捨てるな……希望を捨てなければきっと前の望みはかなう……」
「ああ! わかったよ御ババ様!!」
――と、アストは周囲を見回す。
「どうした? アスト」
「リディアの姿が見えないけど……」
「ああ、あの娘か……」
御ババ様はにやりと笑って言った。
「あの娘は拗ねておる」
「え?」
「旅に出ると……自分だけで決めてしまったおぬしに対してな……」
「う……」
アストは冷や汗をかく。昨日の晩、そのことでリディアとやり合ったばかりだからだ。
「出迎えはないと思えよ」
そう言って御ババ様は歯を見せて笑う。アストはため息を付いた。
「……行こうゲイル」
アストはゲイルを連れてゲルダのいるゲルへと向かう。
「アスト……準備は出来たか?」
「ああ! 万全だぜ!!」
ゲルダの問いに元気よく答えるアスト。
「ならば……もう言うことはない。行くべき道はわかっているだろう?」
「ああ!!」
アストは決意の表情でそう答える。
まず目指すは、カディルナの地第二の都市・フォーレーンである。
アストはゲイルの背に飛び乗った。すると――
オウウウウウウウ!!
集落中の大銀狼が一斉に遠吠えを始める。仲間の――アストの旅立ちを祝福しているのだ。その光景をアストは誇らしげに眺めていた。
どすん!
――不意にアストの背後に何者かが乗ってくる。
「うえ?」
振り返るとそこにリディアがいた。
「あ? リディア? なんで?」
アストは突然のことに呆然とする。そんなアストの鼻先にリディアは短槍を向けて言う。
「さあ!! 行こうよお兄ちゃん!!」
「え?」
なんとなく事態が飲み込めてくるアスト。
「リディア……旅は危険で……」
「二人の方が安全……」
リディアはアストの背中に掴まって降りようとしない。
「でも……」
「魔法の力は旅に役立つよ?」
「う……」
確かにその通りだが――。そんな困惑気味なアストにゲルダが言う。
「連れて行ってやれ……。深い絆でつながれた兄妹……その絆は、今の時代もっとも得難い武器になる」
「父さん……」
リディアが笑顔でゲルダを見る。
「俺から……絶対離れるなよ?」
「うん!!」
アストの言葉にリディアは元気に答える。心は決まった。
オウウウウウウウウウウ!!
大銀狼たちの祝福を受けてアストはゲイルを走らせる。その背に大事な妹の温もりを感じながら。アストの、ソーディアン大陸をめぐる冒険はこうして始まりを迎えたのである。
◆◇◆
暗黒時代の到来した大陸――
そこに住む弱い人々は、果たして嘆いて怯えるだけしかできないのか?
それは違う!
決して希望は捨ててはならない!
死と暴力と凌辱に満ちた世界に、それでも小さな希望の光は存在した――
世界を巡りその力をもって弱き人々を救う者達――
彼らのことを人々はこう呼んだのである――
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