Episode 1 始まりの冒険

Chapter 1 黒髪の騎狼猟兵

 サイクレストという世界がある――。

 それは広大な星界に浮かぶ球状世界の一つ。

 そのサイクレスト世界には三つの大陸が存在した。

 第一のセイアーレス大陸――

 妖精の大地ティルナノグ――

 そしてソーディアン大陸――


 そのソーディアン大陸では、長く一つの偉大な神・白龍神ヒューディアによる安定した世界が築かれていた。

 それに反するものは、異なる信仰を持つ妖精族や、南東部を支配する黒の部族以外には存在しなかった。

 そして、ソーディアン大陸歴890年――

 白龍神の眷属たる赤の民と、黒の部族との十数回目の衝突から十年あまり過ぎた年、突如として東の大地に黒い光柱が立ち上る。

 それは、後に大陸を混乱に陥れる、魔龍アールゾヴァリダの出現の光であった。


 その魔龍は大陸東部にいながら、大陸中央からすら見えるほどの巨体を誇り、東部一帯の人類生活圏を壊滅に追いやった。

 そして、かの魔龍は白龍神ヒューディアを獲物として、突如襲い掛かったのである。

 その戦いは七日七晩続いた。天空は裂け、大地は幾度も揺れた――

 そしてその戦いは、人類の祈りもむなしく、最悪な結果となってしまった。


 白龍神ヒューディアは魔龍アールゾヴァリダに食い殺されたのである――。


 大陸中は大混乱に陥った。

 世界の滅亡が訪れたとして多くの人々が自ら命を絶ったり、自暴自棄になって略奪や暴力に走ったりした。

 だが滅亡の時はすぐには訪れなかった。

 魔龍アールゾヴァリダが白龍神ヒューディアとの戦いの傷を癒すために、東の大地へと去ったのである。

 しかし、人類にとっては滅亡がほんの少し先延ばしになっただけであった。

 さらに、魔龍が眠りについたのち、妖精族の一部が凶悪な妖魔族へと変異して、人類に襲い掛かってきた。

 そのような混乱の中で、人々は新たなる祈りを求めた。ある者は新興宗教を頼り、ある者は古い神々への信仰を復活させた。

 こうして、一時安定を取り戻したかに見えたソーディアン大陸であったが、混乱の元は人類種の中からも現れた。


 新興宗教・聖バリス教会。それを信仰する赤の民は、魔龍アールゾヴァリダに立ち向かうには、龍殺しの聖バリス神に全民族が帰依して、一体となって立ち向かわねばならないとした。

 それはある意味正しかったが、民族を統一する手段があまりにも強引であった。

 従わない民族を魔龍の使途として断罪して虐殺する――

 それは、あまりに早急な手段であり、ソーディアン大陸に更なる混乱を呼ぶだけであった。


 かくしてソーディアン大陸に、死と暴力と凌辱は蔓延した――

 弱い人々はただ嘆いて怯えるだけであった――


 『暗黒時代』の到来である――



◆◇◆



 大陸歴990年3月

 ボーファスの大地南西部


「があああああ!!」


 巨大な人食い鬼オーガが吠える。その手に持った金属製のハンマーを振り回しながら前進する。しかし、


 びゅん!!


 風切り音とともに十数本の矢がそのオーガに向かって飛ぶ。それらの矢は的確に鬼に命中、ハリネズミの様な状態に変える。

 それでも何とか生きていたオーガであったが、


 びゅん!!


 再び一本の矢が飛びそれが眉間に命中して深々と突き刺さる。その矢でその凶悪な鬼は息絶えた。


「これで一匹!!」


 大銀狼の背でそう叫ぶのは黒髪の人間族――、大きく成長したアストであった。


 不意に乗騎である大銀狼ゲイルが唸り声をあげる。その反応に何かを察したアストはすぐに周囲を警戒する。そして、そこにそれはいた――、

 古ぼけた歪んだ樹木を杖にした小鬼ゴブリンである。それは、妙な手ぶり身振りで、歌を歌っている。


「ゴブリンシャーマン!!」


 そう叫んだ瞬間、そのゴブリンシャーマンの杖から火球がとんだ。


小火球ファイアボルト


「く!!」


 アストはとっさにそう叫んで、ゲイルの背から転がり落ちる。何とか火球は避けられたが――。


 その光景を見てゴブリンシャーマンはケラケラ笑う。そして、再び歌を歌い始める。


「ち……」


 アストはすぐに懐から一つの笛を取り出す。その笛に息を何度も吹きこむ。――しかし、音は出なかった。


 その行動を見てチャンスと考えたのか、短剣を持ったゴブリンたちがわらわらとアストの周りに集まってくる。

 アストは笛を口にくわえながら、腰の曲刀・ボーファス刀を抜いた。


 ゴブリンの一体が襲い掛かる。その短剣を綺麗に避けたアストは手にした刀を一閃する。

 その一撃でそのゴブリンの首が飛んだ。


 その光景を特に気にした様子もなく、別のゴブリンが襲い掛かってくる。そうして何度か切り結んだとき、アストの目にある光景が飛び込んでくる。

 ゴブリンシャーマンの杖に新たな火種が見えた。


「う~ら~ほ~」


 ゴブリンシャーマンは歌いながら魔法を完成させようとする。

 このままなら、ゴブリンどもに囲まれたアストは魔法で狙い撃ちされてしまうであろう。しかし、


 グシャ!!


 ――それは一瞬の出来事であった。

 ゴブリンシャーマンの死角から走ってきた大銀狼・ゲイルがその首を咥えて噛砕いたのである。


 その光景に周囲のゴブリンたちも驚いて眺める。その隙をアストは見逃さなかった。

 数撃刀が一閃される。その数だけゴブリンの首が飛んだ。


 役割を果たしたゲイルがアストの元へと駆けこんでくる。アストはその頭を撫でてやった。


 アストが周囲一帯のゴブリンを掃討したとき、どこからか狼の遠吠えが聞こえてきた。

 すぐさま口の笛に息を吹き込む。それに反応するようにゲイルが大きく吠えた。


「妖魔族の掃討が終わったな……。みんなのところに戻ろうゲイル」


 そう言ってゲイルの頭をなでると、ゲイルは小さく吠えて答えた。


騎狼猟兵きろうりょうへい

 それはボーファス帝国・黒の部族の別名であり、大陸最強の騎兵を表す称号である。

 彼らは、狼笛と呼ばれる人の耳には聞こえない笛を使って、大銀狼を自在に操る狼使いであり。その背に乗って戦えば、軍馬を扱う騎兵十体を相手に戦えるとされる。

 軍馬であったとしても、馬は肉食獣である大銀狼を本能的に恐れる、そのためその吠え声一つで騎馬を混乱に陥れる彼らは、遥か古代より乗馬騎兵の天敵とされてきた。


 アストはゲイルの背に乗ると、その鬣を手に気合の声を上げる。

 それに従って、ゲイルは疾風のごとく草原を駆けて行ったのである。



◆◇◆



 仲間の元へと帰還したアストは、仲間と手を打ち合って健闘をたたえた。


「やったなアスト!! お前オーガを倒したって聞いたぜ?!」

「まあ、仲間の援護ありだったがな……」

「まあ、それでも手柄は手柄だ! さすがはゲルダの息子だな!!」

「ははは……」


 そう言ってアストの健闘を称えるのは、同じ集落のムーンエルフの一人、ほぼ同い年のカイシルである。

 アストはムーンエルフたちの中にあって、その仲間として受け入れられていた。ゲイルから騎狼術や武器の扱いを教わった彼は、集落でも上位の優秀な部族戦士へと成長していたのである。


「知ってるかアスト」


 集落への帰りの道中、カイシルがニヤニヤしながら話をする。


「お前……集落の女どもから『黒髪の戦士』って呼ばれて人気なんだぜ?」

「え?」


 意外な話に唖然とするアスト。

 カイシルは笑いながらアストの背をバシバシたたく。


「まあ……最も、お前にはリディアがいるから、その女どもにとってはただの憧れで終わりだがな!」

「おい……」


 アストは苦笑いする。


「リディアは俺の妹で……」


「はははは!! いいから、いいから!! 分かってるって!!」


 何を分かっているというのか。カイシルはそう言って手を振って去っていった。


 もうすぐ集落が見えてくる。リディアは寂しがっていないだろうか?



◆◇◆



 ゲルダの移動集落の中央付近、他とは少し変わったゲル(=遊牧民のテント)があった。それは他のゲルより派手な色で彩られ、動物の角や毛皮で装飾されたきわめて目を引く存在感があった。

 その内部から、歌うような調子の真言詠唱が響いてくる。


「ヴァダールヴォウ……ベルネイア……(訳:我、ベルネイアに帰依し奉る)。ベルナストリム……ベルフラストレム……(訳:嵐の娘よ……雷を纏う者よ……。

ラフドレゾオフレムト……カルドフラムド……(訳:一切諸難を滅し尽くしたまへ……滅し尽くしたまへ……)。

ジャナントレム……フガールベクトレム……、リィガルドヴァダルフォーズ……、ヴァズダー(訳:槍を振るう者よ……咆哮を轟かせる者よ……、諸神の加護とともにここに参られんことを……、ヴァズダー)」


 その詠唱は何回も何十回も響き渡る。

 その事は周囲の誰も気にすることはない。いつもの日常の風景に過ぎないからだ。


 ――と、不意に真言の詠唱が止まる。


「リディアよ……」


 ゲルの内部、その手に小さな指揮棒を持ったムーンエルフの御婆が、先ほどまで真言詠唱をしていたリディアに話しかけてくる。

 リディアは冷や汗をかきながらその言葉に返事をする。


「何ですか御ババ様?」

「貴様……今日は三回ほど真言をしくじったの?」

「う……」


 その御ババ様の言葉に苦い顔をしてうつむくリディア。

 その顔を睨みながら、御ババ様は言う。


「気持ちが明後日の方向へ行ってしまっているようじゃのう? そんなに……」


 そう言ってから御ババ様は歯を見せてリディアを笑う。


「そんなに兄が帰ってくるのが楽しみか?」

「え!!」


 その御ババ様の言葉に顔を引きつらせるリディア。


「まあ……久しぶりに集落を一時離れての遠征じゃったからのう。その帰りが待ち遠しいのはわかるが。修行に身が入らぬのでは困ってしまうぞ?」

「はい……申し訳ありません」


 リディアはそう言って頭を下げる。その姿に御ババ様は優しげな笑顔で答える。


「リディア、お前は一族でも最も優秀な『雷鳴の魔女』じゃ。わしの跡を継げるのはお前しかいないと思うておる。なればこそ、このようなことを言うのじゃよ?」

「はい……」


 その言葉にリディアは真剣な表情になる。


魔女まじょ

 それは本来は、古代神信仰の主催となる巫女に与えられる称号である。

 現在の一部地域では『魔龍の眷属』と言われ蔑まれている『魔女』であるが、それはもともとは別の意味を有していたのだ。彼女らは、真言と呼ばれる古代の神聖言語を操り奇跡を起こすことのできる魔法使いであり、古代の神々の御言葉を人々に届ける神々の代弁者でもある。そして、『雷鳴の魔女』と呼ばれる彼女らは、嵐と雷の女神・ベルネイアを本尊とする雷の魔法使いであった。


 ――と、不意にゲルの外が騒がしくなる。その音を聞いてリディアの長い耳がピクリと反応した。


「? リディア?」

「は、はい……?」


 その心ここにあらずという感じの返事に、御ババ様はため息を付く。そして――、


「行ってきなさい……」


 そう言った。

 その言葉を聞くが早いか、リディアは慌てて立ち上がってゲルを出ていく。集落の中を喧騒に向かって一気に駆け抜けた。


「お兄ちゃん!!」


 走りながらリディアは叫ぶ。その言葉に反応する者がいた。


「リディア!!」


 それはアストだった。ゲイルを傍らに、アストが手を広げる、そこにリディアは飛び込んだ。


「お兄ちゃんおかえり!! ケガはない?! 痛いとこない?!」


 そう言ってまくしたてるリディアに、アストは苦笑いする。


「大丈夫だよ。俺が妖魔ごときに後れを取るかよ」

「そう!! よかった!!」


 リディアは満面の笑みを浮かべる。その二人の姿はある意味微笑ましいが――、


「はしたないぞリディア……もうお前は16だろう?」


 そう言って声をかけるのは父ゲルダである。


 ――そう、リディアは今16歳、とても美しい女性へと成長している。

 長い銀髪は後ろで三つ編みに束ねられ。その黒い肌は黒曜石のように美しい。角や尾は丁寧に手入されて、魔女特有の露出の多い民族衣装を纏う様は、さながら天から舞い降りてきた天女のようであった。

 その綺麗な金の瞳がくりくりと動く。


「お父さん……ごめんなさい」


 そう言ってリディアはうつむく。しかし、兄アストからは離れようとしない。


「ふう……」


 その光景を見てゲルダは笑顔でため息を付く。

 それは、暗黒時代とは思えない、のどかな光景であった。



◆◇◆



 今年に入って、それまで散発的であった妖魔族の侵攻が、活発化の兆候を見せ始めていた。それらは、確実に大集団化しており、百戦錬磨の黒の部族にすら多くの被害が出始めていた。

 それは、まるで魔龍アールゾヴァリダの目覚めを暗示するかのような、不吉な予感を人々に感じさせた。


 大陸歴990年4月

 かの妖魔群討伐から一か月が経ったその日、ゲルダの集落で一つの事件が起こる。それは、二人の行き倒れを助けたことに端を発した。


「うわああああん」


 ゲルダのゲルの中に子供の泣き声が響く。

 それは、ソーディアン大陸南西部に住む『黄の民』の子供の泣き声である。それを親である男が何とかなだめようとしている。


「……」


 ゲルダは真剣な表情で『黄の民』の男を見る。


「それで……君たちは我々に助けを求めようと?」

「そうです。我々の村は、赤の民の統一使徒団に壊滅させられました。私と妻とこの子だけはなんとか逃げ延びたのですが。その道中……」

「妖魔族の一団か……」

「その通りです。私は子供を連れて逃げたのですが、妻が……妖魔族に捕まって……」

「連れ去られたか……」

「うわああああん。おかあちゃあああああん!!」


 子供はひたすら泣きじゃくる。ゲルダはため息を付いた。


「子供の前で……辛いことを言うようですがいいですか?」

「は、はい……」


 ゲルダのその言葉に、男は苦し気な表情をする。


「妖魔族は人間や他の妖精族の女を攫って、それを借り腹にして増えていきます。妖魔族はそのために貴方の奥さんを攫ったのでしょう」


「!!」

「だから、おそらく妖魔族の巣へと生きたまま連れ去られたとみて間違いないでしょう」

「それなら、今から助けに行けば!!」

「ええ、助かる可能性は極めて高いです」


 ゲルダのその言葉に少しホッとする男。男はその場に土下座して懇願する。


「どうか!! 妻を助けてください!! どのようなことでも致します!!」


 その男の姿にゲルダはしばらく考える。そして、


「おいアスト……」


 ゲルの外にいるであろうアストに声をかけた。アストがその言葉に従ってゲルに入ってくる。


「なんだい父さん」

「彼の奥さんの救出……お前に任せる」

「ふむ……」


 アストはそう呟いて、ただ泣きじゃくる子供を見る。

 その姿はかつての自分自身のようであり、姉を失った直後の自分を思い出して、アストは大きく頷いた。


「わかった……任せてくれ」


 そしてアストは泣きじゃくる子供の頭に手を当てる。


「大丈夫だよ……僕? 君のお母さんは僕がきっと助けてあげる」

「うううう……」


 アストのその言葉に子供が泣き止む。


「ほんと? ほんとに助けてくれる?」

「ああ……約束する」


 アストはそう言って満面の笑みを浮かべる。それを見て子供はやっと少しだけ笑顔を見せた。



◆◇◆



 さっそく、アストは戦闘の準備に取り掛かる。矢を用意し刀の手入れをする。

 ゲイルの傍へと歩いていったとき、そこに彼女はいた。


「お兄ちゃん」

「リディア?」


 それは心配げな顔をしたリディアであった。


「妖魔の巣に行くの?」

「ああ……」

「場所はわかっているの?」

「うん。奥さんの持ち物をもらったから。その匂いをゲイルに嗅がせれば何とか追跡可能だと思う」

「……」


 しばらくリディアは黙っていたが、不意に決意の表情でアストを見た。


「もっと確実な方法があるよ!」

「え?」


 そのリディアの言葉に疑問符を飛ばすアスト。


「私が魔法で追跡するの!」


 そう言ってリディアは手を出す。


「ちょっと……それって……。俺についてくるって意味?」

「そう! 一人じゃやっぱり危険だよ!!」

「いや! お前が危険だろう? 妖魔族と戦いになるんだぞ!!」


 アストは慌ててそう言うがリディアは、


「大丈夫! 私は雷鳴の魔女よ!! 妖魔族になんて後れを取らないわ!!」


 そう返す。


「でも……」


 それでもアストは食い下がる、リディアが心配なのである。


「お兄ちゃん!! 私はもう子供じゃないよ!! 自分の身は自分で守れるし……魔法を使えばお兄ちゃんにだって勝てないまでも、負けない自信があるんだから!!」

「……」


 その言葉にアストは黙り込む。リディアには集落にいてもらいたいが。


「アストよ……」


 ――と、不意にアストに声をかける者がいる。振り返るとそこにゲルダがいた。


「連れて行ってやれ……」

「え? 父さん?」

「リディアがいれば救助は早くなろう……。その分助かる可能性が高くなる」


 そのゲルダの言葉にアストは考え込む。


「いいか? 一人ではできることに限りがある。こういった場合は仲間の手を心よく借りるんだ」

「お父さん!! ありがとう!!」


 リディアはゲルダにそう言って笑いかける。そのゲルダの言葉にアストは決意をした。


「俺から絶対逸れるなよ?」

「うん!! お兄ちゃん!」


 アストはすぐにゲイルの背に飛び乗る、その後ろにリディアが乗ってアストに掴まる。


「しっかり掴まってろ? 振り落とされるぞ!!」


 アストはそう言って気合の声をあげる。ゲイルは一声吠えてから、一気に走り出した。その後ろをゲルダは真剣な表情で眺める。


(アスト……これは多分、お前にとって大きな試練になる。二人で生きて帰って来い。そしたらお前に……)


 ゲルダはある決意を胸に秘めていた。


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