2日目-3-

 突然の訪問に蒼夜はあまり驚きを見せなかったが、深空の様子には眉を上げて反応した。

「ちょっと待ってて」

 奥から濡れたタオルを持ってくる。

「それはいいから──いや必要か分からないけど──横になれる場所はないかしら」

「奥に部屋……物置だし……廊下なら」

「トイレは近い?」

「すぐ横」

「じゃあそこで。布団は……無いよね」

「毛布と羽織があるからそれっぽくはできるよ」

「お願い」

 雨夜月は建物の道に面した前半分を店のスペースとし、奥を倉庫や物置となっている簡易的な居住スペースとしている。今でこそ物で埋まっているが、当初は人が住めるように作られた部屋がいくつかあり、当然廊下もそれなりの広さと長さがある。

 その廊下に紗鈴の指示で手早く寝られる場所が作られ、深空はぐったりと横になる。そうしていると心もち気分も楽になっているようだ。

「大丈夫?」

「なんとか……。吐き気は、少し良くなった」

 紗鈴が濡れタオルで深空の顔の汗をぬぐう。少し顔が赤いのは日焼けか体調が悪いのか。ただ、廊下は涼しいし水も充分にある。

 そうして落ち着いた深空は、疲れがたたったのか眠ってしまった。

「うーん……」

 そんな深空を前に、廊下の壁にもたれかかって紗鈴は少し緊張していた。先ほどの海での件が後を引いていたのである。

「あの、さっきは」

「さっきって?」

 しかし蒼夜は気にした様子もなく、というよりも何かが起こっていたと最初から気づいていない様子である。

「いや……なんでもない」

 紗鈴は膝を抱えて深空の隣に座りこむ。

 だが、蒼夜も座りこそしないが、その場に残っている。店へと続く廊下の入り口に佇んでいると、薄暗い廊下からは影のように見えた。

「お店はどうするの」

「誰も来ないよ」

 顔を上げた深空は逆光になった蒼夜を見た。その背は意外と高くて、死神のような異様な存在感を持っている。

 身体が勝手に引いていた。深空の上にかけられた羽織の裾を掴む。

「……あんたは、深空とはどういう関係なの。というかなんであんたの所に深空が泊まってるのよ」

 何かに負けじと紗鈴は言葉を絞り出す。気圧されているような虚勢を張るような、震えを押さえているような声だった。

 対して蒼夜は、若干戸惑っているような、困っているような口調になる。自分の言葉をうまく表現できないといった風だ。

「それは、至が決めたことだから。ぼくにはどうにもできないよ」

「そりゃ災難だったのね」

 苦々しげに紗鈴が返す。蒼夜のせいでないことくらい感づいていたが、何か言わずにはいられなかった。あるいは、蒼夜の言葉を聞くことで同じ人だと確認したかったのかもしれない。

「確かに、災難なのかもね。だけどたまにはこういう生活もいいんじゃない」

「こういうって、他人と一緒にいるってことかしら」

 紗鈴の声はとげとげしい。対照的に蒼夜は戸惑いは変わらずとも落ち着いている。

「そうかもしれない。ううん、まだ一日も経っていないから、勘違いなのかもしれないけど」

「曖昧なのね。──異物が入り込めば人体は拒絶反応を起こす。それは大なり小なり同じ構造で、他のことにも当てはまる。あなたのそれも、拒絶反応じゃなくて」

「さあね。だけど、正なり負なりぼくが人に関心を持ったことが重要なんだ」

 まるで人に関心が無かったかのように話す蒼夜に紗鈴は不満を隠そうともしない。

「あなたが自分自身に関心が残っているとは思わなかったわ」

「それはぼくも驚いてる。だけど、独りぼっちで朽ちていくだけの一生で終われるほど、ぼくも無感情ではいられなかったんだろう」

 いっそ無関心にも思えるほど穏やかな蒼夜の目は、いつの間にか深空の上に落ちている。

「まだ1日も経ってない。だけど、一目惚れっていうものもある。それに近いことがぼくに起きてもおかしくない」

「それはおかしくない。人に関心を向けるのもいいこと、なのよ。だけど……あんたがそうやっている姿を見てると、苛々してたまらないの」

「それは、ぼくのせいじゃないよね」

「そう。だから苛立ちが収まらない。理不尽だって分かってる。──面倒くさいわよ、他人と関わるのは。人殺しと出自が同じってだけでただの人を恨まずにはいられないんだから。そういった気持ちを溜め込んで爆発しないための防衛行動とか心理学だと言うのかしらね」

「……それは、ぼくがどうにかできる問題じゃない」

「その通り。これは私の問題、折り合いを付けることができるのは私だけ、誰にもその権利は無いわ。そう、だからあなたなんかに解決されてたまるもんですか!」

 怒りを堪えるが如く頭を掻きむしる紗鈴と、何を考えているようでもない蒼夜と。間に挟まれた深空が人を隔てる境界線のように横になっている。

 啖呵を切って、紗鈴はしばらくうずくまっていた。蒼夜は深空から視線を外さず、時折足の位置を変えるくらい。亀裂の入った空気の中、妙に保たれている均衡の中で、寝息だけがやけにはっきりと聞こえている。

 ふぅ、とため息のような何かを決意したような息が出た。

 紗鈴が立ち上がった。一瞬立ちくらんで壁に手をつくが、頭を振って持ち直す。

「──帰る。深空のこと、よろしくね。あなたは手出ししないでしょうし」

「それはしないよ」

 どたどたと蒼夜の横を通り過ぎて紗鈴は店に出る。靴を履くとき背中越しに深空へ目をやって、振り払うかのように前を向いた。

 その後ろ姿に蒼夜が声をかける。

「あの、」

 何も考えてないようないつもの声。紗鈴は抑えきれなかった。

「──あ、そうそう。思い出したんだけど」

 追いかけてきた蒼夜の声を受けて、あるいは遮るように、紗鈴は扉を開けて紗鈴は立ち止まる。顔を外に出したまま、

「深空、アクセサリー落としちゃったみたいだから、新しいの見せてあげたらいいと思うわ」

 外の熱い空気を流し入れひと言だけ残して去って行った。

 足音が消えてからも蒼夜は深空から目を離さなかった。それは、見守るというより観察しているといった方が合っている。自分にとってこの存在は如何なる影響を及ぼすのか、その度合いを測っていると言ってもいい。男女の情は無く、自分に起こった事象について黙考しているとも見えた。

 その視線は物理的に突き刺さっていると感じられるほど鋭かった。

(うっわ、めっちゃ見てるよ──)

 深空は最初から目が覚めていた。身体は怠く火照っていて、毛布は薄くて熱がこもるし床も硬く寝られたものではない。薄い微睡みの中、このまま意識を失わないかと願っていたが耳が反応してしまった。寝ているフリをしている中、結局全部耳に入ってしまっている。

(蒼夜の同郷の人が殺人者で、紗鈴はその事件に巻き込まれた。ってとこかしら)

 昨日の夜はそんなギクシャクした感じは無かったのだが、いや、そういえば紗鈴が蒼夜に絡んでいなかった。自分を標的にしているかとも思うが、こうなると怪しいところだ。ただ、普段は余計に接触しない間柄なのだろう。今日は自分が倒れて、蒼夜の店に行かなきゃならなくて。そう考えると申し訳ない気がしてきた。

(海で驚いていたのはこれもあったのかな)

 気になるが訊いてはいけないことに思えた。

 身体を動かしていないと余計な思考が湧いてくる。その1つ1つは他愛もないことでも、積み重なれば余計なことを察するくらいには形を作っていく。この町に来てたった1日。それだけで人間関係を推測できるほど人と関わっている。小さな町だ。だけど、玄空さんといい神社の2人といい、蒼夜さんといい、少々親しくなる速度が速すぎないか。

 ぞくりとした。火照っていた深空の身体から、急な風が吹いたかのように汗が熱をさらっていく。

 寒気で震える身体を蒼夜は見逃さなかった。ゆっくりと近づいてくる足取りが、顔を動かせない深空には死神の足音のように聞こえる。蒼夜がかがんで、ざらりと着物が擦れる音が深空の耳の横にかかる。それほど近くにいるのに、息づかいがほとんど聞こえない。亡霊と対峙するかのような恐怖が深空の身体を縛りあげていた。

「大丈夫?」

 瞬間、恐怖が吹き飛んだ。

 横にいるのは息もあるただの人間だ。温かい声、どうして恐怖などしたのだろう。薄っすらと開けた深空の目に心配そうな無表情が映る。碧色の大海は深宇宙を照らし出して深く揺らいでいる。

「あ……」

 その瞳に深空は目を奪われた。あの瞳だ。昨日、その中に海を見た。今日もまた、今度は大海の深海のような底知れなさを浮かべている。青と緑に揺らめく炎を秘めた黒真珠。そんなものがあったら、こんな風に見えるだろう。

「大丈夫?」

「あ……はい……」

 深空はただそれだけしか言えなかった。安堵と衝撃は力が抜けていた深空から、さらに気力まで奪っていく。ただ、それが良かったのか。起きているだけの力も消えて、深空は心地よい闇の中に落ちて行った。

 

   ***

 

 深空が目覚めた時、既に太陽は空の中点を越え、店内に陽射しが差し込んできていた。逆光の向こうから蒼夜が声をかける。

「立ち上がって大丈夫?」

「ええ……寝たらスッキリしました」

 実際に眠っていたのは1時間くらいだろうか。スキャホで現在時刻を確認した深空は紗鈴の姿が見えないことに気づく。寝ている内に帰ってしまったのだろう。

「はい、水。汗を拭きたいならタオル持ってくるよ」

 蒼夜が差し出したコップを受け取って一気に飲み干す。ぼうっとしている感じも無いし熱中症や脱水症状は感じられない。完全復活とはいかないまでも、深空の体調はほぼ元通りになっていた。

「タオル、お願いします」

 体調を取り戻したら身体の不快が昇ってくる。汗で濡れた身体が今にも冷えそうだ。

「はい」

 それを予期していたのか蒼夜はすぐに絞ったタオルを出してきた。丁寧にお湯で絞ってあるところ、気配りができるのか観察が充分すぎて気持ち悪いのか、境界が不鮮明だ。深空は、とりあえず気が利いているというところに落ち着けておいた。

 廊下で汗を拭う。下に敷かれた毛布も汗でぐっしょり、上にかけられていた羽織はまだマシだが臭いは残りそうだ。両方とも早く洗濯してほしいな、と思いつつ、自身の着替えを思い出す。汗をかくのは想定内だから下着は多めに用意しているが、普段着はあと1着。スポーツウェアを含めても洗って着回すには少々足りない。

(まあ……スーパーに売ってるでしょ)

 とは思うものの、懐事情がさらに寂しくなる。どこかで稼ぐ方法は無いものかと、身体を拭いながらしばし思案する。

 とはいえ知らぬ町のこと。そんなに詳しい事情を知っているわけでも無い。至さんに訊いてみようかと考えをまとめたところで、タオルがもう絞れそうなほどになっているのに気がついた。汗もだいぶ拭けただろう。

「蒼夜さん、これはどうすればいいんですか」

「あとで家に持っていくよ。ここに洗濯機は無いから」

 内心ほっと息をついて、深空はタオルと毛布に羽織を持って店に出た。

 店内は既に電灯が点いていて、店の隅に薄暗い陰りを産んでいる。よくて倉庫、そのまま言い表すなら物置。中に入ってもほとんどの人が物を売っているとは気づかないだろう。ただ、そういう様子が好きな人にはたまらない。改めて見ると不思議な店だ。

 商品、というか物品は大きさの合う棚に適当に置かれているだけのようで、規則性も何も無い。大きすぎるクジラの骨格は店の真ん中の台座に乗っているし、その周囲には地球儀や天球儀や大きい壺といった棚には置けないサイズのものがある。

 小さな棚を見てみる。小物が並んでいる。陶器や木彫りなど手のひらには乗るが、アクセサリーには少々大きい。ただ、飾っておくだけならいいものだ。木彫りのフクロウ、リス、ネズミが並んでいてセットで買うのもいいかと思う。

 それ以外にも深空が興味を惹かれるものはあった。ミニチュアの回転木馬はきちんと動くし連動してオルゴールも鳴る。細長い箱に収められた扇子は漆塗りで指が触れたら指紋が残りそうだ。かと思えば色落ちした怪獣のソフビ人形が置いてあったりと、本当に雑多で見飽きない。

 そうやって深空が2周目に入ろうとしていると、蒼夜が声をかけた。

「アクセサリーだっけ。失くしたんだって?」

「あー……」

 確かにそういう設定だった。だが、説明するのも面倒だし万が一紗鈴に情報が流れないとも限らない。深空は訂正しないことに決めた。

「はい、失くしたんです。それで、新しいのが欲しくて」

 雨夜月で買えばいいと言ってしまったのが運の尽きか。蒼夜に伝わっているとは思わず、これは買わないわけにはいかなくなった。変なものしか無かったらどうしようかと深空は心の中で震える。

(いや、いいものが無かったと言えばいいのか?)

 それにここまで見てきてそれらしいものは無かった。いいデザインでも少し大きいし、なにより耐久性が気になる。木彫りだとうっかり落としたら壊れてしまいそうだ。

「ここには、ちょっと無くて」

 深空が言うと、気落ちした様も見せず蒼夜は店の奥に入っていく。

「ちょっと待ってて」

 建物の中に上がり、倉庫と化した部屋に入る。段ボール箱が積み重なっているが、よく見れば一段一段枠組みが通っていて棚となっており、1つ1つは簡単に取り出すことができる。さらに、表には「花瓶・壊れ物」だの「鮭<熊・木製・デカい」だの「茶道具一式・安物」だの説明書きが貼られている。ただ、ここにあるものも物品の置き方に規則性は見られない。

 蒼夜はその中から、下の方の棚の段ボール箱を出した。表には「ストラップ/アクセサリー・小物類①」と書かれていた。

「この中はどう?」

 深空の前で開いた箱の中には、透明な平べったい収納ケースがいくつも重なっており、パーテーションで1つ1つ区切られて入っている。とても蒼夜の手によるものではない几帳面さだ。

 最初の1つを開けて2人で見回してみる。ガラスの勾玉、赤色の五方星、プラスチックの動物たち。気に入ったものは無い、と深空は首を振る。

「じゃあ次」

 今度は紐や編み物だ。赤、青、緑、ピンク、黄色。とりどりのストラップだが、こうして並べてあるとトリアージのようにも見えて少々不気味に思えてくる。

「次」

 深空の表情を見て蒼夜がまた次の箱を出す。

 次も微妙なものばかり。いや、きちんとしたストラップだが、遮光器土偶やら竜が巻き付いた剣やら木刀やら、どことなく小中学生に向けた感じがするものばかり。蒼夜もすぐに閉めて最後のケースを開く。

「あっ──」

 開けて、その瞬間に深空の目に飛び込んできたものがある。

 それは砂時計のようだった。しかし、ただの砂時計ではない。

 砂を収める1対の球体は地球が描かれている。向かい合った地球を囲むのは天球儀の外枠。大中小の3つの輪は交差する2軸で回転し、小の輪が砂時計を固定している。大の輪の周囲には全体を覆う透明な球体がカプセルのようにあり、軽く叩いてみても丈夫な作りになっている。

 驚くべきはその大きさだ。深空が右手の親指と人差し指で作った輪と同じか、少し大きいくらい。深空の手が同年代の女性と比べて少し大きいことを考慮してもその小ささは驚嘆に値する。

「これ、何ていうんだろ」

 深空が指さすそれを蒼夜が持ち上げて、底にあった紙に書かれていた文字を読む。

天球時計てんきゅうどけい、アストログラフメーターだって」

「聞いたことない」

 他に何か書かれていないかと紙を持ち上げるも、他に蒼夜が見つけたのはコーヒーの染みだけだった。

 蒼夜は深空に天球時計を手渡す。角度を変えるとくるりくるりと輪が動いて、砂の入った方の地球が下になる。しかも回転は潤滑油を差したばかりのように滑らかで、輪を固定するような器具も仕掛けも見当たらず、よほどのバランス感覚と根気が無ければ時間を測る用途には使えないだろう。

「まあ、アクセサリーならそれでいいのか……」

 そもそも時計を求めていたわけではないし。微妙に惜しい感じはするが、デザインはすごくいい。深空の琴線に触れる何かがあった。金色で縁取られた茶色の輪、北極で向き合う地球、砂時計。ゴシックで神秘的な香りが漂ってくるようだ。

「これ、いくらですか」

 即時の購入を決断した深空だ。少々値が張ってもかまわないと思った。だから、次の蒼夜の言葉に呆気にとられた。

「いくらだろう」

 商売人がそれでいいのか。思っても、何かを言える心情ではない。

 しかし蒼夜の言葉ももっともで、値段を記したものなどどこにもない。出自を示す資料も無ければ似たような品を見たことも無い。

「えっ……と、じゃあ、調べましょうか」

 安く買う機会であるのに律儀に深空は反応していた。というより、驚きでそれ以上のことが思い浮かばなかったのだ。

 まずは検索語:「天球時計」で検索。ヒット数は300件もない。上から見ていってもゲームのアイテムや「天球」と「時計」が同じページに載っているだけのものばかり。ゲームのは現実のアイテムとは違うし、サイトの中身まで見る気になれない。

 次は写真。画像検索で同じものを探す。が、出てくるのは地球儀や天球儀、渾天儀ばかりだ。他には飾りがついた砂時計くらい。

 もう一度実物に目を向ける。製造番号のような刻印でもあればヒントになる。どれだけ細かいものでもいい、とスキャホの拡大鏡を使ってまでくまなく見ていく。それでも金枠に微細な凹凸が無いかまでを確認するに至って、一切の瑕疵も無いことだけが分かった。

 こうなると簡単に値段はつけられない。一点もののオーダーメイドの可能性が高いからだ。個人製作の例えばガレージキットならば安くて数万、名のある工場や職人の手によるブランドものならばさらに桁が上がる。天球時計という名前が正しいのかも分からない。

 ただ、どうしてここにそんなものがあるのか。天球時計にばかり目が行っていて気づかなかったが、同じ箱に収められていた物品もアンティーク調のものばかりだ。これが全部天球時計と同じように出自が不明だとしたら……深空は恐ろしくなって考えるのをやめる。

「この箱、というかこれ、どこから仕入れたの?」

 代わりに他の箱を指す。3つの中身も最後の箱に負けず劣らずどこから手に入れたのか不明なものばかりだ。いや、地方のお土産屋かもしれないけど。

「分からない。けどぼくがこの店を任される頃にはあったし、前から受け継いできたんじゃない」

「前からって、いつからこの店はあるの」

「元々は本町にあったみたいだけど20年くらい前にこっちに移って、詳しいことは分からないなあ。この店の物は代々受け継いでるものもあれば途中で増えてるのもあって、いつのものかも分からないし」

 商品自体は元からあったのだろうが、それだけだと入手手段から出自を探ることもほぼ不可能だ。SNSを使って調べようにも、深空の持っているアカウントはそれを可能とするほどバズが来るフォロワー数でもない。

 となれば自分たちで考えるしかない。だが、ここにいるのは若い女性の旅人と半ば引きこもりの青年のみ。そうそううまく値段がつけられるわけもない。

「店主でしょ」

「ぼくは好きでなったわけじゃないし。そういう役目だから」

「これまではどうやって値段つけてたの」

「スーパーとか土産物屋に売ってるの見て」

 それではこの店にある特殊な商品の値段はつけられない。商売として成り立っていない、成り立たせる気がないとしか思えない。そして、きっとそれは正解なのだろう。当人のやる気が無ければ何事も上手く行かない。

「じゃあ……」

 深空は現金を数え始めた。とはいえこの町で使う分、宿泊費の分もある。あまり使いたくない。

「1000円……いやぼったくりだし……かといって5000円以上は……」

 ちらちらと蒼夜の顔を窺う深空に対し、蒼夜は何も考えていない表情で深空を見ている。全部を彼女に任せているような、本当に何も考えていないような、見ている方が判断を諦める表情で。

 深空もとうに諦めている。天球時計の価値と懐事情と良心の狭間で板挟みになりながら、結局8割方自分の都合に合わせて決めた。

「じゃあ4000円で」

「そんなに高くていいの? こんなに小さいのに?」

「小さいから高いんじゃない」

 呆れ顔が顔から離れなくなって、深空は常識を期待するのをやめた。霞を食べて生きている仙人でも人間界のことはもっと詳しいだろう。これが専門的なものだとして、自分の店のことなのだから救いようがない。

「……4000円で」

(もっとも、それ以前に彼は人に対してあまり興味が無さそうだけど──)

 深空の考えは正しい。そして、だからこそ自分に向けてくる視線が妙に感じる。

「はい」

 お金を受け取ってレジを操作、商品を渡す。そういった作業はできている。

 深空もそれ以上は考えない。首飾りにもなる長さの紐をスキャホに結わえ、天球時計をアクセサリーとする。

「ちょっと大きいかな……」

 球形というのが問題だ。ポケットに入れると安定しない。ポシェットやザックだと身体から離れてしまって不安になる深空には少々気になることだ。何かの拍子に落とさないとも限らない。

 やっぱりアクセサリーに使うのはやめて首にかけることにした。スキャホも顔に装着することもあるし、こんなものがぶら下がっていたら笑われてしまう。

 首からかけた天球時計は、鎖骨の下5センチくらいまで落ち、輪はくるりくるりと回転しゆっくりと止まった。サイズに心配はあったが意外としっくりくる。少し揺らして輪が回るのを見て、深空は蒼夜へ身体を向けた。

「どう? 変じゃない?」

 首から下げた姿を蒼夜に見せる。

「いいと思うよ」

 この場合の「いい」とは「可愛い」でも「似合ってる」でもなく「問題はない」の意である。ただし、言っている方はそれに無自覚であり、言われた方も何となく察しはするものの褒め言葉として受け取っておく。暗黙のルールというか処世術である。

「ふふん」

 それに、そうとは分かっていても深空も満足げである。本心では積極的に良いと褒めてもらいたいが、少なくとも悪くはないという判断だけでそれなりに満たされるものである。──ただし、どうすれば良いと言われるかは考える。そして次に活かす。そう決意している。

 そうしている間に蒼夜は出したものを片づけていた。箱を順に重ねて段ボール箱の中にしまい、元の場所に戻しにいく。その後を追って深空も倉庫に入った。

「うわ」

 蒼夜の後ろから部屋を覗き込んだ深空は思わず声を出した。天井までギッシリ詰まった棚、段ボール箱の量に圧倒される。地震の時は大変だったろう。

「あまりいじらないでね」

 ここまで入ってくるのはいいんだ、と少々驚く深空。既に上がった身、勝手に入って行くことへの抵抗は2人ともあまり無くなっている。ただし段ボール箱の中を見るようなことはしない。流石に深空も商品に触れるようなことをしないだけの分別はある。

 その代わり、部屋の全体を見ている。

「縦が4、横が5と7、だからえっと……68個」

 棚はほとんど段ボール箱で埋まっているから単純な計算でも合っているだろう。加えて、同じく物品で埋まってる倉庫が数部屋あるのだ。一体どれだけの物が眠っており天球時計のように出自がはっきりしないのだろう。そうでなくても値打ちの物があるかもしれない。それらを集めればひと財産になりやしないか。

 この店の商品の扱いの杜撰さに触れている深空は、頭痛がしそうな頭を最初から抱えながら訊いてみた。

「これ、どうやって管理しているんですか」

「どうやってって、たまに状態確認して、店に出してるものが売れればいい大きさのものを持っていくだけだけれど」

「……目録とかは」

「ぼくは知らないけど、栄さんならつけてたかも」

「その栄さんって」

「前の人。今はどこにいるか分からないけど」

「何年くらい前に変わったのかな」

「5年だっけ」

 前の店主だろうか。せめて在庫管理くらい教えておけ、と深空は思わずにはいられない。そもそもこんな奴に押し付けるな、とも。

 だが、今更だ。連絡も取れないようでは何を言っても意味は無い。当人も改善を行う意思は無いだろうし、前の店主が帰ってくることも無い。蒼夜の性格を分かってて任せたのなら部外者が挟める口も無い。

 深空はもっと現実的に考えることにした。つまり、ぽっと出の自分が口を挟むことでも無いのだから見なかった聞かなかったことにしよう──と。いい買い物ができてよかった。

 倉庫に背を向け深空は店に戻る。商品を見回しながら、この中にも値の張る骨董品があるんじゃないかと写真を撮って検索にかけていく。

(そんなこと、そうそう無いか)

 結果はお察しの通り。箸にも棒にも引っ掛からないものばかりだった。

 ふう、とため息をつく。やるべき事はやり終えたという充実と、やることが無くなった寂寥と、両方が込められた気怠い感じの息だった。そして、あらかた興味が尽きたという退屈の到来でもあった。

「もう16時か」

 何とはなしにスキャホに手を伸ばし、深空は外を見た。空は茜色に染まり始め、西日が建物の中に差し込んでいく。

 寝ていた時間が惜しい。そう思うと同時に、起きていたらどこに行っただろうかと深空は考えている。知っている場所が増えるほど未踏の場所は減っていく。この町で見ていない場所が、既に本町の上側くらいになっていることに気づいて愕然とした。そんなに小さな町だったのか、と。

 たとえ本町の上側を全力で探索したとして、一日もあれば見て回れてしまうだろう。それ以外の場所というと思いつくのは神社くらい。

 深空の脳裏に「こんな町」という声が再生された。昨日、港で言われた言葉。あの時は何とも思わなかったが、住人からすれば、自分のような外から来た人にとっては「こんな町」となるのだろう、と。自分が住んでいる町を知っているのだ。

(まったく──どうやって時間を潰そうか)

 同じ場所をまた見て回る、海で泳ぐ、図書館は──無かったから、お寺に面白いものがあるか探す。紗鈴に訊いてもいい。それか、ゲームをやっていたみたいだから一緒にプレイするのもいいかも。

 どこにでもある田舎とは、変わりばえのしない閉じた空間ということを意味する。変わらぬ日常が続く空間。観光地で短期滞在で、というならば退屈しない。それは日常の埒外に存在するからだ。しかし、同じ日々が続く空間に非日常を求めた者が来ても、それは得られない。

(あ、でも祭がある)

 深空はそれを求めて滞在しているのだ。町全体を挙げての祭ならば準備も大変だろうし、数日前から始まると思われる。それを見物するのもいいか。なんなら手を貸せばバイトになるかもしれない。

「お祭の準備っていつからですか?」

 レジ横でぼうっと座っている蒼夜に訊いてみる。

「そろそろ。至が忙しい忙しいって騒がしくなるよ」

「蒼夜さんは準備とかしないんですか?」

「ぼくは祭には出ないし」

「ああ、そういう人もいるって聞きました」

 話しながら少しの緊張を深空は感じた。この話題から離れたい何かを漂わせている。蒼夜にはこの祭に何か含むところがある気がする、と彼女の直感が訴えている。

 だが、それを見逃せないのが深空だ。

「至さんは出るんですよね」

「そりゃ、あいつは主催側だから」

「誘われないんですか?」

「無理矢理引っ張り出すことはしないよ、至は」

「お祭の話を訊きたいと思ったんですけど、何か知りません?」

「至に訊いた方が早いよ。ぼくは──この店か家にいるし」

「お祭の日も、ってことです?」

「準備も。祭に関わることには、あまり顔を出したくないんだ」

 彼にしては強い口調で言い切って、ふい、と横を向く。勢いではらりと髪が揺れて意外と形のいい白い首筋が見える。対話すら拒否する姿勢に深空も手が出せない。

 ただ、そっぽを向いていても雰囲気は穏やかで。さすがに深空も手を引かざるを得ない。それでも話しかけるのはさすがといったところか。

「まだお腹空いてないし出かけますけど、蒼夜さんはこのあとどうするんですか?」

「ぼくは店があるから」

「じゃあ、夜に帰ります。──夜ご飯は外で食べてきますんで」

 見送る蒼夜に、深空はザックを肩にかけ後ろ手に手を振った。

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