4.
「できた……!」
ボールペンを置いて、A4サイズのコピー用紙を両手で掲げる。
遠ざけてみたり、近づけてみたり、出来上がったばかりのイラストを再度確認する。うん、なかなかいい出来なのでは。
面白いほどにペンが進むと思ったらあっという間に思った通りの画面が完成した。
肩より少し長いミディアムの髪の女の子がスタンドマイクを持って歌っている横顔。イメージはバンドのボーカル。
どうせ白黒印刷なんだし、と思いきって墨のようなラインで描いてみたけど迫力が出ていて上手く表現できているような気がする。
もう一度、目の前にかざして見つめる。
…というか、これ。
どこからどう見ても彩音先輩だ。
パッとイメージ図が浮かんでから、描き終わるまで全く気がつかなかった。なんでだよ…。
誰かが見ているわけじゃないけど、恥ずかしくなって両手で顔を覆う。いや、我に返った自分が見てます。今すぐ消えたい。
提出は始業式の時になっているから、まだ描き直す余裕はあるんだけど……
まあ、なんというか、自信作なのだ。
今まで感じたことがないような浮遊感。思った通りにペンが動く楽しさ。
小学生や中学生の時に感じていた、絵を描くのが楽しいという感覚。
進路や将来を本格的に見据えないといけない。そう思い始めてから感じていなかった感覚だった。
…やっぱりこのままでいこう。
うん、そうしよう。何か言われてもこっちが違うと言えばそれで終わりだ。
何より、この絵をみんなに見てもらいたかった。
そこからはっきり覚えていることはほとんどなくて。
始業式の日に、パンフレットの表紙絵を描いた紙を彩音先輩に渡して、「わたしの目は間違ってなかった!」なんて髪をぐっしゃぐしゃに掻き回されて。
そこからはずっと、文化祭の準備や各クラスと部活への指示。さらに彩音先輩が生徒会でダンスやろう!とか言い出すもんで、大慌てで練習したり。そこにクラスの出し物もあって、忙しくて、忙しくて。
その数週間に楽しさがぎゅっと凝縮されていた。
強いて記憶に残っていることと言えば、副会長が無表情で演奏するドラム。
文化祭のオープニングセレモニー的な時間で、副会長を含む、5ピースのバンドが演奏を披露したのだ。
いつものぐーたらな副会長からは想像できないスティック捌きで、しかもそれを無表情でかっこよく演奏するもんだから、強烈にその姿が脳裏にこびりついている。強いて挙げなくても絶対忘れなかったか、これは。
やっと一息つけたのは、既に全て終わった後。
グラウンドを見下ろせる石段に腰をおろす。姿を半分隠した太陽が、キレイに辺りを赤く染めていた。あとはこのまま帰るだけ。
制服のポケットから、走り回ったせいでくしゃくしゃになったパンフレットを取り出す。
お陰様、と言うべきか。表紙絵は好評で、端っこに書かれた"作 渡瀬清"の文字を見つけたクラスメイトに「今度何か描いて!」と言われた。申し訳なく思いながら断ったけど。
昇降口の方からガヤガヤと話し声が聞こえる。8人、揃ったようだ。
「せんぱーい!早くしないと置いてきますよー」
「あーっちょっと焔!待てーっ」
いつもより軽い、青いリュックを背負って立ち上がる。
あと、もうひと仕事あるんだ。
「こっち6人席しか空いてなーい」
人でごった返すファストフード店内を見回す。夕方なのになかなかの混みようだ。ちらほらうち学校の制服が目に入るから、文化祭帰りの人も多そう。
「あ、ここ2人席ならあるよ!」
「じゃあそっち2人で座って!」
そんな声が飛んできて、隣の彩音先輩と顔を見合わせた。一応、ここには文化祭の打ち上げで来ている。なのに全員揃ってなくていいのか?
そんな疑問が残ったけど、気にしてない様子の先輩に習って彩音先輩の向かいに座った。
「文化祭、おつかれ!」
「お疲れ様でーす」
コツン、とシェイクの紙カップを合わせる。どこまでも打ち上げの雰囲気がなくて笑ってしまう。
「清、これ美味しい!飲む!?」
注文したシェイクに早速口をつけて、そんなことを言う。まったく、忙しい人だ。ついでにストローをこっちに突き出してくる。えぇ、本当に何も気にしないんですね、先輩。
ちょっと迷って、じゃあ、と一口貰うことにする。
体を少し浮かせて、ストローに口をつける。確か、限定フレーバーだと言っていたはず。うん、確かにラムネだ。…ちょっと甘すぎるかなぁ。
「清のは?何にしたんだっけ?」
「え…普通にバニラですけど、要ります?」
キラキラした目でこっちを見てきてるけど、残念ながら無難なバニラだ。あんまりチャレンジはしないタイプなのでな。
まだ口つけてないですよ、とストローを向けてみたけど、わざわざバニラを欲しがる人なんて、
「ほしー!貰うねー」
いた。パクっと、口でストローを持っていかれる。…あ、こら飲み過ぎ。
「ふーっ…、バニラもやっぱおいしーね!あー、文化祭楽しかったなー。清は楽しめた?」
「はい。お陰さまで。でも、彩音先輩が告白された時はこっちが驚きましたけどね」
「あれね!まぁ、前からアプローチ?みたいなのはされてたからそんなに驚きはしなかったかなー」
文化部のステージ発表の後にある、インタビューのコーナーで、この人は全校生徒の前で愛の告白をされたのだ。しかもそれを笑顔で振って会場を沸かせていた。きっと向こうも変な空気にされるより、そっちの方が気が楽だろう。見た感じ、だいぶショックを受けていた感じだったけど。
「でも、あんまり先輩から色恋沙汰の話って聞かないですねよね。彼氏の一人や二人はいそうなのに」
「うーん、まぁ、ね?そうだね、えっと、」
この人の割に不自然な誤魔化し方だ。いつもならバッサリ切るのに。そんなに渋る必要があるなら無理に言おうとしなくていいのに……
「あの、先輩……っ」
「わたしさ、女の子が好きなんだ」
「………え」
こっちの言葉を遮って、そう言う。
「あ、引いたでしょ?やっぱそうだよねー。自分でも不思議な感じあるし」
いや、そんなことない。引くわけ、ない。
頭の中が纏まらないのに空気は勝手に流れていってしまう。
「気持ち悪いって思ったら避けてもらっても構わないし…あ、ごめんね?なんか変な空気にしちゃって。食べよ食べよ!ほら、このポテトおいしーよ」
何もなかったかのように先輩がトレーの上のポテトをつまむ。今はそれどころじゃないんだ。今の一瞬に、先輩の気持ちがどれだけ乗っていたのか。そんな簡単にスルーしていいはず、ない。というかそれ、こっちのポテト。
「…先輩のこと、引くとかないです。全然、変じゃないです」
「そっか、」
じゃあさ、なんてわざわざタメを作って。
こっちを見て、淋しく笑って。
「清のことが好き、なんて言われても同じこと言える?」
知っているいつもの先輩じゃない。
目の前にいるのは、能天気な生徒会長じゃなくて。
一人の人間の、藤彩音だった。
「 女の子の清が、好きなんだ。」なんて、念を押すように言ってきて。
ガヤガヤとした店内の騒がしい音が遠くなる。
顔が、あつい。
冷たさを求めるようにシェイクのストローを口につける。
舌の上でバニラがじんわりととけていく。
甘い。いつもより断然こっちの方甘い。おかしいな。
顔の火照りは冷めそうになくて。
…こんなの、甘すぎる。
あつくて、あつくて。
このままこっちがとけてしまいそうだった。
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