月夜の話

@azuma123

第1話

 いつもの曲がり角に差し掛かったところ、脳の奥で糸がぷつんと切れた感触がありました。そして、月が初めて話しかけてきました。「今、頭がおかしくなりましたね」

「失礼な」わたしは答えます。「いたって正常ですよ」

 すると月は、うふふと笑って言いました。「いえいえ、私の声が聞こえているのであれば、それは正常とは言いません」

 たしかに、とわたしは納得し、道を歩き続けました。もう、月もこうこうと明るく輝いている時間です。家に帰り、飯を食ったり風呂に入ったりしてから、早く寝てしまわなければなりません。明日の仕事も早いのです。わたしが歩いている後ろを、月はぴたりとついてきます。なんだか見張られているようで気を悪くしたわたしは、月を叱りつけてやりました。

「そんな後ろにぴったりついてこられたんじゃあ、気になります。ついてきたいというのなら、せめて、わたしの隣に並んで歩いたらどうです」

 月は空の生き物ですので、わたしの隣に歩くなど無理難題。そう思いふっかけた言葉でしたが、月は夜空の暗闇から両手を伸ばして自分の身体を支え、ひょいとこちらへ飛び降りました。「これでよろしいでしょうか」

「では、それで」肩透かしをくらったわたしは、目を丸くしながらそう答えるしかありませんでした。わたしと月は、肩を並べて夜の道を歩きます。月は空にいるときこそ黄色く輝いていますが、今はただの石ころのようでした。初めて間近で見た月に驚いていたところ、わたしの気持ちがわかったのか、月は「空にいるときとは違うでしょう」と言いました。わたしは首を縦にふりかけて、やめました。肯定してしまうと、失礼になる気がしたのです。無言でいるわたしを見て月は全てを察したようで、わたしたちは、無言で歩き続けました。

 ふと気付くと、隣に月がいません。夜ではありますが、白昼夢でも見ていたのかと一人で歩き続けました。いつもの曲がり角に差し掛かったところ、脳の奥で糸がぷつんと切れた感触がありました。そして、月が初めて話しかけてきました。「今、頭がおかしくなりましたね」

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