第八章 お供え物
長く続く会議に島田酒造の娘夫婦、沙希と入り婿の周平が様子を覗きに来ていた。
「お神酒を薄められて、本来なら大山咋神(おおやまぐいのかみ)が怒る所、なんで中津島姫命(なかつしまひめのみこと)が怒ったかって言うと、そうやって大山咋神が怒るのを抑えているのね。美人の伯母上に先に怒られたのでは、自分はなかなか怒りづらいでしょうからねえ」
ねえ?と紅倉は入り口の周平氏に振り、皆の注目を浴びつつ周平は、
「そうですねえ。僕も、まあまあ、といつも抑える役割ですから」
と笑いながら頭を掻いた。
「誰がいつも怒ってるって?」
隣りの妻に睨まれても、あはは、と笑っている。
「と言うことですから、ご機嫌を直していただかなくてはならないのは、中津島姫命の方です。もちろん、大山咋神にも礼を尽くさなくちゃならないですけどね。ま、それはお神酒を上げ直せば、許してくださるでしょう」
島田社長が、うーん、と難しい顔で訊いた。
「中津島姫命は、それだけでは駄目だ、と言うことですかな?」
「女性に、飲め飲め、ってお酒ばっかり勧めても、ねえ~~。
もっと女性が喜ぶことをして差し上げなくては。
ヒメが女性らしく喜んでいれば、クイノカミも、ほっとして、お喜びになるんじゃないかしらあ?」
「うーーん。どうしたら喜んでいただけますかなあ?」
「どうですか?」
と紅倉は沙希に訊いた。
「女性が喜ぶ物と言ったら、やっぱり、甘い物じゃないかしら?」
「そうですね。それがよろしいと思います。
まあ、やっぱり酒造りのお祭りですから、お酒を使った美味しいスイーツなんかありません?」
「それなら」
と下戸の周平が生き生きした笑顔で言った。
「美味しい洋菓子屋がありますよ。吟醸酒のレアチーズケーキが人気です。僕は食べられないんですけどね」
「じゃあそれをメインに……、二人分、美味しいのを揃えてください。もしかしたらクイノカミも召し上がるかも知れませんから」
周平氏は洋菓子屋へ走り、
そう言えば宮司はどこへ行ったんだ?と姿のないのを捜すと、別室でグーグーいびきをかいて眠っていた。とっくの昔に酔いつぶれていて、これも取り憑いたうわばみのせいだろうか? 社長連中は日頃から飲み慣れているので、うわばみが憑いた所でますます調子が上がって酒量が増えるだけの事だったらしい。
おい、大変なんだ、起きろ!、と宮司を無理矢理起こして、水を飲ませた。
周平氏が二人分、二つのケースでケーキを買ってきて、さて、
一同は松尾神社に向かった。
まず参道の入り口へ、下戸で第二種免許を持っている周平氏がマイクロバスに社長たちを乗せ、紅倉たちの車がその後について、向かった。
運転する芙蓉は、巫女装束を着ていた。
助手席の紅倉も巫女の衣装を着ていたが、紅倉が白衣(はくえ)、緋袴(ひばかま)のスタンダードな巫女さんスタイルなのに対し、芙蓉は千早(ちはや)を着て冠を付けた豪華版だった。
後部座席には話を聞いて面白そうだと綿引と穂乃実が同乗していた。穂乃実の夫の金森史哉と綿引の恋人の守口達之は酔いが回って使い物にならなくなっていて留守番だ。
入り口に着いて車を降りた一行は、島田社長を案内に、紅倉らが続き、林の中の長い参道を歩いて行った。一行には、周平と沙希の夫婦、まだ酔いでふらふらしている宮司、酒田杜氏、酒井豪太らが含まれている。
歩きながら紅倉は開いた手のひらをさまよわせて、
「ほお。いい磁力が出てますね。いい場所を神社に選びましたね」
と感心した。島田社長はまんざらでもない顔で、
「たまたまかも知れませんが、この山の上にも大岩があるんですよ。ま、山なら岩の一つや二つ、大抵あるでしょうがねえ」
と教えた。
第二の鳥居をくぐり、社殿の前に来た。
「さて、確認します」
紅倉は社殿を斜めから見る位置に来て、一同に訊いた。
「こちらの神社も、拝殿と、その奥に本殿がありますね?」
「はい。ございますです」
社殿をよく見ると、一般人がお参りする、前に賽銭箱が置かれ鈴が吊るされている拝殿があり、その後ろに拝殿より奥行きが狭いながら床が高くなった本殿があり、拝殿と本殿は斜めに上がった階段部屋でつながっている。
「宮司さん」
宮司は、「はひっ」、としゃっくりまじりの返事をした。
「ふだん神様にお供えするのは拝殿までですね? 本殿の方へは?」
「本殿は神様のいらっしゃるお部屋ですからな、ふだんなんびとも立ち入る事はありません。特別の行事の時だけ、特別な人間……まあここにはわたししかおりませんが、特別に許可された人間だけがお供え物を上げ下げする事はあります」
紅倉は頷き。
「今回は特別に入室をご許可いただきましょう。
ケーキといっしょに、うちの美貴ちゃんを差し出しましょう」
(えっ)とショックを受けた顔で芙蓉は紅倉を見つめた。
「先生、ひどいわ! わたしの貞操は先生に捧げてるのに!」
「ええい、うるさい、この変態レズ娘が! あんたが女性専門なのは承知してるわよ。
あなたを差し出すってのは、
神様も味を息をするみたいに吸い取るだけじゃつまらないだろうから、あなたの体に降りてきてもらって、直接口に入れて食べてもらおうって趣向よ。ま、神様がその気になればの話だけどね。
確かに、あなたの体そのものがご馳走だけど……
もし男神がよからぬ気を起こして襲ってきたりしたら、その時は拝殿にいるわたしが守ってあげるわよ」
紅倉は巫女装束の袖を広げてため息をついた。
「まさか、まーた、この恰好をする事になるとは思わなかったけど。しょうがない。いざとなったら神様とケンカしてやるわよ」
紅倉の頼もしい言葉に芙蓉は感激し、島田社長は、
「先生。事態を悪くしてもらっちゃ困りますよ」
と慌てた。
「大丈夫、大丈夫。「福の神」を喜ぶ陽気な神様だから。上手く行くわよ」
本当に上手く行くのかなあ?、と不安を抱えながらも社長らは作業に掛かった。
拝殿に上がり、入り切らない者は外に整列し、まず粗相のあった事をお詫びし、大徳利のお神酒を取り替え、宮司が怪しい呂律ながら祝詞を上げ直した。
紅倉が神鏡の前に立って、パン、パン、と柏手を打った。
「失礼のお詫びにちまたの女子に人気の洋菓子をお持ちしました。お部屋に上げさせていただきますので、どうぞご賞味くださいませ」
一礼して、振り返った。
「それでは、皆さんは外へ。出たら戸は完全に閉めてしまってください」
よろしくお願いします、と社長たち、宮司は拝殿を出て行き、内側の格子戸を閉め、外の扉を閉めた。
拝殿の中はしんと静まり返った。
中にいるのは紅倉と芙蓉の二人きり。
芙蓉はお盆にケーキの箱二つと、お皿とフォークを二揃え載せて持っている。
「じゃあ美貴ちゃん、お願いね」
紅倉も心持ち緊張した声で言った。
「本来、入っちゃいけないところだから。視線は伏せて、出来るだけお部屋の中を見ないように。本当はわたしが入ればいいのかもしれないけど……」
と言ったのは、自分は視力が悪くて物が見えないから、と言う事だろう。
「わたしは汚れまくっちゃって、とても神様に受け付けられないでしょうから」
芙蓉も、いつもならお茶らけた返しをするところ、
「お任せください」
とだけ応えた。紅倉は頷くと、床に正座し、手を合わせ、目をつぶった。
芙蓉は、祭壇脇の狭い通路をお盆を縦にして通った。祭壇の裏に階段が六段あり、上がると、扉一枚分の観音開きの戸があり、お盆を一旦下に置くと、軽く一礼して戸を開けた。視線を下にしたまま、お盆を先に入れ、戸をくぐった。お盆を前に、正座する。そのままお盆に、出来るだけ焦点を合わせないように視線を固定し、お部屋の様子は見ないようにした。しかし感覚的に、何も物が置かれず、飾り気もない、まっさらな空間と言うのが分かった。
手を合わせて目を閉じ、
どうぞ、お召し上がりください。
と念じた。
はっと目を開けた。
ふうっと意識が吸い込まれて行くように感じて、その後はまったく記憶がなかった。
ケーキの箱が二つとも開いて、四つずつ入っていたケーキが、一つの箱に「吟醸酒のレアチーズケーキ」を残して、後は無くなっている。
口の中にケーキの甘い味がある。
全く覚えがないが、本当に神様が降りてきて、自分の体を使ってケーキを食べたようだ。
お皿とフォークは、1セットだけ使った跡があり、もう1セットはきれいなままだ。
芙蓉は自分の体の感じを探ってみた。悪い感じはない。
どうやら降りてこられたのは女神様だけのようだ。
ケーキは美味しかったのだろう。二人分全部食べてしまうところ、思いとどまって、一つだけ、お酒のケーキを男神に残しておいたのだろう。
芙蓉自身はお腹を探ってみても二人分のケーキが収まっている感じはなかった。
芙蓉はお辞儀をすると、お盆を持って下がり、扉を閉めた。
お盆を持って芙蓉は拝殿に下りてきた。残ったケーキは祭壇にお供えすればいいだろう。
「先生。終わりました…………」
開放感から心が弾んで、つい元気な声で報告したが、
芙蓉はお盆を持ったまま立ち尽くした。
そこにいるはずの紅倉の姿はなかった。
外への戸は閉まったままだ。
隠れんぼをしているわけでもあるまいに、どこに行ったのだろう?
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