第七章 酒の神由緒


「ああ、蛇ですか。何かと縁がありますね」

「そうねえ」

 芙蓉と紅倉は何やら二人にしか分からない事情で得心している。



「あのう、先生。そりゃあ神様と関係あるんですか?」


 ふうん、と紅倉は何やら含みを持たせた視線を醸造会社の社長らに投げかけた。




「松尾神社で奉られている神様って、どなたです?」


「大山咋神(おおやまぐいのかみ)と中津島姫命(なかつしまひめのみこと)ですな」


「お二人いらっしゃるんですね。お酒の神様は、どちらです?」


「大山咋神様ですな」


「そうなんですねえ。なんで?」


「ええと、それはですねえ……。

 大山咋神は秦氏(はたうじ)の氏神(うじがみ)でありまして、ええと……」


 紅倉に、フムフム、それで?、と促されて。


「秦氏と言うのは、古事記に記された、大陸から渡ってきた渡来人(とらいじん)の一族で、天皇家に協力して朝廷の設立に関わったとされておりますな。日本に土着して、土木や、養蚕、機織などの高い技術を用いて、栄えていったとされてます。

 酒造りも得意で、その秦氏が氏神としていた大山咋神が、酒造りの神、とされたんですな。

 室町時代になりまして、松尾大社の上卯祭で奉納される狂言「福の神」の中で、

「松尾の神は神々の酒奉行なり」

 と唄われて、全国的に信仰されるようになったんですなあ」


 島田社長は、こんなところでいかがでしょう?、と紅倉の顔を伺った。


「そうですね。大山咋神は比叡山、松尾山、その間の京都盆地、この辺りをテリトリーとする土地神で、松尾山の山頂にある磐座(いわくら)……神様のおわしまする岩が、ご神体としてあがめたてまつられていたのが松尾神社の起源で、秦氏がそのふもとに立派な社殿を建設してお迎えしたわけですね」


 紅倉は、フムフム、と自分で頷いて。


「ところで。

 神様と言えば、お伊勢さまのニワトリ、お稲荷さまの狐、天神さまの牛など、神使(しんし)、お使いの動物が付き物ですが、

 松尾大社の神使はなんでしょう?」


 島田社長は境内を思い浮かべつつ。


「亀……と鯉、ですな」


「そうですね。神様が土地を拓く為に川を上られる時に、亀の背に、急流では鯉に乗って行かれたんだそうです。

 亀と鯉なんですねえー。ふうーん。


 松尾神社には大山咋神と、もう一柱(はしら)、神様が祭られてましたよねえ?」


「中津島姫命(なかつしまひめのみこと)ですな」


「そうそう、そうでした。

 中津島姫命って、どなたでしょう?」


「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の別名ですなあ」


「そうなんですね。神様って、なーんで、いっぱい名前があるんでしょうねえ? ややこしい。

 その、


 市杵島姫命さまです。


 ……って、どちらの神様でしたっけ?」


「宗像三女神(むなかたさんじょしん)の三女であらせられますな」


「宗像三女神。福岡県の宗像大社、広島県の海の神社、厳島(いつくしま)神社で有名ですね。

 特にイチキシマヒメは美人として有名ですねえ」


 大好きでしょう?と芙蓉にフフンという笑みを向けて。


「市杵島姫命は海の神様です。

 それがなんで松尾大社に奉られているかと言うと、やっぱり秦氏の関係なんでしょうけれど。渡来人、海を渡ってきた一族ですから、その関係なんでしょうか? それとも海運業の関係でしょうかねえ? いずれにしてもあんまり山の神社である松尾神社とは関係なさそうですよねえ?


 これはわたしの勝手な妄想なんですけど。


 美人、ってのがポイントなんじゃないかなあ……と。


 大山咋神と市杵島姫命。

 古事記等にお二人の出自を見てみますと、


 大山咋神は、須佐之男命(すさのおのみこと)の子どもの大年神(おおとしのかみ)の子ども。なんですね。須佐之男命の孫になるんですね。

 スサノオと言えば、かの天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟で、ヤマタノオロチ退治等々の英雄である一方、高天原(たかまがはら)で乱暴狼藉を働いて、天照大神が岩戸隠れする原因を作った困った神様です。

 須佐之男命が神々の住まう高天原にやって来た時、まあ問題児のことですから、天照大神はスサノオが攻めてきたと思って迎撃態勢をとったんですね。慌てたスサノオは、いやそれは誤解です、と釈明して、その証として宇気比(うけい(誓約))を申し込みました。うけいっていうのは、古代の占いのことね。

 まずアマテラスがスサノオから受け取った十拳剣(とつかのつるぎ)を噛み砕き、息を吹き出すと霧となり、そこから三柱の女神が生まれた。

 これが宗像三女神です。

 スサノオの持ち物から優しい女神が生まれたから、スサノオは心清らかで、高天原に対する邪心はない、と証明された、ということです。

 物から生まれたと言う所が人間離れしてますが、

 大山咋神からすれば、系譜上、市杵島姫命は伯母になるわけですね。


 オオヤマグイノカミのグイは、「杭」のことだそうで」


 と、紅倉は、コンコン、打ち付ける仕草をして。


「ここは俺の縄張りだ!、とアピールしてるような感じでしょうか?

 また、鳴鏑(なりかぶら)を神体として……鳴鏑ってのは、鏑矢(かぶらや)、戦の合図に音を鳴らす矢のことね。

 矢に変化して、秦氏の娘を妊娠させた、って伝承もあって。


 ザ・男。


 って感じの神様ですよね?

 あの京都の地を縄張りにしてるんですから、相当力のある神様だったんでしょう。

 そんな山男の神様を懐柔かいじゅうする為に招聘しょうへいされたのが、


 須佐之男命の、天照大神を介した、いわば分身の、

 超・美人の、


 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 改め、中津島姫命(なかつしまひめのみこと)


 だったんじゃないでしょうか?


 ま、わたしの少女マンガ的な妄想ですけどね」



 芙蓉は、

(ペラペラペラペラと、よくもまあ出てくるものね)

 と感心したが、(いや…………)と思った。

(先生の場合、頭の中に入ってるんじゃなくて、どこからともなく電波が入ってくるんだろうなあ)


「さて、美貴ちゃん」


 突然指名されて、芙蓉は内心ギクッとした。脳波が漏れてしまったらしい。


「市杵島姫命は、もう一つ、とてもポピュラーな名前で知られています。

 さあて、なんでしょう?」


「さあ? 知りません」


「え~~、分からないのお? 前にお勉強したんだけどなあ~~。

 正解は、


 弁才天(べんざいてん)


 弁天さまです」


「弁才天ですか? 弁才天って……、仏教の……神様?ですよね? ?神様? そういえば仏教って、仏様ですよね? 神様もいるんですか?」


「そうよね、混乱するわよね。

 仏教って言うのは、人間に、解脱(げだつ)……悟りをひらいて仏になれ、って言う教えですからね。

 仏教の天部(てんぶ)って言うのは、天界に住む者の総称で、元々インドの神話の神々を、仏様のご威光はあまねく諸世界に降り注ぐ、って理屈で、神様も仏教の世界観に取り入れて、仏教の守護者、って言う地位を与えたのね。

 天部には、梵天、帝釈天、毘沙門天、大黒天、吉祥天、なんかがいるわね。


 で、弁才天。


 弁才天って、ルーツはヒンドゥー教の女神のサラスヴァティー。聖なる河の、水の女神様。琵琶を持つ姿で描かれるように、音楽、芸事の神様として知られているわね。

 才能の才の字に財宝の財を当てて、金運のご利益でも人気ね。


 で、元々インドの神様の弁天が、何ゆえ日本神話のイチキシマヒメと同じ物とされるようになったかって言うと、

 日本でも、本家インド仏教が土着の神話の神様を仏教の理屈に取り込んだように、平安京の世から仏教を広めたい勢力が、日本の神様を仏教に取り込む、って言う運動を長く続けてきたのね。日本神話のこの神は、実は仏教のこの仏の顕在(けんざい)した物である、ってね。

 それが幕末の尊王攘夷そんのうじょうい運動で、天皇の権威を取り戻そうという思想が隆盛して、明治政府によって神仏判然令ってのが出されて、神仏分離、神道と仏教、神と仏、寺社と寺院をはっきり区別せよ、って事が行われて、今に至るわけだけれど、長く続いた神仏習合の時代の名残が民衆レベルで存続してるって事かしらね?


 で、なんで市杵島姫命が弁才天になったかって言うと、

 美人で、同じ水関係の女神だから、って事なのかなあ?

 ま、美人、ってことで、イメージのいい物同士をくっつけたんじゃない?」


 美人、を強調しつつ、

 いい加減なものよねえー、

 と言うように紅倉は肩をすくめた。


「で、」とまた芙蓉に。


「弁才天と言えば、その神使の動物は?」


「蛇、ですね」


「そう言うこと」


 紅倉は社長たちに顔を向け。



「皆さんや、高校生の男の子たちは、うわばみに取り憑かれています。

 つまりそれは、

 怒ってらっしゃるのは、大山咋神ではなく、中津島姫命こと市杵島姫命である、

 というわけ」


 紅倉の長い講釈を聞かされた社長たちは、

「はあ…………」

 と、分かったんだか、よく分かってないような、曖昧な返事をした。

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