第四章 祝宴
中倉町は、地理的にざっと説明すると、日本海側から平野を南下して、両側の山が狭まっていく、そのどん詰まりにあって、中央にでんと低い山が横たわって土地を東西に分断して、平地面積を狭くしている。周辺にもぽこぽこと島が浮かぶように小山があって、ますます土地を利用しづらくしている。冬はどっさり雪が降って、暮らすのは厳しい。その代わり、水が良く、狭いながらも水田からは良い米が採れて、酒や味噌を造るには適した気候をしている。
狭い谷道を抜けて隣国へ向かう入り口に当たるので、古くからの温泉宿もある。
その温泉宿に隣接して、町の特産品……酒や味噌なのだが、を売る土産物屋があって、この度、この施設を改装して、酒蔵レストランを作る事になった。
もちろん町のみんなは知っているのだが、それが正式に決まったと発表されて、
「いやあ、それはめでたい」
と、酒造りの町の酒造りを開始する祭りはいつにも増して盛り上がった。
祭りのメイン会場はその土産物屋の広場、駐車場で、子ども向けの屋台もいくつか出ていた。
本日から酒造りを開始すると言うことで、職人たちは(前段階の酒米の精米は済ませてある)酒米を洗い、水に浸す浸漬(しんせき)の作業を行い、彼らが祭りに参加するのは夕刻からだったが、職人以外は昼から参加していた。
テントを張った関係者向きの席では、酒蔵レストランを設計し、施行する建築会社の社長、担当者らが招かれ、計画の幹事である島田社長から紹介された。
その中に、外装デザインの守口達之と、内装デザインの金森史哉も含まれ、普段はラフな恰好の彼らもこの日はしっかりビジネススーツで正装し、ちょっと緊張気味ながら晴れやかに挨拶した。
金森夫人の穂乃実も同行していて、その友人である綿引響子も隣りに座り、夫たちの晴れ姿を嬉しそうに見守っていた。
こうして奇しくも「赤いドレスの花嫁事件」の関係者が集ったわけだが、もう一組、島田社長の娘の島田沙希が運営会社の社長……いわばおかみさんに就任する事になり、婿養子に入った旦那の周平氏がマネージャーとしてもろもろ事務を受け持つ事になった。
挨拶した沙希夫人のお腹は大きく、じき臨月との事だった。レストランの開業は来年夏を予定していて、その頃は開店準備に子育てに大忙しになっているだろう。
関係者は旅館のホールに場を移して、遅い昼食会を始めた。
昼食会とは言っても夜の宴会と変わらない。
酒造りに関わる人たちが酒造りのお祭りで祝い酒を飲んでいるので、飲めや飲めやで大騒ぎだった。外のお客さんである建築会社の人たちも、さあさあ、遠慮せずに、と大いに酒を勧められて、地元民のペースに釣られてついついグイグイいってしまい、まいったなあ、と顔を赤らめながらも愉快に盛り上がっていた。
守口と金森も、ふだん深酒をするような事はなかったが、自分たち自身嬉しい気分でもあり、勧められるまま、だいぶ飲んでしまっていた。
綿引はけっこういける口なのだが、さすがにここの男たちと同じペースでは飲めず、女同士いっしょの席の沙希が、
「こらっ、酔っぱらいどもが。大事な奥さん方にからむんじゃないよ! しっしっ」
と、綿引と穂乃実を守ってくれた。そういう沙希自身、妊婦と言うことでかなり抑えているのだろうが、ちびちび杯を重ねて、ほんのり頬を染めていた。
父親の島田社長がお銚子を持ってやってきた。
「綿引さん。奥さん。飲んでらっしゃいますか? うちの上等の酒をお出ししてますんでね、どんなに飲んでも悪酔いはしませんよ!」
上機嫌の社長を沙希は呆れてたしなめた。
「お父さん。田舎の飲んべえ親父になってるんじゃないわよ。もっと上品に、スマートに楽しんでちょうだい」
「なんだよ、自分が飲めねえからって、つんけんしやがって」
「なんですってえ~~」
娘にギロリと睨まれて、島田社長は、おーこわ、と肩をすくめた。
「ちぇー。あーあ、一人娘の旦那と、お父さんは飲みたかったなあー」
「ああーん?」
おっと、逆鱗に触れてしまったな、と社長はそ知らぬ顔で口笛を吹く真似をして、
「それにしても、紅倉先生はまだいらっしゃいませんかねえ?」
と綿引に振り、
「はあ」
と綿引は困った顔で笑いながら、
「間違いなくお出かけにはなったはずですので、もうそろそろ……、いらっしゃるんじゃないかなあ……と」
と先生に成り代わり釈明した。
「そうですか。早くいらっしゃらないかなあ……」
社長は本当に心待ちにしているように遠くを見やる目をした。すぐにまた上機嫌の顔に戻り、
「じゃあ、どうぞ楽しんでください」
娘の怖い顔を見ないようにしてそそくさと別のテーブルに向かっていった。
穂乃実が苦笑しつつ沙希に訊いた。
「旦那さん、下戸なんでしたっけ?」
「そ。よりにもよってなんで酒の飲めない男なんぞとお、って、結婚は断固反対だったんだけどね。旦那が婿に入ってくれたし、仕事は出来る人だからね、ぶつぶつ言いながらもまあまあ上手くやってるわ。それに、子どもが産まれれば、孫馬鹿になるのは目に見えてるしね」
沙希は丸々と張り出したお腹を撫で、穂乃実も綿引も優しく微笑んだ。
「けれど、まあ」
綿引は会場を見渡し、盛り上がっている状態にため息をついた。
「この有様じゃあ、先生、中を覗いた途端に逃げ出しちゃいそうね。……覗くまでもないか、あの先生は」
ひょっとして、とっくに逃げ出してるんじゃないか、と綿引はかなり真剣に心配した。穂乃実も、
「楽しいけど……、ちょっと羽目を外し過ぎの感はあるわね……」
と、あまりお酒には強くない夫を心配した。沙希も、
「ごめんなさいね」
と謝りつつ、
「今年はいつになく盛り上がっちゃってるわね。嬉しい発表があったから、そのせいだろうけど……」
と改めて、父親や、地元の他の社長さんたちのやたらはしゃいだ様子を見て、表情を曇らせた。
その時、救急車のサイレンが聞こえてきた。
サイレンはどんどん大きくなってきて、会場の皆は自然とその行方に耳をそばだてた。
サイレンは大きくなって、離れていったが、じきに止まった。
なんだろうな、と気に掛けつつも宴会を続けていると、交番のお巡りさんが血相変えて飛び込んできた。
取りあえず目立つ島田社長を見つけると近づいて、何事か小声で話した。
島田社長は目を丸くして驚き、誰か捜して会場を見回し、いたいた、とお巡りさんといっしょにライバルの酒造会社の社長の所へ行き、
「
と呼びかけた。……社長は小声のつもりなのだろうが、元々地声が大きく、酔っぱらって耳が遠くなっているので、話は会場中に筒抜けだった。
「またあんたんとこの、例の高校生たちが、飲酒しとんだと」
ええっ、と岳山社長も驚き、顔を険しくさせた。
今やしーんと静まり返った空気の中、皆が三人に注目した。
「高校生と言うのは、酒田の修一も入っているのか?」
島田社長よりもだいぶ年配の、小柄で、普段は好々爺とした岳山社長が、苦々しげにお巡りさんに問うた。お巡りさんは自分が叱られるみたいにおっかなびっくり頷き、報告した。
「またあの四人です。しかも、お宅の蔵から一升瓶持ち出して、どんだけ飲んだのか、急性アルコール中毒でぶっ倒れたっちゅうこってす」
岳山社長も島田社長も絶句し、
「あんの……、馬鹿どもが…………」
と岳山社長は憤懣やるかたない様子で天を仰いだ。
しーんとなった会場は、なんとも重苦しい、居心地の悪い雰囲気に包まれた。
宴会場へ通じる廊下の入り口で、
「なーんか、入りづらいわねえ」
と紅倉と芙蓉が先の様子を伺っていた。
タイミングぴったり、である。
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