第二章 神事と罰当たり


 日本で酒造りの神様と言えば、奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)、京都市左京区の松尾大社(まつおたいしゃ)、京都市左京区の梅宮大社(うめのみやたいしゃ)の三社が有名で、それぞれ全国の酒造家から尊崇されている。

 島田酒造を含む中倉町の酒造会社各社では松尾大社を奉り、町内に分社である松尾神社がある。

 酒造りに重要な神事が二つある。

 醸造安全繁栄祈願の上卯祭(じょううさい)と、醸造完了の感謝を捧げる中酉祭(ちゅうゆうさい)である。

 上卯祭は十一月最初の卯(う)の日に行われ、中酉祭は四月の中の酉(とり)の日に行われる。

 「卯の日」「酉の日」と言うのは旧暦で十二支を日に当てはめたもので、十二支は今も「今年は卯(うさぎ)年」と言う風に使われるが、昔は時刻、方位を表すのにも使われ、行事の際の吉凶占いに大きな意味を持った。

 「卯」の字は甘酒を、「酉」の字は酒壷を表していると言われ、酒造りは「卯の日」に始め、「酉の日」に終わる習わしがある。詳しくは松尾大社のホームページをどうぞ。


 松尾大社で行われる上卯祭には全国から醸造家が集まり、守札として大木札(だいもくさつ)を受けて持ち帰り、各々の蔵に奉斎し、酒造りをはじめる習わしになっている。詳しくは松尾大社のホームページをどうぞ。


 というわけで、島田酒造の島田社長も他の酒造会社、販売店の代表らとツアーを組んで松尾大社に参上し、自社自慢の一升瓶と酒樽を奉納し、上卯祭に参加してきた。神輿庫にはいっぱいで入り切らない酒樽が表に積み上げられて壁となり、壮観を誇っている。


 大木札の他に、神社裏手にある「亀の井」の「霊泉」も戴いて、

 せっかくなので皆で観光して、

 さて、酒造りは「卯の日」に始めるのが習わしなので、次の「卯の日」、つまり干支を一周して十二日後、中倉町の「上卯祭」が行われる。




 この年はたまたま日曜日に当たり、町全体がお祭りムードに包まれ、大人たちは朝から準備に忙しくしていた。


 そんな楽しげな様子を面白くない顔で眺めている男子のグループがあった。

 地元の高校男子四人である。

 彼らは揃って三年生。子どもの数の少なくなった昨今、同学年の友人は貴重で、しかも彼らは全員野球部に入っていた。夏の大会を最後に引退していたが。

 高校三年の今の時期と言えば大学受験に向けて一分一秒を惜しんで勉強していなければならないはずで、町の伝統とは言えのんきにお祭りに参加している場合ではないのかもしれないが。

 彼らが面白くない顔をしているのは、無理やり伝統行事に参加させられている為……と言うわけでもなかった。



 一般向けのお祭り会場となる町のメインストリートの準備と平行して、神事を行う松尾神社の準備も行われた。

 中倉町は昔から酒造りの町だけあって松尾大社から勧請(かんじょう)していただいたなかなか立派な松尾神社が、林の中を長い参道を歩いていった先の山のふもとにあった。

 神社に社務所はなく、町部に住む宮司と酒造組合が管理をしていた。

 まず朝一番に宮司がご挨拶のお参りをして、組合がお供え物を用意して、宮司と組合員が担ぎ棒を通した唐櫃(からびつ:足付きの四角い箱)と共に参上した。

 拝殿に上がって、唐櫃からお供え物を取り出し、祭壇に並べていく。毎年恒例のことなので手際よく進んで行く。

 三十分もしないうちに並べ終わり、皆でその出来映えを眺め、よし、と、揃ってお参りして、町の方の準備に帰って行った。


 一行の帰って行くのを、林の中に隠れて見守っている一団があった。

 一行の姿が完全に見えなくなって道に降りてきたのは、例の高校生四人組だった。皆、音の立たない柔らかい素材の黒っぽいパーカーを着ている。

「よし、行こうぜ」

 彼らは後ろ暗いところがあるように後ろを振り返りつつ、早足で奥へ向かった。

 ここでまた、誰もいないのを確かめて、神社の前に出てきた。

 拝殿の観音開きの戸は開いていて、格子の引き戸は閉まっていたが鍵はかかっていなかった。それを開き、一人を見張りに残して、三人は靴を脱ぐと中に入った。

 一人がボストンバッグを持っていて、開くと2リットルの「おいしい水」のペットボトルが二本入っていた。

 祭壇の前に、八足台(はっそくだい)に載せられて、カブ、白菜、大根と言った野菜、柿、栗、梨と言った果物が並べられ、その奥中央に、三宝(さんぼう)に大きな鯛がでんと載り、更に、水、米、塩が並べられ、更に、祭壇、神鏡の前に、お神酒の入った瓶子(へいじ)が二つ並べられている。

 更に、特大の瓶子が左右に置かれている。

 更に左右の壁際に日本酒の一升瓶が数本ずつ並べられている。

 密かに拝殿に上がり込んだ少年たちのお目当ては、特大の瓶子だった。

 二本のペットボトルの一本は空だった。その口に大きな漏斗を挿し、瓶子を持ち上げると両手で抱え、

「こぼすなよ」

 と、そうっと中のお神酒を注ぎ込んだ。とくん、と飛び出すお神酒に慌てて瓶子を立て直す注ぎ手に、

「ビビんなよ。もっと大胆に、ドバドバ、行っちまえよ」

 ペットボトルと漏斗を支える一人がニヤニヤ言い、

「知らねえぞ」

 注ぎ手もワルぶった笑いを浮かべると、ドクドク、思い切って注ぎ入れた。

「おっとっとー。オーライオーライ」

 ペットボトル係が止めたが、ペットボトルには500ミリリットルは優に入っていた。

「次」

 もう一人がもう一方の特大瓶子を持ってきて、同じく漏斗にお神酒を注ぎ込んだ。

「イケイケ。・・・・ハイ、オッケー」

 ペットボトルには半分、1リットル以上が入った。

 その口をしっかり締めると、もう一本、今度は中身の入った「おいしい水」のペットボトルを持ち出し、漏斗を中身をちょろまかした特大瓶子に付け替え、ちょろまかした分、溢れさせないように気をつけながら「おいしい水」を注ぎ込んだ。

 もう一本の瓶子にも元の量になるまで注ぐ。

 所定の作業を終え、特大瓶子を元の位置に戻し、今さらながら一人が言った。

「ドバドバ行っちまったけどよー、本当に大丈夫か?」

 特大瓶子もちょうどペットボトルと同じ2リットルくらい入りそうで、500ミリリットルずつ、つまり4分の1を「おいしい水」で薄めてしまった。

「大丈夫だよ」

 一人が自信満々に言った。

「こんなもん、元々水みてえなもんだろうが?」

「そうかなあ……」

 他の二人はいぶかしがりながらも、

「おまえが言うならそうか」

 と納得し、

「誰か来ねえ内にさっさとずらかろうぜ」

 と、鳥居の陰に隠れてあっちの参道とこっちの社殿を心配そうにキョロキョロしている見張りの所へ、戦利品を掲げて駆けていった。




 十一時に、酒造会社、販売店らの人間が松尾神社に集まって、「上卯祭」の神事が行われた。

 各代表、十名ほどが拝殿に上がってかしこまっている。拝殿の参拝者のスペースはだいたいそんな人数でいっぱいで、その他の参加者は拝殿前に五十名ほどが集まっている。

 宮司が神様に挨拶し、本社、松尾大社の上卯祭ではおめでたい狂言「福の神」を奉納する所、おめでたい祝詞(のりと)を上げて代用し、預かっていた松尾大社の木札を各醸造所の代表に下げ渡し、神様にご挨拶をして、神事は終了した。

 お供えしていた特大の瓶子を下げさせていただき、片口(かたくち:縁に注ぎ口の付いた器)に分けて、そこから猪口(ちょこ)に注いで皆に配られた。

 全員に行き渡ると、幹事の島田社長が、

「それでは皆さん。今年も良い酒、良い味噌、良い醤油が出来ますように、感謝を込めて」

 と音頭を取り、お下がりのお神酒を皆で、グイッ、と仰いだ。


 高校生四人組はまた林の中に隠れて横から大人たちの様子を眺めていた。


 グイッと杯を仰いだ大人たちは、瞬間、

(うん?)

 と顔をしかめたが、そのまま飲み干してしまい、わずかにお互いを探るような間があったが、

「神様にもお喜びいただいたようで、これで今年も良い酒が造れそうですな」

 と、

「いや、まったくまったく。よかったよかった」

 と、少しわざとらしく思われる大声で笑い合った。


 高校生たちは、

「くっくっくっくっ」

 と、声を殺して、腹を抱えて笑い合った。

「ほーら見ろ」

 リーダー格が得意げに言った。

「上等な酒なんて、元々水みたいなもんなんだから、ちっとくらい『おいしい水』で薄めたって分かりゃしねえんだよ」

 可笑しくてたまらないように笑ったが、一人、外で見張りをしていた男子だけ、

「そうかなあ。バレてんじゃないかなあ……」

 と心配そうに大人たちの表情を伺っていた。リーダー格は、チッ、と舌打ちして男子を小突いた。

「おめえはビビリなんだよ。……おめえは外れたっていいんだぜ?」

 男子は心外そうに口を尖らせた。

「仲間はずれにすんなよー」

 リーダー各はニヤッと笑って男子の首に腕を回した。

「よーしよし。んじゃ、付き合えよな?」

 そして他の二人と視線を交わしてワルぶった笑みを浮かべると、

「行こうぜ。俺たちもありがたいお神酒のお下がりをいただこうぜ」

 と、こっそり移動を始めた。

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