騎士 メオディティウス


「──と、いうわけで追い出された、と。」



 現在。

 私は、沢山の書類が整理された大きな机を前にして柔らかい椅子に腰掛けるレジーナお姉様の前に立っています。シルヴィオ先生と共に。

 ここはレジーナお姉様の執務室。

 朝食の時間、騎士が私の元へ尋ねて来なかった話をすると朝食が終わったらすぐに執務室に来るように仰られて、いいつけ通り来たのはいいものの。

 私が執務室へ訪れた時には既にレジーナお姉様と、先生と、


 昨日の魔族の男の子まで何故か居合わせていた。


 この子がどうしてここに、レジーナお姉様の執務室に、と指をさして震える私を扇子で軽く叩いたお姉様は、昨日の彼がやってきた時のあらましを語りはじめた。

 そして、今に至る。


「さて、察しの良いお前ならもう気がついたと思うが。」


 プラチナ色のまつ毛の奥、鋭い青の瞳がちらりと先生へ視線を送る。

 お姉様の言葉通り先生は何かを察したのか、苦虫を噛み潰したような顔をしている。私にはなんの事だかさっぱり。


「この者がニーナの騎士。メオデティウスだ。」


 この者。

 お姉様が紹介する人物。それは、あの魔族の男の子。


「お、おおお、お姉様っ、まっ、まっ、魔族、えっ、何のご冗談でしょうか、えっと───。」


 私が彼をまた指さしてお姉様に問う。否、問いにもなっていない。

 魔族が。私の専属騎士。

 長年人間と敵対してきた、あの、魔族が───。


「まさか。この私の決定を冗談だと。そう言いたいのだな、ニーナ。」


 レジーナお姉様は鼻で笑うと冷たい冷たい視線を私にぶつけた。

 なんとかして撤回してもらおうと回していた頭が一瞬にして凍りつく。


「申し訳ありませんっ、そんなつもりではっ」


「私はこの決定に納得がいきませんっ」


 慌てて頭を下げる私を庇うようにして前へ出たのは先生だった。ちらりと表情を伺えば怒りを顕にしていて。


「一介の教育係が声を荒らげて、身分知らずも甚だしい。」


 大人の男の人に食い掛かられたからといって怯むレジーナお姉様ではない。寧ろ、その恐ろしさに火がついて、氷の王女と揶揄されるに相応しいほど室内の温度が急に何度も下がってしまったのではと錯覚する。

 魔族の男の子なんて我関せずといったように興味無さそうな顔で二人を見ている。


「そうです。ニーナ様の教育係ですから申し上げているのです。ニーナ様の身に何かあってからでは遅い。魔族とは本来、凶悪な性質を持つ生き物でしょう。」


 けれど、レジーナお姉様の威圧に先生も負けていなかった。

 私が申し上げることの出来なかった異議を、代わって先生が述べてくれている。

 なんて、なんて素敵な先生なんだろう──。

 と、私が一人先生の株を上げているところ、やっと彼──メオディティウス──が口を開いた。


「安心しろ。危害を加えるつもりはねーよ。それに、コレを見ろ。」


 なんとも場に相応しくない、礼を知らない口ぶりだけれども。それはおいといて。メオディティウスが示したのは彼の耳元にぶら下がったピアスの装飾と、胸元のネックレス。

 どちらにも同じ青い宝石が遇われている。


「これは俺達魔族の魔力を抑え込む力がある制御装置みたいなモンだ。どうだ、これで文句はねーだろ。」


 にやりと笑うメオディティウス。本当にあんな小さなピアスとネックレスで、魔族の力を抑えられるんだろうか。


「──しかし、何故今なのでしょうか。レジーナ様の即位式が迫る今になって。」


 先生の影に隠れながら、私もうんうんと首を縦に振る。ただでさえレジーナお姉様は毎日お仕事で忙しいのに、私に魔族の騎士をつけるなんてややこしい事をしたんだろう。


「それは──。私は即位した後、魔族との冷戦を終わらせる。」




「即ち、人は魔族と共存の道を選択する。」




 何百年にも及ぶ魔族との確執。それは、最早私たちの血に刻まれたもので。

 魔族と敵対することはあれど、交流するなんて未来、考えもしなかった。

 けれど、レジーナお姉様の目に迷いなど何一つ無い。


「ニーナ。」


 きっと、簡単に成し遂げられるはずではない壁。それでも堂々としていられるお姉様に名を呼ばれ、思わず背を正して返事をする。


「彼とおまえは、その為の大事な歩み寄りの一歩になる。」


 これまでの歴史を塗り替える。想像しただけで、途方もない壮大さに目眩がしそうになる。

 誰にも知られず、なにも求められず、刺激も何も無い繰り返しの毎日を送ってきた。


「嫌ならば、否定しても良い。許す。」


 それなのに、急に転がり込んできた人と魔族が共存するための架け橋という、大役。


「初めて私がニーナに頼み事をする事になったな。どうか、この大事な役目を引き受けてはくれないか。」


 ここまで何事もなく生きてこられたのは、偏にレジーナお姉様の好意によるもの。

 今まで役ただずだった私が、初めてレジーナお姉様のお役にたてるかもしれない。そう思うと、疑問や怖さなんて飛んでいってしまった。

 きっと、私は誰かに必要とされたかった。


「───はい。」


 心が震える。偉大なレジーナお姉様に必要とされた事に。

 先生が私を心配して名を呼んだけれど、しっかりと見つめ返して大丈夫だという思いを視線に乗せる。


「しかしこの事をが知れば」


「シルヴィオ・フォン・ハウテザー。」


 それでも何か意見しようとした先生の名を、家名まで読み上げて制止を促すお姉様。


発言を許したが、としての発言をするのならばおまえと話すことなどない。」


 ぴしゃりと一蹴されてしまう。

 ヴェステンとは何を指す言葉なんだろう。なんて間の抜けた質問は出来ないから、きっと私のために抗議をしてくれているんだろう先生の腕へ手を添える。

 私がにこりと微笑んだところで、先生は眼鏡の奥の瞳を揺るがせて一歩下がった。


「レジーナお姉様。ニーナ・アクバルは必ずお役に立てるよう、誠心誠意尽くします。」


 そうして腰を下げると、レジーナお姉様はにこりと微笑んだ。滅多に笑わない、お姉様が。

 かなりの期待を頂いてると私も心から満面の笑みを返す。


「では、早速メオディティウスと二人で自室へ帰るように。」


 はい、と大きく返事をする。メオディティウスに「行くわよ」と声をかけると、お姉様の傍で立っていた彼は、はいはいとなんとも締りの悪い返事をしてついてくる。

 お姉様に格好がつかないじゃない、なんて小言を言ってやろうと決めて部屋を出た。



「改めてよろしくね。メオディティウス。」


 部屋までの廊下を歩きながら、彼のツンとした瞳に閉じ込められたシトリンを見つめる。


「お前、もう俺の事怖くねーのか。」


 綺麗な瞳なのにじとりと睨んでくる。仮にも王女である私をお前呼ばわりだなんて。魔族には礼儀ってものがなさそう。


「怖くないわよ。だって、レジーナお姉様から任された大役ですもの。」


 魔族を騎士にして交友を深める。そんな大役を担う以上魔族を、彼を、怖がってなんていられない。

 そう得意げに胸を張って鼻を鳴らすと、メオディティウスは呆れたように笑う。


「なんだそれ。あいつに死ねって頼まれたら、お前は死ぬのか。」


 何その例え。

 レジーナお姉様がそんな頼み事をするわけないじゃない。

 お姉様まで悪く言われてるように感じて流石に怒ろうかと思い息を吸うと。


「ま、お前がそれぐらい馬鹿でこっちも助かるぜ」


 な───。

 今まで生きてきて言われたことも無い罵倒に驚きのあまり立ち止まり、口を開けたまま呆然とする。

 レジーナお姉様、ごめんなさい。早速、私は不安でたまりません。

 私はとってもとっても仲良くしたいのに、肝心の彼に私と仲良くする気がさらさら無いみたいです────!



────────────────



「あのねえ、私の騎士なら、騎士らしく、私を敬いなさい。」


 二人で私の部屋まで戻り扉を後ろ手で閉じた、一言目。

 もう、我慢ならなかった。

 何を言ってもひねくれた返し方、生意気な態度、私を呼ぶ時はお前、お前、お前!

 胸を張ってこの国の王女とは言えない私だから多少の無礼も見逃してあげるつもりだったけれど。

 礼儀以前に、人として──嗚呼、彼は人じゃないんだった──心をもつ相手にする態度では無い。


「やだね。」


 返ってきたのは舌を出して拒否する生意気な顔。思わず胸の前で拳を握ってしまったけれど、なんとか理性を保って、降ろす。


「敬われたけりゃ敬う価値があるって自分テメーが示せよ。」


 メオディティウスの言葉に湧き上がっていた怒りが一瞬にして冷める。

 言葉が、深く深く胸に刺さる。

 レジーナお姉様のように聡明で地位も権力も申し分ない王女でなければ、マリアお姉様のように剣の腕がたつわけでもない。エルハームお姉様のように博識でもない。


「───あなたの言うことは一理あるわね。」


 自分の立場というものを省みる。相手の立場というものを、考えてみる。

 メオディティウスだってこんな華奢なんだから魔族のなかでもきっと下っ端に違いない。だから、こうして一番手に単身王宮へやってきて、もしかしたら自分の意とは反する人間を守る仕事を、上からの命令でやってるだけなのかもしれない。

 人と魔族が共存するためにはまず理解をし合うことが大切なはず。

 彼が己の矜恃を守るために主君を選ぶというなら、それに値する自分の価値を見せればいい。

 一人納得した私はこくこくと頷く。


「じゃあ。今からお勉強の予習をするわねっ。」


 早速私を知ってもらうため、机へ向かう。

 突然予習をすると宣言した私にメオディティウスはぽかんと口を開けている。


「残念ながら私はレジーナお姉様や、マリアお姉様、エルハームお姉様のように皆に認められる立派な王女じゃないの。」


 椅子へ腰掛ける私の側へ寄ってくれる彼へ自虐的な笑みを返す。決して同情を買うつもりなんてないけれど、事実なのだから始めに言っておく方が良いと判断した。


「だから、私が見せられる頑張りは少ないかもしれないわ。もちろん、これから色々見せていけるようにはするけれどっ。ただ、今見せられる私の努力はお勉強なの。」


 そう説明しながら本棚に並ぶ背表紙を指でなぞる。今日のお勉強の内容は母国語。前の先生の時は必ず辞書を使っていた。

 こんな話を聴きながら、メオディティウスはどんな顔しているのかな。何も無い王女だと早々に呆れてしまったかも。


「がっかりしてもいいのよ。」


 辞書と参考書の二冊を引っ張り出して抱える。そして彼の顔を見ると。


「べつに。知ってるし。」


 案外、呆れた顔はしていなかった。それよりも私が持っている本に興味が移っているようだ。

 彼の興味の先である参考書をぺらぺらと捲る。


「──そういえば、メオディティウスは私たち人間の言葉を読み書き出来るのかしら。」


 参考書を撫ぜるだけの指を止めて、はたとメオディティウスの方へ振り返る。すると、彼は参考書を私の肩越しに覗き込んでいたせいで、知らぬ間に鼻と鼻が触れそうな程に距離が縮まっていた。

 近すぎる距離に思わず驚いて、身体ごと数センチ距離を取る。魔族という生き物はパーソナルスペースが狭いのか、彼はなんとも思っていなかったみたい。

 そして、あー、と声を漏らして天井の方をちらりと見ると眉を下げて笑う。


「あんまり。」


 私の頭の中に一筋の光が走った。

 メオディティウスと仲良くなれるきっかけを見つけたかもしれないっ。


「だったら、私と一緒に字のお勉強をしましょう。」


 何か二人で困難に取り組めば仲良くなれるはず。我ながらいい事を聞いた。我ながらいい提案をしたっ。

 メオディティウスの少しだけ冷たい手を両手で掴み、シトリンの瞳を覗き込む。私がいつもお姉様達へ甘える時のお願いビーム。彼に効くかは分からないけれども。


「そんなの、いいのか。」


 今迄散々偉そうな態度だったのに、急にしおらしく、遠慮気味になるメオディティウス。

 そんなことより重要なのは、私の提案に乗ってくれようとしているところ。



「もちろんっ。」







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