ラピスラズリの拳銃



「魔族───────ッ。」



 少年のように小柄だから、油断していた。人に近い形だから、油断していた。

 よく見れば目の前にいるは人じゃない。


 今日のお勉強で先生から魔族の話をたまたま聞いていてよかった。魔族に警戒することができた。

 もし、きちんと話を聞いていなかったら相手が魔族だという判断が遅れて死んでいたかもしれない。


「おい、起こしてやったのにそれはねぇだろ。」


 怯えて後ずさる私へ困ったような顔をする魔族。どうして彼に起こしてもらわなきゃいけないの。

 一歩後ろに下がる度に、一歩距離を詰められる。

 私の騎士はどうなっているの。私をまもってくれるんじゃなかったの。もしかして、もう彼にどうにかされた後だったりするのかしら。

 頭の中をぐるぐると駆け回る思考は一向に現状を打破してくれない。


「ちっ、近づかないでっ。人を呼ぶわよ。」


 魔族からすれば力もない私なんて本当に弱い存在なんだろうけど、気丈に声を振り絞る。態度だけでも負けてはいけないと本能が告げた。


「そう怯えんなよ。悲しくなるだろ。」


 どうして貴方が悲しくなるのよ。

 今まさに見知らぬ魔族に食べられようとしてる私の方が悲しいに決まってるじゃないっ。

 魔族はばつが悪そうに唇を尖らせて項をぽりぽりと爪でかく。

 彼が隙を見せたその時、私は勢いのままに自室を飛び出した。

 後ろで「あっ」という声が聞こえたけれど振り向かず無我夢中で足を出した。


 暗い廊下に出た瞬間、足がもつれて顔から倒れ込む。


「なんで逃げるんだお前っ。───もしかして、一番上の姉から何も聞いてないのか。」


 当たり前のように追いかけてきた彼はゆっくりと私に追いつくなり、気になる言葉を漏らす。


 一番上の姉─────。


 そんなの、レジーナお姉様以外に居ない。

 どうしてレジーナお姉様がここで出てくるの。

 それに、どうして、こんな魔族が、私のお姉様を知った気になっているの。



 私、レジーナお姉様に魔族を嗾けられたの──?



「ニーナ様ッ。」


 してはいけない、レジーナお姉様を疑うなんて思考。そんな考えに至ったその時。

 人通りなんて滅多にない廊下で男の人の声が響いた。


「ニーナ様、どうしてこの様な夜更けに廊下へ───ッ、魔族ッ。」


 声の主はシルヴィオ先生だった。

 先生が私の元へ駆け寄るなり優しく抱きかかえる。そして、すぐに彼を視界へとらえた。


「貴様、ここが何処か理解しているのか。」


 先生が魔族を視認してから空気が急激に冷たく感じる。それは、先生から溢れる殺気のようで声もまた信じられないほどに冷たく、低くなる。


「──なぁ、お前、俺とどっかで会ったことあるか。」


 先生の剣呑な視線も放ったらかしで呑気に話しかける魔族。強さ故の余裕がそうしているのか。

 余りにも時と場所を選ばない質問に話が進まないと焦れったく感じた先生は、舌打ちをすると腰元へ手を隠した。


「これが答えだ。」


 そう言うと先生は隠し持っていた拳銃の銃口を魔族へ向けた。

 先生は決して戦うような身分ではないからかその拳銃にもラピスラズリなどの宝石があしらわれており、暗い廊下でも蝋燭の僅かな光を蓄えて放っていた。

 魔族と話す気は無い、という強い意志の提示にさすがの魔族である彼も数歩後ずさってたじろいだ。


「ニーナ様の前で殺生などしたくない。早く姿を消すといい、魔族の子供よ。」


 殺生とは縁遠いような先生の綺麗な指は撃鉄を起こす。決して唯の脅し等ではなく、抵抗するのであれば撃ち抜くことを躊躇わないという意思が現れていた。

 何か言いたげに口を尖らせる魔族だが、私と先生の顔を交互に見ると諦めからか頭を垂らした。


「わーったよ、今日の所は出直す。」


 鋭い犬歯を覗かせてそう言うと、魔族はくるりと踵を返した。私はなんとかほっと一息ついたが先生は銃口を下ろそうとはしない。

 そして魔族はどこへ行くのかと思うと、窓へ足をかけた。

 そんな所へ足をかけたってバルコニーがある訳ではない。


「何やってるの、危な─────。」


 相手はまだ私と目線の変わらない子供だったからか。それとも、拗ねたような表情が憎めなかったからなのか、彼からの悪意は一度も感じていないのにこうも一方的に拒絶した罪悪感からか。

 忌むべき魔族であるはずの彼を心配して身体が動いてしまった。


 窓へ足をかけた勢いのまま身体を外へ放り出した彼へ駆け寄って、手を伸ばした。

 先生の止める声が聞こえたけれど、咄嗟の行動で抑止力とはならなかった。


「あっ──。」


 けれど、私の短い手では届かなくて。

 窓から闇の中へ伸ばした手は空を掴んでいた。


 瞬間、魔族とはいえ人にかたちが似ていた彼の飛び降りを見てしまったと寒気が走る。

 私の部屋は五階。かなり高いからいくら人よりも頑丈な魔族といえど、怪我無しで帰るということは出来ないだろう。

 下手すれば打ち所が悪いと固い地面に負けてしまってそのまま──なんてことを想像して全身を震わせた。

 なんて後味の悪い去り方をするのだろうと、そのまま窓から身を乗り出して外を見渡す。けれど、こんな夜遅くでは数メートル先なんて真っ暗闇。

 鷹のような、力強い鳥の羽ばたく音だけが聞こえて窓をゆっくりと閉めた。


「ニーナ様。どうして魔族に駆け寄ったのですか。」


 窓を背に振り向くと拳銃を直して怪訝な表情を浮かべる先生の姿。

 何故、どうしてと聞かれても自分でも思いもしなかった行動だから理由なんて出てこない。落ちたら危ない、それしか考えていなくて。


「ごめんなさい。その、私でもどうしてだか分からなくて。危ないと思ってしまい、咄嗟に身体が──。」


 始めに謝罪をしてから弁解の言葉を探り探り紡いでいく。聞き苦しいものになってしまっているけれど、全て私の本心だった。

 なんとも纏まりのないちぐはぐな言い訳に先生はため息をつく。嗚呼、失望させてしまったのだと、先生をちらりと見れば失望や不愉快、怒りといった表情ではなくて。

 そう、近いものは───慈愛。

 困った表情なのは変わりないけれど、確かに優しさも込められた表情で。先生の心情を見透かす力なんてないし、勝手にそう都合のいいように解釈しているだけかもしれない。

 それほどまでに複雑な表情をしていた。


「魔族という生き物は、の高さなんてものともしませんよ。それを理解ってあの魔族も窓から出ていく選択をしたのでしょう。」


 寝巻きに包んだ腕を伸ばして大きな手のひらが私の頭を撫ぜる。


「お優しいのは良いことですがどうか御身を一番大切になさってください。」


 あ。やっぱりちょっとだけ呆れられているかも。考えもなしに魔族へ手を伸ばしてしまったからかな。

 先生に優しく撫でられると、不思議と心が暖かくなった。私を守ってくれたり、少しだけ諌めてくれたり。そんな優しさが私に兄が居たらこんな感じだったのかな、と想像させて優しい気持ちにさせている。

 先生が私の騎士だったらいいのに。

 今まで変わり映えの無い毎日だったのに、今日だけは色々な事がおこりすぎた。先生との出会い。突然決まった専属騎士、なのに現れない。魔族の侵入。

 沢山かき乱された心まで先生の大きな手のひらに包まれているような気がして、緊張が解れたからかどっと眠気が押し寄せる。


「本日はもうお休みください。」


 先生もうつろんでいく瞳を覗き込んで優しく微笑むと、そっとベッドまで誘導してくれた。

 ベッドへ身体を預けるとシーツをそっと肩までかけ、私の額へキスを贈る。

 今日出会ったばかりだというのに、先生にはどうしてこんなにも心を預けられるのだろう。初めて会ったはずなのに、初めてのような気がしない。

 なんてことをぼうっと考えながら、窓の施錠をする先生を見つめる。


「魔族と遭遇して怖い思いをされたでしょう。」


 私の視線に気がついたのか、そうでないのか。カーテンに手をかけつつ先生は話す。こちらへ振り返った時に、私は小さく頷いた。

 怖いことは何もされてないけれど、初めて見る魔族はちょっぴり怖かった。否、魔族なんていうけれど私と体格もさほど変わらず、あまり怖いとは思わなかった。

 でも、先生の前では怖かったふりをする。この時間の心地良さに緩む口元を見られると、とても怖がっているようには見えないだろうからシーツで隠して。


「ニーナ様が眠るまで、このシルヴィオがお傍に居ますよ。」


 蝋燭の灯りを少し落とすとベッドのすぐ側、勉強机の椅子を引いて腰を落とす。

 レジーナお姉様が言っていた、なんたらかんたらって騎士よりもよっぽど安心感がある。まぁ、その人には会った事なんてないけれど。

 このほわほわした気持ちのままに言ってしまってもいいだろうか。少しだけ悩んで、シーツから腕を伸ばし椅子に座る先生へ指のつま先をつんつんとたてる。

 先生は眼鏡を中指で上げると椅子から私の顔を覗き込んだ。どうしたのですか、と心配そうな声と共に。


「あの、迷惑でなければもう一度頭を撫でてくれませんか。」


 蝋燭に照らされる深い、深い青の瞳をじっと見つめた。

 大人の人に甘えるなんて機会そうそう無かった。というか甘えられる大人の人は、気がついた時には居なくなっていた。

 だから、こうして甘えるのは少しだけ恥ずかしい。

 けれど、先生の優しい笑みに恥ずかしさなんて嬉しさに押しやられて、どこかへ行ってしまった。

 私の要望通りに頭頂部を優しい手が撫ぜる。

 ゆっくりゆっくり、夢の世界へ誘われる。


「今日初めてお会いしたばかりなのに甘えてしまってごめんなさい。」


 そう言うとそんなことは気にしなくていい、と言うように強く撫でられた。

 言葉にせずとも分かってしまう雰囲気がこそばゆくて思わず笑みがこぼれてしまう。


「私にお兄様がもし居らっしゃったら、きっとこんな風なのでしょうか。」


 幸せな"もしも"に想いを馳せる。

 こんなにも優しい兄が居たなら。でも、王族となったら話は違ってくるのかな。

 返答の難しい問いに先生は言葉を選んでいた。先生が王族だったならなんて話、先生はきっと困ってしまっただろう。

 困らせてしまった事だけ気がついて。でも、近くまでやってきた眠気には勝てなくて。


 そのまま、返事も聞かずに眠ってしまった。




「私がなりたいものは、兄ではなく───。」










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