魔族



「我が国の歴史を語るには彼ら───魔族の存在を忘れてはいけません。」


 少しの緊張に背筋を正す。

 それは勉強の時間になったという合図と、恐ろしい彼らの話が始まるという、二つの意味で。



 大国アクバルは建国当初から広大な土地を持っていたわけではない。このアーギアス大陸にいくつも分断した小国達をまとめて現在の国土となった。

 アクロギア王国の東に存在したアクバル王国は、西へ西へとその国土を戦争によって広げていった。そして最西の国への宣戦布告を仕掛けようとした頃、その国からアクバル王国に下るという申し出があった。

 アーギアス大陸全土を統べるという華々しい偉業を成し遂げた王は国の名前を新しくし、アクバル王国が誕生した。


 その偉業より暫くもしないうちに最西の国が早々に降伏を宣言した理由が分かる。それは、その国の国土二分の一を占めていた西へ広がる森に住まう異形なる存在、魔族達によるものであった。

 西の森には古くから人とはまったく異なる姿形、荒い気性を併せ持つ生物が生息していた。最西の国は彼らを魔族と呼び、度々衝突を起こしては争っていたのだという。

 普段から魔族との抗争に兵を割いていた最西の国は、飛ぶ鳥を落とす勢いで国土を伸ばすアクバル王国の侵略に抗うほどの余力が残っていなかった。


 初代アクバル王国国王はアーギアス大陸統一後、魔族という見た事のない存在に大変興味を示した。度々最西の土地へ赴いては、魔族の討伐及び生け捕りを行っていた。

 国王の魔族研究により魔族は人には到底成し得ない超人的な現象を起こす力、即ち魔法を使えること、魔族は個体によって知力の差があれどたった一匹の魔族の王のもと統率が成されている事を突き止めた。


 しかし、初代アクバル王国国王はそこで息を引き取ってしまう。


 二代目、三代目はかつての国王の情熱など忘れたかのように魔族の研究を打ち切ってしまった。


 そこから魔族は最西の土地の者だけが身近な存在となり、統率前のアクバル王国の土地、即ち首都周辺の国民たちにとって魔族など語られるだけの存在となってしまった。


 五代目国王の治世、人に新たな変化が現れる。人の形ながらにして魔族のように魔法を扱える存在が突如として沸いて出た。そのような者が生まれた出自も何もかも不明だが、始めて魔法を扱った男性は神の使徒として神殿で大司祭を勤めた。

 それ以降、大司祭は魔法を扱える稀有な存在だけで受け継がれてゆくものとなる。


 それから数十年、第七代国王の時代。魔法の力を持つ女性が現れた。

 そのことを当時の大司祭は"魔法とは神に仕える者だけに与えてくださる神からの贈り物"と考え神徒以外が扱う魔法は全て悪しき魔族との繋がりを示す証拠に他ならぬ邪な存在だとして糾弾した。

 そしてアクバル王国では魔法を扱う女性は魔女と呼称し、大々的な魔女狩りが各地で行われるようになった。


「──当時の大司祭に対する考えは、色々あるのですよ。」


 建国史をなぞっているなか、ふと先生が声を漏らす。


「神殿とはもとより女人禁制。その中へ女性という新たな派閥が進出することを嫌った大司祭の保身による判断だという見方もあるのです。」


 神殿とは国の政に一切の関与をしない独立の機関のようなもので。私も詳しくは知らなくて、こんどのレジーナお姉様の成人の義にも神殿の方が来るそうで、そういった大層な祭りごとの際に顔を出す人達という認識でしかない。

 けれど、王族には従う形でありながら、多くの国民の支持を得てそれらを教え導く大司祭はかなりの権力がある。

 先生の言う通り、そんな立場を守るためならば根拠もなく相手を悪者にしてしまう気持ちが少しだけ理解出来た。


「ニーナ様には歴史を紐解く上で一つの視点だけではなく、色々な視点で物事を捉えることの出来る王女になって頂きたいと私は思います。」


 にこりと微笑む。大人の余裕が現れた口元に胸が熱くなる。

 熱くなった頬を悟られぬように、机の上の歴史書に顔ごと視線を飛ばす。


「はい、先生の期待に応えられるように、頑張り、ます。」


 ぎこちないかもしれない返事が、余計に恥ずかしい。



「では、続きを───。」


 魔女の出現を悪しき魔族に起因すると結論づけた神殿側は当時の国王へ、魔の道に人がこれ以上拐かされる事のないよう、魔族との徹底的な対立を進言する。

 これをきっかけに、初代国王以来の魔族達が住まう森への侵略戦争が始まる。

 争いは五十年以上も続き、最西に領地を構える貴族たちは魔族との争いの利益で首都周辺の中央貴族たちにも迫る成長を見せた。


 しかし、第十三代国王が争いに一時の終止符を打った。平和を望んだ国王は玉座に座るなり争いの終了を宣言し、魔族との和平条約を結ぶための交渉に多くの時間を割いた。

 魔族の王も、自分たちの森へ人がこれ以上侵略することがないのならばと、互いに不干渉であることを条件に争いを終結させた。


 それから百年もの時が過ぎて、現在。未だに魔族との不干渉は続いている。



「──とは言っても、国境の西では小さな諍いが何度もあるみたいですね。」


 そう言って、先生は魔族との関わりに視点を置いた歴史の旅を締めくくった。


 今までの勉強とは違って、物語のようにして語ってくれる先生の授業はとても面白く感じた。こんなにも麗しい先生から教わっている、という色眼鏡が多少あることは否定できないけれど。


「ありがとうございます、とても理解しやすかったです。」


 私の言葉に満足そうに笑みで返す先生。


「今のはほんのです。次にこちら、歴代国王の御名と大きく取り上げられた政策が纏められた表になります─────」




──────────────────



「──して、新しい教育係はどうであった。」


 侍女一人として立たない食事の広間。

 長くて広いテーブルを囲う四姉妹。一番上のレジーナお姉様は国王が座る場所に座し、食しながら私にそう尋ねた。


「噂に聞いたがすげぇ美形なんだってな。本当なのかそれ。」


 私が質問に答えるために食器を置いた時、会話に割って入ったのは二番目の王女、マリアお姉様。マリアお姉様の粗野な口振りと礼儀を知らぬ振る舞いに、レジーナお姉様から怒りの視線が飛ぶ。

 レジーナお姉様に怒られる事が分かっているのに、懲りないマリアお姉様へ小さくため息をつきながらも傍観しているのが、三番目の王女エルハームお姉様。

 私はお姉様達をちらりと見渡して、もう話してもよいか確認してから口を開いた。


「──とても良い先生です。苦手だった歴史も、シルヴィオ先生のおかげで自分から取り組もうと思えるようになりました。」


 レジーナお姉様を心配かけないように少し──ううん、かなり盛ってしまったけれど。

 歴代国王と政策のお話あたりからやっぱり苦手だと思ってしまったけれど。

 自分から取り組もうなんて一度も思えた事ないけれど。


「おかしな事はされていないだろうな。」


 私の事となると心配性なレジーナお姉様だから、こう尋ねられるのも予想していた。

 脳内のシュミレーション通りに笑顔で頷く。

 いつも心の内側を漏らしてしまわないよう表情を張り詰めさせているレジーナお姉様が、ふと優しげな笑顔で顔をゆるめた。

 けれど、それも刹那。すぐにいつもの王であるための強気な表情へ戻る。



「ニーナ。一つ、急な話だが報告することがある。」


 どくん。

 あまりにも強い鼓動に胸が痛くなる。


 レジーナお姉様から報告される事なんて滅多に無い。一体何を言われるというの。



「ニーナに専属の騎士を一名付ける事となった。」


 色々と想定した内容のどれとも違う報告に口を開けたまま呆然とした。


「騎士───。」


 やっと出た言葉も、ただ単語を復唱しただけ。


「色々と事情が重なってしまってな。の報告ですまない。」


 ん。当日。

 当日とはつまり、今日。

 広間の大きな窓を見ると外は真っ暗。当然、今は夕食中なのだから。

 いきなり今日の夜から専属の騎士がつくことになったらしい。


「今日、ですか。えっと、どのような方かお伺いしても宜しいのですか。」


 どんな名前だろう、どんな見た目だろう。優しい方なのか、武の道一直線な方なのだろうか、それとも野心家なのか。

 知りたい事がありすぎて頭の中が纏まらない。


「名を、メオディティウス。後は実際に交流を深め、ニーナ自身が知るように。」


 家名も教えられずにこれ以上の質問を受け付けないとはっきり示される。

 どうしてそんなにも突き放すのか、さらに問いただそうとするとレジーナお姉様は食器を置いて立ち上がってしまった。


「では、ニーナ。必ず自室の大窓の鍵を開けておくように。」


 そう言ってレジーナお姉様は踵を返して広間を後にした。



「エルハームお姉様、今のレジーナお姉様の言葉の真意を理解できましたか。」


 マリアお姉様は昔からアテにはならないから、こういう時はエルハームお姉様に頼る。

 聡明なエルハームお姉様でさえも、嵐のように過ぎ去った情報の前では首を横に振って眉を下げることしかできなかった。




─────────────────



 私の騎士を待つこと、二時間。

 もうとっくに時刻は九時を過ぎてしまっており、仕方なく寝間着にも着替えた。

 それまでにかの騎士が現れる気配もなく、私はレジーナお姉様の言いつけ通り自室の大窓を開けて馬鹿みたいに待つだけ。

 レジーナお姉様の成す物事は全て考えあっての事だとは分かっているけれど、今回ばかりは私にはとても理解できない。


 最初の一時間こそとても綺麗な顔立ちの騎士だったらどうしようとか、私にはシルヴィオ先生が居るのにだとか、浮ついた妄想もした。

 遅い。遅すぎる。

 いつもならばこんな時間、私はもう夢の世界へ入ろうとしている。

 こんな遅くに訪ねる騎士なんてそんな非常識な人を許すレジーナお姉様も分からない。何もかも分からない。


 不貞腐れるようにして自室のベッドに身体を沈めた。どんなに素敵な騎士だったとしても絶対に文句を言ってやる。そう決めて。

 なんて言ってやろうか、あれこれ文言を考えているうちに意識はだんだんと薄くなっていって───。




「────い。──おい。おい。」


 身体が揺れている。強く揺れている。なんでだろう。

 そういえば何をしていたっけ。

 確か、確か、騎士を待っていて、それで。


 気がついたら寝て───。



「─────ッ。」



 レジーナお姉様に寝坊して騎士に会えなかった事を知られると思うと、一気に意識は鮮明なものとなり、不思議と身体が勝手に起き上がった。

 どうやら、身体が揺れていたのは目の前の男の子が私を起こすために揺さぶってくれていたようで、


 男の子─────。


「貴方誰ッ。どうして私の部屋に入、って、い───。」


 男の子が無許可で私の部屋に居るという異常にやっと気がつく。そして、その男の子の容姿をよく見てみると、言葉が詰まる。


 麻のような色素の薄い髪はボサボサで酷く傷んでいて、シトリンのように大きく煌めく瞳は蛇のような眼光。伸びた髪で少し隠れているけれど耳は尖っている。開いた口から覗く鋭い犬歯。私に差し出す手の爪の色は真っ黒で人とは程遠い。


 こんな、あからさまに人と違う特徴をもつ生き物なんて─────。




「魔族───────ッ」










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