第3話 recognition〈認識〉

柊利しゅりくん……柊利くん」


 自分の名を呼ぶ声に目覚める。どうやら考え込んでいるうちに眠ってしまったようだ。反射的に頬に触れたのは、悪夢から戻ってきたあとは涙で濡れていることがままあるからで、そんな姿を夢屋あいつに見られなくてよかったと安堵する。

 しかし、二晩も連続で、『死者の国』を見てしまうなんてついていない。ほんとうについていない。

 嘆くしかない。

 ああ。

 ――どうして、夢屋この男にいるのだろうか。ほんとうに考えるだけでも頭が痛い。



「大丈夫かい? ずいぶんとうなされていたようだけど」


「ご親切に、どうも。で、どうしてここにいるのか説明してもらっていい? 私、鍵ちゃんと閉めたはずなんだけど」


「あぁ、安心して。柊利くんの言う通り、鍵は閉まってよ」


 なんでまたいるんだよという声が聞こえてきそうな無愛想な返答。夢屋が柊利を落ち着かせようとする反面、柊利は苛立ちを隠せないでいた。

 衝撃に揺れる柊利の心情を無視して、あくまでマイペースを崩さない男。そんな彼に苛立ちを堪え切れず、柊利は舌打ちをする。


「はっきりと答えて。私は鍵を閉めた。なら、貴方はこの部屋に侵入したっていうの?」


「さぁ? どこからだと思う?」


「……」


 そういって、夢屋かれは白々しい返事しかよこしてこない。馬鹿げた状況に馬鹿げた答えに柊利は一層呆れた。


「ふむ、意外だね。こういうと、柊利くんはさぞや怒ると思ったのだが?」


「……」


「沈黙を選んで、否定しないということは肯定と受け取っていいんだね?」


「……はぁ。一周まわって怒るを通り過ぎて呆れてただけ」


 にべもなく言い捨てて、柊利は自分をからかってくる夢屋の横顔を睨みつける。


「どーかな。柊利くん、言葉にしないと相手に伝わらないこともあるんだよ?」


「……」


「だんまりかぁ。それはそれで悲しいねぇ」


 片目をつむり、彼の透き通った瞳が柊利しゅりを捉える。そうして、空のように澄み渡った瞳に己を映されていると思うと、柊利はひどく落ち着かなかった。

 自分の言葉は本心から出たもののつもりだったが、彼の言葉を受け、改めて柊利は己の気持ちを整理する。

 驚き、怒り、辟易――。

 実際、それらの爆発的な感情は柊利の中に何度も浮かび上がり、喉から外へ飛び出しかけては何処かへ消えていく、ということを繰り返している。

 だが、それらを叫ぶことが夢屋コイツの思惑通りだったとしたらと考えると無性に腹が立ち、言葉にすることを拒絶していた。

 互いの間に気まずい沈黙が落ちる。


「なによ……」


 居心地の悪さに、柊利しゅりは言葉を濁すようにしながら弱々しい声を出す。


「いやなに、きみはボクの求める反応をなかなかしてくれないと思ってね。思い通りにならないというのは悔しいようで、嬉しいようで、複雑な気持ちがするよ。……それより、きみはボクに尋ねたいことが沢山あるんだろう? いいさ、答えてあげる。ただし三つまでだけどね。三つまでは答えてあげようじゃないか」


 「それなら最初から教えてくれればいいのに」と呟くと、「それじゃあ、面白くないだろう」と笑いながら返される。結局は彼の掌で踊らされていただけだったのだ。


 柊利は何か夢屋に話しかけようとして、言葉を止める。そして、少し迷うように視線を彷徨わせた後、もう一度、夢屋の方を向いた。

 そういえば、と柊利は思う。

 彼の名前を知らない。彼が何者かということを考える以前の問題だった。


「……な、なまえ。……名前、なんていうの? 呼べないと不便なんだけど、……あと、そっちは私の名を知ってるのに、不公平というか……そう、不公平だと思う」


「ああ、名前か。そんなこと考えたことなかったな」


「は……ちょ、ちょっと、待って? 名前ないの?」


「ない……というのとは、また違うんだろうけど……まぁ、昔のあった名などとうに忘れてしまったということだよ」


 そう言って夢屋は微笑んだが、不思議と先ほどのように腹は立たなかった。彼の瞳はどこか遠くを見つめていて、柊利には哀しげであるように見えた。


「その、ごめん。立ち入ったことを訊いてしまって」


 柊利はなんとなく謝らないもいけないような気がした。


「別に構わないさ。ボクが柊利しゅりくんに『答える』と言ったのだから、君が謝ることはない。……それに、ボクのうっかり言ってしまう癖が原因だからねー、気にすることはないさ」


 そう言って彼はいつもの調子に戻る。


「さーて、気を取り直して、第二問目といこうか」


「ちょ、ちょっと。名前の話はどうすんのよ」


「それはさっき落ち着いたはずだと思ったんだが?」


「わたしが呼びづらいって、言ったの忘れたの? 最初の質問を繰り返すけど、どう呼んだらいいの?」


「今まで通りで何も問題はないと思うけど……それとも、柊利しゅりくんが何かつけてくれるのかい?」


「なんで、わたしが――」


「ボクはそれでもいいし、むしろそれを期待する気持ちの方が大きいねー」


「……」


「な・ま・え」


 そう言って目の前の夢屋かれは期待するように目を輝かせ、柊利の顔を覗き込む。


「……そうね……『シノノメ』ってのはどう?」


「――いいね。響きがいい。気に入ったよ」


 夢屋は「シノノメ、シノノメ」と、自分の中にそれを溶け込ますかのように繰り返し呟く。まるで何かをもらった子供のように、はしゃいでいるようだった。

 柊利しゅりは咳払いをし、


「じゃあ、二つめの質問。――『夢屋』ってなに?」


「それは初めに会ったときに説明したはずだけど?」


「わたしが求めているのは、そんな定義みたいな堅苦しい説明じゃなくて――」


 それからほんの少しだけ間をおいて、静かにこう続けた。


「アンタのよ」


*****


「――ふーむ、目的、目的ねぇ……。それは必ずしも言わなくてはならないことかい?」


 片目をつむるシノノメを柊利しゅりは睨みつける。

 シノノメが柊利に執着する理由。知り合いの孫だからといって面倒を見る必要は必ずしもない。ましてや、学生といえどもバイトをしている身。両親やおばあちゃんが貯めておいてくれた少なくない貯金があるため、おそらくバイトなしでも、あと五年くらいは食いっぱぐれることはないだろう。

 だからこそ、柊利にはシノノメが自分の前に現れた理由がわからなかった。

 そんなこちらの居心地の悪さを読んだかのようにシノノメは笑い、


「まぁ、確かにいずれは突っこんで訊かれることだろうとは思っていたよ? だからこそ、ボクもちゃんと覚悟を決めていたわけなんだけど」


「覚悟……?」


「そう、覚悟。はぐらかすのも程々にして、柊利しゅりくんの質問に答えてあげようってことさ。まぁ、こんなにも早いとは思ってなかったんだけどね?」


「……ど、どういう風の吹き回し?」


「そこまで信用がないのも悲しいね。まぁ仕方ないものか、テキトーな説明しかしてこなかったわけだし」


 柊利しゅりは「ふうん」と自覚はあるんだと思う。


「――とりあえず、聞きたいことを聞かせてもらうけど。――何故、わたしに会いにきた理由。まず、話はそこからだよ」


「そりゃ、柊利くんが彼女の令孫れいそんだからで……」


「それは以前聞いた。……答えて、シノノメ。知りたいのはおばあちゃんの見舞いにも来なかったアンタがわたしに構う理由よ」


 わかっていて上辺だけの誤魔化しを口にするシノノメに、柊利は舌打ちを堪えながら静かな声で追及する。冷静さを装うとする彼女の素振りを、シノノメは片目をつむって無言で見つめ返した。


「ふぅ、ではその質問に答えようか。――ボクはとある人から依頼を受けた、それが君の質問に対する答えだね」


「――とある人って?」


「流石にその質問には答えかねるよ。ボクだって喋っていいこととよくないことの区別はつけてるつもりだからね。特にクライアントの個人情報は守秘義務にはいる」


 当然のことを口にするようなシノノメの声に、柊利しゅりは沈黙で応じる。彼の言葉にどこまでの信憑性があるのか、正直、疑ってかかる気持ちがあるのは事実だ。


「納得したかい?」


「正直いって……納得はできないし、アンタを信じるかも微妙。それくらい、アンタは秘密主義が過ぎる」


 疑惑の目を向ける柊利はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「そうだね、君のご指摘通りさ。だからこそ、ボクの目的を知りたい柊利くんに質問するけど」


「は? 何言ってんの? アンタが? 質問?」


 シノノメの返答に思考がかき乱されて、柊利は困惑を露わにする。そんな柊利の反応にシノノメは頷き、その両手を軽く広げると、


「そりゃあ、物事にはそれ相応の対価が必要だからさ。本当は、順番に質問を交換する形式でいこうと思ってたんだけどね、ま、いっかぁ、仕方ない仕方ない」


「な―――!?」


 早口で流れるようにペースを掴まれて柊利しゅりは絶句する。質問に質問で返すなと言いたいが、反撃する機会すら与えてくれない。

 思わず言葉を失う柊利に対しシノノメは「さーて」と言葉を紡ぐ。


「今度は柊利くんがボクの質問に答える番だよ。―――ねぇ、君は『夢』で何をみた?」


 そうして、鮮やかだった気持ちが、再びじわじわと闇の中に沈んでいく。


「……それがボクの目的さ」

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