第9話 卯の花腐し②
「あんた、多分、あんた自身が思ってるほど鳴神たちに嫌われてないわよ」
「え?」
予想外の言葉に思わず困惑の声が漏れる。
そんなはずはない。俺はこの耳で聞いた。俺に対する陰口を。
「嫌われてるわけじゃないって。だからそんなにビビって及び腰になる必要ないのよ。認識を改めなさい」
「いやでも、キョロ充とかめんどいとか言われてたし」
思い出したくもないが、対策を考える以上毎回脳内であのシーンを再生しないといけないのが辛いところ。
「本当に嫌われてるんだったら無視されてるわよ。あたしみたいにね」
何ともないように取り繕っているが、目の端がピクピクしている。怒りの感情からか悲しみの感情からか。愛野さんも身を切って俺に伝えようとしてくれている。
「もっと詳しく教えてくれ」
「ウザい、めんどくさいって感情と嫌いって感情はイコールじゃないのよ。あんたへの対応に抵抗感はあるものの、全く反応しないわけじゃなく最低限は返してくれる。めんどくさがられている段階ならきっと何とかなる。まだ付け入る隙があるの。嫌われてるわけじゃない、挽回のチャンスはあるって考えれば前向きにならない? なれるでしょ? 前向きになれるって言いなさい」
「あ、うん、まあ、前向きになれます、はい」
「そんな曖昧な言い方じゃダメよ。自分がそう思えないなら自分に思い込ませなさい。はい、心の底から信じて。今すぐ」
「無茶言うな」
愛野さんのゴリ押しに反応している間に、頭の中で整理できてきた。
俺はずっと鳴神たちから拒絶されたと思い込んでいたけど、実はそこまで深刻な状況ではなかった、のか?
確かに家族や教師に何か頼まれたとき、めんどくさいなって感じるときはあったけど、嫌、無理と放り出すほどではなかったし頼んできた家族や先生を嫌いになることはなかった。
愛野さんが楽観主義者とかそういうのではなく本当に俺は鳴神たちに嫌われていない?
心がすっと軽くなる。
そっか。俺、めんどくさいとは思われてるけど、嫌われてるわけじゃなかったんだ。まだ全然挽回できる段階だったんだ。鳴神たちの俺に対する好感度、どん底じゃなかったんだ。
「何か急に怖い顔して黙り込んで不気味なんですけど」
「ありがとな愛野さん! ありがとう!」
「はぁ!? ってちょ、あんた何手ぇ握ってんのよ離しなさい!」
「あ、ごめん」
喜びのあまりとんでもないことをしてしまった。すぐに手を離す。
恋仲でもない男女で手をつなぐなど言語道断。愛野さんが怒りで顔を赤らめるのも頷ける。
「あービックリした。ああいうことするときは事前に予告しなさいよね」
「その言い方だと予告すればしていいことになるけど」
「予告された上で断るけど」
「じゃあ予告する意味ないだろ」
と愛野さんがふざけてくれたおかげで、俺たちらしからぬ変な空気は霧散した。
「で、何がありがとうなの?」
愛野さんが爪のマニキュアを眺めながらそう聞いてくる。今日のマニキュアは派手すぎない薄いピンクだ。
「俺が鳴神たちに嫌われてないってことが理解できた。正直かなり安心した。喜びが抑えられないくらい嬉しかった」
「あんたの人生って本当に鳴神たち中心に回ってるのねぇ。そうやって他人に依存する幸せは脆いわよ。自信持てるもの見つけることのメリットは自分自身だけで幸せになれることね」
「見つけられる気がしないなぁ」
「まだまだ先は長そうね~。でも当面の問題はこれで解決。これで月曜日から鳴神たちに今まで通りいけるっしょ」
「うん。アドバイス通りテンション抑えめにして、会話内容にも落ち着いて注意を払えそうだ。マジで助かった。カフェ代おごらせてくれ」
「ラッキー! じゃあ遠慮なくジャンボパフェを、って思ったけどそこはお互い様。あんたもあたしについて気付いたことあるんでしょ?」
「よく分かったな」
「ずっとそわそわしてて何か言いたそうだな~って。あんたもあたしに有益なアドバイスちょうだい」
愛野さんが身を乗り出して俺の目を真っすぐ見つめてくる。谷間が強調されてそちらに視線が吸い寄せられそうになるも、愛野さんを印象付ける鋭い眼差しがそれを許さない。
一呼吸置く。
教室で寝たふりをして過ごしていた間に、もちろん考えていた。助けてもらってばかりじゃいられないから。というか目に、耳に入ってきて否が応でも考えてしまう。愛野さんが必死に藤堂さんたちに話しかけていた期間、その後沈黙していた期間、それを見たクラスメートたちの反応。
特に藤堂さんたちの会話を特に耳を澄ませて聞いていた。
愛野さんを観察し、改善点を探すのと同じくらい、藤堂さんたちを観察することが大事だということがこの一週間で分かった。
「愛野さんは、藤堂さん、間さん、深海さんが学校生活で特に大事にしてるもの、分かる? 実は三人ともそれが共通してるんだ」
「共通してる大事にしてるもの? 己の美貌じゃない? 三人ともあたしに引けを取らないほど美人だし」
あっけらかんとそう言う。そういうことを本心から言えるメンタルが俺も欲しい。
「違う。いや違わないかもしれないけどそれは重要じゃない。……部活だよ。三人とも部活動をとても大切にしてる」
「そういえば三人ともよく部活の話してたような気がするわねぇ。内容よく分かんなかったし興味無かったから聞き流しててあんまり覚えてないけど」
やっぱりそうか。そうだろうと思った。
「相手に興味を持って接すること。それができてないんだよ。誰だって自分の大事なものが共有できたら嬉しい。好かれる努力をしなきゃ。教室内でちょっと聞いてただけでも藤堂さんは早気? っていう矢をつがえてすぐ放っちゃう病気みたいのになっちゃってて悩んでるだとか、深海さんはコンクールで銅賞をとったけど同じ部活の先輩が金賞をとって才能や実力の差に苦しんでいるだとか、間さんはタイムが全然伸びなくて、それでもムードメーカーとして明るく接しなければならないってこととか、自分よりタイムが良い人に嫉妬を表面に出さないよう気を遣うことに疲れただとか、そのくらいの情報は入ってくるよ。これ全部知らなかったでしょ?」
「え? あんたずっと盗み聞きしてたの? うわぁ」
愛野さんは椅子を引いて俺と距離をとった。ゴキブリを発見したときみたいた顔の歪ませ方をしている。
引かれることに慣れてきたが、全くダメージを感じないわけじゃないんだぞ!
「ずっとじゃない! ちょっと聞いただけって言っただろ。つか耳ずっと塞いでない限りどうしても耳に入ってきちゃうし」
「そういえばあんた机に突っ伏してたわね。そうするくらいだったらスマホいじったり勉強したりした方がよくない?」
「周りからぼっちって思われたくないだろ。寝たフリしてた方が体調悪いのかなとか寝不足なのかなとか勝手に周りが思ってくれる」
「だから周りの目を気にしすぎなんだってあんたは。自意識過剰なのよ。誰もあんたのことずっと気にしてないから。あとぼっちを極度に嫌がるのもキョロ充の特徴じゃなかったっけ?」
そうだった。まだ俺はキョロ充思考から抜け出せていない。
色々調べて、自分で望んでぼっちを選んでいる人がいることを知った。
俺はぼっちでいることが辛い。惨めだと思ってしまう。寂しい。
自らぼっちを選んでいる人は、俺と違って自分を持っている。流されていない。
愛野さんが言うように、自分一人で幸せになれるもの、自信を持てるものができたら気にならなくなるのだろうか。
「ダメだな。てんでダメだ。俺は何も変われてない。変わる方法は分かってるはずなのに」
自然に俺の視線は下がっていく。
頭を重力に引っ張られるがままに垂らしていく途中で。
「『ダメだ』って言葉、あたし、大っ嫌いなのよね。以前、根拠が無くてもいいから自信持てって言ったでしょ。行くわよ」
「ど、どこに」
「あんたが変われる場所に」
愛野さんの細い指が俺の顎先をつかんで上に向かせる。
燃えるような目が、視界一杯に広がった。
数秒後、パッと手を離し、愛野さんはそそくさと荷物をまとめて席を立ち、伝票も持たず足早にレジに向かっていった。慌てて追う。
「お会計お願いします」
既にお札と小銭を出し終えている。
伝票が無い状態でお金を出されても会計できないため困惑している店員さんに急いで伝票を差し出した。
愛野さんが出したお金はピッタリ伝票と合っていた。
店を出たところで何とはなしに聞いてみる。
「さっき伝票見ずにピッタリお金出してたね」
「は? ……あ~、まあそうね。あんたが兄貴と全く同じもの頼んでたから(小声)」
「何?」
「だから、暗算得意だからっつってんの。あんたより地頭良いってだけ!」
「はぁ。そうですか」
愛野さんはいちいち自分アゲしないといけない病でも患ってるのか。大変そう。
「変なところでドキッとさせんなバカ。兄貴も兄貴よ。毎回同じもの頼むから金額覚えちゃったじゃないの(小声)」
「バカだけ聞き取れたぞ! 確かに愛野さんは頭良いだろうけど、だからといって俺が頭悪いってことにはならないだろうが!」
「あーそうですね! あたしが悪かった! はい終わり!」
え!? 愛野さんが自分で悪いって認めた!? 天変地異でも起こるのか!?
「そ、それでこれからどうするの」
「こうするの」
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