10.恋の概念

 しばらく歩くと、背後から男たちの歓声が聞こえてきた。どうやら、本当に行為が始まったらしい。


 都築が振り向いて確認すると、梓を中心に男たちの円陣が出来ていた。


 もしかしたら、それは梓にとって、格好のプレゼンの場なのかもしれない。隠れる場所が、無いからこそのショールーム。


 一体どんな気持ちで、彼らは他人の行為を見ているのだろうか?


 今の自分の姿が、周りからどのように見えているか、想像しないのだろうか?


 既に死んでいるのなら、恥はかき捨てだとでも言うのだろうか?


 喘ぎ声こそ聞こえないが、移動する人々の間に、気まずい雰囲気が流れていた。


「珠を先にゆずって、後悔してるんでしょ?」


 結衣香が顔を赤らめながら、そんなちょっかいを出してくる。無言でいることに、我慢できなくなったのかもしれない。


「人前でやるような、趣味はないよ」


 少し冗談めかして返したのだが、どうやら言い方が悪かったらしい。結衣香から返ってきたのは、冷たい視線だった。


 乙女心は難しいと、都築は軽く天を仰いだ。



 しばらくして、反対側の壁際まで到着し、人々は思い思いに休憩し始めた。多くの人が、地面にへたり込んでいる。


 ある程度の状況は理解したものの、これからどうするべきか、皆が途方に暮れていた。結衣香とみことも、その場に座り一息ついている。


「さて、これからどうしようか?」


 都築はそうたずねたが、結衣香からすぐに返事は帰ってこなかった。みことは相変わらず、辺りをぼんやりと眺めている。


「私には……珠を集めるのは、無理だと思う」


 少し思い悩んでいた結衣香は、自分の考えをそう切り出した。


「自分が選ばれるにふさわしいと言える自信も、何かを代償に珠を集める度胸も、私は持ってない。でも、だとしたら…….。私はゆっくりと、死を待つしか無いのかな?」


 確かな死の実感は無いものの、それに向き合わなければならない状況だ。そして、1/127という狭き門に、弱気になるのは仕方のないことなのかもしれない。


「やってみないと、分からないとは思うけど……」


 都築はそう前置きしつつ、違った視点の話を始めた。


「別に珠を集めるだけが、目的じゃ無くていいと思う」


 思いがけない言葉に、結衣香は怪訝な顔で都築の顔を見る。


「他に、何があるの?」


 都築は少し周りを見回し、他の人も聞いている事を意識しながら答え始めた。


「残された時間で、何をするかということさ。すでに死んでるから、言い方がおかしいけれど、余命の過ごし方を考えるってことかな。出来ることは、本当に限られているけれど……」


 都築は小さくなりつつあった声に、少し力を込めて言う。


「それでも、自分には意志が残されていて、行動することが出来る。であれば、何かやれることがある。物質的ではない、自分が本当に求める何かを……」


 その声は、それほど大きくはなかった。しかし、誰もが沈黙する中で、その言葉は細波の様に、人々の胸の中に広がっていく。


 行きたいところへ、行ける訳でもない。


 食べたいものを、食べれる訳でもない。


 誰にでも、会える訳ではない。


 それでも、まだ時間は残されている。


 だとするのであれば、自分は何を望むのか――。



 結衣香は目を閉じて、その言葉の意味をゆっくりと考えているようだった。


 しばらくして、結衣香はぽつりとつぶやいた。


「私は……。私は、恋をしたい」


「恋?」


 その少し意外な答えに、都築は彼女を見た。結衣香はそんな都築を、妙に真剣な面持ちで見返してくる。


 結衣香の瞳に自分が映るのを見て、都築は少し鼓動が高鳴るのを感じた。


「都築君は、長男?」


「ああ、ひとりっ子だけど」


「誕生日は?」


「7月2日……」


 結衣香の突然の問いに、戸惑いながらも応える都築。


「進路はどうするの?」


「医大を受けるつもりだけど……」


「お医者さんを目指してるの?」


 驚いて目を丸くする結衣香に、続きは補足する。


「医療研究の道に、進みたいんだ」


「そうなんだ! 意外じゃ無いけど。そうなんだ……」


「さっきから、何の質問?」


 都築は自分が品定めされていると感じたが、嫌な気分では無かった。自分に興味を持ってくれているのなら、純粋に嬉しいと思う。


「まずは、お互いを知る所から始めたいでしょ?」


 結衣香にそう言われて、淡い期待をしてしまう自分がいた。


 しかし――。


「向こうに残った人は、論外として。同年代の人が、少ないのが痛いな……。この際、多少の年齢差なんて関係ない。大人の包容力ていうのも魅力だし、出来る限り対象は広げて考えないと! 顔も……まあ重要なんだけど、イケメンいるかな?」


 そんな結衣香の発言に、都築は怪訝な表情になる。


「一体、何の話?」


「恋するに値する人かどうか、まずは審査しないと!」


 結衣香の言葉に、都築は絶句した。恋とは、そんな査定を経てから、するものだっただろうか?


「性格が良くて、趣味や話が合う人で、将来性もあって、できればイケメン! 理想は高いかもしれないけど、下げれば良いものでも無いし。逆にそれくらいの人じゃないと、恋なんか出来無いし!」


 俄然やる気の表情で、結衣香が立ち上がった。


「この人数じゃ、候補は5人もいれば良い方かな……。とにかく、どんな人がいるか確認してこないと!」


 そう言って、彼女は人々が集まる方へ歩き出す。一瞬振り返って、結衣香はこちらに手を振った。


「また後で、話聞かせてね!」


 彼女の言う恋と、自分の認識する恋は、同じものでは無いかもしれない。都築はそう思いながら、呆然と結衣香を見送るしかなかった。






 都築たちから少し離れた場所で、その男性は存在を消したいかのように、うずくまって座っていた。


 紺色の作業着姿のその男は、ボサボサの髪に白髪が飛び出ており、年齢以上に老けた印象だ。


 彼は密かに、都築たちの会話に聴き耳を立てていた。それなりに離れているので、会話のほとんどは聞き取ることが出来ない。ただ、自分の存在がバレていないことだけは、その雰囲気から感じ取れた。


 いや、普通考えて、分かる筈が無いのだ……。


 彼らの存在を知ったのは、たまたま女の子の話を近くで聞いていたからだ。その内容が、自分の最後の記憶と一致した。単なる偶然と思いたかったが、否定すればするほど、間違い無いと確信してしまう。


「何故、こんな事になっちまったんだ……」


 そう自問するが、理由は明白だった。単純に、無理をしすぎたのだ。前々から、体は限界を超えていた。だましだまし、何とか必死に耐えてきたが、まさかこんな結果になろうとは――。


 彼の最後の記憶。


 それは鳴り響くクラクションで目を覚まし、自分の運転しているトラックが、目の前に迫るバスに、ぶつかる瞬間の光景だった。






 白服の少年は、梓を取り巻く輪から少し離れた場所に立ち、彼らの行為を静かに観察していた。


 いつの時代も、男の欲望は物事を進める原動力になる。良くも悪くも、ではあるが……。


 また、遠く離れた都築たちにも、同時に目を配っている。どんな小さや予兆も逃さぬよう、全方位に注意を向けていた。


 彼の表情から、多くを読み取ることは出来ない。ただ静かに、時が経つのを待っているように見えた。


 まだ、運命の7日間は、始まったばかりなのだ……。

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