2日目

01.取り残されたこの部屋で

 装飾と無縁のこの部屋は、どうしようもなく刑務所を連想させた。


 ここまで物がまるで無い訳でも、こんなに綺麗だった訳でも無い。しかし、外部から隔離され、世の中から取り残されたと感じる感覚はそっくりだと、輿田よだは感じていた。


 刑務所で過ごした7年の歳月は、容赦なくあらゆるモノを奪い去っていった。自分がどれだけ年老いて、時代に取り残されたのか。娑婆に出て、それを実感した時の絶望感。それは、銃で撃たれた時の衝撃よりも、大きかったかもしれない。


 後悔はある。刑務所に入るきっかけを作った出来事では無い。もっと根本的に、人生を間違えたという感覚。すでに、取り返しのつかないという事実。


 昨日、少年を銃で撃ち抜いた時にも感じた絶望が、ずっと彼の体を満たしていた。


 あれは少年の目論見によるもので、結果は悲観するものでは無かった。しかし、今も手に残る、その時の痺れの様なものが、輿田から気力というものを、奪い去っているかのようだった。






 少年から期限が7日と説明された時、都築はスマホのストップウォッチを起動させていた。その表示が、すでに24時間が経過した事を告げている。


 あの後、人々は思い思いに過ごして、自然と眠りについた。死んでいても、睡眠は必要らしい。緊張が続いたせいか、横たわるとすぐに睡魔に襲われた。


 肉体が無いのなら、体を休める必要は無いと思うのだが、習慣として染み付いているのかもしれない。


 それから8時間ほどで起床し、今は何をするでもなく、皆だらだらと過ごしている。学校も、仕事も、何もかも、もう気にする必要が無いのだ。


 本来なら優雅な朝食をと言いたいところだが、この部屋にそんなものは用意されていない。


「1日目が、終わっちゃったんだね……」


 眠りから覚めた結衣香が、都築にそう声をかけた。


  結衣香は何人かの男性と談笑した後、都築たちの元に帰ってきて、同じ場所で眠りについていた。


 誰と、どんな話をしていたのか。気にはなったが、それを問い詰める資格も、厚かましさも、都築は持ち合わせていなかった。


「こんな部屋に居ると、時が経つのが遅く感じるけど。過ぎてしまうと、あっという間だな……」


 都築は、そんな当たり障りのない感想を口にした。


 何もしなくて良い時間が欲しい。生きていれば、それは願望のひとつだった気がする。


 しかし、それがずっと続くとなると拷問に近い。7日という期限が有るのは、実は幸いなことなのかもしれない。


 みこともすでに起きていて、壁を背に膝を抱えて座り、ぼんやりと部屋を眺めていた。


 こちらの壁に移動して来た人々の、集団としてのまとまりは、すでに無い。


 ひとりで不安に思う者は一定の群れを形成し、人との関わりが煩わしいと思う者は、思い思いの場所に離れて行った。


 部屋の反対側に居た梓と男達は、夜通しイタしていたのかもしれないが、流石に一旦解散となったようだ。散り散りになった男達は、いつの間にか紛れて、もう見分けが付かなくなっていた。


 時間の過ごし方は、人それぞれだ。


 未だに出口を探すのを諦められないのか、壁をコツコツ叩き続ける青年がいた。少しの違和感も逃さないよう、集中し、一定の間隔で、ひたすら壁を叩き続けている。


 その執拗な姿は、まるで手段が目的になってしまったかのようだ。



 また、ひたすら歩き続ける、高齢の男性がいた。グランドのトラックを回るかの様に、部屋をグルグルと周回している。


 ゆっくりと地面を踏みしめて歩く姿は、競歩と言うより、聖地を目指す殉教者の様だ。彼は何を思い、ただひたすら歩き続けているのだろうか?



 そんな彼らの様子を眺めていると、曽我田が一人ひとりに声をかけながら、こちらにやって来るのが見えた。いかに、自分が生き残るに相応しいかを、歩き回って訴えかけている。


「時間は限られています! 誰かを選ばなければなりません! 世界をより良く出来る人を選びましょう! 美しい自己犠牲の精神が必要なんです!」


 さながらドブ板選挙の様相だが、人々の反応は薄い。彼の熱意というよりも、その厚かましさに、完全に引かれている印象だ。


 それでも、彼は熱心に勧誘を続けている。そのめげない姿勢だけは、素直に感心出来た。



 こちらに気付いた曽我田は、結衣香を見ると、すっと彼女の元にやって来た。


「君の珠を、僕に授与してくれないかな!」


 彼女にそう言って、先ほど老婆と同じ口説き文句を、リピートし始める。


「周りを見てみなよ。頭の悪そうな奴ばかりだ! こんな状況なのに、何も動こうとしない!」


 蘇我田の距離が妙に近く、結衣香は少し不快な顔をしている。


「あの……ちょっと」


「普段から敷かれたレールに乗ってばかりで、自分で判断する事が出来ないのさ! そんな、家畜の様な人間に……」


 結衣香が何か言おうとしても、曽我田は一方的にまくしたてて、聞こうとしない。


 ついに、彼女はキレて叫んだ。


「珠はあげません! 少し離れてください!」


「じゃあ、せめて俺の活動をサポートしてくれないかな?」


「は?」


 抗議が届くどころか、想定外の提案をされて、さらに戸惑う結衣香。


「秘書みたいなイメージかな? 是非、君みたいな子に、協力して欲しいんだ! 世界のために、一緒に頑張ろう!」


 曽我田の提案に、彼女は絶句して固まっている。


 自分が中心に世界が回ると考える人間とは、まさに彼の事だろう。やってもらえる前提で勝手に話を進め、曽我田は彼女の手を取ろうとした。


「やらない! やらないです! もう、こっち来ないで!!」


 差し出された手をかわして、結衣香は都築の後ろに逃げて来た。


 話の通じない蘇我田に、恐怖を覚えたらしい。彼女は青ざめながら、気持ち悪いと、何度も小さく呟いている。


 女の子にこんな反応されたら、死にたくなるに違いない……。他人事ながら、都築は背中が寒くなるのを感じた。


 しかし、当の曽我田は涼しい顔をしている。


「まあ、気が変わったら、いつでも言ってくれ」


 結衣香が嫌がっているのに、気付いていないのか。分かっていて、気にしていないのか。


 どちらにしろ、彼は相手の事など考えないタイプらしい。ついでに、異性に対する心遣いも、持ち合わせて無いようだ。


 曽我田は少し離れた場所に立つみことに気付き、少女にも声をかけ始めた。


「君の珠、僕に譲ってくれないか?」


「やめなよ!」


 結衣香が慌ててみことの元に駆け寄り、曽我田から遠ざける。


 放って置いたら、言われるがままに、珠を渡してしまいかねない。そんな危うさが、みことにはあった。


 自分より幼い子に、平気で珠を要求する曽我田に、結衣香が怒りの表情でにらみつける。


「分かったよ。また改めるよ」


「改めないで! もう来ないでください!!」


 結衣香の物言いに、曽我田は肩をすくめながら苦笑する。彼の神経は太いと言うより、存在しているのかすら怪しい気がする。


「一方的に訴えかけすぎて、空回りしてませんか?」


 都築のそんな問いかけに、曽我田は一瞬何かを言いかけて振り向く。


 しかし、都築の顔を認識したかと思うと、ふいと視線を外し、何も言わずその場を去ってしまう。


 都築は反論を待ち構えていたが、完全に肩透かしを食らい、曽我田の後ろ姿を見送るしかなかった。






 その曽我田は、歩きながらみことのことを考えていた。


 彼女の目に、生への執着は感じられない。きっと、みことから珠を奪うのは容易だろう。


 むしろ、誰かに先を越されないかが心配だ。何しろ、あの子は珠を2つも持っているのだから……。


「出来る限り、早く回収しないとな!」


 すでに珠を手に入れたつもりになり、曽我田は人の悪そうな笑みを浮かべた。

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