06. 命の譲り方

 理解できない事態が続く中、もたらされたひとつの希望は、さらなる混乱を招いた。


 全員を差し置いて、自分だけが生き返る。そんなことを言われても、何をどうしたら良いか分からない。


「期間は7日間。168時間が経過したその瞬間までに、珠を100個集めてください」


 人々は戸惑うだけで、反応は薄いが……。


「集められなかった人間がどうなるかは、想像にお任せします。天国に行くのか、地獄に落とされるのか、あるいは無に還るのか……。後悔のないように、選択することをお勧めします」


 少年のこの一言で、周囲の空気が変わり始めた。信仰の無い者でも、地獄というものに、根源的な恐怖を感じるらしい。人々のつぶやきが、徐々に熱を帯びたものになっていく。


「地獄って本当にあるの?」


「この空間が死後の世界というなら、存在してもおかしくないんじゃないか?」


「生き返るて、どうやって?」


「重症だった人が生き返ったら、またすぐに死ぬことにならないの?」


「病気が奇跡的に治った話って、珠を集めた人なのかな?」


「事故死の場合は? ちゃんと五体満足で、生き返るんでしょうね?」


「そもそも、この人数からひとりだけって少なすぎない?」


「死にたい人間なんていないんだから、選べるはず無いじゃないか!」



 疑問と不満と不安が混じり合い、その集団意識の矛先が、徐々に少年へと向けられる。


 人々の不満の声が爆発する直前、少年は右手を突き出して、冷ややかに釘を刺す。


「私をリンチにかけても問題ありませんが、迷惑行為が眼にあまるようであれば、罰を与えます。言動には、注意してください」


 その忠告は、まさに少年につかみかかろうとしていた者たちを、思いとどまらせた。


 しかし、全体の勢いは止まらない。少年をきっちり2メートルほど離れて取り囲み、人々は口々に不満をわめき始めた。


「生き返らせる人数を、増やす事は出来ないの?」


「家族が待っているんだ。そういう人間を優先してくれよ!」


「私、警察に捕まったことなんて無いし、地獄になんて落ちないわよね?」


 それぞれが言いたい事をまくしたてるが、少年は目を閉じ、涼しい顔で受け流している。



 命の結晶というべき珠を、100個集めると生き返ることができる。結衣香は、自分がそれを成し遂げるイメージを持てないでいた。


 そもそも、どうすれば譲ってもらえるというのだろう? 生への執着はもちろんあるが、ほぼ全ての人が同じ想いだろう。


 そして、自分の珠を人に譲る、という選択にも抵抗がある。


 どうすれば、いいのだろうか?


 結衣香が都築つづきをチラリと見ると、眉間にしわを寄せながら、少年を取り囲む人々を見ていた。その表情は、少し憂いを秘めているようにも感じる。


 彼が何を考えているか知りたかったが、結衣香はそれを聞くことが出来ずにいた。






 都築は未知の経験をした高揚感が冷め、心が少し沈んでいるのが分かった。


 無意識にポケットの中で、ピルケースの溝を爪でカリカリと引っかいている。これが、考え事をしている時の癖だと、自覚したのはいつだっただろうか……。


 どうしたものかと思案していると、ふと隣にいたみことと目が合った。軽く微笑み返すが、少女は何も言わず少年の方を向き、この事態をぼんやりと眺めている。


 やはり、この子は……。


 都築はみことの表情を、昔の自分と重ね合わせた。


 希望を持つ事を辞め、ただ状況に流されながら生きていく。そんな処世術が、自然に身に付いてしまった、あの頃。


 もしこの子も、そんな何かを背負っているのだとしたら。諦めたと思いつつも、心の奥底は救いを求めているのだとしたら……。



「これ以上、説明する事は特にありません」


 少年の態度があまりにもそっけなく、新たな情報が出てこないので、取り囲んでいた人々の輪が解け始めていた。


 都築は、そんな輪の中心に向かって歩き出す。


「珠をゆずるには、どうすればいい?」


 少年の前まで進み出て、都築はそうたずねた。


 少年は都築の顔を見返し、少し間をおいてから返答する。


「……譲ると念じてから、自分の珠を、相手の珠に重ね合わせてください」


「わかった」


 そう言って都築は踵を返し、みことの元に向かった。何をするのかと、人々の視線が都築の後を追ってゆく。


「君の珠を出して」


 都築がそう言うと、少女は言われるがまま、自分の珠を差し出した。都築の意図も、大事な珠も、全てに関心の無いような反応だった。


 都築は優しく微笑みながら、自分の珠を少女の手のひらにそえる。



「俺の珠をあげるよ。もし生き返れたら、辛くても楽しい、価値のある人生を送れるといいね」



 都築の珠が、みことの珠と触れ合った瞬間、ほのかに光り輝いて融合した。ひとつになった珠を呆然と見つめてから、みことは都築の顔を見上げる。


 どうして、私なんかに?


 そんな、怪訝な表情だった。


 都築は何も言わず、ひらひらと手を振って、再び少年の元に戻っていく。


「珠を譲り終えた人間は、どうすればいい?」


 そう問われた少年は、少し驚いた表情で都築を見る。そして、面白そうに微笑んで言った。


「みなさんと一緒に、7日経つのを待ってください」


 そう言われた都築は、不満げな表情をする。


「譲った者は、退場するんじゃ無いのか……」


 そうつぶやく都築を、少年は興味深そうに観察していた。


 都築の行為を、人々は驚きを持って見守っている。そんな彼らに向かって、少年は高らかに言った。


「さあ、残された時間で、考え抜いてください。あなたが取るべき、最後の選択を!」

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