国立ワクチン研究所(2) 事情聴取

 エレベータ内での話の通り、黒田が先行して個室内を調べたが、盗聴器は発見されなかった。黒田が赤城と福山を個室に呼び入れ、赤城と黒田が福山と向き合うように席に着いた。着席するのとほぼ同じタイミングで、深みのある芳醇な香りを周囲に振りまきながらコーヒーが運ばれてきた。コーヒーとタピオカミルクティが給仕されて、ウェイターが個室から』離れたことを確認してから赤城が話を切り出した。

「ご存じとは思いますが、今回、貴研究所を訪問したのは、鳥インフルエンザウイルス盗難までの詳しい経緯を説明して頂くためです。これからのウイルス盗難対策のためにも、是非とも必要です。福山所長、よろしくお願いいたします」

「もちろん承知している。今回の件は、問題が問題だけに、研究所でも鳥インフルエンザ研究部門のトップと私、それからセキュリティ部門の限られたものしか詳しいことは知らない」と福山が言った。

「少し長くなるかもしれんが、ウイルス盗難の経緯を説明しよう。質問は、話が終わった後にしてくれ」と福山が続けた。

「知っての通り、国立ワクチン研究所では、病気の原因となるウイルスとそのワクチンに関する幅広い研究をしている。特に人間に強い感染力があるウイルスに関しては、力を入れて研究している。2000年の史上最大のエボラ出血熱の猛威、2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の世界流行など、感染症による人類への脅威は枚挙の暇がない。我々はそのような感染性ウイルスの研究に研究者一丸となって取り組んでいる」福山は国立ワクチン研究所の意義と必要性を力説した。

「また、2003年ごろから散見される鳥インフルエンザウイルスに備えて、最近では鳥インフルエンザの研究にも力を入れている。現状では鳥インフルエンザは人間には感染せんが、一部では人間に感染した疑いも完全には否定できん。また今後、鳥型ウイルスが人型ウイルスに変異して人間に感染する可能性も充分ある」

「ワクチン研では研究のため、感染して死亡した鳥から採取した鳥インフルエンザウイルスを単離して、厳重に保管していた。言い訳に聞こえるかもしれんが、二重三重のセキュリティが施されておったので、外部からの侵入、ましてや盗難などは想定外だった」

「鳥インフルエンザウイルスの盗難に最初に気付いたのは、鳥インフルエンザ研究グループのグループ長だった。実験のためウイルスを保管庫から出す際は、サンプルの数をその都度確認しているが、その際に一つだけ数が少なくなっていることに気が付いた。なお、保管庫からウイルスのサンプルを取り出す権限を持っているものは、グループ長を含めて三人しかおらん」

「保管庫の電子記録から、実際のウイルス盗難は、盗難に気付いた二週間前の深夜に行なわれたことがわかった。最初は、内部の者による犯行を疑ったが、内部の研究者にはそんなことをするメリットはないし、そもそも不可能だ。また、保管庫の権限を持つ三人には、犯行当日に確かなアリバイがあった」

「しかし、セキュリティ部門の協力を得て調べたところ、保管庫の周辺にある監視カメラのデータに改竄かいざんの跡が見つかった。セキュリティ部門の話では、犯行が行なわれた時間帯の映像データが、別の日の同じ時間帯のデータで上書きされていたそうだ。それから、入退出記録のデータにも改竄の跡が見つかった。セキュリティ部門の話では、保管庫を扱う権限を持つ誰かのIDカードが偽造されて使用されたようだ。以上が、ウイルス盗難の経緯だ。さらに詳しいことが知りたい場合は、セキュリティ部門トップの山本を紹介するので、あとで聞いてくれ」と福山がこれまでの経緯を一気に説明した。

「最初にお聞きします。鬼塚局長からの問い合わせの前に、鳥インフルエンザウイルスの盗難を知っていたのに、警察や厚生労働省に届け出なかったのはどうしてですか? 盗難を隠蔽いんぺいしようとしたんじゃありませんか?」赤城が福山を問い詰めた。

「何を馬鹿な事を言うんだ! そんな意図は全くない。ふざけたことを言うな」福山が声を荒げて怒りながら答えた。

「盗難の隠蔽は全く考えていなかった。この件の重大性を考えて盗難の有無とその経緯を何度も調べていただけだ。確認に手間取ったのはそのためだ」少し冷静になった福山が補足した。

「犯行時間は深夜ということですが、深夜の不審者が疑われずにウイルスを盗むことが可能でしょうか?」黒田が質問した。

「犯行が可能かどうかは私にはわからん。ただし、研究所内では夜遅くまで研究をするグループもいるので、白衣を着てマスクを着用していれば、怪しまれることはほとんどないと思う。残念なことだが・・・・・・」福山が険しい表情で答えた。

「話を変えますが、福山所長ご自身のことをお尋ねします。詳しいことはお伝えできませんが、犯人の要求項目のなかに福山所長の辞任が含まれています」と赤城が言った。

「――私の辞任?」何か思い当たる節があるのか、福山は腕を組みながら、ゆっくりと天井を見上げた。

「福山所長には、人から恨みを買うような心当たりはありませんか?」赤城が恐る恐る尋ねた。

「私はワクチン研究所の所長だ。また、日本のワクチン研究の第一人者でもあると自負しておる。この地位に登るまでに、他者との軋轢あつれきが少なからずあったことは認めよう。また、研究所長として、部下の研究員たちに厳しい言葉を浴びせたこともあったのも事実だ。最近では、パワーハラスメントやアカデミックハラスメントと言われるかもしれんが、それも研究所員のことを思ってのことだ」福山が憮然ぶぜんとして答えた。

「私はウイルスを盗まれた被害者のはずだが、まるで盗んだ犯人のような扱いだな」福山は赤城をにらみつけた。

「話をワクチン研究所のことに戻しますが、最近研究所を退職された方はいますか?」黒田が切り口を変えた質問をした。

「定年や大学・企業への転職などの理由で退職した職員は何人かいたとは思うが、いちいち全てを覚えてはおらん。事務部の人事係に行けばわかると思うので、私から連絡しておこう。この後で二階の人事係を訪ねてくれ」と福山が答えた。

「ご協力、ありがとうございました。この後、人事係とセキュリティ担当者に少しだけお話を伺います。よろしいでしょうか?」赤城が聞いた。

「もちろんだ。やましいことは何もない」と、福山はこれ以上の質問は受け付けないぞ、という雰囲気を全身にまとっていた。

 赤城は、福山が何か重要な情報を隠しているのではないかという印象を持ったが、そろそろ潮時だと感じて面談を打ち切る決心をした。

「長い時間、面談に協力頂いてありがとうございました。我々はこれで失礼します」と赤城が言った。

「コーヒー、ごちそうさまでした。大変おいしかったです」と黒田が礼を言った。

「タピオカミルクティもおいしかったです」と赤城も礼を言った。

 赤城と黒田は深々とお辞儀をして、最上階のレストランを後にした。

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